小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

小池昌代『ことば汁』-つのをしゃぶる。-

 

なんか初めて聞く単語ではあるなと思った。

 

小池昌代『ことば汁』(中央公論新社 2008年)の話をさせて下さい。

 

 

【あらすじ】

川端康成文学賞の名手が誘う幻想の物語6篇

 

モノクロームの日常から

あやしく甘い耽溺の森へーー

詩人につかえる女、

孤独なカーテン職人

魅入られた者たちがケモノになる瞬間ーーー

 

帯より

 

先生はケロッとして、頬を赤らめ、いやらしいほどに、口元をゆがませた。

そこから蜘蛛の糸のような唾液が垂れている。

光線の具合で光ってみえる。

ああ、と思う。拭いてさしあげなかればならない。p.59

 

【読むべき人】

・現代中年女性版ふしぎの国のアリスが読みたい人

・ホラーじゃない幻想譚で、後味が悪い話を読みたい人

 

【感想】

柴田元幸編集「短篇集」で作者の話が面白かったので、「短篇集」に引き続き図書館で借りて読んでみた次第である。作者は詩人であると聞いている。収録されていた短篇よろしく、幻想譚なのかな~?と思ったらまぁ結構幻想譚だった。

どれも比較的面白く読めたが、完成度は結構作品によって差はある。「つの」が一番秀でている。むしろこの「つの」のために本書があるといっても過言ではないと思う。その後はまぁお好みによって、という感じではあるが、「野うさぎ」については一段劣る気がした。

また、主人公が6篇中5篇が独身の中年女性である。好みが分かれると思う。昔はオールドミス、と呼ばれていた、孤独…とされている彼女達が、日常で何を考え生きて何を想い生きて、狂ったか。

そして地の文は詩人というのもあって若干の癖がある。また、主人公の感情の機微に対して必要以上に説明的になっている部分もあり、間延びするところが若干あったのも事実。

主人公が中年女性。純文学体ではあるが癖のある文章。

それらを承知した上でならおススメである。

 

ただ、タイトルが「ことば汁」なのか。

だっせぇ・・・微妙だと思った。

短編一篇一篇、もとい、本書のタイトルがもっとお洒落であれば本書の知名度、作者の評価は上がるのではないかなぁと考える。そういう点ではやはり小川洋子先生は偉大だ。薬指の標本」「ミーナの行進」・・・。本書のタイトルは掲載作からそのまま「つの」でも良かったような気はする。

 

 

以下簡単に掲載順に感想を簡単に述べておく。

一番好きなのは「つの」、次点で「女房」。怖かったのは「花火」

また本書の掲載作は一作一生物が主題になっている。その生物もタイトル横に記録しておく。

 

「女房」:ザリガニ

闘うべき相手は、ザリガニではないとわかっていたが、このザリガニが、ずっとレオの家にいるのかと思うと、奇妙な対抗意識がわいてくる。嫉妬というには、幼稚な感情だった。p.17

私が掲載されている作品群の中で本作を好き、と思うのは私もかつて女子大生だったからかもしれない。大学生のアベックで、付き合っているけれど女→男の片想い状態話である。別れる寸前。でも最後、恋は予想外のところに着地する。

この女子大生ミツの、恋焦がれる気持ちは痛いほど分かって読んでいて切なかった。彼は私に興味が無い。大学の合唱部の方が大事。ひょっとしたらさっき拾ってきたこっちのザリガニの方が大事なのかもしれない。でも優しいから突き放さない。私はそれに甘えている。本当はそれを察して離れるのがベストなのだけれども、ミツはレオ(男の名前)がとても好き。恋焦がれるほど好き。ザリガニに嫉妬してしまうくらい好き。狂うくらい好き。だから離れたくない。絶対に。絶対に離れたくない。レオの優しさに抱かれていたい。

若い二人の間のさざめきを、ザリガニは「ザリガニニ」p.26と歩いていく。

レオの夢のなかへ、ミツも入りたい。ミツはいまでも、レオが好きだ。レオの女房になりたいと思う。ああ、女房、と思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。 p.29

これもなんとなく分かる。報われない。寂しい。何も繋がらないと知っていてもふらりと他の男に抱かれてみたり、する。

ちなみに、ミツがサークルやバイトに従事している描写はない。していても彼女にとってそれほど大切ではない。寂しいんだろうなぁと思う。大学生の空いた時間を、今はレオ、だけどきっと過去にも彼氏を作って時間をいたずらに消費してきたんだろう。

 

終盤、いきなり出てくるのがタイトルにもなっている「女房」。なんで「妻」「奥さん」じゃないんだろうと思う。女房。というのは妻のくだけた言い方らしい。ネットの辞書によると。でも21世紀、女房なんてなかなか聞かない。

この「女房」が「妻」だったらどうだろう。レオの妻になりたいと思う。ああ、妻と思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。・・・現実味を帯びて生々しい。婚活か?と思う。女子大生は妻という言葉に対して漠然としか考えていないんじゃないかな。ましてや男性経験ある程度豊富だと。

この「女房」が「奥さん」だったらどうだろう。レオの奥さんになりたいと思う。ああ、奥さんと思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。奥さん、という言い方はそもそも前時代的。働いてるかもしれないし。古い。言葉がばばくさい。

この「女房」が「配偶者」だったらどうだろう。レオの配偶者になりたいと思う。ああ、配偶者と思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。言葉があまりにお役所すぎる。絶対この後ミツ、公務員試験に向けて勉強するじゃん。

この「女房」が「パートナー」だったらどうだろう。レオのパートナーなりたいと思う。ああ、パートナーと思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。横文字は時々恐ろしいくらいに白々しい。

するとやはり、女房・・・なのだろうか。

 

 

「つの」:鹿

肉体のよろこびを知らぬまま、六十歳になろうとしていた。いつも先生の恋の承認になるばかりで、当事者になったことは一度もない。自分の胸の内の灰をかきわけて、そのなかから、まだかすかなぬくもりを宿す熾火を探し出したい。p.65

詩人をかすかに恋い慕いながらもそれを抑えて三十数年仕えてきた女の心情である。激重純文学。ずっと抑えてきて抑え続けてきたものが、老いなのか、ふとした瞬間に総てが溢れ出て爆発し狂っていく。その心情がことこまかに書かれている。今までずっと好きだった相手がただのスケベ親父に見える瞬間。同時に自分のスケベさも顧みて反省しつつ、それでもなお想う。好きだと思う。二人でしだけの時間も今まで多く費やしてきた老夫婦のような域まで達してきてる。でも私達は夫婦じゃない。詩人は私の方を見ない。どうして私はこんなおいぼれが好きなのだろう仕方ない好きなのだからああ愛おしい好き好き好き。・・・狂っていくが故に、女の肉体が変化していく。のめりこんでいく。のめり込んだ末にふと、額に手をやれば、生えてくる・・・角。

こういう突飛な設定の小説って、主人公の心情と現象は切り離されて、その余白を想像することでいかにも「純文学でしょう?」とする作品が多い中で、心情がどこまでもどこまでも書かれ続けていてその果てに起きる現象、として、角を描写しているのがすごいと思った。

逃げない。

それなりに化粧はする。おしゃれもする。けれど心は、いつも裸だ。裸の心は、傷だらけだが強い。傷つけばさらに強くなっていく。p.62

そんな作者の心も、恐らく裸。

 

 

「すずめ」:雀

「五種類のうち、どの窓にどれを持っていくかは、あなたに一任する。あなたは、この家を知らなければならない。すべての窓を見て、その窓にふさわしいカーテンをつくってください。期間は三ヶ月。さあ、今夜は存分に、飲んで。連中は朝まで飲んでいますよ。あなたも気後れなんかすることないのだから」p.98

「あなたね、舌切りすずめの話を知っていますか」p.117

宴は続く。

永遠に続く。

本書の読書メーターを見ると本作をホラーと定義している人がちらほらいて驚いた。そうか、これはホラーなのか。私としては「つの」と大して変わらない、幻想文学寄りの純文学かなぁと思った。だって、私達も現実・人生という宴を永遠にやっているじゃないか。

わたしたちは過去のことを一切話さなさなかった。未来のことも、うまく話せなかった。p.131

相手がいくら恋人たって配偶者だって親友、つってもさぁ。

自分の過去、全部話せますかぁ?いいえ私は話せません。墓までもっていく秘密はある。1つじゃない。100つある。1000つある。自分の未来、うまく話せますかぁ?いいえ私は話せません。ポロリとこぼして相手から同意を得られなかった場合を想像すると怖くて。

今しかない。

私達には今、しかなくて、最大限に生きる。最大限に楽しむ。最大限に拡張しようと努める。それは雀の宴と大きく変わんないんじゃないかなぁとも思う。周りがそれこそ鴉でギャアギャア泣かれたらたまったものではないけれど、愛らしい雀にちゅんちゅんちゅん、夢みたいじゃないか。過去も未来もなくてかわいい雀に囲まれて美味しいものを食べて宴は続く。宴は続く。楽園だぁ~。この先普通にカーテンなんて細々売ってても得られないような量の幸せを享受できるならそれはそれで圧倒的幸福。ハッピーエンド。いつまでもいつまでもしあわせにくらしましたとさ。今までやってきたことこれからどう生きるかそんな人生なんて幻想でしかない!なら食欲睡眠欲性欲愛欲すべてすべて満たされる雀の楽園にいた方がいい!雀は可愛い~かぁわいい!!!少年もいて恋する同年代の男もいてずっと寝て食べて寝て食べて生きて死ぬのであればそれも一つの理想。夢。はっぴぃ~えんど!!雀!!すずめ!!SU・ZU・ME!!!!

じゃないかなぁ。

とゲタゲタ話しても、読書メーターの向こうにいる誰からも、同意は得られそうにない。

ので、明日は朝最初に見かけた雀をそのまま手づかみで食べようと思う。そうすればまだまだ私はちゅんちゅん嘯ける。

 

 

「花火」:人間

今年は是非、年取った父母にも見せてやりたい。あの花火を見ずしてあの世に行くなんて、考えただけでも、もったいないと思う。そのためにも、扇動する自分が、きちんと場所を把握し、最高の環境を整えなければと、緑子は使命感に燃えていた。p.141

「ここからちょっと、歩くのだけれど、もし、膝が痛くなったら、すぐに言ってね。休むわ」p.151

この話の方がよっぽどホラーだと思った。

主人公の緑子は中年女性である。バツイチ。実家に帰ってきて良心と三人で暮らしている。両親の文房具屋をぼんやり手伝ってはいるものの、未だに料理は母親が作るし緑子はそれを疑う間もなくパクパク食べている。花火大会に連れて行く、無論三人とも歩きで、を最大の親孝行と思い込んでいる隅田川の向こう側はもう遠い場所で、東京都内の狭い狭い場所で生きている。そのことに疑いを抱くこともない。甘え続けている中年の娘。娘に出て行けと言わない両親。その二人のことについて書かれた作品である。

だが、両親は、いかなるときも、どんな愚痴も、ため息ももらさず、にごっと泥のような二つの目を見開き、おそろしいような忍耐力で日々を生きていた。p.144-145

閑話休題

私は女子だが18歳で東京に出て一人暮らしをしている。新卒で就職した会社を拗らせて2年程実家で暮らしていたけれども、その後バイトでじり貧生活をつづけながらも、実家の隣町で一人暮らしをだいたい10年してきた。今は彼と同棲をしている。1年たつ。

なんでバイト生活してでも一人暮らしをしていたかというと、実家がそういう教育方針だったからだ。父親は北海道の田舎の出身で高校から下宿して国公立大学(ただし決して北海道大学ではない)を卒業して一つの企業を定年まで勤めあげようとしている。そういうもんだから、若いうちからひとりだちしろという風潮だったのだ。妹も大学時代までは実家にいたが、就職と同時に一人暮らしをしている。

でも社会に出て、意外と実家暮らしを続けている社会人が多いことを知った。同年代の男女ならまだしも。40代。50代。

緑子の年齢にそぐわないこの親孝行の想いを読んだ時、彼等の顔がよぎった。私をいびる40代50代のおばさんは、よく聞くとだいたい実家暮らしでシングルだった。怖くなった。彼等には一人暮らしをしようという気持ちがあったかもしれないがそれは現実感を伴う発想には至らなかったのだろう。

私は2年たって今は亡き母親に「そろそろ一人暮らししないの」言われてその週で物件決めた。コロナ禍前ぎりぎりで、6月という季節も幸いして家賃の割にいい物件に住めた。今の物件も私の物件の契約が切れるので、彼に「面倒だから同棲しようぜ」とその週に物件の見学に行き、立地の割に以下略があったのでもうきめちゃったのだった。

・・・最近ようやっと、父親が女であろうが男であろうが、ひとり暮らしを子供に無理矢理推奨していた理由がすごく分かるようになった。転職を繰り返してストラテラジェネリック飲んで社会不適合者かもしれないけれど、社会を泥水すすってでも生き抜く力は培ったのだ。

可愛い子には旅をさせよ、ではないけれども、一人暮らしって言うのは社会で生きる一つの術なんだな、と思った。

実家暮らしをどこかで見下してしまう悪癖がついたので、この教育法はおススメとは言えないけれども。地方都市住まいで、ペーパードライバーのくせに。

 

あとねぇ、なんか途中で「ソウルワイフ」という主人公の幻想も出てくるんですが、親元を離れてこなかった女が、一時期結婚していた男との恋にドはまりしてしまったが故に生み出した幻想の名前である。「ソウル」「ワイフ」と恥ずかしげもなくつけるネーミングセンス。そのリアルさが凄まじくて怖かったね。どうやったらこんな嫌な小説書けるのか。実家暮らしの30代以降の独身女性にはこの小説は勧められないです、劇薬すぎます。

 

 

「野うさぎ」:兎

わたしは野うさぎ。カワイイ野うさぎ。

友達なんか、ひとりもいない。p.224

中年女性作家が主人公の、現代日本を舞台にした不思議の国のアリスと言った塩梅の話である。がけっぷちの女が崖から落ちたら其処は夢が渦巻く楽園でした。

実際、こんな綺麗にいくわけないじゃんって思う。

きっと私は崖から落ちたら風俗かなんか行くのがおちだし、もしかしたら年金暮らしを始めた仲が険悪な父親の元に帰るのかもしれない。仕事もできなくて、毎日毎日すまーとふぉんをにらみつけてねっとさーふぃんのドーパミンをたよりに細々と一日一日を耐えてそして死ぬ。他人の幸福と比較して実情の不幸よりもさらに深く深く心を抉ってそして死ぬ。

でもそんなん、寝て夢見てれば、現実なんて意味がない。

夢の世界では、現実なんて意味がない。

一時期、鬱っぽいのがマックスだった時ただひたすらに寝ているという事があった。寝て、夢を見ている間は確実に幸せだからとにかく眠るのである。メンタル不調で仕事を休んだ日とか。

ふ、と昼下がりに目が覚めると夢との落差に絶望する。おいまじかよ、あれ全部夢だったのかよ・・・でも最近は、ねぇ最近は、ああ、夢で良かった!と思うことが多い。幸せなことだと思う。

でも、享受している総幸福量はもしかしたらほぼ同等かもしれない。それを感じているのが夢であるか現実であるかとというだけで。夢も現実もワンダーランド。大差ないよ。歌って踊って死んでいこう。それが生きるということさ!!

 

「りぼん」:蛇

「ふじこが死んだよ」p.227

「わたしの首はごめんだよ。縛るなら、どうぞ、自分の首にしてね」p.256

前半と後半はっきり分かれている短編である。主人公は中年の手芸作家女性。前半、大学時代の友達の死を知る。その友達の家にはリボンがあって、主人公はドはまりしてリボン収集を始める。後半、それを通して知り合った女子小学生との交流である。

一行目抜粋したのは、前半冒頭の台詞。二行目抜粋したのは後半最後の台詞。作品の最初の台詞と、最後の台詞。どちらもいい響きだなぁ、と思う。どうぞ、じぶんのくびにしてね。

終盤、リボンコレクターの主人公が一目ぼれした女子小学生のリボンが、蛇からできたものと判明する。今までの短編が、ザリガニ、鹿、雀、泥のような眼をした父人間、野兎、と動物を主題として書いてきたならば、蛇である。

本作が一番分からなかった。

大学時代の親友が死んだ。遺品であるリボンに魅せられリボン収集を始める。小学生と知り合う。小学生のリボンは蛇で出来ていました。

以上のことは分かるんだけれども、私自身が文学的知見が浅いせいか、それ以上の関連性を見出せない。分からない。私がまだ主人公の年齢まで達していないからなのかもしれない。いつか私が主人公の年齢・・・50・60に達した時にすべてがりぼんでくるくるとまとまるようにすべてがくるくるとわかるのかもしれない。わからないのかもしれない。

 

りぼん、といったら少女漫画である。31歳の私が小学生の頃は一番人気は「ちゃお」だった。次いで「なかよし」。そして「りぼん」。でも、最近ちらっと見たら、「少女漫画誌ナンバーワン!」と「りぼん」の表紙に書かれており、仰天した。確かに「ちゃお」は年齢層が下がったはいいもののきらりん☆レボリューションやめちゃモテ委員以降稿ヒット作に恵まれなかったイメージがある。確かに「なかよし」はしゅごキャラ!CCさくらを復活させて最近は何処の年齢層に対して発行している雑誌なのか迷走しすぎている気がする。となると、まぁ消去法的に「ハニーレモンソーダ」とか真っ当に少女漫画しているりぼんがトップに躍り出た、ということか。

母親の生前の最後の誕生日にプレゼントしたのも、当時読んでいたりぼんをメルカリで購入したものだった。昔から「りぼんっ子だったのよ」と繰り返し繰り返し言っていたから。砂の城陸奥A子。諸々諸々・・・その過去も全て小説の世界と混ざり、私の脳内はことば汁でみるみるみるみる溢れていく。

 



 

以上である。

面白かった。ただ主人公の年齢層偏り過ぎじゃね?とは思ったのと、あと、まぁ、結構うん、好みが分かれる文体ではあるなぁと思う。詩を主活動にしている作家なだけあってなんか独特で、くどさがある。

でも、「つの」。うん。この短編を読むためだけに本書は手に取る価値がある。

 

 

tunabook03.hatenablog.com

 

 

 

柴田元幸編『短篇集』-花瓶割ったのは、昨日の私の狂気です。-

 

物語よ、静謐に。

 

 

 

柴田元幸編『短篇集』(ヴィレッジブックス 2010年)の話をさせて下さい。

 



 

【概要】

この本に収められている短編の大半は、雑誌『モンキービジネス』の依頼を受けて、それぞれの作者が書いてくださったものである。それ以外の作品も、『モンキービジネス』に載った作品そのものではないけれど、やはり『モンキービジネス』登場歴のある作者が書き下ろしてくださった作品である。p.246 編者あとがきより

 

クラフト・エヴィング商會 誰もが何か書く仕事を持っている、私とわたしの猿以外は

戌井明人 植木鉢

栗田有起「ぱこ」

石河美南 物語集

Comes in a Box 朝の記憶

小池昌代

円城塔 祖母の記録

柴咲友香 海沿いの道

小川洋子『物理の館物語』

 

「ごちそうさまでした。るみなちゃん、高校がんばってね」p.216

 

【読むべき人】

小川洋子が好きな人、山白朝子が好きな人:何となく似た雰囲気の作品が多い

・海外小説が好きな人:基本全部日本の小説ではあるが、翻訳家の大物が創刊した雑誌に寄稿した小説だからか、海外小説をオマージュしたかのような内容の小説が多い。

 

【感想】

 

表紙、内容、長さ。

室内の弦楽四重奏的短編集。

 

柴田元幸、と言ったらあの有名なエドワードゴーリーの翻訳者で、他にもいろんな作品を翻訳している。というのを海外文学に疎い私でも知っている。だいぶ前から。

そんな彼が編纂する短編集。どういう作品が収録されているのだろう?

知的好奇心の赴くがままに手に取った一冊である。

図書館で借りた。

 

全体的に変わった雰囲気の漂う短編。小川洋子・・・まさしく小川洋子先生も最後に短編を書かれているのだけれども、小川洋子作品に見られる静謐さを纏う作品が多い。恐らく編者が大物というのもあって、彼が好むであろう物語の文やを書き手側が意識したというのもあると思う。

結論、おおむね面白い。

クラフトエヴィング商會石川美南は写真・詩歌と作者特有の表現方法で寄稿しているがそれも含めて。ただまぁ、おおむね。そう「おおむね」

音程が若干ずれていたり、リズムがひとつ遅れていたりする部分もある。まぁアンサンブルなんだ。僕達はAIではない。書き手もAIではない。そこまで技術は進歩していない。人間の業さ、仕方ないさ。

 

概要でも抽出したあとがきに出てくる「モンキービジネス」というのは、この翻訳家柴田元幸氏が創刊した文芸誌の名前。はじめはこれらの作品含め日本語の文芸も取り扱っていたようだけれども、最近のを見るともっぱら翻訳文学のみの文芸誌になった模様。出版不況の中形変えてでもここまでやってきたということはきっとそれだけの信頼を寄せる文芸ファンがいるのだろう。どこにいるの?

最近はなんか、アメリカの作家を紹介する短編集みたいな号を発売していた。黒い表紙。作家の作品が不穏な匂いがしていて、気になる。不条理ホラー、奇妙な味?でも心のどこかで単行本化するだろう、そして河出書房文庫アタリが数年以内に這うbんコカしてくれるだろうと高をくくっている。

 





 

以下簡単に感想を書いていく。

一番面白かったのは「植木鉢」、一番好きなのは「海沿いの道」

 

クラフト・エヴィング商會 誰もが何か隠しごとを持っている、私とわたしの猿以外は

:油を溶かして箱をこじあけると、息を呑む一瞬の後、思わず「誰?」と猿に声をかける。p.8

商會(以下敬称略)に届いた箱を開けたら猿のぬいぐるみと箱があった。ので、箱を開けたらまた箱が・・・という具合。「モンキービジネス」という雑誌名にあやかって猿のぬいぐるみが出てくる。

いつもの商會。写真を介して文章で世界をくり広げていく。散りばめていく。独特の軽妙であってでも過剰装飾ではない文章は確かに翻訳文学の文体に似ているのかもしれない。

少し前の私が嫌った文体。

今の私は別に平気な文体。

短編集初っ端こんなに写真が出てきて戸惑う読者がいるかもしれない。そしたら聞いてやる。

「ヘイ、ボーイ。クラフトエヴィングは初体験かい?」

ちなみに私は30歳を超えてからなんか急に平気になった。

 

戌井明人 植木鉢

:庭の縁台で老婆が頭から血を流して死んでいて、縁台の下には割れた植木鉢が落ちていた。テレビでは事件のあった家の映像が流れている。p.28

植木鉢で頭を殴殺された老婆のニュース。それは明日、妻と赤ん坊を連れて帰省する男の実家の近くで起きていたー。といった具合の話である。私が本書を手に取って、そのままノータイムで「かりる本」の受付へ持っていったのは、この話の冒頭と最後をざっくり立ち読みしたからである。殺人事件、というのが気になった。なのに最後は母親の「早く味噌汁飲みなさいよ、冷めちゃうよ」p.57で締められている。30ページ前後一体何が起こったのか。

簡単に言うと、突発的狂気。

普通にサラリーマンで普通に夫で普通に父親(ただし飲酒量に問題あり)、の恐らく20代後半~30代の男が、突発的に事件のニュースを見て突発的に正義感にひた走り、走りぬき、犯人を捕まえようとする。普段の男の行動から全く考えられないことであったし、妻はただただそれに戸惑うばかり。男の数々の突飛なる行動や、意外な結末。

最初突然勃発して、最後は母親の味噌汁であっけなく治まっていく狂気はまさしく翻訳文学に用いられる「奇妙な味」で、妻からしたら圧倒的理不尽。正常な日常の飲酒量も多いことから、多分男の正気と狂気は紙一重狂いやすい人間だったのかもしれない。

世の中事件の多くが、こういう善なる人間の唐突なる狂気によるものかもしれない。

そもそも、この殺人事件だって老婆は包丁ではなく、植木鉢で殺されている。人殺すのに植木鉢っていう手段は、ベストじゃない。ベターでもない。この事件だって、もしかしたら。男と同様の突発的狂気で発生したものだったのかもしれない。

飲酒しようがしまいが、人は狂う時は狂う。

突然狂う。

・・・私は本作でこの作家の存在を知った。アマゾンで検索すると「芥川賞落選作品集」などおもろそうな短編集を発見。近々単著を読もうと思う。

 

栗田有起 「ぱこ」

:「これは箱ではありません。私が作ったのは、『ぱこ』です」p.77

狭いところが苦手な私が、それを克服するために彼女の元へ通い始めるが・・・。

正直微妙だなぁ、と思った。小川洋子風の作品が並んでるといったが、小川洋子をパクれとは言っていないのよパート1。

狭所恐怖症と、ぱこを作る行為に対する恐怖の繋がりが見えない。狭所恐怖症の治療に有効である箱を作ることがどうして突然怖くなったのか。全く持って理解が出来ない。

私が別に狭所恐怖症ではないからなのかもしれない。「植木鉢」で何故男が唐突に狂ったか・・・日頃の生活で思い当りがあるからだ。私の日常にそういう瞬間はある。狂いそうになる瞬間はある。狂う瞬間はある。「ぱこ」でぱこを作っていた主人公は何故唐突に怖くなったのか・・・うーん。

狭所恐怖症、っていうのは恐らく作者自身の恐怖症なんだと思う。あまりにも自分ばっかり見過ぎていて、周りが見えていない。純文学風、小川洋子風の駄作・・・と言い切っていいと思う。

 

 

石河美南 物語集

食べ損ねたる手足を想ひ山姥が涙の沼を作つた話 p.84

犯人の好物はパフェ 綿密なる調査ののちにわかつた話 p.92

「話」で終わる縛りのある短歌集である。三十一文字には、三十一文字では語れない世界と時間を含有していて、その広さ奥行き差大きさに眩暈がする。

好きなのは上の二句。

上。冒頭の句である。早々山姥(やまんば)、っていう言葉に虚を突かれて、くらっとした。え、山姥って短歌禁止用語じゃないんだ。食べ損ねたる手足って何の?いや、誰の?そのまますべて読み切った。

下。好物がパフェだなんて版認定外と可愛い一面があるのね、と思った。デートで行ったデニーズで、メニュー表を見る時まず最後から見るんだろう。「見て、ダブルメロンパフェ期間限定だって。なんでダブルなんだろう・・・ああ、黄緑とオレンジこの2色でってことなのかなあ」目をキラキラ輝かせてた、まさかあの人が■■をするなんて。

 

Comes in the Box 朝の記憶

ラビが掠れてそう言った時、私たちは灰色に燃える果樹園の前を離れ、長く続く並木道へ入っていった。p.114

ラビという登場人物の名前、菜の花の酒、灰色に燃える果樹園というファンタジーめいた世界観に、「evian」「Nike」「Audiと実在するブランドの名前が出てくるのはとても斬新だと思ったけれど、それだけだった。

小川洋子風の作品が並んでるといったが、小川洋子をパクれとは言っていないのよパート2。

そもそも作者名を聞いたことがない。冒頭を読んで、乙一のまた別名義か?と思って調べたがどうやらそうでもない。wikipediaのページにもない。そもそも日本人なのか、と思った矢先、あとがきにこの雑誌から出した作家とのことだった。2010年の本である。2025年現在その作者の名前は聞かない。再び乙一か?と思ったが、乙一はさすがにここまで雰囲気だけ、の作品は発表しない。思い直す。というか本作は雰囲気でさえ演出できているか怪しい。さすがにこんなどっかの高校の文芸部の部誌に載っているかのような物語を乙一は書かない。・・・乙一、いや違うな。山白朝子を読んで色白の40代50代の美人女性作家だと思い込んで、将来はそういう朝子先生のような丁寧な暮らしをしながらひっそりと物語を紡いでいきたいと憧れた女子高生が書いた作品、と思えばまだ許容できる。高校の文芸誌レベル。

 

小池昌代

この物言わぬ文箱に、いったいどれほどの人間の障害が、かかわり合ってきたのか。まったくもってひどい臭いだが、これこそ、人間の臭みである。店には常に、甘く芳しい石けんの匂いが漂っているのである。しかしそれらは、すべてこの世の幻覚なのである。p.147

肩透かし、短歌、肩透かし・・・ときてからのいきなりの文芸を投げつけられたので戸惑った。面白かった。詩歌ベースの純文学・・・よりかは娯楽文学?芥川賞直木賞どちらに属するのか判断しかねる。初めて読む感覚で、戌井昭先生に続いてこの小池昌代先生を知っただけでも本書に出逢う価値は十分にあると思った。

終盤、白象と呼ばれる大巻という風俗嬢が現れる。

頭が少しゆるいのかと思われるほどのやさしい気持ちの持ち主であるということ。p.148

詩歌的なめくるめく万華鏡的な世界から、突然、非常に現実的な言葉が痛い。普通だったら「おおらか」「寛容」「女神かのような」「インドの仏像のような」とかそういう言葉が来るんじゃないのか。でも本書は児童文学ではないんだよ。大人に向けた娯楽小説だ。知らず知らずのうちに私達が触れてきた児童文学の定型的文脈を、予想外の咆哮からぐにゃりと曲げる。無理のある角度。痛いです。嘘。気持ちいいです。不幸は連鎖する目くるめく連鎖する。人間っていうのは欲まみれの汚い俗物で満たされることはないまま世界は開店し続けた末に暗渠たる現世。幸福は白象の輪郭をしている。石鹸の臭いは総てまやかし。汚い。穢れ。未来過去現在すべての時が収束して箱にコトン、と収まる結末。

表紙において本作は、弦楽器の穴をさしているようだけれども、確かにその小さい穴から覗ける虚空はどこまでも闇でいつもいつまでもはてしない、話。

 

円城塔 祖母の記録

:様々試行錯誤をしてみたものの、人間というのは意外に重く、僕は祖父を吊り下げ持ち運ぶのを、ごく早々に諦めた。p.170

植物人間の祖父を地下室から引っ張り上げてきて、ちょっとずつ動かしながら、チョークで築いた世界の上で活躍させる兄弟の話である。途中で同じく植物人間の祖母を持ってくるヒロインも登場。意識不明の祖父母を、真夜中そっと動かし合う少年少女の物語である。

海外文学を意識したかのような短編だった。翻訳に出てくる児童の独特の地の文章、どこの国かは特定させない匿名性。そんなのどうやって思いついたのって言う突飛な文章とか。その中で兄と弟は殴り合って暴力性が星のようにキラキラしていて、人間、そのギャップに生物としての血を感じた。

タイトル。「祖母の記憶」。恐らく、意識不明老人老女を使って張り切って撮影した、映画のタイトルだと思われる。兄弟の祖父母の出会いをクリエィティブに想像した。でも祖母は死んでる。身体があるのは祖父しかない。でも隣に意識不明の祖母がいる少女が引っ越してきた。じゃあそれなら・・・と、自分たちの祖父と少女の祖母使って演じさせたのではなかろうか。要するに、祖母は代演。こんな最期は絶対嫌だ。

地下室が「箱」と思ってたが、どうやら本作は箱を主題として指定した作品ではないらしい。「箱」「ぱこ」があるから全編「箱」主題だと思っていた。本作含め、この後の柴崎友香先生と小川洋子先生の作品は、編者あとがきp.248 ページ数のみの指定で書かれた短編とのことである。発想が0からここまで突き詰められて、こんなお話になるなんて凄いなぁと思った。なんとなく苦手意識がある作家だったけれども、1冊2冊それこそ図書館で、読んでみてもいいのかもしれない。

 

柴崎友香 海沿いの道

ミーコ「ソウオンセイナンチョウ、ってどんな感じ?」p.185

西川さん「実験ぽいことが、好きなんですよね。天然酵母のパンも、実験みたいなものですよ。酵母の作り方って知ってます?」(中略)

がさつな自分の苦手そうなことばかりなので作ることはないだろうと思ったが、小沢夫妻に会ったから、そのあとパンが焼き上がるまでの全工程を聞いた。p.206

たぶん、事故の責任を認めないために謝ることを拒んでいる、というのではなくて、単純に、思いつかない。p.215

ライブの翌日、突発性難聴になった20代中盤の女の話である。

この話が一番難しいけどこの話が一番好きだと思った。

一番難しい部分。

本作はおおむね3つの場面に分けられる。序盤のミーコとかミーコの彼氏、主人公の彼氏の名前が飛び交う、ミーコが主人公の部屋に突撃してきた場面。序。中盤は、ミーコとそして西川さんと自転車で縁日に行く。そこでかつて家庭教師のバイト先だった小沢夫妻と出会う。破。終盤、その小沢夫妻との事故の思い出話。大学時代の。急。

なんでこんなに分かりやすく、3つに分ける必要があったんだろうと思った。そこがわからなかった。

一番好きな部分。

主に中盤から。。縁日の場面。お祭りと縁日の違いを主人公が説明するところ。p.193初めて知った。あと、主人公が花瓶とかそういうものを愛でる感性を持っているのもよかった。私もなんとなく気になってしまう。あと、主人公が小沢夫妻に会ったからパンの作り方めっちゃ聞くってところ。嫌いな人に会ったらとにかく脳味噌に情報をぶち込んで記憶を薄めるしかない。どうしようもない。なんか、似てるね。私達。要するに中盤以降めっちゃ共感。震える。音叉。

終盤。小沢夫妻の運転する車が事故に遭った場面。お金持ちの夫妻はあんまりにもマイペースで、私達とは全く違う世界の人。私も大学時代そういう人いっぱい会って、ひとり暮らしの部屋に帰って、真夜中就寝前ふとした時に思い出してああそれはもう全然違うのだ。分かり合えないのだ。カルチャーショックを受けていたのだった。同じく共感。音叉はビンビン。

話が変わるが、私はアルコアンドピースの平子が好きだ。でもそれは彼がイケメンだからではなくナルシストキャラに屈したからではなく愛妻家だからではなく、花瓶を愛でちゃうところがある。だから好き。共感の音叉が震えると、人は途端にそれを好きになる。

閑話休題。気づけば彼女は私。嘘です。31歳なので。26歳の主人公とは違う人間です。鯖を読みました。サバサバ系女子。

頭のなかで、確かにライブの時の音楽が鳴っているのに、どうしてこれを保存して好きなときに再現できないのか、ずっと考えていた。きっと少しずつ、忘れて、CDの音かライブの音かわからなくなってしまう。そして、昨日のライブを録音したCDが発売されて、それを聞いたら、そのときに確実に、わたしの中の音は、失われてしまうと思った。p.207

パリーン!!!!

でも一番、共感できたのはここ。

音叉が震えるがあまり、ふれた花瓶が割れた。

ライブの時って、すっごいサイコー!!てなる。ステージがキラキラしていてびんびんに好きな音楽が鳴っている。大好き!手を振ったらえ、今ちょっとこっち見てくれた!?

翌日はまだ鮮明。翌々日も鮮明。一週間後はちょっと色褪せてる。一か月後はそのライブがあったこと自体おもいだすことも一日の内時間が減っている。当たり前だけれどもそれがとてつもなく惜しく感じられてしまう。

本当にその時しかない。ライブっていうのは本当にその時しかないからあれだけハイテンションで盛り上がれるということを加味してもそれでもなんか虚しいよなって思っちゃう。忘れたくないのに。

 

小川洋子 『物理の館物語』

:「偉い人が作家になるんじゃない。立派な小説を書くから偉いんだ。ほら、こんなふうに何もない宙をすくって・・・」p.230

「自分の書いた本が本屋の棚並んでいるのを始めて見付けた時、どれほどうれしかったか。言ってみればほんの二センチ幅のほどの、ただの紙の集まりが、たった今目覚めたばかりの鉱石のように、宇宙線の結晶のように、光っていたよ」p.231

小川洋子短編あるあるの、奇特な人間との交流記である。定型であるこういう短編を読めば読むほど私はこの社会からあぶれていない、この作家が世界中で支持されているということはやはりこの感覚をみんな持っているんだ、安心するので、いくつ読んでも健康にいい。

今回は、三つ編み眼鏡おばさんである。洋館に不法占拠で住んでいる。時々子供たち虹自分は作家だったという嘘だか夢だか分からない話をするチャーミングな人間である。

彼女にとって作家という職業は神様に等しいようだ。「何もない宙」から、手をおわん型にして救い出して世界を想像するという点では確かに神様に近いところがあるんだろうとは思う。まぁ、若干過大評価をしているような気もするけれど。ただ、何故彼女がそこまで物語に固執するようになったのか。現実との齟齬を匂わせるようなパーツが、具体的には出てきていないので印象に残らない。なんか、面白かったんだけど、2か月後私はこの女をこの短編の存在自体を絶対に忘れているだろう。

でも、それが小川先生の意図するところだったのかもしれない。

「モンキービジネス」という誕生間もない文芸誌に送るのは物語をそして作家を崇拝する女の話。その女は、記憶に残らなくていい。そこに割くはずだった記憶を、これから「モンキービジネス」に掲載される様々な物語に割いてほしい。存在感薄い短編。それは未来へ紡がれるであろう物語への祝福。

 

よく見ると、楽器のパーツに各作者の名前が書かれている。
「箱」を記した小池昌代は、ヴァイオリン自体の穴の部分。

以上である。

編者が大物翻訳家・・・でありながらその作品群が癖あるものが多いからか、集まっている作品もそのほとんどが結構曲者ではあった。でも、円城塔柴崎友香、そして戌井明人、小池昌代と、新しい作家との実りある出会いが多かった。良い短編集という証左だと思う。

全体的に、小川洋子先生の作品群のような静謐な雰囲気が漂う作品が多い。

彼女の作品を読んで小説が好きになった人が、好きな作家を探すのにもうってつけの一冊かもしれない。

 

***

 

LINKS

円城塔先生はこの短編集で読んだみたいだ。

ちらほら覚えている作品はあるけど円城先生の作品はまぁうん・・・全然記憶にないなぁ。

tunabook03.hatenablog.com

 

小川洋子先生は好きなので、短編集は結構読んでる。特に『不時着する流星たち』『いつも彼らはどこかに』は、奇妙な人々と出会うような短編が多め。

 

tunabook03.hatenablog.com

 

tunabook03.hatenablog.com

 

商會の本も長らく積読に入っていたりする。日本語で本を読む者にとって、彼等の本を知らないのは大きな損害である。

最近、ちくま文庫の単著が本屋で平積されているのを見た。あれも面白そうだったなぁ。

 

tunabook03.hatenablog.com

 

武田惇史 伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』-一人ひとり生きていること、生きていたこと。-

 

 

誰なの。

あなたは。

 

 

武田惇史 伊藤亜衣『ある行旅死亡人の物語』(朝日新聞出版 2022年)の話をさせて下さい。

 

 

 

【概要】

行旅死亡人<こうりょしぼうにん>

病気や行倒れ、自殺などで亡くなり、名前や住所など身元が判明せず、引き取り人不明の死者を表す法律用語。行旅病人及行旅死亡人取扱法により、死亡場所を管轄する自治体が仮装。死亡人の身体的特徴や発見時の状況、所持品などを官報に公告し、引き取り手を待つ 

裏カバーより

 

2020年4月。兵庫県尼崎市のとあるアパートで、女性が孤独死した。 
現金3400万円、星形マークのペンダント、数十枚の写真、珍しい姓を刻んだ印鑑鑑......。   
記者二人が、残されたわずかな手がかりをもとに、身元調査に乗り出す。
行旅死亡人」が本当の名前と半生を取り戻すまでを描いた圧倒的ノンフィクション。 

Amazon紹介ページより 一部省略

 

「社交的なほうで、頭がよかった。別嬪さんでね、姉妹の内でも本当に頭がよかった」p.130

 

【読むべき人】

・行方不明者、とかに不謹慎ながらもちょっと興奮しちゃう人

・近くに怪しい老人が一人暮らしをしている人

・記者を目指す大学生や高校生:共同通信社の記者の働き方が分かるよ

 

【感想】

本書の存在に気付いたのはかれこれ2年以上前。ジュンク堂新静岡店にずっと表紙を表にして置かれていたし、それが高評価だと言う事もなんとなく噂で知っていた。

2024年の元旦に放送されたテレビ東京の番組「日本怪奇ルポルタージュ」でも取り上げられていた。TVerで見た。

ずっとずっと、気にはなっていたが、新品で買っても恐らく2度読みはしないであろう内容だし、古本をメルカリで検索しても1000円弱と中途半端に高くてそれだったら新品で買って出版社に貢献したいしいやでも高いしそもそもいま失業中で金ないしこのまま一歩間違えれば私が行旅死亡人だし、と思ってたところ、ああそうだ。図書館がある。検索すると表示は「利用可」。あれだけの話題作だったのに貸し出し中でもなく予約が必要ってこともなくありがたいいやでも、もっとみんな本を読もうよ!静岡市民!高い税金払ってるなら図書館で本を読もうよ!と思った。ケチなのか。

ちなみに私の住んでいる静岡市には12の図書館がある。ふと、多い方なのか?と思って県内同規模の市、浜松市の数を検索したら24だった。多すぎだろ。

とりあえず、資料検索サービスとかスマホそのまま使えるのでもっとみんな図書館を使えばいいのになぁと思う。税金払っているんだから。住民税クソたけぇ。日本〇ね。

閑話休題

そんなわけでひょっこり読めた一冊なのである。

 

 

I

 

死者の人となりを記者が原稿にする際は、必ず何かしらの「エピソード」が求められる。証言者にとって死者は生前、どんな人物だったのか。もし「社交的」な人物だったとすれば、社会性を示すどんな具体的な逸話があるのか。そうしたエピソードが積み重なることで、初めてその人物の像が結ばれる。そして、それらのエピソード一つひとつが、死者が生きた固有の時間や、証言者との固有の結びつきを締めてしているのだ。p.131

 

評判通り、めちゃくちゃ面白かった。

THE「徹夜本」

一気に読んでしまった。31歳にもなるとこういうことはなかなかない。

3400万円の現金と共に発見された、アパートの一室の老女の身元を突き詰めていく、というのが本筋である。大金がありながらなぜこんなぼろ・・・家賃の安いアパートの一室で孤独死をするに至ったのか。

名前の特定から始まり部屋にあった印鑑から旧姓を割り出し、彼女の故郷(と思われる)広島まで、作者達は頻繁に足を運び取材を重ねていく。

頁をめくればめくるほど、どんどん新しい真実が明らかになっていて、やがて繰る手がとまらなくなる。一体彼女は誰なのか。一体彼女はどういう人物だったのか。次が気になる。読み切らなければ。

一度開けば寝ることは許されない。

 

 

本書が優れた徹夜本と思うポイントは、3つ。

1つは文章力。記者だからこその達者な文章もある。文法としておかしなところは見当たらない。すらすら読める。あと、が多いから読み易い。本書は200頁程だが、章だけで18もある。さらにその中でも小見出しが章ごとに設けられている。彼女の人生をフォーカスするにあたって、発生した出来事を一つずつエピソードとして小見出しで区切って書いているので読み易い。少女時代OL時代死ぬ前の老後・・・。人生の季節において、彼女はどのような人物であったか。エピソードの積み重ねの果てに、彼女はいる。

1つは、写真。遺体が発見された部屋にあったものなど、複数枚の写真が掲載されている。正直、顔の写真は掲載されていないだろう、掲載していたとしてもモザイクがかかっているだろうと思っていたので驚いた。無論そんな多くはないし、成人後は写りが良い写真が掲載されている。綺麗な人なのである。私は特にp.33の写真は読むにあたって何度も何度もページを戻って見直した。写真に向かってほほ笑む彼女はさながら昔の女優。こんなに綺麗な人が一体どうしてこんなことに・・・。女性の人生に思いを馳せる。生前の彼女を思い浮かべる。時節文字よりも、絵の方が雄弁に物語を語ることがある。とか、なんとか、どっかの誰かの言葉を思い出した。

そして最後は、敬意。この本では終始、亡くなった老女に対して敬意が払われている。彼女や彼女の内縁の夫?とみられる人物に対する貶す言葉は一切無い。過剰な詮索もされていない。一体どうしてこんな大金と共に亡くなることになってしまったのか・・・謎に迫る一方で、不謹慎に当たるところは調査しない(していたとしても書籍に書き残さない)。生前彼女が秘密にしておきたかったであろうところは踏み越えない。プライバシー第一。距離の取り方が、さすが共同通信社に務める一流の記者だな、と思った。プロフェッショナル。

 

 

 

 

去り際、「姉の千津子さんに長い間会えず、寂しかったですか」と聞いた。

「きょうだい、仲良しさんだったよ」

アキコさんは再び、そういった。彼女にとって千津子さんとの思い出は、幼少期の仲良し四姉妹で終わっているのだろう。私達は雨の中、互いにおし黙ったまま広島市内へと戻った。p.133

アキコさん自身は千津子さんの晩年や孤独死の事実が実感できないのか、写真の存在にも特に驚きはないようだった。p.132

 

老女(千津子さんは本書の前半で判明する老女の名前)の幼少期には7歳年下の妹の言葉がいた。取材の為に記者達は中国地方の田舎に飛ぶ。妹自身も80を超えている。遺族ではあるが、半世紀以上老女とは会っていない。

千津子さんのアルバム見てもらおうとしたが、「せっかくだけど、いいです」と断られてしまった。p.130

そして、大人になった後の老女の写真を見ることを断っている。

妹にとって彼女は、7歳年上の「別嬪さん」「頭がいい」お姉さん、であって、家賃の安いアパートで謎の孤独死を遂げたおばあさん、ではないのである。東京へ行った長年安否不明の家族、ではないのである。

ここが一番読んでいて、胸がきゅっとなった。

後半、この妹が教えてくれた、老女の出身地となる場所へ作者達は足を運ぶ。

そこで一番存在感あったのは、シマエさんである。老女と中学時代同級生で仲が良かった型である。矍鑠していて当時の彼女とのエピソードを分かりやすく丁寧に話す。本書においてまさにラスボス。

当時の老女と2人で映っている中学時代の写真は見るとなんだか果てしない、不思議な気持ちになる。昔の写真を見る時はいつもそうだ。私達と顔立ちも大差ない。本当近くの公立中学にでもいそうな顔立ちをしているのにそれが何十年前っていうのが信じられない。

私達はアパートに遺されていた大人になった千津子さんの写真を見せた。

「スマートね。子供の頃の写真と全然違う。でもやっぱり千津ちゃんやね」p.170

「ちづちゃんは一人でアパートで亡くなってたんか」p.170

シマエさんは、老女が歳を取り、亡くなったことをそのまま、受け止めている。受け止めたうえで当時の写真を見せながら、少女時代の話をする。少し救われたような気がする。

妹とシマエさんの差。個人差によるものなのかもしれない。今風に言えばメンタルが強いとか、メンタルが弱いとか。過去に何かあったのかもしれない。作者達に語らなかっただけで、妹との間に何か、絶縁まで考えるようなことが起きていた可能性もある。

 

人が死ぬとき私達が悲しいのは、もう時を共有できないからなのかなぁ、とも思った。

一昨年、祖父を亡くした。最後に会ったのは、祖母が死んだときだったからかれこれ約15年会わないまま亡くなったことになる。なので私の中で祖父は、髪真っ白だけどビールが好きで元気な70の姿で止まっている。というと、嘘である。祖母を亡くしてしばらくして入院した祖父は、そのまま10年以上入院して亡くなった。最後の数年の近影の写真を見た。頻繁に実家に帰っていた父がスマホで見せてくれた。よぼよぼで本当に祖父かどうか分からないくらいだった。老人もさらに老いるのだと知った。祖父の入院している病院は旭川にある。近いうち会いに行かなければならない・・・思っている最中、母親の死とタイミングが重なり、静岡と北海道と言う遠距離もありそのままずるずると会わなかったのである。でも父親に画像を見せてもらってから祖父が生きている間、私の中では祖父は、確実に年を取っていった。写真を見た時衝撃で、もう90近いし本格的によぼついているから、そのままさらによぼよぼになってよぼ尽くして、小さくなって消えてしまう前に・・・現在進行中でよぼついていた。

でも、亡くなってもう3年たった今、私の中で祖父は若返り、ビールを片手に笑っているのである。よぼついているあの写真はフェイクだった。そんな感覚がある。そんなはずないのに。15年前祖母の葬式直後の髪の毛真っ白の赤い顔が浮かぶのである。

生で見た最後の生きている姿で死者は、時が止まるのだと実感した。

生きている時浮かぶ姿はよぼよぼの姿だったのに、死んだ後浮かぶ姿は右手にサッポロ。同じこの時間空間世界線を共有できなくなってしまった代わりに、死者は私達の中で永遠の生を得る。

それを妹は体感的に知っていたからこそ、その先の写真を見ることを拒否したのかもしれない。

妹が最後に老女を見たのは、まだ老女ではない若かりし頃の彼女。安アパートで一人孤独死を遂げるなんて想像もつかない美人の姉。

彼女の死を記者から聞いた以上、

妹の中では「別嬪で頭のいい姉」で時は止まる。

その先の写真は何も意味をなさない。

むしろ、自分の中の「別嬪で頭のいい姉」の存在が濁ってしまうかもしれない。

だから写真を見るのを拒否したのではないか。

 

「きょうだい、仲良しだったよ」

広島県の田舎においてのびのび育った四姉妹。

・・・考えすぎかもしれない。でも、私がもしその妹の立場だったら、同じように拒否してしまうような気もするのだった。

 



 

あと単純に年とると、時とまるよね。私の祖父祖母は、94歳の母方の祖母が唯一の生き残りである。父方の祖父母、母方の祖父は死んでしまった。ついでに母親も死んでいる。

最近その祖母にメッセージカードを贈ることがある。静岡PARCOのロフトにはかわいいカードがいっぱいあり、思わず買ってしまうのだ。送る人もいないので祖母に送る。

返事が返ってくる。読む。

するとなんか、祖母の中で私は、頻繁に行っていた頃の最後の18-19頃、もしくは、セーラームーンのうちわを持って新幹線に飛び乗って離れる時はわあわあ泣いた3-4歳頃にとまっているようなのである。おおよそ一世紀生きてるのである。そこにおいて私の31年は圧縮されて短くなるのも想像がつく

この記者たちは1990年生まれ私と年齢が近い。観光都市を考えると、取材時は私とタメかちょい年下くらいだろう。彼等は共同通信で働いてそれなりに地位を築いてきているのに私は宙ぶらりんのまま職を転々としている。いつまで心配をかけているのか。

するとなんだか、泣きたくなってくる。

 

 

以上である。

非常に読み易かった。辿れる過去には限度がある。一部謎のままの所もあったけれど、そこはしゃあないと思う。

あとまぁ、なんか人生とは、とか、年取った祖父母、とか、生きてるとか死んでる、とか、いろいろ思いを馳せてしまう。心に残る、というか残らざるを得ない一冊だった。

「行方不明者」とか、半ばオカルトネットミームと化しつつある未解決事件とかそういうのに心惹かれる人は是非読んでほしい。

人生って何なんだろうね。

 

これは母の納骨で旭川に行った際に訪れた、何かの花畑。

 

本当にこうやって行方不明になった人が居る。

一部の事件はネットミームと化しつつもある。

でもそれをわざわざ創作して大々的に娯楽にするのはいかがなものかと最近思った。

 

こういう「行方不明」をモチーフにしたモキュメンタリーの展覧会*1があった。東京では何万人もの人間が訪れて、近々大阪でもやるらしい。ホラーブーム極まれりである。

けれども、2025年現在日本では実際にこうやって身元が分からない死体・・・行旅死亡人が多くいる。同時に行方不明者も多くいる。

彼等を探し続けている人、悲しんでいる人も多くいる筈なのである。

行方不明者や行旅死亡人にもこうやってひとりひとりの人生があり、同時にその身の回りの人々にも一人ひとりの人生がある。

 

「行方不明」「身元不明」はエンタメにはなりうるが、家族の目に入るようなところで表立ったエンタメにするべきではないと思う。それこそ、インターネットちょい裏の薄暗い掲示板でこそこそ語られるネットミームくらいがちょうどいいのではないか。

あさま山荘とか八甲山とかもう、過去、半分歴史くらいになっている事件だったらいい。ぶっちゃけ死んだ彼等の周囲の人の多くはモウ寿命やら何やらで亡くなっている訳だから。

でも周囲の人が、まだこの国のどこかでぴんぴん生きているんだぞ。

不謹慎だと思わないのか。

関わっているスタッフのことが嫌いではないし、むしろ彼等の手掛ける数々の創作物は心から楽しませてもらっているが、この企画は越えちゃいけないラインではないのか。下手な戦争の揶揄よりとかよりもたちが悪いと思う。

誰かしら著名人とかが言及すると思ったのだけども・・・どうなんだろ。

 

 

*1:今年も同じスタッフで手掛ける展覧会があるようですが、今年は「恐怖展」とのことでそれは全然いいと思う。むしろ行きたーいと思った。

「このホラーがすごい!2025年版」-今年も夏が来る。-

 

 

 

 

今年もきた!!!

 

 

 

 

「このホラーがすごい!2025年版」(宝島社 2025年)の話をさせて下さい。

 

これは発売日勝った直後嬉しいがあまりにエスカレーターで撮った写真。

【概要】

『このミス』編集部のホラー小説のランキングブック!

 

映画『近畿地方のある場所について』公開を記念した

原作者・背筋×監督・白石晃士 特別対談。

幻の誌面がフェイクドキュメンタリー「Q」の手で蘇る!

『このホラーがすごい! 2005年版』再録。

澤村伊智デビュー10周年記念特集、

作家のエッセイを募った追悼特集「私たちの好きな楳図かずおほか、

豪華企画も盛り沢山の一冊です

 

宝島社公式HPより

 

【読むべき人】

・ホラーの文芸作品を愛する人

・ホラー好き:だいたいこれとBRUTUSのホラー特集(これ今年やるのか知りませんが)を読んでおけばいわゆるホラー通ぶれるぞ!!!

 

【感想】

昨年、初めて出た「このホラーがすごい!!」。

今年も出ると知って発売日の前前前日から静岡駅前の本屋をうろうろしていました。フラゲはないか・・・?フラゲはないかぁ・・・?検索機で毎日検索欠ける日々。フラゲはないかぁ・・・フラゲフラゲフラフラフラフラァ!!!!!

なかったです。

発売日に、買いました。

 

昨年もクオリティ高かったですが今年もハイクオリティ。

どっちが好きか優れているかはまぁ完全好みだと思います。私は今年のが好きでした。入手した日の夜読んで気づいたら夜明けてた。そっから昼夜逆転しちゃってずっと困ってる。

どの特集も素晴らしかったです。

 

裏面には昨年の上位5位までを記載。

 

以下簡単に特集ごとに感想をだらだら書いていく。

ただし、本書のメインであるランキングに関する書籍名と作家名は伏せている。ネタバレになるから。■で記述しているが、文字数も一致しないことも書いておく。気なる人は900円なのでまぁうん、買ってくれ。

 

映画『近畿地方のある場所について』公開記念特集

【特別対談】原作者 背筋×監督 白石晃士

白石「面白くなる作品って、クランクアップの瞬間にまだ終わっていないような余韻を感じることが多いんです。もうちょっと撮りたいなとか、もっとやれることがあるんじゃないか、と」p.6

背筋「そもそもフェイクドキュメンタリーは怖くなければいけないものでもないと思うんですよ。面白ければ何でもありで、フェイクドキュメンタリーの手法はあくまでその一つなのだと再認識させられました」p.9

表紙にもなっている映画「近畿地方のある場所について(以下近畿地方)」公開に合わせての対談である。

白石監督は、ジャパニーズフェイクドキュメンタリーホラー映画の始祖にして最高傑作ノロイの監督。最近だと「貞子vs伽椰子」とか。wiki見ればわかるんだけれども様々なエンタメホラー作品を撮影してきた監督である。

原作との距離感、面白い映画を撮った直後の感覚、近年のフェイクドキュメンタリーの手法に対する考察等、我々が気になることを全部語ってくれてる。ありがたい。なかなか興味深かった。

白石監督がこれだけ語ったのは、恐らく対談相手の背筋先生がガチの白石ファンだから。

背筋「僕にと言わせれば今回の映画化は、もう死んでもいいぐらい、これから先の人生には何にも良いことは残っていないんじゃないかと言うくらいの出来事ですから」p.10

白石監督作品への熱が凄まじい。読んでいてこっちも「お・・・?じゃあ白石映画見てみるか・・・?」となるくらい。序盤の「強烈なキャラクターが出てきて予想外の角度から怖がらされているところを、さらにぶん殴ってくる」p.8という評価も心から白石監督を愛していないと、できないよ。

あと、背筋先生が顔出しをしている。これびっくりした。絶対出さないものかと思ってたから。なんでだしたんだろうって考えると・・・、自分が大ファンの監督が顔を出して自分の原作で映画を撮りその作品について語るのであれば、自分自身も顔出しをしないと失礼ではないか。って思ったんじゃなかろうか。そこ含めてまじで愛。

そんな2人がどのように協力して、映画を作ったのか。後半そこにもしっかり触れられていてベリーグッド。ファンはファンとはいえど、結構背筋先生、脚本にも容赦なく干渉してらっしゃるんだ・・・これは期待できるなぁ、と思った。

良い対談であったと思う。

 

2024年度のホラー小説ランキング

発表!ベストテン 国内編

1位の■■■■『■■■■■■■■』は、予想外だった。じゃあ何がランクインすると思ってたの~?って言われると難しいんだけど、いや、これかぁ~と思った。全然ノーマーク。慌てて本書ランキングを予想されている方のブログとかを見ると、1位に本作を挙げている人もいて、うわ~俺はホラーが好きで実話怪談が好きなだけであってホラー小説はそんなに好きじゃない人間だったんだ~!ということを再確認。

上位10位まで見ると、結構意外な作品が多い。

いや、2位が強すぎる。最強だよ。4位も意外だった。舞台が現代でないという地点でちょっと敬遠してたけど評価高いのであれば気になる。こちらもノーマークの作品。

去年の小田雅久仁『禍』は名前すら聞いたことないとこからの1位だったので、おどろいたけど、今年も上位10作品のラインナップに驚愕した。やはり文芸界隈の人が投票するランキングだからか、人気流行に左右されないのは強い。

 

【特別インタビュー】■■■■■■『■■■■■■■』

1位の作者へのインタビューである。

■■「怪異の正体が分からない、誰が死ぬんか分からないという「怖さ」と、謎解きや魅力的なキャラクターと言う「面白さ」は食い合わせが悪い」p.30

分析がすげぇ。

逆説的にその「怖さ」と「面白さ」が食い合わせやすかったからこそ、一時期デスゲーム物が流行ったのかなぁとも思った。デスゲーム物の元祖と言われている高見広春『バトルロワイヤル』言及されているにもかかわらず、ここの食い合わせの部分で改めて言及されていないのが本当に惜しい。インタビュアーの問題だと思う。

■■「ネタが使い尽くされていく中、どんどん新しい発明によって先行作と差別化していかなきゃいけないのがホラーというジャンル」p.30

本当にそこは難しいよね、と思った。ただ、流行は循環する。2000年前後のブレア・ウィッチ・プロジェクトノロイ」等のフェイクドキュメンタリー然り、1990年代の『リング』『パラサイトイヴ』等のSFホラーしかり。案外その「新しい発明」っていうのは、一昔前以上の作品に埋もれているのかもしれない。それはもはや「新しい」発明ではないのだけど。

 

新静岡丸善アンドジュンク堂は売る気満々。
発売日から数日後にコーナーが出来ていた。

 

作家生活10周年記念特集

【特別インタビュー】澤村伊智

まず10周年というのが驚いた。てっきり20年くらい書いているのかと思っていた。そうか、確かに「ぼぎわんが来る」が世に出たのって私が大学卒業するかしないかくらいか。平積みされているのを見て凄いタイトルだなと思った記憶がある。ぼぎわん・・・ぼぎわん?その澤村先生へのインタビューである。

澤村「読者にたのしんでいただくのは大前提ですが、「こうすれば自分が褒めてもらえる」と思って書くのはだめだなと。」p.42

澤村「楽しいのは物語からの要請で自分の引きだしにはないものを書く羽目になったときですね」p.42

圧巻。おひょ~。

「褒めてもらえる」を基準にしてやらないっていうのは、何にでも言えるなぁと思った。幼少期私達は親に褒められたくて、勉強を頑張ったり年寄りに席を譲ったりする。褒められるか否かで善悪決めて育ってきた。「親に褒められるか否か」を脱した時に私達は思春期になって、「誰かに褒められるか否か」を脱した時に私達は大人になったのかもしれない。純粋に自分が面白いと思うものを書く。純粋に自分が納得いくことをやる。何のために生きているのか誰の為に生きているのか等は戯言で、私達は私達のために生きている。

「物語の要請で引き出しにないものを書く」というのも凄いなぁと思った。澤村先生って結構短編たくさん書いているんですよね。ホラー系のアンソロジーを読むとまず間違いなく澤村先生の名前が並んでいる。しかも毎回話が違う。正直その中ではううん?と思う物もあるけれど、でもまた澤村書きおろしてんのかすげぇな・・・が先に来る。多作だからこそ、出てくる言葉だと思う。どんどん書いて掘り進めていく。数と掘り下げる穴の深さ。近い将来第二の筒井康隆と言われる日も近いんじゃないか。

インタビューの後に収録されている、朝宮運河氏によるマトリクス表は助かる。私は短編集が好きなんだけれども、気になる作家の短編集読むぞ、となった際まずどの書籍が短編集なのかを探すのに結構時間取られる。でもこの2ページがあれば一目瞭然。ホラー色が強いのかミステリー色が強いのか内容の分析も助かる。澤村先生に限らず話題の作家全部やってほしい。小池真理子綾辻行人ラヴクラフト・・・などなど。とりあえず表見て気になったのは『一寸先の闇』

 

人気作家13人に聞いた

【特別エッセイ】私の怖い話

意外と作者の腕が試されるこのページ。特に下部の「私にとっての怖いもの」。随筆であれ小説であれなんであれ。面白いか否か手を抜いていないか否か作家の格っちゅうもんが以下略。

良かった、と思ったのは4人。

澤村伊智創作か本当かは知らないけれども、この文字数でよくこんな面白い話書けるなぁと思った。『一寸先の闇』で掌編の書き方が身についたのかもしれない。まぁ読んだことないのでしらんけど。

斜線堂有紀:あーこれ多分本当なんだろうなって思った。あと多分このテーマに合わせて短い随筆を書いたことすら、数年後彼女は忘れているだろう。

背筋:怖い話、というよりかは本人の今の心情をつづった随筆に近い。作家としてやっていくことに対する覚悟がひしひしと伝わる文章。本書の顔出しは白石監督への敬意もあるが、この決意もデカいと思う。

近いうち文庫が出る前に近畿地方読み直して、あと「穢れた聖地巡礼も買って読んでおこうと思った。意外と現代を舞台にしたホラーに真正面に取り組んでいる作家、いないので・・・。

平山夢明掌編ホラー書かせたらやっぱ一流ですね。まず実話怪談本を1冊か2冊出して、それで筆ならしてから、呪術回戦のノベライズするのはどうでしょうか。「怪談遺産」の2巻、いやこれはベストセレクションだから気安く書けないとかなら、「こめかみ草紙」の3巻でもいいんで・・・いやなんかもう「瞬殺怪談」11の書き下ろしでもいいんで・・・いや・・・たのんます・・・本当に・・・。ほとんどもう読んじゃってるんよ・・・。

 

【追悼エッセイ】私たちの好きな楳図かずお

亡くなられましたね・・・。結局まだ「あかんぼ少女」しか読んでないんだよな・・・。角川ホラー文庫から「こわい本」タイトルのもと続々出てるのは知ってはいるんですけど・・・。次何読めばいいのかなぁとも思いつつダラダラ読んだ。

綾辻行人「私の怖い話」は手を抜きに抜きまくって書いているのに対して、こっちはしっかり書いていてまずそこにびっくりした。Twitterで忙しいものかとてっきり・・・。「イアラ」はちょっと読んでみたい。

井上雅彦

考えてみればこれは怖がらせようとする顔では無く怖がっている顔なのだ。p.61

確かに?と思った。なんかギィャァアア(口をかっぴらいて怯える)みたいな顔の方がインパクトあったかも。

異形コレクションに加えて、最近学校ホラーみたいなアンソロジー出してましたね。長年の沈黙が嘘かのような仕事ぶり、結構嬉しい。あと随筆読んで思ったのは、やっぱ普通に文章が上手い。

竹本健児:街中で見かける楳図先生について唯一触れてた。派手な家の裁判訴訟も今はもう遠い昔・・・。

辻真先Twitterアニメおじいちゃんだ、と思いつつプロフィール見たら90歳越えてて凄い。紹介している短編「きずな」。これ気になる。長い昏睡のホラー漫画だとやっぱ伊藤潤二「夢」の衝撃が凄かったけど、あれを超える衝撃があるのか・・・?

中山七里:まことちゃん等のギャグマンガ家としての楳図先生に唯一触れてた。ぐわし!

三津田信三澤村先生と同様に元々三津田先生も編集者だったらしく、その頃の楳図先生との接触エピソードが書かれている。といってもまぁほんのちょびっと。う、うーん・・・。楳図先生と共に長く仕事をした人のインタビューも載ってたら最高だったなぁ、と思った。いくら作家とはいえど、単なる楳図ファンに変わらない立場の人も多かったので。作家のつまらない端整な文章よりも創作の裏側を書いたゴリゴリの文章のが読みたくない?

 

海外版の1位絶対この本だと思ってた。
ちなみに去年の春に新品で買ったけどまだ読んでない。

2024年度のホラー小説ランキング

発表!ベストテン 海外篇

海外篇の1位■■■■■■■■■『■■■■■■■■■■』は驚いた。刊行はされていたのは知ってはいたけどそんな話題になってたか?・・・国内編同様、ホラー小説に関して私はちょっと疎すぎる。

でも買って読みたい!と思ったのは2位の■■■■■■『■■■■■■』。作家名はさすがに聞いたことがあるけれど、短編になるとどうなのか。分かりやすく陰惨っぽくて良さそう。

あと9位の■■■■■■『■■■■■■■』も読んでみたいなぁ。やっぱ■■だよなぁ!某お化け屋敷を思い出させるイヤーな内容がいい感じ。

14位■■■■■■■■■■■■『■■■■■■■■■■■■■■■』はこの国の小説まだ読んだことないんですよね。15位■■■■■■■■■『■■■■■■■■■』。表紙は見たことあるけどホラーにジャンル分けされるのなら読んでみたいなぁ。16位■■■■■■■■■■■『■■■■■■■』は14位と同じ国ですね。なんか表紙と言い厭なあらすじといい、読みたい。絶対ろくでもないじゃん。

 

【特別寄稿】海外篇1位

■■■■■■■■■『■■■■■■■■■■』訳者■■■■/担当編集者

本書が近年のホラーにおいてどこに属するものなのかであったりだとか、編集者による本書がどのようにして作られたのかについて書かれている。海外ホラーは不透明なことが多いので(まぁ私があまり疎い以下略)、勉強になった。

海外のホラーの歴史を、国ごと時系列でチャートかなんかで誰か書いてほしい。おい朝宮、おめーの仕事だよ。

 

【幻の創刊号を再録】このホラーがすごい!2005年版/

フェイクドキュメンタリーQ

フェイクドキュメンタリーQによるなんちゃって「このホラーがすごい!(20年前)」である。感想としては、紙でもいけるやん!!ってこと。結構面白かった。見出しを書くとネタバレになるので、何が面白かったか簡単にそれぞれ書いておく。

1位:こういう偶然結構あるよね~。フェイクという特性を生かして、偶然の厭さを凝縮しててめっちゃ良かった。私も5つのなかでこれが1番好き。

2位:映像よりかは実話怪談本でよく見る設定だなぁと思った。これこそ映像で見たかったなぁ・・・。

3位:シュールギャグとホラーって、紙一重なところがあるよね。本特集の真ん中に当たる3位に持ってきたところが秀逸。

4位:うーん。つまんないかな。そもそも発想自体があるオカルトスレの内容と重複しているし・・・。あれもやらせだって後日判明したけどさ。

5位:怖い、よりかは興味深い。紙媒体だからこそ出来る感じもいい。情報提供者の名前まで掲載されてる出来の良さ・・・100点。

 

無論昨年版も入手してすでにほとんど一通りは読んでる。

 

【2024年テーマ別作品紹介】

それぞれのジャンルに詳しい人が、それぞれのジャンルでの優れたホラー作品を紹介。

この実話怪談がすごい!蛙坂須美

真っ先に上がるのはやっぱそれかぁ~とはなるものの、他の4作は全然知らなかった。そのうち一冊は「奇書が読みたいアライさん」も紹介していた一冊なのでぜひとも入手して読みたいところ。

このホラーマンガがすごい!緑の五寸釘

この人はtwitterを追いかけてて、一時期スペースを通して交流していたこともあるので、ラインナップのほとんどは見覚えがある。『ニクバミホネギシミ』入るやろなぁと思ってたら入ってなかった・・・と思ったら2024年の号ですでに紹介してたのですね。

このゲームが怖い!各務都心

ゲームは全然関心ないんですよねぇ・・・。最近SNSでもちらほら聞く「都市伝説解体センター」がゲームだとこれで初めて知った。あとなんでこの特集だけ「このホラーゲームがすごい!」じゃないのかが気になる。

このホラー映画がすごい!三橋暁

「プレゼンスー存在」を挙げている地点でこの人のセレクトは信用に値する。全部見たい。

 

【全アンケート回答】

私のベスト6 国内編47名 海外篇43名

ホラー識者にベスト6を挙げてもらうコーナーなんだけれども、コメント欄、全然書いていない人がまぁまぁいて、その人達が2024年から引き続き採用されている人だと思うと本当になんかイラっとする。

特に「国内編」のトップバッター。酷いと思う。特に有名でもないし。「海外編」にも寄稿しているが、こっちも内容がない。2024年も見返したら同じく内容がないコメントをしていた。来年からは外してほしい。また、p.126の翻訳家に関しては「ファンなら1冊は買っておこうよw」p.126という記述がみられる。完全に読者を馬鹿にしている。翻訳家だから本読んで偉い人ぶっているのだろうか?この人も外してほしい。やっぱり名前聞いたことないし。

ただこのコーナー自体は非常に地味ではあるが、「この人が選んでいるなら間違いないだろう」「この作家も作品出していたんだ」という小さい発見が積み重なる大変重要なコーナーでもあるので、来年も引き続き収録してほしい。

以下、一通り読んで気になった作品。国内編から2つ。

矢樹純『撮ってはいけない家』:1位に上げている人達が間違いないっていうメンバー。この人たちが怖い言うなら怖いんだろうなぁ。という。

篠田節子『四つの白昼夢』:ホラーに類する短編集を2024年度に出していたことを初めて知った。篠田先生のホラー短編集はまず外さない。「家鳴り」「幻の穀物危機」「子羊」等好きな短編が一番上がる作家である。最近長編ばっかのイメージだったのでこれは完全にね。見逃してましたね。

 

 

以上である。

昨年同様、いや昨年以上に楽しめた。

アマゾンでは珍しく★5つ評価ではあるがそれも納得の出来である。

ホラーが好きな人には無論、夏のブックガイドとしてもおススメの一冊。

 

阿刀田高『あやかしの声』-もしもし文学。-

 

 

 

もしあの時、

もしあそこで、

もしあれを、

もしあの人だったら・・・・。

 

 

 

阿刀田高『あやかしの声』(新潮社 1999年)の話をさせて下さい。

 

 

 

【あらすじ】

わけもなく他人におそれられる恐怖。

自分が誰か、どこにいるのか急に分からなくなる恐怖、

悪い予感が次々的中してしまう恐怖、

夢に隠された潜在意識がしだいに形を取ってくる恐怖、

古い書物の呟きが追ってくる不可思議な恐怖ーーー

名手が繰り出す奇妙な色合いの恐怖11種は、あなたの心に複雑な波紋を残します。

あなたを悪夢に誘う”あやかしの声”が、ほら、どこからか、聞えてきますよ。

裏表紙より

 

【読むべき人】

・昭和時代を生きた人

・20代前半の男女:「愛のすみか」はp今後の人生において糧を持つ時に絶対おもいだす一篇だと思う。今の若者に絶対読んでほしい。あわよくば、高校三年生の現代文の教科書にも収録しちゃっていいと思う。

 

【感想】

「心の旅路」「怪しいクレヨン箱」「ナポレオン狂」「奇妙な昼下がり」は、読んだことがある。どれも最高の短編集だった。

一番初めに読んだのはもう10年も前。あまりにも続きが気になりすぎてページを繰る手が止まらなくて、午後からの大学の授業をサボった。「奇妙な昼下がり」が齎すは怠惰な昼下がり。

でも最後に阿刀田高を読んだのは何年前だったか。「心の旅路」だったと思う。ブログに記事を書いた覚えがあるけどもうだいぶかなりの昔だった気がする・・・久々に読もうかなぁと思って、ブックオフの安価コーナーで手に取った次第。

結論うん、まぁうーん、悪くないけど面白かったか?と言われると微妙。ページの割にボリュームがなくて、満足しなかった。なんか、どれもこれも一昔前の匂いがする。全部もう読まなくてもわかるというか・・・。後仕方ないけれど、価値観が圧倒的に昭和で一昔前。前すぎる。男は会社に行きすぎている。女は家にいすぎている。

スラスラ読める文章は凄いし、足りない部分はないんだけど、なんか、なんか、うーん。これに尽きるのである。

でもまぁ「愛のすみか」。この一篇に出逢えただけでも本書を手にした意味はあったか。

 

机の上が汚い



 

以下簡単に各短編の感想を書いていく。

ネタバレありき。一番好きなのは、群を抜いて「愛のすみか」

 

「背後の足音」

追記 この短編は、当初、1995年3月20日の早朝、地下鉄霞ヶ関駅を想定して創りました。つまり、サリン禍という、全く予期できない死をテーマとしたわけです。p.30

突然人が死ぬ話である。

人は死ぬ直前まで、死の「背後の足音」に気付かない、といった具合の話。

なるほどなぁ、とは思うんだけど・・・うーん。別になぁ。

そういうことは常日頃から私は想像してるし。

というのも、テレビのニュース。

夜11時。バラエティ番組が終わるとニュース番組がはじまる。ほとんどど毎日殺人事件や交通事故がこの日本のどこかで起きている。私はその度に想像する。

「昨日、この被害者のAさん(19歳女性)はまだ生きていた・・・し、こうやって交通事故自分が死ぬことも全く予期していなかっただろう。きっと家族と団欒していて、昨日もまさしくこの同じニュース番組を見ていたんじゃないのか?」

「昨日、この被害者Bさん(65歳男性)はまさか自分が殺人事件の一被害者として、六十数年の人生の幕を下ろすとは思わなかっただろう。昨日の今頃は発泡酒か何かを飲んで、妻にそれをとめられて不服そうにしていたのかもしれない。否、案外独居老人なのかも。テレビはまぁ絶対公共放送の空虚な歴史バラエティだろう。」

被害者の昨日に想いを馳せるのである。

同時にそのニュースを見ている今日、

今、この瞬間の自分の生を強く意識する。

私は生きている。

私は生きてる。

私は。

そんな具合なので、この短編はあまり刺さらなかった。

何故なら毎晩読んでるから。

 

「死の匂い」

俺は親しい人の死の瞬間に、その死にちなんだ匂いを嗅ぐp.47

これも悪くないけど、面白いかと言われると微妙だった。

「背後の足音」と同じく、「もし・・・」がベースになっている。

もし、あなたが明日突然事故で死んだら?

もし、最後に女が死なず主人公の圭介に声をかけていたら?

もし。もし。もし。

昭和(生きた時代が長い人)のこういう創作奇譚って「もし」がベースになっていることが多い気がする。

今より医療も発達しておらず、いつ死んでもおかしくない中で、生き抜いて仕事に従事していた企業戦士達の内心を、そのまま映している。気がする。

仕事にゴルフ家族関係・・・常に緊張感ある中で、読書は数少ない緊張を解ける時間だったのではないか。そこで初めてもしも・・・と思いを馳せるのである。

血肉の匂いがする。

・・・まぁ時代性ってやつなのかな、ってやーつ。

 

「愛のすみか」

「山形って、背の低い人が多いみたい」p.43

共働き夫婦物語である。

さすが昭和の作家、やはり女性差別的要素も多分に含まれるけれども、そこはさすが昭和の作家、女はか弱いものだから男が守ってやらなければならない幸せにしてやらなければならない。女を幸せにすることが男の幸せなのである。

そして私はその考えに、賛同する、ところがある。専業主婦ではなく女も働くべきだと思うが、男は外で働き女は内で働くことをベースにした方が、うまくいくことが多いのではないか。無論例外の家も沢山あると思う。でも何も考えずむやみやたらと女性の社会進出!を主張するのはどうなんだろうなぁと思う。結果、この主人公のように内心ずっと子供が欲しいと思っているが、妻に子供が欲しい!とはっきり言えないジレンマが生じている男が大量発生し、少子高齢化につながっているのではないか。

共働きに対するむしゃくしゃした男の葛藤である。ことあるごとに男は、山形で過ごした新婚時代を思い出して心の安寧を保つ。

しかしその山形の住まいには、ある大きい秘密があり、それが最後に判明する。「女はか弱いものだから男が守ってやらなければならない。幸せにしてやらなければならない」は、もう化石の価値観なんだ、俺はもう化石の人間なんだという作者の自嘲か。

ともかく、なんだか、いろいろ考えさせられた小説なのである。

令和の現在こそ多くの人が読むべきではないか。

 



 

車輪の下

わがごとながら潜在心理は恐ろしい。p.91

怖い夢がどんどん現実化していく、みたいな掌編。ほーん、で終わる話なんだけれども短い分、本書の中で一番インパクトがあったし、終盤は特にスリリング。ゾクゾクした。・・・夢なぁ、悪夢を見て結構うなされること多いけれど、繰り返し同じ夢を見たことはないなぁ。

タイトルはヘッセのパロディ。さすが長年企業戦士たちを相手に作品を書き続けた作家・・・全国のうだつが上がらないサラリーマンへの応援歌(ただし短調ともとれる内容。

 

「気弱な恋の物語」

「川口さん、この頃、見かけないけれど、お休みですか」p.111

令和風に言うと「チー牛片想い物語」である

もじもじするな!自信がないならとりあえず身なりを磨きに磨いて数回デートしたのちに告白でもしておけ!・・・うーん、いやでも今日はいいや明日にしよう・・・。デートのお誘いは先送りするにもかかわらず、相手の転職先にまで足を運んじゃう。ストーカー一歩手前。内心と行動のちぐはぐさが生々しくて厭。

告白すればいい。正面突破すればいい。簡単なことなのに、男はその場その場で隠れるような楽なルートを選択し続け、結果恋は実らないのである。隠れれば隠れるほどゴールにたどり着く難易度は爆上がりしているというのに・・・。目の前の障害におそれずぶつかり、そのままゴール目指した方が早いというのに・・・。

令和風に言えばチー牛以下略、平成風に言えば「気弱な恋の物語(笑)」。

 

「鼻のあるスクープ」

「藤尾さんは紳士だよ」p.122

一種の叙述トリックを使った娯楽小説。実験的。

鼻が「右曲がり」「左曲がり」という表現が出てくるが、本当に曲がっているのは鼻か?と勘繰りたくなってしまう。

クライマックスが微妙。最後に犯人を追い詰めるのにそこまでできるのか。手段が非現実的すぎやしないか。昭和だからできた、っていうのもあるんだろうけどさ。

 

「灰色花壇」

花壇を囲んで、家族がみんないる。p.171

中盤の過去篇から出てくるおばさんが、生々しくて怖かった。

年齢と服の好みと化粧と何もかもがちぐはぐで、言っていることも妙に頭が弱い。乙女チック、とプラスに作用すればいいんだけれども、大抵は誰も何も言わず、そっと彼女から距離を取る。

私は今、31歳。高校生や20代前半大学生から見れば、自分もそういうおばさんになっていないかヒヤヒヤする。

恐らく本書の中で一番ホラーしている。車輪の下がそのままヘッセを下敷きにしているのならば、本作が下敷きにしているのはポー「黒猫」か。

 

「弁当箱の歌」

三日前に人間ドッグへ入った。p.174

分かる。私も最近一番怖いのは、こういう健康診断の結果です。

この前、肩のあたりが物凄く痛くて、え、もしかして癌とか・・・?と思ってはらはらしながら病院でガッツリめの健康診断受けてきたんだけれども、姿勢の悪さによるただの痛みでした。病院で処方された湿布を貼ったらまぁなんときもちのいいこと・・・。私は31歳。いつまでも若くないのだと実感。湿布なんて、ただのくっせえ濡れた布と言う認識だったのに・・・。

 

「俺の力」

たった一人の、些細な行動の変化が、この事件を変えることはなかったのだろうか。p.210

本読む人は一度は考えたことがあるよね、という短編。ジャンルとしては「死の匂い」同様もし・・・もし・・・もしもし文学。

こういう心情、恐らく純文学の作家だったら書かないと思うんだけど、阿刀田先生は書いてしまう。単刀直入。あっさり。ばっさり。

純文学は余地があるからこそそこに思いを馳せる。けれども、本作のように主人公の心情を好きなく書き尽くすことで読者は考える余地がなくなる分、物語に脳味噌全ツッパできる。考えなくていい。ただ読むだけでいい。徹底して、娯楽小説作家だなぁと思う。最近の小説の中には、そこの境界があやふやで、あやふやなあまりに駄作に成り下がってる作品もあるよね。

 

鉢伏山奇譚」

しかも、その美しさは、たくましいというより、むしろ嫋やかであり、わけもなく女性的なものに感じられた。p.220

杉の木に異性としての魅力見出す、やべぇ大学生の話である。上記の一行は一本杉の描写である。エロ杉だろ・・・・・・。

最後花粉症になってたのはちょっとおもろかった。そりゃなるだろ。

ちなみに私も花粉症です。なので杉は絶対に恋愛対象外。タイプじゃない。絶対ない。まじない。ありえない。滅亡してほしい。まじで。

 

「あやかしの声」

「本には命があります。言いたいことが沢山あるのに聞いてもらえない。」p.252

本に命があったら・・・というホラー風味の小話。

私は本に命が宿るとは思わない。

けれど、物語には命が宿ると思う。

それを再分配した命の欠片が宿るのがせいぜいという認識。私にとっては、あくまで本は無機物。

例えると、「本→不気味な市松人形」「物語→人間の魂」。この関係性。

 

昔の本特有の頑張ったら描けちゃいそうなイラスト表紙、嫌いじゃない

以上である。

さっくり読めてまぁまぁ面白かった。

大御所、さすがに文章が匠。

でも全体的に、恐らくターゲットはが50~70代くらいで要するに、31の私はこの本を読むには若すぎた。そこが少し惜しかった。でも私はブックオフで110円で買ったこの本を、その年齢まで大切に持ったりはしない。本は無機物とみなしているので。

図書館で時間を潰すおじいちゃんが喜んで読みそう。

老人ホームの本棚とかにも挿しておきたい一冊。

 

***

 

LINKS

同じ作者の作品。角川ホラー文庫の初期作品の表紙は独特の味があっていいんだ。

tunabook03.hatenablog.com

 

***

 

20250618

読んだのは恐らく去年の秋くらい。11月とか12月とか。

結構支離滅裂なことが書かれていたので、思ったより推敲に時間がかかった。

BOOKOFFの100円コーナーに行くと必ず阿刀田高は見る。おもろそうな短編集ないかな?という具合に。

僕のマリ『書きたい生活』-いい子いい子では、つまんない。-

 

 

ねぇ、それはさ。

つまんなくて当然、じゃない?

 

 

僕のマリ『書きたい生活』(柏書房 2023年)の話をさせて下さい。

 

 

【あらすじ】

本を刊行して、その翌月には喫茶店を卒業、長く住んだ街をひっこした。パートナーと一緒に住みながら、週に何回かバイトしつつ、やはり文章を書いている。運良く、執筆の仕事は続いており、コラムを書いたり、本を作ったりして暮らす日々、穏やかでありながら、でも何気ない日常こそ、書いているのが楽しく、そして尊い

 

わたしにとって本を書くことは、自分の正しさを失わないための祈りでもある。pp.6-7

「はじめに」の本文より

 

【読むべき人】

・表紙は可愛い。ので、可愛い表紙の本が読みたい人。

 

【感想】

 

※*酷評記事になります。本書が好き!って人はUターンしてください。*※

※*人と人の組み合わせに相性があるように人と本にも相性がある。*※

 

 

 

 

 

 

つまんねぇな~と思った。

まるまる一冊読んで思った感想。図書館で借りて正解だった。

作者の名前は聞いたことがある。なんかナウいSNS系作家のひとりとして認識しており、それが図書館で借りて読めるのであればとノータイムで手に取ったんだけれども、まぁ、うん、読んでて思うのはつっまんねぇな~だった。

 

文章を書くことを「祈り」としている分、文章に破綻はない。

美しい文章。上手いと思うし、下手な商業作家よりもまぁかなり書けているんじゃないですか。文法も美しいし、「」使う口語表現にも雑さや汚さがない。丁寧。

でも、本当に読んでて退屈だった。端正な文章、本書が150ページだからこそまぁ読み切れたのであって、そのどちらかが欠けていたら・・・助詞接続詞の使い方が一か所でも怪しいところがあって本書が200ページを超える一冊であったら・・・ギブしてたなと思う。限界だった。うん。今年読んできた本でベストの一冊は?って聞かれると難しいけれど、じゃあワーストの一位は?って聞かれたらまぁ、本書を思い浮かべるだろう。表紙の良さも相まって期待値が無駄に高くなったっていうのもある。

 

 

なんでこんなにつまんなく感じるのか。も言及せずつまんねぇつまんねぇ言ってたらこれこそつまんねぇ。

原因は3つあると思う。

 

まず1つは題材。

作者の現在の生活を題材とした随筆である。

だからまぁいうなれば、「作者の現在の生活」がゲロつまんねぇのである。

どういう生活送っているのか、というと、それは【あらすじ】で抜粋した「はじめに」のような生活。

前の作品が成功したんでお金もそこそこあるんでー、前のバイトはまぁやめてー、今は週3のバイトしながらまぁほどほどに生きてますー、名前も売れてるので文櫃業そこそこ仕事もありますー、同棲しているパートナー(作中で夫になる)もいるんで収入は安定してますー。

何も、ない。

何も、ないのである。

幸せっていうことは伝わるんだけれども、じゃあその生活を読んで楽しいか、って言われるとまぁつまんねぇのである。だって書くことの程でもなくね?現在の作者の生活は、それこそ文章を少しでも齧ったことがある人なら誰もが憧れるような生活で、ましてやそこに結婚相手もいるんでしょう?そこで「日々自分は丁寧な生活送ってます」スタンスとったって、つまんないよ。鼻につくだけ。

一日一日生きてきて、大変だったことつまらなかったこと、違和感を感じたこと、そういったことを書いて共感を得る所から随筆ってはじまるものじゃないのか。

3作目は食べ物が主題になっていると聞く。うん、そうやってとにかくテーマの範囲を狭めて書かないと、読者は離れていくだけだと思う。良くも悪くもどくs・・・私達を、だましてくれ。

文筆家としてはあまりにもピュアすぎる。

 

1つは顔の非公開。

まぁ匿名性の高いペンネームから推測できる通り、作者は顔は公開していない。顔を公開していたら「ああこの人はこういうことを考えてこういう生活しているんだ」というイメージがついて多少は読みごたえがあったと思う。やっぱ美人はいい生活送ってんだろうなぁ、もしくはまぁ、ブスのくせにいい生活送ってんなぁ。プラスマイナス悲喜こもごも、書かれた文章に対する様々な感情が喚起されると思うのだ。でも本書読んでて思ったのは、無味。味がしない。

そこらへんは、まぁ一昔前の話になるがぱっと浮かぶ限り・・・雨宮まみが上手かったなぁと思う。顔だけ見ると気が強いヴァイオリニストのような顔をしているが、文章自体はけっこうインドアで繊細。そのギャップがなかなか面白く、彼女の文章は色褪せない。遺稿集今年出てたんだってね。まぁ自死したんですけど。最近の人で言うと・・・くどうれいん氏、伊藤亜和氏などもそうか。彼女達の文章を読んだことがないのでなんとも言えないのだけれども。

この後で書くことで生活の基盤を築きたい。けれども匿名で顔も公開せず、且つこの内容じゃあ、覚悟も感じられない。覚悟も感じられないんじゃあ、つまんない。

まぁ、女性だからストーカー等防犯としての未公開って言うのもあるかもしれないので強くは言えないのですが。でもそこはさぁ、林真理子くらいの図太さを見習ってほしい。美人でも何でもないのに当時テレビに出まくって、今最もHOTといっても過言ではない国内の高等教育機関日本大学の理事長だぞ。ピュアとは程遠い野心に満ち溢れた万年ダイエットに励んでらっしゃるまさしく日本一最強の女・・・。だからあれだけ長く「an・an」の雑誌の連載も続いていると思うんでございますわよ。まぁそこまでやれとは・・・思わないけど。

 

1つは感情の機微。

言っちゃあ悪いが、作者の文章力は達者ではあるが、感性がもう悲しいくらいに凡庸なのである。読んでいて、ハッとするような新鮮さがない。

己の内面への踏み込みが足りていないと思う。圧倒的に。

読者には無論、自分自身に対しても「いい子」であろうとする殻が破けていない印象を受ける。

いい子はつまんねぇ。という学説が定着しているように、いい子であろうとする文章は無味無臭。もっと林真理子尊師のように泥臭い感情書いてほしかったし、もっと雨宮まみのようにネガティブな感情に真っ当に向き合ってほしい。中途半端。

前作のように題材が「喫茶店で働いていた日々」だったらそこまで作者のアイデンティティに踏み込まなくてもいい。変な客やら面倒な客やら何かしら面白いことは外側で発生しているからである。というか、労働における大変さが題材の文章は誰が書いても面白い。女性のお仕事小説が永遠とドラマ化されているように。池井戸潤先生が売れ続けているように。

でも今回は週3のバイトでぇ~、成長したいから喫茶店もやめてぇ~。そのバイトの内容も書かずうだうだうだうだ。書きたい生活かもしれないけれど、書くほどの価値がある生活かと言うと甚だ疑問。らば、己のネガティブなところとかちょっとしたささいな違和感であるとかそういうところにフォーカスしていってほしいんだけれども、その解析度は非常に荒い。どうしようもない。

頼む。週3にしたらもう、週4はもっと自分に向き合ってくれないか。ネガティブでお前の汚い所を見せてくれ。顔公開してないなら尚更。まぁいきすぎたら雨宮まみるんで、強くは言えないんですけど。にしても・・・うーん。

ネガティブ感情の機微の分析や距離は穂村弘氏が非常に優れていると思う。雨宮まみのある種の師匠でもありはするんですけど。(ペンネームの「まみ」は穂村弘の著作から云々)

いい子ちゃんはつまんねぇ。週5で正社員労働できていない地点である種お前はもういい子じゃねぇんだから。

 

 

あと読んでいて思うのは、展望がねぇなと思った。

将来やりたいこと、とか、なんかそういうことが全部ふわふわしている。アラサー、一冊目の随筆スマッシュヒット、じゃあこの先どうするのかで出された2冊目が、こんなに腑抜けていたら、商業作家としての寿命はたかが知れているなと思った。

林真理子がかつて『野心のすすめ』で、野心がない作家について書いていたけれども、まぁまさしくそれ。朝井リョウが「自分のことですか?」って聞いてたけど、いや、顔出しもしてメディア化小説バンバン書いて結婚もして・・・、な彼のことではない。まさしくこの女のことだと、私は、思ったよ。

野心だの野望だのとまではいかないけれど、生き残ってやる。とか、文壇の隅に何としても齧り続けてやる、とかそういったのも一切ないのがなんとも・・・綿あめをかじっているかのようだ。ふわふわふわふわ。

うん、本書はあまりにもふわふわしている。

それは表紙の炭酸の泡、よりも。

 

 

 

以上である。

幸福な生活に凡庸な感性が重なるとこうもつまらなくなるのかという一冊。中盤からもうなんかただの悪口である。

うーん。でもやっぱり、随筆にしては色々が内外共にあまりにも荒い。自分はどう思っているのか。これを書いたら他者からどのようにみられるか。荒い。この一点に尽きる。

作者の他の書籍は読むことはまぁ、ないでしょうね。話題の一冊を読んでおきたい、っていう人でもない限り本書はおすすめしない。

 

***

 

20250617

更新しない間にそりゃぁ数冊、詰まんないと思う本にもぶち当たって来た。その一冊の感想である。今年か去年書いた文章。

私が読み慣れて来たのかそれともそういう人がシンプルに多いのか、知らんけど、特に、随筆。うん。なんかつまんない随筆っていうのに幾度かぶち当たった。

面白い随筆とつまらない随筆の間ってなんだろう。今でも私なりに答えを出すと、やはり感情や内面の機微へのフォーカス度、あと、その人の生活が恵まれているかいないか。いないと面白い。だからまぁ・・・読んで事ないけど「ホームレス中学生」とかは大ヒットしたわけだし。

読者は所詮人間なので自分より下の人間を見下したいのだ。そしてその人間がうなぎのぼりのように上がっていく姿に希望を見出したい、のだと思う。

もとから天空人で雲の上で砂糖菓子を食べている天使のような生活には興味ない。だって人間だから。普段人間に天使は見えないものだから。

 

ちなみに下記のLINKは本書と同様につまんねつまんねぇ言った感想の記事。合わせて読もう!!

tunabook03.hatenablog.com

 

tunabook03.hatenablog.com

 

藤野可織『来世の記憶』-生まれたくなかったね、私達。-

 

 

 

 

かわいーと、かわいそーはにている。

 

 

 

 

 

藤野可織『来世の記憶』(KADOKAWA 2020年)の話をさせて下さい。

 

 

 

【あらすじ】

「前世の記憶」:DVおっさんの来世。

「眠りの館」:友達との宅飲みのなか居眠り。

「れいぞうこ」:小学生の間で冷蔵庫に入って眠ることが流行。

「ピアノ・トランスフォーマー」:ピアノの才能を持つ子供が突然ピアノに変態。

「フラン」:19歳の時の私は。

「切手占い殺人事件」:女子高生の間で切手を集めることが流行って、JKが死ぬ。

「キャラ」:そういうキャラって、私を決めつけないで。

「時間ある?」:サンスペリアが密に呼吸をしています。

「スパゲティ禍」:ある日人が突然スパゲティになる。

「世界」:写真展に行った彼女が戻ってこない。

「ニュー・クリノリン・ジェネレーション」:クリトリスを男性の陰茎に例えるアレ。

「鈴木さんの映画」:私はニコラスケイジじゃなくて西島秀俊がいい。

「眠るまで」:昨晩私が練るまでに無限に増え続けた思考はもうそこには存在しません、私が忘れたから。

ネグリジェと世界美術大全集」:とびきりキュート、さぁ大全集を両手で持って今すぐ窓ガラスを割って外に出よう。

スマートフォンたちはまだ」:人間を超えない。早く超えてよ。

「怪獣を虐待する」:男の子って、可哀相。

「植物装」:別に私はそれを植物ガラとわざわざ呼ぶ必要はないと思う。花柄でいい。

「鍵」:赤いおばあちゃんとかいう青い猫型ロボットに変わる新時代のマスコットキャラ。

「誕生」:生まれることは災厄。

「いつかたったひとつの最高のかばんで」:ひとくくりにしないで。

 

【読むべき人】

・純文学を読んだことがあり、それを面白いと思う人

・女性:無論男性でも楽しめる。けれど芥川賞作家なだけあって世界観にも癖があるためある程度読書をしている人間でないと愉しめないと思う。普段読まない人には同作者が芥川賞を受賞した「爪と目」を推す

 

 

【感想】

4年ぶりの邂逅だった。

本書を知ったのは「GINZA」の読書特集で、新刊として紹介されており、え~『爪と目』の作者の短編集~?きっとぜったいおもろいじゃん。読もう。と思ってそのまま記憶ははるか彼方に飛び去り時は過ぎ去り早四年。

この前たまたま、近所の市立図書館に行ったら、背表紙をたまたま見つけて、ああそういえばこれ読みたいと思っていたんだった。ノータイムですぐ入手。月々高い住民税の有意義たる活用。

 

記憶って言うのは非常に曖昧で、でもそれを思い出せばもしくは思い描けば私達は瞬間、いつだって過去にも行ける。脳味噌の錯覚。その辿った記憶から未来を推測と言う名の妄想をすることでいつだって未来にもいける。脳味噌の誤認。でも私達の脳味噌は完全では無くて記憶と言うものは完全に主観的なものでねぇそれって本当に「未来」って言えるものなのかな?幼稚園児のお絵かきと同レベルじゃない?過去なんてないんだ未来なんてないんだ。あるのは今。今だけ。それが現実。ああ不確定。揺らぐ。怖い。こういうことを考えると無限に怖くなって眠れなくなる。冷蔵庫に潜らなくては。ああやっぱさぁ、怖いよねぇ。私達ってさぁ、案外こう、なんていうの?存在自体が非常に不確定なんだと思うよ。とか言って切手をばら撒く。でもなんかさぁこういう切手とか絵ハガキとかって、全く知らない人の記憶にコネクトできる気がして私嫌いじゃないんだよね。ああ~今こうして切手という形を取って私の手の中に存在しているんだけれどもこれを送った人コレを吸った人そしてこれに掲載されている横顔もさ、私のようにああーなんか現在って怖い!リアルって怖い!!とかって思ったことあんのかなぁ。ないのかなぁ。怪獣虐待!!○○君はどう思う?ばぶー。おっぱい触りたい。男の子って可哀相だね。哀れだね。同時に可愛いね。かわいそう、と、かわいいって言葉は似ている。これは何度も私は思考している。ありふれた考え。男の子はかわいそーでかわいー。スパゲッティーをヒールで踏みつける。

 

私はまだ、十九歳の日の顛末をおぼえている。きっと娘が帰ってきて、さらに新しくなった大阪駅の様子を教えてくれるころには忘れかけていて、明日の朝にはこれまでのようにわざわざ思い出しもしないだろう。(中略)だから、十九歳の私はまた、意味や理解を取り払った一種運の何分の一かの電気信号に戻るだろう。そしてそれは、なにかの折りに私の脳を繰り消し刺激するだろう。p.73

 

 

「前世の記憶」

あたしはちょうどいい具合に太っている。がりがりのおんななんか、好きじゃなかった。前世では、がりがりなのがきれいだと思い込まされてただけで、俺は、いやちがった、あたしは、そうじゃない。あたしは今のあたしくらい太った女の子がすき。pp.10-11

短編集である本書を思い出す時に、一番初めに思い出すのはやはり冒頭のこの話なんだけど、とびっきりかわいい一篇だなぁと思う。特に上記の抜粋した部分、鏡を見て自分を肯定する主人公の所なんかサイコーに可愛い。

DV夫妻のその来世を描いた話である。DVする側される側にも遥か昔に愛し愛され愛し合った幸せな時期があり、その愛の食い違いで暴力沙汰になっているのであるとすれば、もう来世にしか幸せはない。という残酷なる定義、と思うと同時に、どっちか死んでもその来世でこそ、今度こそはきっとうまくいくよ、良好な関係築けるよ。破綻した愛へ提示するハッピーエンド。

私は彼氏にDVしたこともされたこともないけれど、この短編をことあるごとに思い出す。街で下品なアベックとすれ違ったとき。ニュースで自分の幼い子供を虐待死させた被告の判決結果が報じられているとき。今は死んだ母親が車の中でヒステリックに絶叫しまくっていた時をふとフラッシュバックしたとき。全部全部さ、忘れてさ、来世ではうまくいくといいね。君達は。

来世で手を繋ぐ二人の少女を照らす日光は祝福。

 

「眠りの館」

このあたかかく暗い、眠れる肉体の館にかくまわれている私に。p.22

私はずっと起きているふりをしている。私はずっと生きているふりをしている。私はずっと起きて食べて働いて食べて遊んで寝て歩いて生きているふりをしている。喜んでいるふりをしている。怒っているふりをしている。悲しんでいるふりをしている。楽しい振りをしている。愛しているふりをしている。今までそうやって生きてきたけれどもそこに確固たる証拠はなく過去も未来も存在しない現在しかない。総ては幻。本当の私はずっと眠っているだけのではないか。眠りの館で。館はこの世に生きる人の数だけ存在する。どこかに覚醒の館もあるそうです、それは嘘でしょ。うん。嘘。

 

「れいぞうこ」

「だから、腐るから」

「なにが」

「・・・・・・私が」p.27

自分が老いること腐ることを恐れて冷蔵庫に入って眠ることが小学生女児の間で流行しているらしい。なんて賢いんだと思った。小学生の時は無論1歳の今までそんなこと私には思いつかなかった。老いたくないな、ずっと若いままでいたいな、とネバーランド的思想をもったことは何百回何全開何万回もあるけれどもだからといってそれに向けた具体的方法を真面目に考えたことなど一度もない。現実的という言葉に逃げた私の怠惰である。要するに小説内の小学生のその真面目さ賢さに目を見張ったのであった。

 

「ピアノ・トランスフォーマー

あたしは平気だ。妹も平気に決まっている。おかあさんはなくかもしれないけど、やっぱり平気だろう。p.54

2歳の頃から私も習っていた。ピアノの練習が本当に嫌で嫌でたまらなかった。毎週火曜日の教室に向けて練習するのが本当に嫌だった。楽しくなかった。ゲームをしてたかったし、まだ算数の問題を解いてている方が面白かった。楽譜を見ても全然メロディーは分からないし一回一回鍵盤に置く指の位置を確認しなくてはならない。でも練習をサボると怒るんだな。おかあさんが。そして月曜日はいつもきつい練習が待っていた。誤った鍵盤を押すと母親に怒られ最終的には激怒し私と妹は大声をあげて泣いた。全然平気じゃなかった。ピアノの音がいいな、と思い始めたのは本当、25歳を過ぎてからだ。それまでは本当に生理的に無理だった。

おかあさんも幼少期ピアノを習っていて、そして同じくおばあちゃんにめちゃくちゃ厳しく指導を受けていた。けれどおかあさんはピアニストになっていないし私もピアニストになっていない。妹もなっていない。ある日実家に帰ったら和室の隅にあったアップライトピアノは突然姿を消していた。けれど「私は平気だ。妹も平気だ。」、おかあさんは一昨年癌で亡くなったから現在進行形で平気ではないけれども、でも過去進行形を用いるのであれば平気であった。ピアノが無くても私達は平気。

 

「フラン」

私はまだ、自分が十九歳の女の子だと思うことがある。p.55

ロメロ監督の「ゾンビ」が取り上げられていて、ああ昔雑誌のホラー特集でその存在を知ったけれども未だに見たことがないなぁ。ゾンビの存在を作った映画だっけ?面白いらしいけれどもまだ見ていない。見ておかないと。ロメロは30代のサブカルチャー義務教育の必須科目と聞いている・・・ううん、いつか30歳越えた時の為に見ておかなくっちゃ。私はまだ十九歳。

 

「切手占い殺人事件」

女の子たちが、ぼくたちのためのものであなくなってしまったことを、受け入れられそうになかった。ぼくたちは以前として女の子たちのたのものだっていうのに。p.82

いいか、男性諸君。耳をよくかっぽじって聞け。女の子達は別に君達のためにいるわけではないんだぞ。君達も別に女の子達のためにいるわけではない。私達は孤独。私達は一人。別々の存在であり、別に互いが互いの為に存在している訳ではない。けれど孤独の寂しさに耐えられないがあまりに、君達は「男の子たちは女の子たちのために」「女の子たちは男の子たちのために」存在している、と思い込む。そうでもしないと耐えられないんだろう。愚かだ。かわいそうに。かわいそうに。かわいいね。私もかわいい。男の子って本当にかわいい。

 

「キャラ」

東京駅で、自分からすすんで自分でなくなる人を見た。p,87

キャラって言葉へのアンチテーゼ掌編だけれども、もう31年も生きてきて私が出した結論は、他者から見た自分も自分の一部であることには変わりはないのだからもうキャラとかどうだってよくない?他者よりも自分の顔色伺って生きてる。最近。ていうか、うーん、実はさキャラと言う言葉自体がゆるやかに死語になりつつあるよね。意味合いも緩やかに変わってきている気がする。キャラ。それはキャラメルの略語です。

 

 

「時間ある?」

ところで、私が親友を軽蔑しているのは、彼女が親の言いなりだからじゃない。冒険や、無茶を経験していないからじゃない。彼女が空っぽだからだ。p.102

主人公も、親友と電話しているとき以外は空っぽ側の人間である。同族嫌悪・・・だからこそ親友を軽蔑をしており、だからこそ軽蔑していてても親友のことを大切にしている。

この話の結末が凄く印象に残ってる。サンスベリアが密集する部屋、其処には何の意味があるのか。親友にとっても主人公の女はかけがえのない存在で彼女で満たされていないと親友は「親友」という存在をもってこの現実に具現化できないからだから部屋に主人公の女性を象徴するサンスベリアが密集?花言葉「永遠」「永久」の植物が密集する部屋の意味、ああ、この友情はこの小説は永久不滅だということ?

結婚。ソー言えばこの前親しい大学の先輩の結婚式があった。後輩はほとんど全員が結婚しており、新婚旅行は揃って海外に行っており、子供はいたりいなかったりした。

彼等の家にはあるのだろうか。サンスベリア

 

「スパゲティ禍」

プッタはまだスパゲティが狭い喉をぐいぐいと押し広げながら下っていく快感のさなかにいた。p.131

人間がある日突然スパゲティになる世界で繰り広げられる、あとついでにほのかにBLの匂いもする異常SFである。パスタではなくスパゲティだろ、と述べる部分があるけれども、違うだろ、スパゲティじゃなくスパゲッティーだろ、と私は思う。でも私はもうそれを、スパゲティともスパゲッティーとも言わずパスタと言う。パスタ。もう31だし。パスタ。言い易いし。パスタ。お洒落だし。パスタ。食べたくなってきた。

 

「世界」

「でもだいじょうぶ。ちゃんと見つけるから。ソウスケは世界のどこかにちゃんといるんだから。私はいないけど、ソウスケはいる。」p.143

写真展を主観的世界に見立てた短編であるけれども、ふつ切りのような結末は残酷だなぁと思う。写真をハサミて切ったかのようなあっけない終焉。彼女は彼を、写真展で見つけられずに終わる。彼女の世界にソウスケはいないということか、否ソウスケは美術館の外にいるから、そこに彼の写真はないのか。写真に対する違和は、記憶という概念に対する違和に似ている。世界は絶え間なく形を変えて、其処に写ってる世界はもうない。

 

「ニュー・クリノリン・ジェネレーション」

私たちの脚のあいだにあるものを、

彼らがあまりにも見たがらなかったために、

私たちは進化せざるをえなかった。p.148

あまりに美しい進化論。

あまりに美しい女性器。

リボンでそっと結んで、祈りたい。

私は綺麗。

私達は綺麗。

それがオールド・クリノリン・ジェネレーションである私が唯一出来ること。

 

 

「鈴木さんの映画」

私は困っている。人生が映画じゃないから、困っている。映画なら、終わる。(中略)私達はちゃんとした終わりがほしいのに、もらたらされるのは中断だけだ。p.163

会社にニコラスケイジのホログラムがいるという突飛な設定の短編である。でも私はニコラスケイジの出演作をあまり見ていないからわからない。ニコラスケイジがどういうルックスでどういう人間なのかわからない。時々日本で目撃される黄昏ているおじさん、あれはキアヌリーブスだったか?

でも人生が終わらない、っていうのは分かる。実際映画のように色んな終わりを重ねていくことが生きるって言う事なんだろうけれども、その先があるって言う事はそれはやっぱり終わりじゃない。中断だ。そのことに私はずっと軽く失望。

昔読んだおとぎ話のお姫様はみんな「幸せになりました」で終わっているというのに、幸せってそもそも何だよ。終わんない。私はまだまだ終わんない。

 

「眠るまで」

そのうちはこんなことはしなくなって、していたことすらすっかり忘れてしまうだろう。p.168

合間に深く深く考えることがある。日常の合間。朝起きた直後とか。トイレで排泄が終わった瞬亜kんであるとか。玄関出てアパートを出る直前までとか。ランチのカレーを待っている間とか。お風呂の間とか。眠る直前「眠るまで」。でもそれは大抵忘れる。メモもしてないし、ああメモしようと思う間もなくその思考は中断される。

とある人生相談の書物で「幸せになるには考えなければいい」と書かれていた。考えなければ幸福です。幸福は考えない事です。さっきのんだミルクコーヒーの苦みがいつまでも舌から消えない。

私はこの瞬間をきっと明日には忘れるだろうし、実際私はこの短編が本書に収録されていることも忘れていた。感想を記すために再度開いて、思い出したのだった。でもきっと明日、また私はこの短編のことを忘れるんだと思う。

 

ネグリジェと世界美術全集」

これは六年前、次男夫妻がイギリス旅行のお土産にくれたものだ。p.187

私はこの本を、延滞している。もう半年近く。図書館で借りたこの本を、高い税金のツケを払うがごとくいつまでもいつまでも延滞している。電話も来た。葉書も何枚か来た。でもずっとずっと延滞している。いくら高い住民税を聴取されているとしても流石に子はないよと思われるほどの時間この本が私の手元にあった。のは、多分この短編が掲載されいているこの一冊を永遠、手元に置いておきたかったから。ほら、小学館の美術全集は非常に大きくて持ちづらいしあってもかさばるけれどもこの単行本一冊だったら普通にもてるしあってもかさばらないでしょう?仕事、やめちゃった。ねー、仕事やめちゃったよ。Aちゃん、Bちゃん、まぐろどん、ちゃん。リバティー柄のネグリジェはないから、この首元が伸びるに伸び切ったヘインズのTシャツワンピで家の外に出ることは許されますか?私は自由。お前も自由。延滞も自由。反省も自由。住民税をどれだけとるかも自由。リバティーリバティー華やかに。リバティーリバティー愛しなさい。

 

 

スマートフォンたちはまだ」

ゾンビ殺す?p.195

ゾンビ殺す?

それともしばらく更新していないブログの閲覧者数みる?

わぁ、昨日10000000000人も見てるよ。

やったねやったね。

やったねやったね。

やったね。

助けて!!スマートフォン!!

 



 

「怪獣を虐待する」

女達が隠れて怪獣を虐待するのは周知の事実だったが暗黙の了解で、女はそんなことはしない、ということになっていた。p.200

誰だって残虐な本能は持っている。それは生物だから仕方ない。それを何層にも理性、という歪んだ脳派で包んで包んで私達は生きている。本能は残虐。だから虐待できる怪獣がいたら、世の中にあるDVとか殺人事件とか起きないんじゃないかなって思った。本能を解放する場所があるということだから。・・・前さ、私を優しい人って言ってくれたじゃない?ねぇ、私が無害だと思った?

でもこの現実には怪獣はいない。だから人間を作って、虐待するしかないのかもしれないな。尚更その対象が美して愛おしければ愛おしいほど、残虐な本能は壊してしまいたくてたまらなくなる。それを理性で押し殺す。虐待と愛は紙一重。総ての子供は等しく人質。

 

「植物柄」

植物は、ひとつの体に男と女の両方を持ってる。私もそう。私は女だけど、それだけじゃない。私は、私の中にいる少年や若い男や中年男や老人を祝福してこれを着てる。p.222

「眠い。寝てたい」とわたしは思いました。

「眠い。寝てたい」とわたしの中にいる少年は思いました。

「眠い。寝てたい」とわたしの中にいる若い男は思いました。

「眠い。寝てたい」とわたしの中にいる中年男は思いました。

「眠い。寝てたい」とわたしの中にいる老人は思いました。

「眠い。寝てたい」とわたしの中にいる少女は思いました。

「眠い。寝てたい」とわたしの中にいる若い女は思いました。

「眠い。寝てたい」とわたしの中にいる中年女は思いました。

「眠い。寝てたい」とわたしの中にいる老女は思いました。

わたしは、植物柄の布団の中に身を横たえることにしました。

 

「鍵」

赤いおばあちゃん、という呼び名を考え出したのは夫だ。p.224

3歳上の彼と同棲をはじめてから思うことは、男性って言うのは意外と弱いということだ。寂しがり屋で、一人じゃ何もできない。そして弱い。でも3歳年下の私も弱い。仕事をすぐやめるし非正規雇用。一人で生きていくのもせいぜいでか弱い生物。

だから私達は、二人になったからこそ、立ち向かわなければいけない。

右手拳を握り締めて・・・そこには鍵。

 

「誕生」

車が虫の死骸みたいにひっくりかえっていた。靴が落ちていた。街路樹が焦げていた。通りの向こう側のビルは窓が割れ、煙が立ち上り、崩壊しかかって隣のビルにもたれかかっているものもあった。p.259

妊婦が入院している病室が模擬子宮で、最後のこの外に出た描写は誕生を暗示している。分かりやすく。純文学初心者の私でも分かった。

誕生すると言うのは苦しい。生きると言うのは苦しい。大学のサークルの先輩は虫の死骸のようにひっくり返って首吊った。靴をまじまじと見られると怖くなるが私もお前の靴を一瞥するのをやめられない。私は私の暮らしを想像されて値踏みをされ、私も私でその向こうにあるお前の暮らしを想像して値踏みをするのだ。心が焦げつくされても明日は無常に来日。頭蓋が割れて魂は昇天しかかる。本当は子宮の中で永遠に安全で居たかったのに生まれてしまった。生まれてしまったんだ可哀相だね。だから私達は互いにもたれかかり合いながら生きていく。鍵は持ってるか?結婚しよう。

 

「いつかたったひとつの最高のかばんで」

たったひとつ、生涯にもうこれひとつ。いつかそういうかばんを。そういう鞄に出逢いたいって。いつか手に入れるのを夢見てるって。そんな最高の鞄をが見つかったら、それに入るだけの荷物を入れてどこにでも行くんだって。p.264

私は毎年夏にそろそろ籠バッグを新調したいと思っている。今のバッグはセールで2000円弱で買ったもので、なかの巾着部分も丈夫だしまたどうにかなりそうだけれども安物だから籠の部分が色褪せているし、ささくれだっている。何より、1シーズン2シーズンといわれている籠バッグを未だに使い続けている自分自身に自信が持てなくなる。だから4000円くらいで今のバッグより少し大きくてそしてなんでも入るようなトート形式でまぁショルダーでもいいけど、何処にでも行けそうな籠バッグをそろそろ新調したいと私は今日も思っている。

いつも仕事が続かないと悩んでいて今回が5社目になるそしてそのことに劣等感を感じている、でも家でブログの文章をかいている時だけ救われている気がするだからいつか文櫃業に就きたいと心の底でずっと思っているまぐろどんさんは、トートサイズで濃い茶の網目調の籠バッグを入手した。

 

 

 

 

以上である。

結論、めちゃくちゃ面白かった。

むろんほんはもうへきゃくしているけれども検索したら、ええ、文庫本ないのかよ・・・。これは是非多くの人、特に女子に読んでもらいたい一冊。

とびきりキュートでとびきり理不尽で、不安、同時に自由な一冊。

 

***

 

LINKS

同じ作者の作品。

 

tunabook03.hatenablog.com

 

tunabook03.hatenablog.com

 

***

 

20250616

この記事の文章を書いたのはかれこれここ2ヶ月くらい。短編集を1篇1篇感想書こうとすると案外時間がかかるものだから途中途中に合間を挟んで書いた。結構推敲時にならしたつもりだけれども、ムラがあるかもしれない。ちなみに切手は、メルカリでアルバムごと買った。切手はなんかなかなか小さい割に長ーい歴史があって、あと色んな絵が描かれていてとても愛おしい。蒐集家が多くいるのも分かる。