なんか初めて聞く単語ではあるなと思った。
小池昌代『ことば汁』(中央公論新社 2008年)の話をさせて下さい。

【あらすじ】
川端康成文学賞の名手が誘う幻想の物語6篇
モノクロームの日常から
あやしく甘い耽溺の森へーー
詩人につかえる女、
孤独なカーテン職人
魅入られた者たちがケモノになる瞬間ーーー
帯より
先生はケロッとして、頬を赤らめ、いやらしいほどに、口元をゆがませた。
そこから蜘蛛の糸のような唾液が垂れている。
光線の具合で光ってみえる。
ああ、と思う。拭いてさしあげなかればならない。p.59
【読むべき人】
・現代中年女性版ふしぎの国のアリスが読みたい人
・ホラーじゃない幻想譚で、後味が悪い話を読みたい人
【感想】
柴田元幸編集「短篇集」で作者の話が面白かったので、「短篇集」に引き続き図書館で借りて読んでみた次第である。作者は詩人であると聞いている。収録されていた短篇よろしく、幻想譚なのかな~?と思ったらまぁ結構幻想譚だった。
どれも比較的面白く読めたが、完成度は結構作品によって差はある。「つの」が一番秀でている。むしろこの「つの」のために本書があるといっても過言ではないと思う。その後はまぁお好みによって、という感じではあるが、「野うさぎ」については一段劣る気がした。
また、主人公が6篇中5篇が独身の中年女性である。好みが分かれると思う。昔はオールドミス、と呼ばれていた、孤独…とされている彼女達が、日常で何を考え生きて何を想い生きて、狂ったか。
そして地の文は詩人というのもあって若干の癖がある。また、主人公の感情の機微に対して必要以上に説明的になっている部分もあり、間延びするところが若干あったのも事実。
主人公が中年女性。純文学体ではあるが癖のある文章。
それらを承知した上でならおススメである。
ただ、タイトルが「ことば汁」なのか。
だっせぇ・・・微妙だと思った。
短編一篇一篇、もとい、本書のタイトルがもっとお洒落であれば本書の知名度、作者の評価は上がるのではないかなぁと考える。そういう点ではやはり小川洋子先生は偉大だ。「薬指の標本」「ミーナの行進」・・・。本書のタイトルは掲載作からそのまま「つの」でも良かったような気はする。

以下簡単に掲載順に感想を簡単に述べておく。
一番好きなのは「つの」、次点で「女房」。怖かったのは「花火」。
また本書の掲載作は一作一生物が主題になっている。その生物もタイトル横に記録しておく。
「女房」:ザリガニ
闘うべき相手は、ザリガニではないとわかっていたが、このザリガニが、ずっとレオの家にいるのかと思うと、奇妙な対抗意識がわいてくる。嫉妬というには、幼稚な感情だった。p.17
私が掲載されている作品群の中で本作を好き、と思うのは私もかつて女子大生だったからかもしれない。大学生のアベックで、付き合っているけれど女→男の片想い状態話である。別れる寸前。でも最後、恋は予想外のところに着地する。
この女子大生ミツの、恋焦がれる気持ちは痛いほど分かって読んでいて切なかった。彼は私に興味が無い。大学の合唱部の方が大事。ひょっとしたらさっき拾ってきたこっちのザリガニの方が大事なのかもしれない。でも優しいから突き放さない。私はそれに甘えている。本当はそれを察して離れるのがベストなのだけれども、ミツはレオ(男の名前)がとても好き。恋焦がれるほど好き。ザリガニに嫉妬してしまうくらい好き。狂うくらい好き。だから離れたくない。絶対に。絶対に離れたくない。レオの優しさに抱かれていたい。
若い二人の間のさざめきを、ザリガニは「ザリガニニ」p.26と歩いていく。
レオの夢のなかへ、ミツも入りたい。ミツはいまでも、レオが好きだ。レオの女房になりたいと思う。ああ、女房、と思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。 p.29
これもなんとなく分かる。報われない。寂しい。何も繋がらないと知っていてもふらりと他の男に抱かれてみたり、する。
ちなみに、ミツがサークルやバイトに従事している描写はない。していても彼女にとってそれほど大切ではない。寂しいんだろうなぁと思う。大学生の空いた時間を、今はレオ、だけどきっと過去にも彼氏を作って時間をいたずらに消費してきたんだろう。
終盤、いきなり出てくるのがタイトルにもなっている「女房」。なんで「妻」「奥さん」じゃないんだろうと思う。女房。というのは妻のくだけた言い方らしい。ネットの辞書によると。でも21世紀、女房なんてなかなか聞かない。
この「女房」が「妻」だったらどうだろう。レオの妻になりたいと思う。ああ、妻と思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。・・・現実味を帯びて生々しい。婚活か?と思う。女子大生は妻という言葉に対して漠然としか考えていないんじゃないかな。ましてや男性経験ある程度豊富だと。
この「女房」が「奥さん」だったらどうだろう。レオの奥さんになりたいと思う。ああ、奥さんと思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。奥さん、という言い方はそもそも前時代的。働いてるかもしれないし。古い。言葉がばばくさい。
この「女房」が「配偶者」だったらどうだろう。レオの配偶者になりたいと思う。ああ、配偶者と思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。言葉があまりにお役所すぎる。絶対この後ミツ、公務員試験に向けて勉強するじゃん。
この「女房」が「パートナー」だったらどうだろう。レオのパートナーなりたいと思う。ああ、パートナーと思いながら、アシェアの胸に抱かれていた。横文字は時々恐ろしいくらいに白々しい。
するとやはり、女房・・・なのだろうか。
「つの」:鹿
肉体のよろこびを知らぬまま、六十歳になろうとしていた。いつも先生の恋の承認になるばかりで、当事者になったことは一度もない。自分の胸の内の灰をかきわけて、そのなかから、まだかすかなぬくもりを宿す熾火を探し出したい。p.65
詩人をかすかに恋い慕いながらもそれを抑えて三十数年仕えてきた女の心情である。激重純文学。ずっと抑えてきて抑え続けてきたものが、老いなのか、ふとした瞬間に総てが溢れ出て爆発し狂っていく。その心情がことこまかに書かれている。今までずっと好きだった相手がただのスケベ親父に見える瞬間。同時に自分のスケベさも顧みて反省しつつ、それでもなお想う。好きだと思う。二人でしだけの時間も今まで多く費やしてきた老夫婦のような域まで達してきてる。でも私達は夫婦じゃない。詩人は私の方を見ない。どうして私はこんなおいぼれが好きなのだろう仕方ない好きなのだからああ愛おしい好き好き好き。・・・狂っていくが故に、女の肉体が変化していく。のめりこんでいく。のめり込んだ末にふと、額に手をやれば、生えてくる・・・角。
こういう突飛な設定の小説って、主人公の心情と現象は切り離されて、その余白を想像することでいかにも「純文学でしょう?」とする作品が多い中で、心情がどこまでもどこまでも書かれ続けていてその果てに起きる現象、として、角を描写しているのがすごいと思った。
逃げない。
それなりに化粧はする。おしゃれもする。けれど心は、いつも裸だ。裸の心は、傷だらけだが強い。傷つけばさらに強くなっていく。p.62
そんな作者の心も、恐らく裸。

「すずめ」:雀
「五種類のうち、どの窓にどれを持っていくかは、あなたに一任する。あなたは、この家を知らなければならない。すべての窓を見て、その窓にふさわしいカーテンをつくってください。期間は三ヶ月。さあ、今夜は存分に、飲んで。連中は朝まで飲んでいますよ。あなたも気後れなんかすることないのだから」p.98
「あなたね、舌切りすずめの話を知っていますか」p.117
宴は続く。
永遠に続く。
本書の読書メーターを見ると本作をホラーと定義している人がちらほらいて驚いた。そうか、これはホラーなのか。私としては「つの」と大して変わらない、幻想文学寄りの純文学かなぁと思った。だって、私達も現実・人生という宴を永遠にやっているじゃないか。
わたしたちは過去のことを一切話さなさなかった。未来のことも、うまく話せなかった。p.131
相手がいくら恋人たって配偶者だって親友、つってもさぁ。
自分の過去、全部話せますかぁ?いいえ私は話せません。墓までもっていく秘密はある。1つじゃない。100つある。1000つある。自分の未来、うまく話せますかぁ?いいえ私は話せません。ポロリとこぼして相手から同意を得られなかった場合を想像すると怖くて。
今しかない。
私達には今、しかなくて、最大限に生きる。最大限に楽しむ。最大限に拡張しようと努める。それは雀の宴と大きく変わんないんじゃないかなぁとも思う。周りがそれこそ鴉でギャアギャア泣かれたらたまったものではないけれど、愛らしい雀にちゅんちゅんちゅん、夢みたいじゃないか。過去も未来もなくてかわいい雀に囲まれて美味しいものを食べて宴は続く。宴は続く。楽園だぁ~。この先普通にカーテンなんて細々売ってても得られないような量の幸せを享受できるならそれはそれで圧倒的幸福。ハッピーエンド。いつまでもいつまでもしあわせにくらしましたとさ。今までやってきたことこれからどう生きるかそんな人生なんて幻想でしかない!なら食欲睡眠欲性欲愛欲すべてすべて満たされる雀の楽園にいた方がいい!雀は可愛い~かぁわいい!!!少年もいて恋する同年代の男もいてずっと寝て食べて寝て食べて生きて死ぬのであればそれも一つの理想。夢。はっぴぃ~えんど!!雀!!すずめ!!SU・ZU・ME!!!!
じゃないかなぁ。
とゲタゲタ話しても、読書メーターの向こうにいる誰からも、同意は得られそうにない。
ので、明日は朝最初に見かけた雀をそのまま手づかみで食べようと思う。そうすればまだまだ私はちゅんちゅん嘯ける。
「花火」:人間
今年は是非、年取った父母にも見せてやりたい。あの花火を見ずしてあの世に行くなんて、考えただけでも、もったいないと思う。そのためにも、扇動する自分が、きちんと場所を把握し、最高の環境を整えなければと、緑子は使命感に燃えていた。p.141
「ここからちょっと、歩くのだけれど、もし、膝が痛くなったら、すぐに言ってね。休むわ」p.151
この話の方がよっぽどホラーだと思った。
主人公の緑子は中年女性である。バツイチ。実家に帰ってきて良心と三人で暮らしている。両親の文房具屋をぼんやり手伝ってはいるものの、未だに料理は母親が作るし緑子はそれを疑う間もなくパクパク食べている。花火大会に連れて行く、無論三人とも歩きで、を最大の親孝行と思い込んでいる。隅田川の向こう側はもう遠い場所で、東京都内の狭い狭い場所で生きている。そのことに疑いを抱くこともない。甘え続けている中年の娘。娘に出て行けと言わない両親。その二人のことについて書かれた作品である。
だが、両親は、いかなるときも、どんな愚痴も、ため息ももらさず、にごっと泥のような二つの目を見開き、おそろしいような忍耐力で日々を生きていた。p.144-145
閑話休題。
私は女子だが18歳で東京に出て一人暮らしをしている。新卒で就職した会社を拗らせて2年程実家で暮らしていたけれども、その後バイトでじり貧生活をつづけながらも、実家の隣町で一人暮らしをだいたい10年してきた。今は彼と同棲をしている。1年たつ。
なんでバイト生活してでも一人暮らしをしていたかというと、実家がそういう教育方針だったからだ。父親は北海道の田舎の出身で高校から下宿して国公立大学(ただし決して北海道大学ではない)を卒業して一つの企業を定年まで勤めあげようとしている。そういうもんだから、若いうちからひとりだちしろという風潮だったのだ。妹も大学時代までは実家にいたが、就職と同時に一人暮らしをしている。
でも社会に出て、意外と実家暮らしを続けている社会人が多いことを知った。同年代の男女ならまだしも。40代。50代。
緑子の年齢にそぐわないこの親孝行の想いを読んだ時、彼等の顔がよぎった。私をいびる40代50代のおばさんは、よく聞くとだいたい実家暮らしでシングルだった。怖くなった。彼等には一人暮らしをしようという気持ちがあったかもしれないがそれは現実感を伴う発想には至らなかったのだろう。
私は2年たって今は亡き母親に「そろそろ一人暮らししないの」言われてその週で物件決めた。コロナ禍前ぎりぎりで、6月という季節も幸いして家賃の割にいい物件に住めた。今の物件も私の物件の契約が切れるので、彼に「面倒だから同棲しようぜ」とその週に物件の見学に行き、立地の割に以下略があったのでもうきめちゃったのだった。
・・・最近ようやっと、父親が女であろうが男であろうが、ひとり暮らしを子供に無理矢理推奨していた理由がすごく分かるようになった。転職を繰り返してストラテラのジェネリック飲んで社会不適合者かもしれないけれど、社会を泥水すすってでも生き抜く力は培ったのだ。
可愛い子には旅をさせよ、ではないけれども、一人暮らしって言うのは社会で生きる一つの術なんだな、と思った。
実家暮らしをどこかで見下してしまう悪癖がついたので、この教育法はおススメとは言えないけれども。地方都市住まいで、ペーパードライバーのくせに。
あとねぇ、なんか途中で「ソウルワイフ」という主人公の幻想も出てくるんですが、親元を離れてこなかった女が、一時期結婚していた男との恋にドはまりしてしまったが故に生み出した幻想の名前である。「ソウル」「ワイフ」と恥ずかしげもなくつけるネーミングセンス。そのリアルさが凄まじくて怖かったね。どうやったらこんな嫌な小説書けるのか。実家暮らしの30代以降の独身女性にはこの小説は勧められないです、劇薬すぎます。

「野うさぎ」:兎
わたしは野うさぎ。カワイイ野うさぎ。
友達なんか、ひとりもいない。p.224
中年女性作家が主人公の、現代日本を舞台にした不思議の国のアリスと言った塩梅の話である。がけっぷちの女が崖から落ちたら其処は夢が渦巻く楽園でした。
実際、こんな綺麗にいくわけないじゃんって思う。
きっと私は崖から落ちたら風俗かなんか行くのがおちだし、もしかしたら年金暮らしを始めた仲が険悪な父親の元に帰るのかもしれない。仕事もできなくて、毎日毎日すまーとふぉんをにらみつけてねっとさーふぃんのドーパミンをたよりに細々と一日一日を耐えてそして死ぬ。他人の幸福と比較して実情の不幸よりもさらに深く深く心を抉ってそして死ぬ。
でもそんなん、寝て夢見てれば、現実なんて意味がない。
夢の世界では、現実なんて意味がない。
一時期、鬱っぽいのがマックスだった時ただひたすらに寝ているという事があった。寝て、夢を見ている間は確実に幸せだからとにかく眠るのである。メンタル不調で仕事を休んだ日とか。
ふ、と昼下がりに目が覚めると夢との落差に絶望する。おいまじかよ、あれ全部夢だったのかよ・・・でも最近は、ねぇ最近は、ああ、夢で良かった!と思うことが多い。幸せなことだと思う。
でも、享受している総幸福量はもしかしたらほぼ同等かもしれない。それを感じているのが夢であるか現実であるかとというだけで。夢も現実もワンダーランド。大差ないよ。歌って踊って死んでいこう。それが生きるということさ!!
「りぼん」:蛇
「ふじこが死んだよ」p.227
「わたしの首はごめんだよ。縛るなら、どうぞ、自分の首にしてね」p.256
前半と後半はっきり分かれている短編である。主人公は中年の手芸作家女性。前半、大学時代の友達の死を知る。その友達の家にはリボンがあって、主人公はドはまりしてリボン収集を始める。後半、それを通して知り合った女子小学生との交流である。
一行目抜粋したのは、前半冒頭の台詞。二行目抜粋したのは後半最後の台詞。作品の最初の台詞と、最後の台詞。どちらもいい響きだなぁ、と思う。どうぞ、じぶんのくびにしてね。
終盤、リボンコレクターの主人公が一目ぼれした女子小学生のリボンが、蛇からできたものと判明する。今までの短編が、ザリガニ、鹿、雀、泥のような眼をした父人間、野兎、と動物を主題として書いてきたならば、蛇である。
本作が一番分からなかった。
大学時代の親友が死んだ。遺品であるリボンに魅せられリボン収集を始める。小学生と知り合う。小学生のリボンは蛇で出来ていました。
以上のことは分かるんだけれども、私自身が文学的知見が浅いせいか、それ以上の関連性を見出せない。分からない。私がまだ主人公の年齢まで達していないからなのかもしれない。いつか私が主人公の年齢・・・50・60に達した時にすべてがりぼんでくるくるとまとまるようにすべてがくるくるとわかるのかもしれない。わからないのかもしれない。
りぼん、といったら少女漫画である。31歳の私が小学生の頃は一番人気は「ちゃお」だった。次いで「なかよし」。そして「りぼん」。でも、最近ちらっと見たら、「少女漫画誌ナンバーワン!」と「りぼん」の表紙に書かれており、仰天した。確かに「ちゃお」は年齢層が下がったはいいもののきらりん☆レボリューションやめちゃモテ委員以降稿ヒット作に恵まれなかったイメージがある。確かに「なかよし」はしゅごキャラ!、CCさくらを復活させて最近は何処の年齢層に対して発行している雑誌なのか迷走しすぎている気がする。となると、まぁ消去法的に「ハニーレモンソーダ」とか真っ当に少女漫画しているりぼんがトップに躍り出た、ということか。
母親の生前の最後の誕生日にプレゼントしたのも、当時読んでいたりぼんをメルカリで購入したものだった。昔から「りぼんっ子だったのよ」と繰り返し繰り返し言っていたから。砂の城。陸奥A子。諸々諸々・・・その過去も全て小説の世界と混ざり、私の脳内はことば汁でみるみるみるみる溢れていく。

以上である。
面白かった。ただ主人公の年齢層偏り過ぎじゃね?とは思ったのと、あと、まぁ、結構うん、好みが分かれる文体ではあるなぁと思う。詩を主活動にしている作家なだけあってなんか独特で、くどさがある。
でも、「つの」。うん。この短編を読むためだけに本書は手に取る価値がある。
































