小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

2022秋のはなし。-2年たっても未だにその奥歯を、握りしめ続けてる。・・・36.4度の歯痛。-

 

 

 

2022年9月26日。

めでたく29歳になった。

 

 

 

 

 

は?

 

 

 

 

 

「2022秋のはなし。-おめでとう!!!まぐろどん29周年!!!-」の話をさせて下さい。

 

 

 

 

 

【概要】

 

20歳から29歳。

否、正確には18歳の大学入学から29歳。

まぁともかく20代のこの10年は、

私が私でい続けることを確認し、それでもずっと生きていかなければならない、私は私のままでずっとずっと果てしなく遠く、生きていかなければならない。

ということを、実感するための10年で、あったように思う。

 

花屋。看護婦さん。ウエートレス。漫画家。

幼稚園から小学生の時、思い描いた将来の「はたらく自分」はどれもきちんと仕事をしていてメンタルも安定していてしっかりしていて親にも誰も怒られなくて、スタイルも良くて美人で、キラキラしていて、何より私自身と別人であった。

どうやら、「はたらく自分」≒私、ということに気付いたのはおおよそ10年弱前。就職活動が始まった時。自己分析自己分析SPI、一般常識時事問題。自己分析自己分析SPI、時事問題一般常識。手あたり次第に手をのばしてもがくようにしておぼおぼしていた自分の何たる愛おしいことか。

若いね。かわいーね。

JDだもんね。

 

しかし恐らくそれがどうやら本当に・・・「私は私のままで(はたらく)大人になると」ということを、マジのマジだぞ。と実感持って理解出来たのは割と最近な気がする。

大学卒業後様々な職業に就いた。1年半は塾講師、そのあと1年ニートして1年スーパーの試食のお姉さんをして、2年くらい輸入食材販売店にいていまはレンタルビデオ店にいる。数えれば5職目だぞと思うとなかなか感慨深い。

そのだいたいが、うまくいかず、一時期本当死のうかと思った。

塾講師時代に渡された栗原類の本と先輩講師の発達障害だと思う」(深刻め、お前のことを思ってのことやぞ、を背負って。居酒屋の庄屋にて。)という言葉を皮切りに、ずっとそれと向き合ってきた。そうなのかな。そうなのかもね、というところから、実際病院に行って月一度の通院が始まったのは、だいたい2年半くらい前か。27の時である。23歳から27歳。そこまで4年もかかってしまった。

加えて厄介なのが、「私は発達障害だ」ということが分かって生きていくのが楽になる、という訳ではないことだ。自覚した、通院している薬も貰っている。だけどそれじゃあ足りないと言う事ですな。いやはや。だから薬貰っているというのもあるんですけれども。

まず社員労働は諦めた。塾講師時代、小売店時代(初めの1年)合わせて2年半正社員の経験をしたが、そこで求められる能力が低い。皆が出来ることが出来ない。皆が分かることが分からない。皆に何を求められているのかが分からない。

勉強と違っていくら努力しても磨き上げられる・・・という訳ではないらしい、というのも2年半にわたって実感した。経験則が通用しない。

塾講師時代の科目の内容・・・「基本的人権とはおおよそ4つの権利に分けられます。それは何と何と何と何か」、社内検定用に勉強して培った知識・・・「輸入されてくるコーヒーの名前と味わいと合う食べ物」といったものはどんどん蓄積されて、一度覚えれば忘れなかった。

研究職やら専門職だったら活かせたかもしれないが・・・。

自身の能力の異質さを感じた。

そして「正社員労働」の必要条件を満たしてないということも感じた。

怖いなと思った。

怖いよと思った。

じゃあ私は社会でどう生きて行けばいいの。

 

という訳で、週5のパート労働が始まる。

輸入小売店では1年の社員労働後1年半くらいやったけれども、結局新しい店長とうまくいかずやめた。

レンタルビデオ店での労働がハジマタけれどもこの前店長にブチ切れてしまった。客前で。

どうやら私は週5のパート労働すら厳しいのかもしれない。

 

じゃあどうやって生きてくのか。いやまじで。

女は結婚すればいいだろ、と思う人もいるかもしれないが、こんな不器用な私に彼氏が出来たことなど一切なく、30年目に突入した。魔法少女まっしぐらである。あと結婚できたとしてもいまは3組に1組が離婚する時代であって、それは社会全般にも通用しない。

性別関係なく私達は、ひとりでどうにか生きて行かなければならない。

正社員×。週5パート労働△。とくればもうそれは私は、「此処」に懸けるしかない。

文章に、懸けるしかない。

書きなさい。書きなさい。書きなさい。

それが私の存在意義。

書きなさい。書きなさい。書きなさい。

それが私の存在証明。

小学校高学年の時に掲げた夢。作家。になっている「将来の私」に自分を少しでも近づけていかなければならない。たとえそれが歪であっても。たとえそれがノロノロとても遅くとも。たとえそれが29歳大卒フリーター(そんなにかわいくない)がなんとかして生きるために考えているぐにゃあんぐにゃんに歪んだ醜い幻影であると自覚しようとも。

 

 

 

と思う一方で、私は最近書いていない。ブログの更新がこれだけ空いたのはなかなか稀有で、恐らく数年ぶりであろう。

別に職業変わった訳じゃない。今年の明けからレンタルビデオ屋でカード売ってる。ポケカとか。

別に鬱になっているわけじゃない。一時期まじで死のうかと思ったけれども今はそんなに死にたくない。

恋をしたからだ。久々に。

好きな人が出来てしまった。ァー。

しかもそれが常連さんで、カードゲームを教えてもらう所謂師匠的立ち位置で私は教えていただいている側である。

だから家でもカードの動画を見る時間が増えた。

同時に、何せ私は清廉潔白魔法少女一直線の人間であるため、恋に恋をしてしまう。

だから自分を保つため、自分の好きなものをなるべく多くとろうと努めてきた。動画と同じ時間分だけ、櫻坂46のことを考えて、オカルトのことを考えて、引き続き西洋美術を初めに関心が少しでもひっかっかった美術展は東京であろうと遠征を前提に考える。2023年の国立新美術館のルーヴル展、楽しみすぎやしませんか。

頑張って私を私たらしめるモノを少しでも多く摂取する。ことで自我を保ち、100%恋愛に振り回されてはならない。常に意識している。

・・・私であること第一で、ぶつかんないといけないだろうし。

でもそれでも、私が・・・「私が足りない」と思う時がある。いくら心霊動画見たって実話怪談本読んだって、アイドルの番組見たって音楽番組見たってMV見たって、一人でも多くの画家の名前と画風をさあ覚えましょうはいマム、「ブクローは耽美主義」「キスリングはポーランドの画家です」・・・足りない。

でも、この感覚を文章に表している現在こそが、一番今私が私である、気がする。私が私で満たされている気がする。

カードゲームも大事であるが、その他は書くことを第一に2022年の残りは駆け抜けたい。

出来れば恋人だってほしい。その人じゃなくてもいい。私が幸福であるためにする恋愛の対象となりうる他者がほしい。

ひとりでも生きていけるけど、ひとりでは埋められない寂しさがある。

 

思えば、20代は2回しか異性にハグされていない。一人はホルンの先生。もう一人は塾講師退職直後のニート時代に通っていたコーヒー店の店主である。

どちらも骨ばっていてそして確かに温かかった。

あとどちらも当時多分65は越えてますわね・・・。

ひとりでも生きていけるし、死にたいって思ってもひとりで泣いて解決するけれど、それでも誰かにハグされたいし私もハグしたい。

となるとやはり今年中には・・・というお話になってくるのである。

生々しいなと思う。

いやたったこれだけで生々しいもクソもないだろと思うが、これが29歳喪女の現実!!!

 

 

 

30が本格的に見えるにつれ、一気に人生が押し寄せてくるなと感じる。

結婚恋愛問題はまだいい。30までには結婚した~い。これは想像ついてた。学生時代のきちんとした子から結婚していくということ。これも想像ついてた。

仕事問題もまだいい。出来るやつできない奴の差が本格的に開いていく。年収に差が出る。人生が分かれていく。これもネットのまとめスレで予習済みである。

ただ、親の健康寿命。これが盲点だった。

まぐろどん20代の大きいエピソードに母親の肺癌、っていうのは外せない。

衝撃だった。ショックだった。

祖父母・叔父に癌患者はおらず家系ではない。どちらかというと高血圧を10年以上継続していて最近腎臓もヤバイ父親の方が短命かと思っていた。

怖かった。

今まで癌、というのは、日本人の死因第一位であっても、どこか遠い話のように感じていた。大変だなぁ、一刻も早く一人でも多くどうか治ってほしい。良くも悪くも他人事だった。

しかしそれが自分の親に、となると一気に目の前が真っ暗になってクラクラした。

当時、スーパーで試食を売りながら就職活動をしていた私は結構死亡度高めの企業の最終面接を受けようとしていたが、とても新しい場所でとても新しいことを出来る心境ではなくなってしまった。

特段仲が良いという訳ではないし一度母親の自殺未遂に巻き込まれているしいい母親だったかと言われると微妙な部分が多く見受けられるし一緒にいるととてもストレスがかかる。けれど何かあると相談するのはまず母親だった。

やっとつかんだ、ほとんど合格が確約されたような面接をおざなりにし、結局私はもう半年、試食のお姉さんを続けてその後輸入食品小売店に一度就職する。

あの時、もし受け止められる体力があって就職していたら。

そのまま正社員労働を続けて今より高収入で、何より今より「普通の人生」に近づけていただろうか。

と思わないこともないが、でもいつ思い返しても、やはり当時就職は出来なかったと思う。

やはり私は私なのだ。

 

そして20代中頃もしくは後半にかけてにそれを理解すると言う事は、恐らく当時同年代であったミュージシャン達の「私以外私じゃないの」「白日」の歌詞にあるように、一般的なことなんだろうと思う。

私が私でい続けることを確認し、それでもずっと生きていかなければならない、私は私のままでずっとずっと果てしなく遠く、生きていかなければならない。

そこを知って絶望したうえで、どうするのか。どう生きていくのか。どうなっていくのか。

多分そこから人生って始まるんじゃないだろうか。

 

そのスタートラインの存在に気付くころに、ADHDやらASDやら足に枷がついたものだから、一時期本当に死にたかった。

母親は大病。

自分はどうやら一般企業に正社員は無理。

このまま生きづらいを抱えてずっと生きていくのか。

過去に希望はあれど未来に希望はない。

ああ。神様。

「あー死にたい」

何度呟いたか分からない。

もはや口の中で転がしても味がしない。

けれど飛び降り、オーバードーズ、ガス、飛び込みする勇気はなかった。怖かった。でもそのラインは、とても頼りない存在感で、いつでも越えられそうな気がした。し、実際そこを越えられた人々は山ほどいるわけで。ああ、二階堂家の奥歯ちゃん。

だからその分、搔きむしった。脚を。手を。

常にカサブタが出来ていて、其処を剥がすと血が出る。みるみるでる。どんどん出る。というのを見るのに一時期ハマっていた。というか今年の春くらいまでずっとやってた。

ティッシュで押さえると、じわりと赤い染みが広がって、それが大きければ大きいほど謎の高揚感を私にもたらした。

脚はどんどん痒くなる。

たまに、血の「具」みたいなのも付随することがあってそれを見ると、あー生きてるって思うし、何か赦される気がした。

カサブタを捲る時のひりりとした痛みと高揚。興奮。

硬くなった身体の一部を離すという行為は、脱皮を思わせる。

嫌いな自分が変わりますように。

嫌いな自分から少しでも離れられますように。

びりびり、ビリィ。

 

 

 

 

けど、最近はなんだかそれも収まって来た。

初夏頃、唐突に「飽きた」のである。飽きた。

だって捲ったところでどうにもならないし。

ホモサピエンスなので脱皮しないし。

跡は残るし。

見ると母親はつべこべ言うし。

鏡で見ると確かに本当になかなかグロくてうわぁだし。

でもそれらを優に超えるあの興奮は、不意に、私から去った。

 

原因は分からないが、思い当りはいくつかある。

2年くらい飲み続けている抗うつ剤がようやく効果を発揮し始めた。

職場が変わった。昔程余計なストレスはなくなった気がする。

発汗。私以上の汗っかきを見たことがないくらい私は汗っかきである。汗と共になんかいろいろ流れて行ったのではないか。

諦めた。

・・・でも結局はそこに行きつく気がする。

諦めた。

どこまでいってもどこまで生きても私は私なのだし、社会不適合者なのだし、理性より感情が圧倒的優位に立つことがあるし、どうしようもない時があるけれども、どこまでいってもどこまで生きても私は私なのである。

けれど文章になればまぁまぁ書けるし記憶力には自信があるし、どうやら一定の人を虜にする愛嬌もあるようで、そしてとんでもなく真面目、だけど笑顔がどうやら好評で鋭い角度からのジョークも合わせてとんでもなくチャーミングな瞬間がある。

「私以外私じゃないの」って本当にまさしくそうで、私以外私ではない。

残念ながら、人間社会と言うモノには弱い傾向にあるが、だからといって価値がないわけではないし魅力がないわけではない。

私は私なのである。

どこまでいっても。

どこまで生きても。

私が私でい続けることを確認し、それでもずっと生きていかなければならない、私は私のままでずっとずっと果てしなく遠く、生きていかなければならない。

 

と、そんなある日、真夜中、職場から家へ寝ながら歩いて帰ってたら、思いっきりつまづいて顔を打ち、まぁまぁ大きなカサブタを顔に作ったのであった。ちなみに脛も打った。

なので誕生日は皮膚科で過ごした。

いやなんでだよ。

と思う以上に、「顔に傷が残るかもしれない」というのがたまらなく怖かった。恐ろしかった。

そこで初めて自分は、「自分の顔が好きである」と言うことに気付いた。

圧倒的に可愛い顔はしていないが、まぁまぁ普通の顔である。中の上くらいか。

父親に似ているところが欠点だが、父親遺伝による美肌で、且つ童顔のために基本的にとても若く見られる。大学生?って聞かれるのはもう慣れたもの。

でもこの顔は嫌いじゃない。

むしろ・・・というとナルシスト話になって来るのでやめておくが、本当吃驚、したのだった。

自分の顔が自分は比較的好きである、ということをなんだか思いっきり理解させられた。確かにJD時代は今振り返ると自信をもってかわいいと思えるしな。

 

じゃあそんな面さげてこれからどうすんだか。

私は私以外にはなれないだから、その先は。

 

 

ちなみに画像は「なんで誕生日なのに皮膚科行かなきゃいけねぇんだよおおいいい!!!!!」となって一人で行ったさわやかの写真です。
生きてる!!!って味がする。さわやかは。中身がなまに略

 

以上である。

概ね最近はこんな感じである。

自分自身がいつまでも続くことに改めて気づかされ、あと最近思ったより私は私のことが嫌いではない。ということに気づいた。あと思ったより自分の顔好きです。

 

母親の病状は良くならないし、非正規雇用を続ける以上未来は全く見えない。

けれども、このブログを始め引き続き書くことをやめなければ私は私を見失わない気がする。

「君はきっといつまでも少女性をもったまま大人になっていくんだろうね」

というのは教職の授業をもっていた大学教授の言葉である。自分の欠点を考える時常に出てくる言葉である。あらゆる欠点を全て包み込む無敵の言葉だと最近になってつくづく思う。まぁこの教授の授業かなりつまらなかったですが・・・寝てたし。

あと最近齧ったネット知識で恐縮だが、どうやら発達障害も10人1人の割合らしい。

なんだよ。AB型と一緒じゃん。

 

とにかく私は私を背負って、29年のという重みを背負って、30歳を迎えようと思う。

足取りは重いが、多分大丈夫・・・多分。

いける。

私以外私ではないのだから。

 

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と、格好いいことを言っていますがこのまえ住民税未払いによる財産差し押さえの通告書が長年未開封だったポストから開封されて震えています発達障害だからでしょうか厭まぁそこは関係ないですねああ電話をせずに今週も終わりまちた誰か助けて!!!