2021年最後に読んだ本が、多分これだった。
吉本ばなな『哀しい予感』(角川書店 1991年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
弥生はいくつもの啓示をうけるようにしてここに来た。
それは、おばである、ゆきのの家。
濃い緑の匂い立ち込めるその古い一軒家に、変わり者の音楽教師ゆきのはひっそりと暮らしている。
2人で過ごす時に流れる透明な時間。
それは失われた家族のぬくもりだったのか。
ある曇った午後、ゆきのの弾くピアノの音色が空に消えていくのを聞いたとき、弥生の19歳、初夏の物語は始まった。
大ベストセラー、そしてよしもとばなな作品初の文庫化。
表紙カバーより
今、本当を告げているのは、かがみこんだひざの上で普通の固さに組み合わされた私の指だけなのかもしれない。p.113
【読むべき人】
・吉本ばななもしくはよしもとばなな作品を読んだ経験がある人(初心者には勧めません。他の作品と比べて比較的読みづらい。「キッチン」メジャーではないが「ハゴロモ」あたりがばなな処女※意味深 にはおススメですね)
・感じる読書がしたい人
・冬が好きな人
・孤独な人
・自由、とか。
【感想】
50円で本を買ったのは久々だった。
ヤフオクで買った。でも別に本書が目的だったわけじゃない。別の目的の本があって、その出品者がどうやら古書店で何冊か気になる本をまとめて買えばその分送料はお得ということだから、好きな作家・・・よしもとばななの本がそのラインナップで50円、とあったから買った。それだけである。
別に本書の内容に興味があって買ったとかタイトルにビビッと来たとかそういうんじゃない。まぁちょっと表紙はいいなって思ったけど。
シンプルで深くて、そして哀しい予感がして。
同じように、僕も眼鏡をはずして左目にスプーンを当ててみた。つめたくて、金属の匂いがした。目を閉じるとただただ哀しい予感がする。
僕はこの小説に出てくるゆきの、が好きだ。とても好き。
ゆきのは音楽教師なのだけれどもそれ以外はまぁ自堕落な生活を送っている。其の本業と言える仕事も結構適当で雨だと授業を放る。
けれどその自由さの中には快活さが無い。自由と快活は直結しないことについて。常にどこか哀しみがあって、そこに人々は惹かれていく。
とても不安定、だけど彼女は彼女自身を決して否定せず、他人も否定せずそして優しい。だからみんな彼女のことが大好きなのだ。
スプーンをくわえる。金属の味がする。つめたいなぁ、て思う。味がしないよねぇ、味が。
僕もまぁ恥ずかしながら自堕落な生活を送っている。その本業と言える仕事も結構適当で今休んじゃったりしてる。
一日に二回飲む6-7粒錠剤は苦い。つめたさはスプーンと類似します。
僕の自由さにも快活さはない。ただ哀しみもない。病みしかなくて僕の視線は常にきょどきょどしていて常に誰かに謝っている。
だからつけがられないように見栄をはることもある。
悪口はナイフで、誰かの心配はお前は迷惑だという被害妄想直結。
とても不安定。だから僕は僕を否定して、いつつけあがられるのか。いつ殺されるのか。表面上は僕はとてもやさしいけれどそれは誰も信じられないから。誰にも優しくない。
スプーンを齧る。とても硬い。こんなに湾曲していて美しいのに、歯を当てるとカチンとなってそれはとても味覚的触覚的聴覚的に訴える狂気。
それがべりべりはがれ始めたのが2021年末のことだった。
誰にも無関心なのがバレ始めた。
ならば仕事に熱中するしかないとやることに120%130%200%のを出すようになったが、すると周囲の温度差にますます周囲は僕を敬遠しますます僕は孤独になる。
スプーンの熱伝導、見て。淹れたてのエスプレッソに入れたら接着部分からどんどんどんどん溶解していくよ。どろどろどろどろどろどろだよ。
誰にも言えない誰もにも言えない。誰にも言えません。
それはやがて外気に触れないので、腐臭。
こういう時はよく母親に相談していたけれど、肺癌の母親を今度は僕が背負わなくてはならないことについて。
28歳。知っている。周囲にはたまたまいないだけで27歳26歳25差24歳23歳。もっと若い幼い年齢で全てを背負う運命に立たされている人が多分日本全国各地にいることでしょう。別に全国的に見れば僕だけがっていうわけじゃない。僕だけがっていうわけじゃない。何なら僕自身が健康であること、それだけでかなり恵まれているのである。ジーザス。ああ、神よ。
砂漠の夢を見る。
僕は一人。
たくさん背負っている。
まぐろどん「鬱病母親の病父親とのコミュニケーション不足妹の絶縁誰にも言えない悩みADHDお金が無い!!!お金が無いよお!!!!」
旅人。
歩いている。
ゴールはない。分からない。
夢を見る。
砂漠を歩く夢を見る。
このままパート労働でいいのか。
お金が無いからといって正社員労働をする胆力気力は残ってない。
でもコミュニケーションが機能しておりません、実家に帰ることもない。
砂漠。砂漠だ。
僕は一体どこに向かっているのだろう。
この歩むこと自体を人生と言い、それを謳歌しろと言っている、ジプシーの幻想を見るがそれはあくまで幻想にすぎず、僕はゴールが分からない。パート&パートでその日ぐらしをして、その果てにねぇその果てに、何があるんですか。一体僕は何のために生きているんですか。そうやって問いただした時に限って神様は不在です。留守です。ドアを開けたら、ほら砂漠。
スプーンに映る僕の顔は歪んでる。
ゆきのちゃん、やよいちゃん。頭を撫でるてや笑顔のぬくもり。訳もなく悲しく、みんな優しかった。p.153
成長するまぐろどんを見守る優しい人達※父母祖父母等死んだ祖母も含む「まーちゃん、まーちゃん。凄いね。よくできたね。まーちゃんえらいね。まーちゃんしゃべったね。まーちゃんやっとたったね。まーちゃんえがおだね。まーちゃんえらいね。まーちゃんすごいね。まーちゃんがんばったね。まーちゃん北海道までよく来たね。まーちゃん滋賀までよく来たね。まーちゃん可愛いね。まーちゃんは勉強が出来るから。まーちゃんは頑張り屋だから。まーちゃんは。まーちゃんまーちゃんまーちゃん・・・。」
註:まぐろどんにはいとこがおらず、二人姉妹の長女であることをここに記しておきます。
健全なる精神をもっていることと、守るものがあるということが羨ましい。
周囲の人々はいいなぁと思う。
例えばシングルマザーの店長とか。しおりちゃんという幼い一歳の娘と言うかけがえのない護るもの一点がある。10年後しおりちゃんが10歳になること、20年後しおりちゃんが20歳になること、が彼女の人生の揺るがない生き甲斐なのだろうと思う。同時に自由が無い、束縛されていると感じることもあるだろうが、その揺るがない一点があるということが、私はたまらなく羨ましく感じる。
例えば大学中退したフリーターの子とか。一緒にデートに行った彼氏、彼女の目標は堅実なる人生設計の為に日々労働をしている。就職先も無事大手に決まった。彼女の快活さ明るさに報われるときもあるが時々僕は勝手に傷ついていることは秘密である。
例えば40代のパートママさんとか。家庭を支えるために出勤日数を増やそうかどうか悩んでいる姿は不謹慎ではあるがとても健全に感じられる。地方都市の象徴で、健全で、でもきっと不安で、でもそれは健全たる不安。「だいじょうぶですよー!!この前見たおたくの中学生の娘さんめっちゃかわいくてまぁちょっとちゃらかったですけどそういう枠の子一定数いますから!!ああいう子に限って変に勉強真面目だったりするんですよね!!!まぁそのまぁうん優等生であることは少なかったですけどでも平均点そこそこの子が多かったですね!!!■■中学の■■ちゃんとか、△△△中学の○○○ちゃんとかね!!!普通に健全育っておりますよー!!一応一年半塾講師集団授業の方やってた僕が保証しますねー!多分僕よりまともな人間になると思いますよー!!」
でも僕は、でも僕は一体何のために働いているのだろう。・・・癌にむしばまれつつある母親の身体を膝に抱く幻想。ピエタ。
まーちゃん、と呼ばれていた幼くケロケロ笑っていた私は一体何が幸福でそんなに笑って一体何を糧に生きていたのだろう。
せめて僕が定型発達で自己肯定感が高く健全な人間であったのならば、その膝はとても大きく僕は母親を抱きしめながらも未来をきっ、と見つめ、強くいることが出来ただろう。
しかし僕は残念ながら普通ではないようで自己肯定感も低く、体感弱いので膝はぐらぐら、細い母親の身体支えるのに精いっぱいで、ただ下を向いて涙を流すことしかできません。マリア(処女)の涙は大変透明だったと思いますが、まぐろどん(童貞)の涙は濁っている。
仕事もうまく出来ない。恋人とかも作ったことない。
産まれてきて、大変申し訳ございません。仕事も出来て恋人も出来てそろそろ結婚、とかそういう普通が出来なくて大変申し訳ございません。
ゆきのは自身を守るためにひらりと姿をくらますが、僕はどてどてどてどて匍匐前進することしかできずこのベッドの上から一ミリも動くことが出来ません。
カーパットの上にスプーンが、落ちている。
はたから見れば、微笑ましいという程度のこの生活態度の違いが、おばにとって恐怖だったろうことはよくわかった。彼女は単に教師としてのモラルや年齢差におびえたのではなく、彼の健全さを異星人のように嫌悪したに違いない。p.118
健全なあなた達を見ると僕はとても死にたくなる。時がある。
例えばメンタルが常時安定している年下の子とか。「大丈夫よ」優しい目で諭したエリアマネージャーであるとか。
「今までそういう経験なかったからなぁ・・・」と眉を八の字にした店長とか。そうか、離婚した時もその健全さを保っていられたのか。僕はたまらなく恐怖した。
いや、人間が出来る所業じゃないでしょ。否、僕が人間じゃないのか?
それでも、真顔でそんなことを告げる母のまじめさが、そういう考え方が、私は好きだった。p.76
だけど同時にとても怖い。
このままどこへ行ったらいいのか分からない。コンパス持たないまま延々砂漠を歩き続けるのだろうか。家族を背負って金もないままオアシスもない、この砂漠・・・砂漠を。
同時に大変申し訳なく思う。健全なる人々の間に健全ではない僕がいること。本来ならば大学出て正社員労働もしくは結婚をして順調に人生を歩む。それが出来ていないこと。大変申し訳ございません。
周囲の人々に、そして何より両親に大変、大変申し訳なく思うのです。
スプーンで、リストカットは出来ません。
まるいから。
たまらなく優しい金属器なんですね。
Mさん(20代女性)「前、実は試みたことがあったんです。前の店舗で。それでね、店異動になったりもしたんですけど(笑)でもあの時も結局できなかった。
でも、今なら、今ならいける気がするけれど。でも多分結局いけない。
でも死にたい、死にたいとは思うんですよ。
あ、ちなみにキリスト教徒ではないです。ふつーに仏教」
先が見えない不安と罪悪感による、希死観念。
Mさん(20代女性)「両親は母親の癌が見つかって新興宗教入りました。ずっとずっと夫婦ともに親しくしている近しい友達から誘われている宗教です。大手。なんでそこは諦めています。だって宗教ほど確固たる緩やかで安らかな集合体ってないでしょ?それに別に僕は勧誘されてるってわけではないし。ああでもね。家庭内で宗教が違うんだなーって、ほら、テーブルの上にその宗教の時報があったりするとね、より一層ね僕は孤独を感じるんです。ああ違うんだなぁって。宗教違うんだなぁって。でもね僕はそこにさらさら入る気はない。ただ、思うんですけどね、思うんですけど、僕の父親と母親ってその宗教夫婦の家で出会っているんですよね。ということはですよ。僕の誕生は結局のその新興宗教にルーツしているんじゃないかって。ねぇ。ねぇ、先生。信じたところで僕みたいな歪な人間が産まれるのであればそれはやっぱりしょうもない宗教だったと思いませんか?僕は普通に仏教でいいです。普通に仏教。でもなんか自分のルーツがねその新興宗教にあると思うとより一層ね何となく死にたくなるんですよ。それならもういっそわかりやすくキリシタンのもとで生まれても良かったんじゃないかって。そういえばクラスメイトで一人圧倒的美女がいたんですけど彼女は確か家族がキリスト教だったんじゃないかな。挙手する機会があって、中学の時に。何となく覚えているんです。でも今やったら問題ですよね。小林先生告発されちゃう。ユダみたいに。告発されちゃう!あ、でもううちの両親は言ってる新興宗教はキリスト系じゃないですよ、仏教系です。あの、輸血できないあのキリスト教ではないです。一時期清水駅前にめっちゃ板の知ってます?あ、スプーン。スプーンが落ちてますね。こんなところにあ、プラスチックのスプーン廃止されるみたいですね。ねえ先生、それについては」
医者と言う概念「ADHDによる、多弁が出てますね」
Mさん(20代女性)「ねぇ、でも先生。スプーンではリストカットは出来ないんです。だからこうやって、左目にスプーンあてて、目を瞑って、静かにするしかないんですね。すると、ほら、こういうことは総て起きていないこと。別に周囲の人々は多少休みまくって迷惑であろうが僕が不健全だからって触れないようにしなきゃ!!話さないようにしなきゃ!!!殺さなきゃっ!!!ってしているわけではない。母も父も僕がもともと不器用なことは知っているしそれを今更責める気もない。実際フリーターと言う身分を黙認しているわけだし。私は過度に嫌われていじめられているわけでもないし、きちんと周囲の人から愛されているんです。
だからね、これはね、全部ね全部ね、
哀しい予感。
哀しい予感にすぎないんですよ、先生。」
スプーンで、リストカットをすることは、できません。
ああ、ゆきのさんみたく諦めることで自己肯定し、軽やかに、自由に、生きることが出来たらなぁ。
「ひとりになりたかったの。めんどくさくて、すべて。あなたはまだ幼くて、やりなおしがきいたから良いのよ。でも私には、あの、風変わりな両親の生活の面影がしみついていて他の暮らし方ができるとは自分でも思えなかったのよ。今はもう別に、そんな風には思っていないけれどね」p.68
ひとりになりたい。
健全健康全て全て手放して。ひとりになりたいのです。
快活さと自由さは直結しない。
だからゆきののように、
健全で健康なる精神と身体を諦めて。
不安と共に、自由に、生きられたならば。
多分もっと人にやさしくなれる気がする。
ひとりに、なりたいのです。
スプーンで、リストカットをすることは、できません。
ただしスプーンで、アイスクリーム※ラクトアイスを含むをすくうことはできます。
Mさん(20代女性)「私はスプーンを使って救うことが出来ます」
でもスプーンで、砂漠の砂を全て掬うことはできません・・・これ以上歩く気力がわきません。もう無理。痛いよ。重いよ。体感ないんだよ。ピエタ。
以上である。
作品としては正直他と比べるとまぁちょっと劣るかなぁと思う。吉本先生特有のあの、時も何もかもを流すかのような、癒し成分が少ない。吉本先生の他の作品を読んだ経験があるのならばこの作品の中からそのきらきらしたものを掬い取ることが出来るだろうが、多分読んだことな人にはそれは難しいと思う。
でもここの作品に出てくるゆきの。吉本先生の作品で、僕の中で一番存在感放った人物。一番、重ねて、見えた人物。
彼女と出会っただけでもこの小説(状態の悪さもある50円)には無印良品の一本のスプーンのお値段(確か250円くらい)以上の価値があった。
spoooooooommmmmmmm・・・。
なので、明日の面談で、今月いっぱいお仕事休めないか。
打診しようと思います。
LINKS
吉本ばなな(よしもとばなな)先生の他の作品の感想。結構読んでます。彼女の作品を読むと癒されるというか整うって感じがするので、お勧め。基本的にどれも読み易いし。
ブログはじめる前には「とかげ」も読みました。あれは想像以上にエロ小説でめっちゃびっくりしたけど、感想書いている以下の4作品は本書よりも「とかげ」よりも読み易いです。「デッドエンド」は映画化も最近されましたね。
ちなみに僕のお勧めは「ハゴロモ」「TSUGUMI」。前者は癒し、後者は本書におけるゆきののようなつぐみという強烈なキャラクターが鮮烈に眩しい。あと本作が冬ならTSUGUMIは絶対夏。