現代性聖書。
小説じゃない。
中村文則『教団X』(集英社 2017年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
突然自分の前から姿を消した女性を探し、
楢崎が辿り着いたのは、
奇妙な老人を中心とした宗教団体、
そして彼らと敵対する、
性の解放を謳う謎のカルト教団だった。
二人のカリスマの間で蠢く、
悦楽と革命への誘惑。
四人の男女の運命が絡まり合い、
やがて教団は暴走し、
この国を根幹から揺さぶり始める。
神とは何か。
運命とは何か。
絶対的な闇とは、光とは何か。
著者の最長にして最高傑作。
裏表紙より
【読むべき人】
・新興宗教小説が読みたい人
・新興宗教に入りたいまではいかなくとも、何らかの信念、哲学に触れたい人
・エロ×宗教×大騒動←この3つの組み合わせにワクワクする人
・怪しい宗教の本を読んでみたいが手を出すのにはちょっと躊躇みたいな人
【読まないべき人】
・読書経験が浅い人:多分つまらないと思う。僕もつまらなかった。
【感想】※ネタバレあり
宗教!宗教セックス!宗教宗教!セックスセックス!宗教宗教セックス宗教セックスセックスセックス宗教!夫婦愛!宗教宗教宗教宗教セックス!宗教宗教宗教テロ!!!!テロ!!!!!テロ!!!!!心の闇独白!!!!宗教!!!!!おわりっ!!!!!
みたいな小説だった。
前半もうとにかく宗教宗教宗教セックス!!宗教セックス!!宗教セックス!!セックセックセッセッセー!!!!!のよいよいよい!!!!!!
というアルプス山脈が遠くに見える展開。
後半はセックスのところがテロになる。
それだけ。
本当、それだけ。
その「宗教」の部分が参考文献からもわかるように、
きちんと勉強されていてみっちり設定も練っていて、
丁寧に書かれているのはよかった。
最近読んだ『慟哭』のように、よくあるいかにも「小説上の宗教」感がないのはよかった。
教義ひとつひとつにも説得力があり、
作品内の登場人物の言葉には重みがあった。
特に奇妙な老人松尾の生涯と彼が説くビデオの内容は、はえ~と思う部分も多かった。間違いなくあのビデオは楢崎だけではなく僕たちも視聴していた。
現実みがある。
ただ、その分セッの描写が多いのは辟易した。
本当前半はもうすぐにおっぱじめる。
しかも中途半端にしっかりエロいのもムカつく。
宗教と性は密接しているとはいえど・・・。
宗教についての延々とした説明文とセッの描写が繰り返されるのはなんというか、キツい。
宗教セッ!宗教セッ!宗教セッ!!
本当にその繰り返し。
宗教セッ!宗教セッ!宗教セッ!!
これじゃあ教団エックスじゃなくて教団セックスじゃん。
宗教セッ!宗教セッ!宗教セッ!!
そう感じるのは、やっぱそれに翻弄される人物・人物関係の描写不足だと思う。
主人公楢崎の描写を必要最小限まで削り取っているため(例えば過去の詳細、職業などこれだけの厚さがあっても分からない)
いまひとつ人物像が掴めないし、
行動に共感も伴わない。
顔が浮かんでこないし、魅力も感じない。
楢崎と立花の関係性が結局最後まで明らかにされないのも意味わからなかった。
ちょっと意識しただけの女をそこまで追う男がいるか?
それだったらもっと分かりやすく「大学時代の元カノ」とか「セッするお友達」とかそういうので良かったと思う。
あえて描かなかったんだろうなとも思うけど、
そこはあえて描くべきだったように思う。
人物像が十縄内から、物語が文字の羅列と化する。
読書人だったら宗教の協議の部分に目を見張り、新鮮な読書体験になったのかもしれない。
経験浅き僕のような読者では、この本で読書するのは結構難しい。ただの宗教セッ!の繰り返しに思えてしまう。
後半はセッ!が減り、宗教がぶつかり合い、テロ未遂が起きる。
セッ!の代わりに現れるのは、長台詞である。
登場人物がそれぞれ自分の思うことをまぁ語るんだけど、
それが2ページ・・・3ページ・・・4ページ・・・。
ドラえもんもびっくりの脳みそ容量である。
それを先述したように詳細が分からない人物たちが延々語るものだから、
作者の考えていることをそのまま話すロボットのように感じてしまう。
特に篠原。おめーだ。あいつには絶対血が通っていない。
そして最後はとってつけたかのようなハッピーエンド。
え?なんでそうなるの?となる。え、まじでなんで?
特に、あとがきにも用いているように、最後の演説を作者は気に入っているようである。
が、ええ・・・。
まぁその演説自体は確かにいい言葉だったと思うけど、
エロと宗教のカオスの末に至る結論はそれじゃないだろ。
バッドエンドが相応しい結末だろ、この話はさぁ・・・。
筋が通っていないというか何というか。
以上である。
宗教自体は確かに練ってあったし、教義自体には説得力があった。
読んでいて実際僕も「はえ~」と思うところは多かった。
ただ、登場人物の描写欠落といい、
また最後の結末といい、
いまひとつ「小説」としての体裁は保てていない。気がする。
「おおっ」となったのは物語ではなく、教義の部分。
だから聖書。
この本は聖書。
もしくは性書。
正直「物語」をテーマの一つに掲げるのであれば、
人物像を宗教並みにみっちみちに描写してほしかったなぁ。
宗教の設定凄いけど、「じゃぁ現実の新興宗教の本買えばよくない?」「大川さんの講演会行きゃあ良くない?」ってなるんだよな。
昔見たアメトークの読書芸人で、
蛍ちゃんが「読むのを数ページでやめてもうた」と言い読書芸人から大ひんしゅくを買っていたが、
僕もどうやら蛍ちゃん側の人間だったようだ。
ちなみにこの中村文則先生の本は過去に二冊読んでいる。
中村文則『迷宮』(新潮社 2015年)
この2冊は良かった・・・と思う。
『迷宮』は刑事事件を題材にした純文学の新鮮さに打ちのめされた。
『何もかも憂鬱な夜に』は何もかも憂鬱だった大学四年の僕に寄り添った。
初期は人の心の内なる救いを描くような小説が多かったように思う。
救い。
そこから宗教小説へと奔ったのだろうか。
最新刊もどうやら宗教やら紛争やらの話らしいし。
でも僕は、宗教に求める大規模な救いの小説より、個人が個人のうちに求める小規模な救いの小説の方が好き。
初期作品はそんなに長くない作品が多いし、
『土の中の子供』『銃』あたり読んでみようかなぁ・・・。
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