小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

穂村弘『絶叫委員会』-数えきれないほどの永遠を乗り越えてきた。-

 

 

 

ほむほむの数あるエッセイの中では屈指のベストセラーっすよね。

だからといって僕のベストではない。油断するな。

 

 

 

穂村弘『絶叫委員会』(筑摩書房 2013年)の話をさせて下さい。

 

 

 

 

 

【概要】

町には、偶然生まれては消えてゆく無数の詩が溢れている。

突然目に入ってきた「インフルエンザ防御スーツ」という巨大な看板、

電車の中で耳にした「夏にフィーバーは暑いよね」というカップルの会話。

ぼんやりしているとみのがされてしまう言葉たち・・・。

不合理で案んセンスで真剣だからこそ可笑しい、天使的な言葉に痺れます。

解説:南伸坊

 

裏表紙より

 

【読むべき人】

・本を読む人

・国語が好きな学生

・国語の先生

 

 

 

 

【感想】

天使的な言葉に痺れます。という言葉に、不意に僕は今痺れた。

天使的な言葉。僕から出てこないフレーズで、天使・・・的、ってなんだろうってああ純粋な感じ方を文字にした言葉という事かと納得しかけた一瞬、不意を衝く「痺れます」、え、痺れるって。天使なのに攻撃してくるのか。痺れるのは、ふつう悪魔的言葉なんじゃないのか。

という何気ない言葉にビビッと感じた瞬間をもっと高い文章力で的確位に書いたエッセイ集が本書である。ぶっちゃけ絶叫感はあんまない。「本当は違うんだ日記」の方がまぁぶっちゃけまだ絶叫感はある。

 

本書は、昔ブックオフの100円コーナーで見かけてから、ああもう絶対、絶対にこの本は108円(当時)で入手するぞと強く誓った。何年前くらいだったかは覚えていない。意外と新しい本だから、大学卒業後だとは思うんだけど、何年前の何処のブックオフだったか。

しかしそれ以降、本書をそのコーナーで見かけることは滅多になかった。どのブックオフも100円コーナーのちくま文庫は90%をいしわたり淳治「うれしい悲鳴をあげてくれ」で占められており、残りの10%はなんかよく分かんない数世代前の老人向けの、ていうかもう本自体が老人、みたいな書籍で占められているのだった。

だから、名古屋に行った際、近くのブックオフで本書を100円コーナーで見つけた時僕は、雄たけびを上げそうになった。勝った。勝ったぞ。勝ったんだよ!!!僕はこの長年のブックオフと僕自身との長い長い戦いに買ったのである!!!踊り狂ってその場で買った。

 

けどまぁ、実際開いて読んで思ったのは・・・悪くないけど良くもない。これに尽きる。恐らく本書がほむほむとの初対面であったら、圧倒的名著確定だったと思うんだけれども、もう僕は幾度かほむほむと出会っているのである。

要するに、読むのが・・・・遅かった・・・!!

でもまぁつまらないことは決してない。

し、ほむほむと一番初めに会ったのが本書ではなく世界音痴だったからこそ、僕の中で「世界音痴」は永遠に輝く名著になり、兼こうやって幾度かのほむほむを読んで本書を読むに至ったのも、それこそ最初が「世界音痴」だったから。なかった出会いを悔やむのではなく、過去の出会いに感謝しよう。謝謝。

 

 

 

「パニック発言」pp.26-28

取り上げられた言葉:

「バーベキュー、バーベキューって何回やっても駄目なんです!」p.26

「皆憎」p.29

「バーベキュー」、と、「やる」、の間に来る適切な助詞は「を」である。バーベキューをやる。BBQをやる。「って」という言葉はまず入らない。イレギュラーな文字の並びが彼女のパニックをありありと伝えるといった旨の文章である。

確かに。そうかも。

のんきに思う。

世間に蔓延る「を」がなんか別の一文字になったらどうなるんだろ。

目玉焼き「に」焼く。、だとなんだか視点は焼かれる卵の方に行って、変な被害者意識が生じる、気がする。

犬「は」散歩させる。だと、まるで散歩させない存在があるようで、途端に不穏な匂いになる。散歩させない存在ってなんだろ。年取った義母とか?

後半の「皆憎」は自殺未遂をしたシンガーソングライターが壁に描いた言葉とのことである。名前は伏せられている。ので、節操なく即座に検索したら戸川純さんのことと分かって、そういえば名前は聞くけど聞いたことないなって思って、初めて聞いて衝撃を受けた。要するに今溢れるほど存在しているメンヘラソングを歌うアイドルの先駆け的存在という事でしょう?しかも歌詞や歌い方はすべてストレートでどちゃくそ刺さってきて、鮮度。鮮度100%で20年30年時を越えてインターネットで僕の耳に響いてきました、衝撃。

 

 

「パニック発言その2」pp.30-33

取り上げられた言葉:

「Nが生き返るなら、俺、指を4本切ってもいいよ」p.30

「両手、合わせてだよ。それ以上はギターが弾けなくなるからさ」p.31

Nというのは飛び降り自殺をした女友達のことで、その葬式で言ったある男の言葉である。

ああ、そうか、と私は思う。こいつはプロのミュージシャンだったっけ。(中略)

ギターを弾ける範囲で、という限定はケチってのことではないだろう。それによって逆に自分自身の本機を確認するような意味合いが強かったのではないか。p.32

両手合わせて10本ではなく、4本であるところに穂村先生は衝撃をうけて深く考え込んでいるが、僕はその切断された4本の指について考えてしまう。

切ったら、どうするんだろう。

切られた指は、どうなるんだろう。

Nがそれを食べて生き返る、ってわけでもなさそうだし、何の役にも立たない気がする。誰が4本の指を貰って、誰がNを生き返らせるんだろう。その者は4本の指をどうするつもりなんだろう。食べる?一方提供者の男はミュージシャンとしてやっていけなくなったので収入が減る。不定期雇用で細々と暮らす男の一生を見ながら、それを肴に赤ワインでも飲むのだろうか。

いや、そもそもそんな存在なんてなくて、でもなんで僕等は無意識に自己犠牲を選んでいるんだ?自己犠牲をすることで何かが叶うと考えてしまうんだ?

この話を読んだ時、四本の指が永遠に僕の脳内彷徨って、困った。

 

 

これは5本です。とても美味しいです。

 

「恋人たちの言葉」pp.38-41

とりあげられた言葉:

彼「ウニって本当は宇宙人だったらこわいね」

彼女「わざわざ遠くあら来てるのにお寿司にされてかわいそう」p.39

「先生、地球がホットです」p.40

「おんなじ戌年でよかったね」p.41

ウニって宇宙人だったら怖いね、の会話は僕は体験したことないし、今後も体験することはない気がする。28歳の喪女である。こういう会話って20代前半の男女が回転寿司でやるものではないのか。回転寿司に行くことはあっても、ウニひとつにこんなキラキラ夢を持ち込む余地がある年齢は、とうにすぎてしまった気がする。28歳だったら何だろう。あれかな。キャベツを死に物狂いでとりあっているウニの動画の話とか。

地球がホット、というのは男の子が女の子に言った言葉をほむほむが童貞ヨロシク盗み聞きした話だが、たしかにこれはぐっとくるなと思った。ホット、なんて藤井隆以降あんま耳にして聞かないし。

最後のは12歳差のアベックの話である。寝ぼけた彼女の言葉らしい。文中では書かれていないが絶対、事後の話なんだろうなって思う。犬のように貪り合っていたのかもしれない。僕は酉年なんでわかりませんが・・・。

 

 

「恋人たちの言葉・その2」pp.42-45

とりあげられた言葉:

「彼女が泣くと永遠を感じます」p.42

「今までの平和だった7年間にありがとうって云いたい」p.43

「彼が求めてるのはメーテルなんです。でも、あたしはメーテルじゃない。あたしだってメーテルがほしい」p.44

僕はことあるごとに泣く、泣き虫だった、というか今も良く一人で泣いている。泣いている夜は永遠に続くように思われる、のは本人も同じだ。僕は幾度もの永遠の夜乗り越えてきた。その翌朝は、抱きしめたい気持ちと後悔の気持ちでぐしゃぐしゃで、でもだいたいその夜、要するに翌夜はぐっすり寝ている。

7年間云々、というのは浮気が発覚した時の彼女の言葉らしい。「ありがとう」は何事をも無慈悲に区切る言葉。

メーテルがほしい、って僕は思ったことが無いな。だって部屋にいたら怖くない?たまったもんじゃなくない?でも確かに、母性をたたえた存在・・・父性をたたえた存在、甘えられる存在は欲しい。時々僕はおかーさんになってあげるから、時々僕のおとーさんになってくれる人がいい。そんな2人にメーテルが入る余地なんてない。

 

 

「天使の呟き・その2」pp.50-53

とりあげられた言葉:

「いいもの買ったね」p.51

「それがあればお部屋が暖かくなるわ」p.51

「知らない人よ、あなたの知らない人」p.52

「ここに糞をさせたら」p.52 等

僕も一日に一回誰かの知らない人になって、全部全部褒め散らかしたい。にこにこにこにこしながら。それで寝る前に、ふふっ、あの人びっくりしてたなぁ。今頃暖かい部屋で寝てるんだろうなぁとか考えながらすやすや眠りたいのである。宗教とかよりよっぽど心の安寧に効きそう。

糞云々の言葉は、道端での民家の看板に書かれたものである。散歩させている犬の飼い主・奴隷の飼い主に向けた言葉である。何も書かないことで、受取手の一番怖いと思うものを喚起させるしくみは上手いなと思った。

「殺します」「呪います」「丸焼きにします」「いやがらせします」「殴ります」「怨みます」「ファラリスの雄牛にぶちこみます」「私があなたの家までついていって糞をします」

 

 

「あるけどないもの」pp.70-73

とりあげられた言葉:

「ウメボシノタネのケガ・・・・・・」p.70

「ひも状のものが割けたりするでせうバナナのアレも食べてゐる祖母 廣西昌也」p.72

ウメボシの種の毛、バナナのヒモのあれ、など名前がないことで見過ごしされがちな存在について語られている。

確かに、僕はバナナのあの黒い部分をシュガースポットと聞かなければ意識してこなかったし、ペンをくねくねさせる現象を「ラバーペンシルイリュージョン」と知らなければ意識することもなかったし、ゴリラの学名は「ゴリラゴリラゴリラ」と知らなければゴリラはゴリラのままだった。

トリビアの泉仕入れた知識であるあれを死ぬ物狂いで見ていたからこそ、未だに世界の解析度が妙にクリアであったり歪んでいたりする、気がする。

でもSNSが発達してから、そこはいいよ!!ってところまで妙に解析度上げる言葉が増えた気がする。親ガチャ、とか。自己肯定感、とか。嘘松、とか。

視界を毒する言葉は、いらないな。

サングラスかけて、シャットアウト。

 

 

「「ありがとう」たち」pp.74-77

とりあげられている言葉:

「いつもきれいにご利用いただきありがとうございます」p.74

「この列車が遅れていることに関しては、お客様よりあたたかいお言葉をいただいており、まことにありがとうございます」p.75 等

こうやってあらかじめ感謝をすることで抑止力が高まると聞いたことがある。最近ではむしろこちらの方がスタンダードになって来た。確かに、「便器を汚すな!!」「列車が遅れていることに関するクレームは受けてつけておりません」より棘がなくて耳障りも良い。

何かを捨ててしまった言葉に思えるのだ。p.77

だから穂村先生がそのように書かれた時にハッとした。

確かに、ありがとうの安売り、というエアありがとう、というか重みがない、というか。

じゃあどうすればいいんだろう。

多分、このエアありがとうの繰り返しで、便器が汚れることがなく、列車の遅延に対して文句を言う客がなくなる、ことが理想なんだろうが、そんな日は果たして来るのだろうか。

「ありがとうございます」「ありがとうございます」「ありがとうござ」

そんな日を夢見て僕達も今日は空虚たる「ありがとう」を何度も何度も口にする。

 

 

「電車内の会話」pp.90-93

とりあげられている言葉:

「俺さ、Tシャツないんだよ」

「俺あるよ」

「嘘まじ?」

「うん」

「Tシャツだよ」

「うん、Tシャツ」

「あるの?Tシャツ」

「めちゃめちゃあるよ」

「1個くれよ」

「うん、やだ」

「2軍でいいからさ」 p.92 

会話の全体がたわいなさと意外性の淡い光に包まれているように感じられる。光の源にあるものは「不定形で無限の未来」ではないだろうか。それが彼らの「今、ここ」の言葉を照らしているのだ。p.83

そしてこれらの言葉の掛け合いは、社会人になると少なくなると続いている。

だから、会話型のギャグ漫画って昔も今も人気なんじゃないかなぁって思う。みなみけ」とか「あそびあそばせ」とか。きらら漫画だってそうか。

僕達は利益云々仕事できる・ない云々そういうところがぐっと離れた、脳みそ傾けても出来るような会話に飢えているのかもしれない。し、そういう会話が出来る人と結婚したいなぁ。

 

 

 

 

「おんなのちんこ」pp.110-112

取り上げられている言葉:

♪ゲ、ゲ、ゲゲゲのゲ、おんなのちんこに毛が生えたp.112

小学生がなぜ「ちんこ」「うんこ」にあんなに興奮するのかと言った旨を冷静に書いている文章であるが、僕は未だに28歳でも普通に「ちんすこう」「高慢」「運」でぴくっとするので、もうダメです。

でも本当はみんなピクッとしてるんじゃないかなぁ。隠し続けて、早数十年になったから「1万個」「運航」「あーなるほど」とかいう言葉にすん、と出来るんじゃないか。心の奥の奥の奥の核、ではげらげら笑っているんじゃないか。というかどうかそうであってくれ。

でもさすがにこの替え歌は下品すぎると思います。センスもねぇし。

 

 

「理不尽の彼方」pp.114-117

とりあげられた言葉:

「今がお前の人生最良のときだ」p.115

新OSの開発で、家に帰れず精神のバランス崩壊・家庭崩壊になった部下にチームのリーダーがかけた言葉らしい。僕は本書の中でこの言葉が一番印象に残っている。

苦しければ苦しい時ほど、この言葉は妖しい輝きを放つ。

 

 

 

 

「逆効果的」pp.118-121

とりあげられた言葉:

「テレビで紹介されました!」p.118

「ユミさんって、根はやさしんですね」p.120

「これ飲むと、青虫みたいになれるよ」p.121 

確かに、紹介ひとつひとつで騒いでいるとその程度の店なんだな、ってことになってしまう。納得。静岡県内ローカルネタだが、「くさデカ」一つでそんなにテンションブチ上がってるんじゃないぞ、平富のサインとかどうでもいいぞ、と思う。

確かに、「根は」の2文字はいらないし、逆効果かもしれない。納得。でもダイレクトに「やさしいんですね」だけだとどうも照れくさい。なんかドラマの台詞みたいじゃない?

でも最後、ここが青虫、ではなくて例えば「橋本環奈みたいになれるよ」「アイドルみたいになれるよ」「綺麗になれるよ」とかでも父親から娘へは、届かないような気もする。逆効果もクソもない。

 

 

「第一声」pp.126-129

とりあげられた言葉:

「こんばんは、やどかりなんですけど」p.127

自分の頭を占めていることを、何も考えずにそのまま口に出した感じだ。どうしてそんなに大胆になれるのか。世界と他者に対する怖れのなさが羨ましい。だが、そういうひとは決して珍しくはない。p.128

あー。間違いなく僕はこれ、やどかり名乗っちゃうタイプの人間である。

証拠に今日口にした言葉がこれである。

僕「どうでもいい話なんですけどね、今日ね、朝はいたスニーカーに穴あいちゃってて、あわてて長靴はいてめっちゃ足元暑いんですよ~」

出勤ときいつものスニーカーに足を通したら、靴下の模様が丸見えになるぐらい、ばかっと穴が開いていた。びっくりした。衝撃だった。どうしようと思った。慌ててローファー型の長靴に履き替えたという次第である。しかも今日に限って暑くて蒸れて気分は最悪だったのである。

それを職場の女子大学生の子に熱弁してしまった。2-3回しか会ったことないのに。

でもここで言っておかないと、僕は永遠に「靴をはき間違えたままである」という失敗を胸に抱えたまま一日過ごす羽目になるのである。だったら誰かの「へぇ」やら「(笑)」でもいいから、反応に昇華して成仏させたいこの気持ち。

やどかりの人は、子供が捕まえてきたやどかりに貝がほしいとのことで寿司屋をまわっていて、寿司屋のドア開けてはなった一言が「やどかりなんですけど」とのことである。分かる。もう結論から言ってしまいたいよね。「あの、すみません・・・今お時間良いですか?子供が昨日ヤドカリを捕まえてきまして、その住みかとなる貝を探しているんですけど・・・」ってそれこそまどろっこしくないか?

「私さ、やどかり用の貝ないんだよ」

「俺あるよ」

「嘘まじ?」

「うん」

「貝だよ、巻貝」

「うん、巻貝」

「あるの?巻貝」

「めちゃめちゃあるよ」

「1個くれよ」

「うん、やだ」

「2軍でいいからさ」 

これくらいの気楽さでもうすませたいのである。其の挙句の初めの一言が、それだったのではないか?と思う。

でも実際その女性と寿司屋は初対面だったぽいし初対面じゃあ2軍の巻貝は通用しない。人間社会、難しい。

 

 

「世界が歪むとき」pp.138-151

人間には世界そのものを生きるってことは不可能で、ひとりひとりの世界像を生きているに過ぎないってことを改めて感じる。世界が歪むと言いつつ、実際に歪むのは世界像であって、世界そのものは微動だにしていないのだ。

もしそうなら、世界を動かす言葉など存在しないことになる。あるのは世界像を動かす言葉だけ。p.140

世界を捉えるに、適している手段が言葉である。例えば「あまいバナナ」。あまい、という言葉だけしか知らなければそれだけで終わる、けれども「蜜のように甘いバナナ」「バナナジュースのより甘いバナナ」「完熟したバナナ」「硬いけれど一口一口に確かに甘みが伝わるバナナ」、言葉が増えることで解析度が上がる、気がする。

だから人は本を読むのではないか。

一つでも多くの世界の捉え方を、感じ方を学ぶために。自分の世界を、解析度高くするために。

歪めるために。

 

 

「OS」pp.146-150

とりあげられた言葉:

「日本人じゃないわ。だってキッスしてたのよ」p.146

キッス、という言葉をキス、にするだけでは駄目だ。その言葉を使うOS自体を新しくしなくてはならないという話である。

ところがどっこい令和現在ではう一周廻ってキッスが新しいまである。まだ「キス」してるの?古いよおじさん。

僕のOSは時代についていけてるだろうか、28yearsoldver.になっているだろうか、時々不安で心配になるけどでもまぁ、なんかもういっかなって気がしてきた。

みんながみんな、世界に一つしかないOS持っている。

更新多少遅れてても、それはもう世界に一つしかない訳だから、大切にしよーぜ。寿命まっとーさせちゃおーぜ。

 

 

「サービストーク」pp.163-167

とりあげられた言葉:

「万一ご満足いただけない場合は全額返金致します」p.166

恫喝に思えるという穂村先生の感想を読み、確かに、と思う。なんか丁寧な言葉なのにどことなく893の匂いがする。

でもなんで恫喝するに至ったのか。

多分それはその商品が売れないからじゃないのか。

「安くていいものですよ!!」「今ならお買い得ですよ!!」「芸能人も使ってますよ!!」「コールセンターのオペレーターこれから20分限定で増やしますよ!!」じゃあ、みんなに聴こえないから、「万一ご満足いただけない場合は全額返金致します!!!!!!」決定的最終進化的絶叫をするしかないんじゃないか?

ショッピングチャンネルの運営会社こそ「絶叫委員会」、なのかもしれない。

 

 

「天使的な言葉に痺れます。」

 

以上である。

言葉に対する違和感を拾う、というコンセプトで、ひとつひとつが短めで読み易い。し、どの文章にもきらりと光る穂村先生の感性が光っている。

ぶっちゃけ「世界音痴」は、社会不適合者()だとかネガティブな人だとか、ちょっと一部の人にしか自信をもって勧められない。

が、本書は万人に勧められる。

文系の大学生なんかに読んでほしい。

穂村初心者にはうってつけの一冊である。

 

 

***

 

LINKS:

ほむほむの他の随筆集の感想。コンプしたいわね。

 

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職場行くときに使ってたスニーカー。
お分かりだろうか・・・。穴が開いております。
偏平足なのでコンバースはここからやられる。
写ってないですが、手前側の方も小さい穴があいてます。