(違うんです!!違うんです!!!)
穂村弘『本当はちがうんだ日記』(集英社 2008年)の話をさせて下さい。
【概要】
自意識が強すぎて身のこなしがぎくしゃうしている。初対面の人に「オーラが無い」と言われてしまう。エスプレッソが苦くて飲めない。主食は菓子パン。そんな冴えない自分の「素敵レベル」を挙げたいと切望し続けて、はや数十年。みんなが楽々とクリアしている現実を、自分だけが乗り越えられないのは何故なのか?世界への違和感を異様な笑いを交えて描く、めくるめく穂村ワールド 裏表紙より
【読むべき人】
・自意識こじらせている人
・自意識こじらせによって苦しんでいる人
・エスプレッソが、飲めない人
【感想】
いっぱいちゅきなエッセイスト、永遠に心は童貞・穂村弘先生のエッセイである。集英社刊は初めてかもしれない。
黒い表紙からも「本当はちがうんだ」というタイトルからもわかるように、持て余した自意識によって自分自身が苦しんだ経験が綴られている。
そのため穂村先生の作品にしては暗め。
でも面白さは健在、共感度具合は無限大。
以下簡単に、特に印象に残ったエピソードを挙げていく。
Ⅰ
「優先順位」pp.34-39:目当ての腕時計たちを巡って一喜一憂しているとき、あたまのなかで、こんなことをしている場合ではない、という声がする。お前は、今、締切を一週間以上過ぎた原稿を四本抱えていて、二日寝ておらず、五日お風呂に入っていない。p.36
2000年代初頭の穂村さんがやることがたまっているのに電話回線でついついオークションサイトに接続してしまう旨が書かれた記事である。
とても分かる。
2022年現在の僕も毎日どっぷりオークションサイトを見ている。
オークションサイトは楽しい。ドールが趣味なので、「アゾン」「リカちゃん」「ジェニーフレンド」「プーリップ」辺りは毎晩検索する。いいな、と思う子がいると入札する。入札すると、買っていないしまたお金も出していないのに「買った」ことになり、果たしてそれを本当自分が落札・・・買うことが出来るできるのか。そもそも一体どれくらいの値段までつり上がるのか・・・あんまりつり上がらないといいけど・・・ああ!!!昨日は3000円だったのに今日は20000円越えてる!!どうして!?一体どこの富豪が!?
特にカスタムブライス、を毎日オークションサイトで見るのが趣味である。ここは基本入札はしない。ただし人気作家や、「お、これは」と思う可愛い娘は★をつけて「ウォッチリスト」に登録する。そして落札後、どうだったかなぁ・・・とその人形を見て、破格の値段にあらまぁ!!とびっくりするのがたまんない。あのサイズの人形に、30万40万、調子いいと50万以上の値段が付くのが信じられない。
いったいどこでどれ程のお金持ちが買ったのか。彼等・彼女達は一体どれほどの財を持ち、どれほどの金額をブライスにつぎ込んできたのか。同時に、今の僕にこれだけの金額あったら何が出来るか。しょっぱい中古自動車なら余裕だろうし欲しい本があってもためらいなく買えるだろう。2つしかないブラジャーも10個くらいまで増やせるだろう。ヨーロッパの古着だって何枚抱えるだろうし、美容院にだって半年ぶりに逝けるだろう。すごいなぁ、それをぽんとこの30㎝足らず人形に出せる人間がこの世にいるのだ。すごいなぁ。
脳汁どばぁ・・・とでる。
でも本当はこんなことをしている場合ではない。家に帰って来たのからさっそく更新するブログの記事を編集しなくてはならないし、積読も物凄い量溜まっている。洗濯物だって回さないと服・ブラジャー共にローテしないし洗いものだって以下略。
それでも僕は毎晩、オークションサイトを覗いてしまうのである。洗濯物を干し終えた時よりも、皿を洗い終えた時よりも、風呂に入ってもうあとは布団ダイブだけ!!と言う時よりも、カスタムブライスに50万の値段ついてた時の方がふあああ!!!と興奮する。
帰宅直後の優先順位というのは全く機能してない。冬ももう終わる。2日間場合に寄っちゃ3日同じブラジャーをつけているのも厳しくなるだろう。どうにかしたい。
「世界の二重利用」pp.40-43:私は毎朝、青竹を踏みながら歯を磨いている。p.40
~しながら~するの言及から始まり、挙句の果てには新幹線の女性車掌さんって最高だよねというところに着地するとんでもないエピソードである。発送的には一番天才の項目だと思う。
東大王が長年人気であり続けたり、芸能人の高学歴がありがたがられたりするのは結局この「二重利用」をつきつめた結果なのではないかと思う。頭いいのに美形。美形なのに頭がいい。頭いいのに面白い。明治大卒のジャニーズとか。面白いのに頭がいい。ロザンとか。彼等は存在するだけで世界の節約になるのである。そりゃありがたがられるわけである。
あと女性の社会進出とか。家事もするのに仕事もするとか完璧である。節約しまくっている。スキマ家具どころじゃない。新しくそこにスペースをこじ開けてそこに家具をきちんと置く、ような感覚。
ぼかぁ残念ながら大学も微妙なラインだし、絶賛フリーター中である。世界を一重利用しかできていないし、何なら幅を利かせまくっている。物量的体積・体重どころか、社会における概念的体積・体重も年々増え続けていく一方である。誰か助けて。
「リセットマン」pp.48-51:私は今年四十一歳になるのだが、結婚したことが無く、子供を持ったことがなく、家を買ったことが無い。その理由はこわいからである。何故こわいのか、それらはいずれも「なかった」ことにするのが困難な項目だからだ。p.50
正社員労働に対してすら、僕は「お、いよいよ戻れないな」と思ってしまう。「なかった」ことにできない。履歴書に一生書く。特に新卒の時とかそうだった。就職した会社に一生貢ぐつもりだった。
ところがどっこい、まぁ案外そうでもない。
いつでも僕達は戻れるのである。
僕達はいつでも仕事を変えることが出来るし、結婚できるし、子供も授かれる(または授かろうと努める)ことができるし、家も買える。同時に僕達はいつでも仕事辞めることが出来るし、離婚も出来るし、親権も手放せるし、家も売れる。
けれども、その後にとてつもない後悔をしたらどうしよう・・・。もし転職した先がさらなるブラック企業だったら?相手が本当は嫌な人間だったら?子供が犯罪者になってしまったら?移り住んだ先が最悪で前の家が恋しくなったら?
あー・・・。
失敗したー・・・。
には、なりたくない。
結局はリセットできないことが怖いのではなくて、リセットできないことに対して後悔するのが怖いのではないか、と思う。
正社員労働した結果、ぶらくっ企業で鬱病悪化させて親の体調がおかしくなってあーどうしよう・・全てがどん詰まりだ。労働は辛いし親は老いるしもうだめだ。もうだめ。あー・・・失敗した。こんなんだったら社員になんかにならなきゃよかった。
僕は結局それが怖くて、正社員労働が出来ないのである。
「みえないスタンプ」pp.56-59:特定の目的や願いのために日常のなかでいろいろ試したりこつこつ頑張っても、ふわふわしてちっとも手ごたえがなかったくせに、あるときそれが、自分にはみえない角度から不意に実現した達成されることがある。pp.56-57
人間関係における好きか嫌いか、をスタンプカードに例えた項目である。ある瞬間で決定的にこの人ダメだ、と思うことがある。原因はその瞬間だけ、にあるのではなく、じつはこつこつとスタンプはたまってきていて最後のその一瞬に、最後の1つが押されてカードが満杯になったにすぎないのではないか。
分かる。
僕も見えないスタンプカードを最近フルにしてしまった経験がある。
例えば、
ちょっと酔っぱらっただけなのに。
ちょっと病んだだけなのに。
ちょっと亡くなった芸能人の子と言及しただけなのに。
景品としてTwitterで知り合った人から「ブロックされる」職場で一緒に焼き肉行くほど仲良くなった15歳上の人から「無視される」大学時代唯一仲良くなったクラスメイトで静岡帰ったあとも1回品川で会った友達から「絶交宣言される」の商品をゲットすることが出来た。やったね!!
だがしかしもちろん、僕もこのスタンプカードとやらを持っている。
そして本当不意な時。
例えば僕の踏み入ってほしくないところに不意に入られた時とか、
不意に僕のペースを乱された時とか、
あと一定以上の声量で話されてうるさい時とか。
あ!無理!になり途端にスタンプカードは閉じられ、賞品「ブロックする」「距離をとる」「ミュートする」等の景品をプレゼントしたことがある。
厄介なのは、この自分のスタンプカードが、僕自身にも見えないことである。
「あ、この人のスタンプもう結構溜まってんな」と、自分のカードのポイント具合が分かっていれば打つ手はあるのにだいたいの場合が分かんないことが多い。それが困る。
他人のカードは見えずとも、せめて自分のスタンプカードくらいは見えるようになりたいなぁと思う。
「キムタク着用」pp.82-84:
・キムタクはかっこいい
・私もかっこよくなりたい
・キムタクは●▲■を着ていた
・だから私も●▲■を着るp.83
2005年に刊行された本なので、一切触れられていないのだけれども、所謂今でいうインフルエンサーというのが、この「キムタク」的立場だけで食える人達のことをいうのではないか。
インフルエンサー、なりてぇなぁ。
「悪魔の願い」pp.86-89:今は昔より落ち着いているけど、でも、例えば、同じジャンルで自分より才能のある恋人と付き合うとかしたら、凄く不安定になるだろうな。p.87
終盤与謝野晶子の夫について触れられている。彼も詩人だったが、素直に晶子の才能を認め、称賛する文章が引用されている。
なるほど・・・なるほどなぁ、と思う。
なるほど。
思えば、同業者で名の知れた者同士の夫婦というのはよく聞くが、どちらも精力的に現在も活動し続けている、というのはなかなか聞かないかもしれない。
「十二国記」「ハンターハンター」「フリッカー式」「月光ハルジオン」等の続きがなかなか世に出なかったりするのも、そーいうことなんじゃないかなぁ。俳優同士の夫婦でも、両方出演し続けているペアって少ないし・・・。
「タクシー乗り場にて」pp.90-93:自分の中の立派さや素晴らしさの基準に照らして自分自身がダメなとき、それは大きな重圧になる。そして、私は私の考える立派さからあまりにも遠く、格好悪いのだ。p.92
20代後半僕は一時期これにとてつもなく悩まされていた。28歳。地方在住。フリーター。おいおい同級生先輩後輩は立派井に公務員なっていたり結婚して家庭を持っていた莉もしくは過程に入っていたり会社員やって全国転勤したり自分の夢を見出したりしているのにおいおい自分はこれでいいのか。常に自分を責めていた。結局鬱とかってここから来るんだと思う。
でもいいのだ。と最近は思う。
程程に働いて程程に生きて、且つこのブログはじめ文章が多くの人に読まれること。
それだけでなんかいいかな、と思うし、あとまぁまだ記せないがそう思えたら僕にも僕なりの夢が出来た。
自分に求める素晴らしさの基準というのは、どうやら僕達は高く設定しがちだけれども、それを高く設定することに何の意味があるのか。高く設定したら立派になれる、努力できる、達成できる、ならまだしも、そこだけ高くしても意味ないんじゃないのか、と最近は思う次第である。
ちゃんと自分の地の足をみつつ、でも諦めず、一歩一歩進む所存である。
「明日へのうさぎ跳び」pp.98-102:
あるがままの素朴な世界なんてどこにも存在しないのだ。
受け身でおろおろしていたら、世界の波に溺れるばかりだ。
攻撃は最大の防御なり。
おろおろと世界についていくのではなく、追い越す勢いでいくべし。p.100
2022年現在はもうみんながみんな追い越す勢いでうさぎ跳びするあまり、秩序もクソもなくなってしまった感がある。インターネットが普及どころか有り余るようになり、己から発信・・・攻撃することが安易になったからだと思われる。
この無秩序をどうやってまとめていくのか。
そりゃ社会主義での独裁者の権限がますます強くなるのもわかる気がするが、億を越える国民一人一人が武器を持っているのだからもうその手段は通用しない。気がする。
もういっそのことコロナワクチンに、人間の脳味噌のある部分を鎮静化させるような成分を含ませるくらいしかないのではないか(危険思想)
「焼き鳥との戦い」pp.102-104:(そうなの、これ、硬いの、ばらばらに、なんないの。でも、俺、みんなのために頑張ってんだ)p.105
誰もが持つ見えない「スタンプカード」のスタンプは、ふとした瞬間一気に5つ10つ押されちゃうから油断できない。にしても、ここに出てくるY君はこの一瞬で、穂村先生のスタンプカードの景品としてアンティークのカップとソーサーをゲットしたのである。羨ましい。僕も穂村先生とご一緒して焼き鳥持参してすぐさまその場でぼろぼろ外してその無理して飲んでるエスプレッソに角砂糖ミルクドバドバ入れてアンティークのカップソーサーどころかティーポット・テーブルクロスあとアフタヌーンティーやる時のあのドーム型のあれ、をゲットしたい。そしてどれだけほむほむのエッセイに感動してきたかとうとうと語って聞かせるのである。「世界音痴を初めて読んだ時は本当に感動しました。ああ、なんか生きづらい、辛い、理解のある彼君・理解のある世界プリーズ!まではいかないけど、あれ?あれれ?という感覚をあれほどまでに的確に表した四字熟語はございません。それにあのエッセイ集には短歌も貼っていて、そのカラフルで自由派穂村先生の世界観に誠に感動致しました。特に聖書に色々マーカーひくやつ、あれはすっごいすっごいすっごい好きで、次に好きなのは、眠るアベックのまわりでバスの降車ボタンが転倒する奴でその次は」
三十一字くらい覚えろよ。
「クリスマス・ラテ」pp.106-111:
あ、もう今が将来なんじゃん。
俺、四十一歳だし。p.106
あ、もう今が生来なんじゃん。
僕、二十八歳だし。
結局、なんだろうな。
何にも、なれなかったな。
まだ可能性はあるといったって、今から何かになる体力も気力もない。
あー、でもやりたいことはある。
例えばミラノ風ドリア2個食べる、とか。あえてファミリーでにぎわう回転ずしに一人で行って流れゆく寿司を見ながら憂鬱に浸る、とか。
「友達への道」pp.112-114:自分が愛されようという気持ちでぱんぱんになっていて、相手の言動には以上に敏感。しかし、こちらから誰かに働きかけるということができないのだ。p.114
僕が穂村弘先生を「精神的童貞」「心の童貞」と敬意を込めて呼ぶ理由はこの2行に総て詰まっている気がする。
僕も無論愛されようという気持ちでぱんぱんである。働きかけることがうまくできない。特に異性間となると。
このままだと30超えて魔法少女一直線である。僕は心身まとめて童貞である。ある意味本る亜先生の一歩上をいっている。魔法少女になった暁には、まどか☆マギカのコスプレをして静岡市内練り歩きしようかしら。
私は十年間通ったスポーツジムでとうとうひとりも友達を作れなかった。p.114
え!?ほむほむ、ジム行ってたの!?2005年に!?あれだけ童貞丸出しエッセイいくつもいくつも書いておきながら!?
うわー・・・。なんか・・・ショック。ジム友がいないことが唯一の救いか。
「夜の散歩者」pp.119-121:だが、何が起こるかわからない屋台は危険すぎる。連れの女性が他の客と仲良く話をし始めたらどうだろう。緊張と嫉妬で、私は能面のように無表情になってしまいそうだ。皆で楽しく話せばいい。その通り。だが、私にはそれが出来ないのだ。pp.120-121
この人なんで本当に童貞が心だけですんでいるんだろう・・・。
後年この人なんで本当に結婚も出来たんだろう・・・。
でも夜の散歩が限りなく自由と言うのは分かる。僕は何も求められていないし、僕が僕自身でいるだけでそれがとても自由。だから僕は夜が好き。とってもとっても夜が好き。
Ⅱ
「オリーブ」pp.128-130:世界への夢。明日への憧れ。「ジュニアそれいゆ」から「オリーブ」まで亜替わることなく持ち続けた私たちの思いが、二十一世紀に入った今、破綻しかかっているのは何故なのか。p,130
今や「地雷系」ファッションなんて言うのが流行りりだす始末だし。
おかしい。
インターネットは普及して満ち満ちて供給過多になっている。Twitterやインスタグラムにはキラキラした情報が毎日のように流れているのにどうして僕達はこんなに悲観的になってしまったのか。
心療内科の錠剤の一粒一粒を見て思います。
こんなにキラキラが溢れているのにどうして僕達はこんなにこんなに。
「カップルお断り」pp.135-137:少し前の古本屋さんには、一目みた瞬間に、おって、頑固おやじですね?と云いたくなるようなタイプが多かった。p.136
2022年令和四年現在、今やそっちの方が圧倒的に少数派になった。古本屋、というのは店主の個性が前面に押し出される本屋、になっていることが多すい。明るいおっさんだったり、物静かな女性司書であったり、無口で我客関せずされと客我関せずと言ったような無口なおじさんだったり、オカルト趣味傾倒者、音楽趣味傾倒者等々。
そういう個性の一つに、「頑固おやじ」は落着いた印象である。
静岡市内だとあべの古書店さんとか、かなぁ。おじいちゃんなんだけど、お洒落でBASEで通販もするハイセンス。でもTwitterだとなんか常に毒づいていて、人間臭くてめちゃくちゃ面白い、と思う。まぁ「カップルお断り」という張り紙はさすがにありませんでしたが・・・僕が代わりに貼ろうかな。
「ファンレター」pp.138-140:また精神科医健物書きのK先生の所には、さすがに(?)怪しい手紙がたくさん届くらしい。「えんぴつがあぶないんですよ」と、先生は嬉しそうに云った。p.139
K先生と言うのは恐らく穂村先生との共著もある春日武彦先生のことだと思われる。精神科医の癖に結構屈折した考えをお持ちのようでとても興味深く、100冊こえた積読のうちの2冊はこの先生の書かれた書籍である。
僕も結構筆圧は、濃い方である。シャープペンこそ慣れたものの、鉛筆のBとかだとバキバキ折る。2Bが最高。それ以上はまだ手を出したことが無い。筆圧が濃すぎて手が汚れて、それを洗うのがめんどくさいのだ。
でも、穂村先生にファンレターを書くときは100000000Bで書こうと思う。
「きれいになる」pp.141-143:お洒落のことしか頭にないコスメマニアの女子高生がきれいでも、なんというか、そこには夢が無いのだ。p.143
「女の子は鏡を見るんでのうて、本を見て、綺麗になるんぞ。」入谷いずみ『海の人形』より抜粋p.142
だから、半年間美容院に行っていなくても、白スニーカーが味を通り越したヴィンテージ具合であっても、ブラジャー2つでぎりぎりで回していて2日目のブラジャー何なら3日目のをつけていても、赦されるんですね。なぜならその分のお金、本に全部まわしてるから。
積読漫画書籍雑誌合わせて100冊はある。読んだけどここに書いてない、のも含めると120冊くらいか・・・。美に磨きがかかりまくって困るぜ。
(違うんだ!違うんだ!!本当は本当はコスメマニアに憧れているんだ!!動画とか見ると20そこそこの女の子がいろんなコスメを色々買っていろいろ研究しててバカみたい、と思いつつも本当はそこまで自分の顔面に探求心を持てることに憧れているんだ!!!)
「読書家ランキング」pp.147-149:またSFとかミステリ化と、ひとつのジャンルに特化した人は、やはり怖いと思う。「SF者」とか「ミステリもの」とか云う言葉があったはずだ。p.148
はて、僕の読書趣味は何だろう考える。小説、詩、漫画、画集、雑誌、写真集・・・随筆。随筆では穂村弘先生の随筆が一番好きだ。このまま読むに読むに任せて「ほむらもの」を名乗ろう、と思う。
(違うんだ!違うんだ!!本当はいろんな本が満遍なく好きでそういう僕自身が僕は好きなんだ!!)
Ⅲ
「この世の大穴」pp.180-183:何一つ知らず、どんな考えも持たず、泣きながら生まれてきた自分の総てが、最後は世界の豊かさという、「この世」の大穴に吸い込まれていく。pp,182-183
随筆を読むようになったのは大学を卒業してからだ。それまでは随筆の面白さなんて全然分からなかった。現実の地続きの文章より、妄想で空飛ぶように活躍する人々の物語の方が面白くないか?なんで現実を生きて居るのに現実を更に摂取しなければいけないんだ。
ねぇ、でもその「随筆」の穴に僕を陥れたのは、「世界音痴」を書いた、ほむほむ。あなたなんだよ・・・?
こうして僕はどんどん随筆を初め苦手な時代小説もミステリ小説もSF小説も読むようになり正社員になる覚悟も出来結婚し子供を産みそしてどんどんどんどん吸収しまるくなり、穴に吸い込まれてく。穴に、吸い込まれてく。多分その先は天国。同じく世界音痴者として少なくとも今のところ僕の先を行っている穂村弘先生に最大の敬意を。
(本当だ!!本当だ!!!これだけは何も違わなかった!!!)
(本当だ!!本当だ!!!これだけは何も違わなかった!!!)
(本当だ!!本当だ!!!本当はこれもあれも何も違わなかった!!!)
以上である。
穂村先生にしては結構メランコリックな随筆集だと思う、世界音痴を、物憂げに語ると恐らくこんな感じ。あれがハ長調だったら、これはイ短調。フラット、シャープが出てきます。
僕達はそれだけ複雑な構成をしている。ドレミファソラシドに進まないんだよな。
ドレミファソラシドにすすんで本当は何もかも違わなかったらよかったのに。
(・・・本当は違うんだ。28年間も生きて居るとどんれみふぁソラシドに進まない僕のことなんてもう分かり切っているし、それでもギリギリナントカ社会に適合しようとしつつその不具合を随筆や小説に見つけて永遠に書きだす。恐らく僕の書く文章は独特で口頭より饒舌。頭ちょっとピーだけど、まぁ童顔で外見はそこまで悪くないです(最近腹が出てて本当痩せなきゃなんですが)。ドレミファソラシドに進まなくっても、帰宅後即ヤフオク開いちゃっても、焼き鳥は棒で食べたい!!とその場で言えなくても、メイク分かんなくてマスクの力を信じてすっぴんで外出ちゃっても、ジャンル絞って本読めなくても、シャープがあってもフラットがあっても、まぁそんな自分が嫌いじゃないです・・・本当は。本当は。)
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LINKS
他に書いたほむほむの本の感想の記事。