小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

穂村弘『もうおうちへかえりましょう』-現実に屈する夢想家に僕もーなりーたーいーなー-

 

(つかれたおうちへかえりたい) 

 

 

もうおうちへ帰ろうよ。

現実は情報量が多すぎる。

僕達は眼鏡をかけているから、見え過ぎちゃうんだ。

だからさあ、しんどい。うん、しんどくなっちゃうんだ。

そういうことなんだと思う。

 

 

 

 

 

 

そういうことにしといてくれないか?

 

 

 

 

穂村弘『もうおうちへかえりましょう』(小学館 2004年)の話をさせて下さい。

 

 

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【概要】

白馬に乗った姫様はまだ?

スギタニが、ふっと顔を挙げて、「お前と付き合うと女の子はブスになるよな」と云った。ぎくっとする。胸がどきどきしてくる。腹は立たない。やっぱり、そうか、と思う。

カバー表より p.20「反美人製造機」より抜粋

 

正義の味方はもういない。金利はまったくゼロに近い。高度経済成長期に育ち、バブル期に青春を過ごした41歳独身歌人は、デフレとスタバとケータイに囲まれて、ぼろぼろの21世紀を生きている。永遠の女性は、きらきらした「今」は、いつ目の前にあらわれるのか?

 

カバー裏より

 

【読むべき人】

・現実に対する感度が高い(と思っており)日々生きるのにぜえぜえしている人

・世界音痴な人

・眼鏡をかけている人

・菓子パンが好きな人

・短歌が好きな人

・現実の純度より己の夢想の純度の方が高い人

 

【感想】

穂村弘、通称ほむほむ(おっさん)の言葉はどうしてこんなに心地が良く刺さるのだろうか。

文章力思考力夢想力童貞力青春欠乏力総てにおいてほむほむ最強だからというのもるんだろうけど、

それは僕もほむほむも「世界音痴」側・・・、要するに「ちょっと人と変わってる」「個性的」側だからのように思うのだ。

 

 

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「あ、ほむほむじゃん」

久々にほむほむのエッセイ単行本の背表紙を見たのは、沼津・片浜の古書店ハニカム堂」においてだった。

僕が読んだほむほむの名エッセイ「世界音痴」の横に、本作が並んでいた。価格は思い出せないが、(レジにて値札をとってくれるタイプの古書店であるため)、300-400円だったと記憶している。安いと思った。ぱっと見た感じ初期エッセイ。「世界音痴」「現実入門」、今まで読んできた2s津のエッセイ本はともに初期でどちらもとても面白かったからこれもきっと面白いだろう、漢字四字じゃないのが気になるけどといった具合に手に取る。

もう一冊並んでいる。同じような単行本であるが、前述した3冊が2000年前後に対して、これが刊行されているのはどうやら2010年を超えていた。会社もNHK出版とある。無縁だ。世界音痴もこれも現実入門も小学館・光文社と「なんか地味な出版社」のイメージだったが、NHK出版はダメだ。怖い。N・H・Kアルファベットが3つも入っていて派手だもの。ああ怖い。私の知らないほむほむがきっとここにはいるのだ。でもこれも300-400円。ひ・・・ひえええ・・・と言いながら手に取る。

 

ほむほむのいいところは、現実に屈する夢想家であるところだ。

ほむほむは童貞さながらのキラキラした夢を見ている。多くの人々が20代前半に棄てたであろう夢や幻を、ほむほむは41歳になってもずっとキラキラ見ている。

私はナンパをしたことがない。ああ、一度でいいから、してみたいなあ、ナンパ、と思いながら、食後の林檎をくるくると剥く。p.59

壁がひび割れて蔦が絡みついているようなぼろぼろのアパートの前で、いつも私は立ち止まってしまう。

窓を見上げて考える。

あの灯りのなかにはいったい何があるんだろう。p.64 p.72

ところが今ではどうだ、ミヤザワリエやハブキリオナのヘアヌード写真集が町の本屋で売られている。撮影はシノヤマキシン。下着だってすべすべだ。p.91

多分普通の41歳独身男性は今更「ナンパしてみたいなぁ」と心の底から思わないと思うし、団地の一つの灯りにそこで繰り広げられるであろう男女のえちえちに思いを馳せる暇もないと思う。ヘアヌード写真集には多少ぼっきぼきするかもしれないが、下着の感触を「すべすべ」とは言わないと思う。篠山紀信をわざわざカタカナで言わないと思う。

だってそんなところまでに頭使ってたら現実を受け止めきれないから。いちいち夢想していたら潰れてしまうから。夢想している時間がもったいないから。それくらい現実は情報量が多くて、重くて、忙しいであろうから。

(だから現実を受け止め過ぎた人間は、眼の老化から始まって、腰を悪くし足を悪くし、身体諸々にボロがでて、ただでさえ現実重いのに身体のボロが出ちゃあ辛いから己の認知を歪めるところから始まり・・・となるのだと思う。長年現実を受け止めた分だけ身体・脳にボロが出るのだ。辛い現実を受け止め続けた結果が老化なのだ。だからお年寄りは敬わなければならないのだ。僕達より過酷な現実を耐え抜いてきたのであるから。)

 

閑話休題

多くの人にとって現実は、重く処理するのに忙しく、団地の灯りや下着の触感まで見て、思いを巡らせていたらきりがない。

でもそうやって、多くの人が見逃す・あるいは意図して見ようとしない部分にあえて夢見るのがほむほむなのである。

その多くの人がこぼした現実を三十一文字にまとめて謳うのがほむほむの短歌なのであり、そうまく文章に落とし込んだのが本書含む数々の名エッセイなのだと思う。

 

じゃあなんでそういった、多くの人が見逃す・見ようとしない部分まで、

ほむほむには見えてしまうのか。

 

 

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簡単だ。

眼鏡をかけているからだ。

黒ぶちの、その、でっかい、いけてない眼鏡・・・

 

 

を、僕もかけている。

ああ、そうか。

だから僕は外れちゃってるんだな。

早起きから始まる規則正しい生活がとても苦手で、

口を開けば「あえいうえおあお!じゃーん!」自然な会話をすることが出来ず、

「いてっ!」自動ドアに何度もぶつかり、

(あはは!)

「ABCD?ADHD?」錠剤を貰い、

(あはは!)

MARCH卒でフリーターになってしまった。

(あはは!)

ああそうか。

この、眼鏡、のせいか。

じゃあコンタクトにしようか?新しい眼鏡を買おうか?

にもフリーターの僕にはお金が足りず今日もこの眼鏡をかけて、いるんですけど。

 

そーりの菅ちゃん「しょうがないなぁ、じゃぁ、十万円あげるよ!」

ふりーたーの僕「やったぁ!ドール買って本買って漫画買って貯金するぞお!」

 

でも僕の眼鏡の西洋とほむほむの眼鏡の性能には差があるようで、

僕はほむほむ程現実しっかり見られていないし、

僕の脳味噌(MARCH)とほむほむの脳味噌(上智卒・北大中退)の性能にもやっぱり差があるようで、
僕はほむほむのようにうまく現実からきらきらを掬い上げることが出来ない。どろどろしている。きたねぇな。

更に言えばほむほむは会社の経理を長年勤めあげているけれども、僕は今まで仕事は2年も持ったことがない。

 

要するに中途半端なんだな。僕は。

学歴も職歴も眼鏡の精度も人間としても何もかもが中途半端。

だからその欠けた部分を埋めるように、本読んで漫画読んでアニメ見て映画見てドール愛でて外に出て、ブログを、書くんですけど。

 

かけても1.0もみえない眼鏡じゃ、明日も見えません。

 

 

 

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だから、僕にとってほむほむは、一つの「憧れ」なんだと思う。

長年サラリーマンという現実に身を置きながら、

31文字に果てしない自由を描き、

執筆で夢見るキラキラを余すことなく放出する。

現実に屈する夢想家ほむほむ。

 

一方で僕は、

サラリーマン(OL)という現実に身を置き続けられず、

ブログ・noteの更新はついつい滞りがちで、

現実からはキラキラよりかはどろどろしか掬えない。きたねぇな。

 

(何もかも中途半端なんだーあーいやだー。だから僕は今日も腕や脚のカサブタを、めくることがやめられない。血が出るその瞬間だけに現実逃避と自由が凝縮されていて、その瞬間だけ僕は総てから解放されている気がするから。こうしないとやってけない時がある。多分リスカとかもそう。生きるためには、嫌いな自分を傷つけないと気が済まないから、切っちゃう。生きるためにリスカする。)

 

ああなんて僕は脆弱で愚かなんだろう。

そしてなんてほむほむはこんなに完全無欠なんだろう。

 幾千万ワープした魔法少女よろしく「ほむほむは強い」。

 

うつろで、極端で、壊れていて、永遠で、本当はいない、ということが関係しているのだろうか。p.40

 

 

(僕が僕と認めたい僕は僕ではありません。 )

 

 

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以上である。

なんかほむほむって強いなー。読み終えた瞬間反射的に思ったそんな一冊だった。

 

深夜2時、チョコパイをワンルームの中で齧る。

ああなんて甘くておいしいんだろうと思う。ここでは誰も咎めないし左手はこうやってナマケモノのぬいぐるみ(名前はジジ)をぎゅっとしてるわけだけれども、それに誰もツッコまない。

おうちは自由。

果てしなく自由。

中途半端な僕でもここでは僕しかいないから完全無欠だから。

ほむほむも、おうちが好きなのは一緒のようだ。

「もうおうちへかえりましょう」

そこでは世界音痴で中途半端で弱くてもカサブタめくってもリスカしても、大丈夫だから。自由だから。

眼鏡をかけたまま生きて生きて現実耐えて、毎日おうちへかえりましょう。

 

***

 

LINKS

ほむほむのエッセイは以下の2冊を読んだ。

この2冊、そして本作も独身時代のものであるが、

買ったもう一冊は結婚後、しかもそれからだいぶたった後の一冊なので、

メスの童貞である僕は何が書いてあるのか、そこがちょっと怖いのです。

ほむほむの女の子に対する憧れやジェラシーや妄想云々抱いて行動しない、所謂青春ゾンビ的文章に非常に共感していた節があるので。

 

tunabook03.hatenablog.com

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