小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

穂村弘『君がいない夜のごはん』-弘・・・君が僕のほむほむだよ・・・。-

 

 

 

食に興味がない人が、

「食」について書いたエッセイ。

 

 

 

穂村弘『君がいない夜のごはん』(NHK出版 2011年)の話をさせて下さい。

 

 

 

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【概要】

食べ物とその周辺についての文章をまとめた本です。

料理に関心のあるひとが読む雑誌に連載した(というか、今も継続中)ものだけど、そういう意味では全く参考になりません。

料理についての記事やレシピの間に挟まった、学校で言うと「休み時間」みたいな頁だから。p.236

 

40を越え結婚しサラリーマンをやめても、我らが穂村さんは菓子パンを貪り貪り部屋に引きこもって(仕事をして)いる。

お気に入りの店等特にもないし、これといってこだわりのあるメニューがある訳でもない。料理も作らない。

そんな穂村さんが職について思いや想いキモイを巡らせながら書く爆笑必至食べ物エッセイ集。

 

【読むべき人】

・ただ食べ物を美味しそうに書くただの文章、読み飽きた人

・ただ食べ物へのこだわりを書いたただの文章、読み飽きた人

グルメ漫画が好きじゃない人

・菓子パン好き

・妄想好き

・わざわざ外食にこだわりなど持ってられない人

・その代わり、例えば納豆ご飯。そのねばねばと豆の比率について想いを巡らせたり、豆粒と米粒の大きさの比較に関心がある人。ちなみに本書でそんなに納豆ご飯は出てきません。近年僕の好物です。(ただし納豆はウェルシアの大粒の半額で買ったものに限る)

 

 

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【感想】

「一回でもいい加減なものは食べたくない」ひとには、自分の食生活を知られたくないと思う。軽蔑されそうで怖いのだ。p.118

 

本書を買ったのは、沼津の週末古本屋・ハニカム堂である。

穂村弘の本が数冊固まったコーナー(というか多分まとめて買い取った)があって、そこから未読の二冊を入手した。その片割れである。

穂村弘、通称ほむほむおじさんの文章はとても好きだ。永遠に童貞の心を持っていて、絶妙に女の子に対する距離感が気持ち悪い。妄想ばっかしている。多分社会とはちょっとずれていてベッドで延々菓子パンを食べている。黒メガネ。

たまたま僕も童貞(メス)であり、絶妙に男の子に対する距離感が気持ち悪い。妄想ばっかしている。社会とはそこそこずれていて、ベッドでチョコパイを食べているときに一番の至福を感じる。黒メガネ。

そう、もうほとんど僕はほむほむなのである。いや、違う。穂村弘がほむほむだから、僕はもうまどかなのである

読んでいると運命というかなんつーかあ・・・他にもこんな人いるんだ・・・っ!!!ほむらちゃんっっっっっっ!!!!!!と自然と風速で僕のソウルジェムは浄化されループは終わり、10年ぶりに新作が作られる世界線に突入する。めでたいです。遡逆の物語まだ未視聴なのですが・・・。

 

私のラーメンにもやしはいらない。p.191

 

初期のエッセイは結構読んできたけれども(「現実入門」「世界音痴」等々)2010年代突入後のエッセイを読むの初めてだった。だからもしかして穂村弘が僕の「ほむほむ」じゃなくなったらどうしようと思ったけど、そんなことはなかった。穂村弘は永遠に変わらず僕の「ほむほむ」だった。

突如現れたカタカナ語「ヴィシソワーズ」という言葉に戸惑ったり、学生時代のやたらでっかいお寿司に思いを馳せたり、「にんにくラーメン、チャーシュー抜きで」ラーメンを前にエヴァ綾波レイの言葉を思い出し「私のラーメン」を追究したりする。

 

 

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んなわけないじゃん。

 

特に僕のソウルジェムが澄んだのは、「曖昧体重計」である。

「日々の生活から生み出された知恵」p.83であるこの曖昧体重計とは、あえて洋服を着たり物を持ったりうんこ我慢したりして体重計に乗ることである。そうあえてね。

ポイントは「洋服や文庫本やおしっこの分」の重量が正確にはわからないことだ。分厚い服を着ていればいるほど、文庫本が京極夏彦であればあるほど、おしっこのほかにうんこも我慢していればいるほど、誤差の幅は広がる。p.84

そして表示された体重計の数字からその分をさし引いた曖昧な数字を己の体重とすることで、一喜一憂の幅を狭くし精神の均衡を図るという行為である。

実はこれ、僕も常にやっている。

特に甘いものや食べ過ぎの日にあえてはかる。「■■kg」越えていても、まぁ食べすぎちゃったからねちかたないねまだ消化しきれてないからねと言い訳が効く。

逆に2・3日ぶりにぶりぶりだした後に再びはかる。「■■㎏」越えることはめったにないが、越えていたら・・・あれ・・・・超えていたら・・・あれ・・・え・・・この・・・え・・・この2キロ分は一体・・・?さっきだした・・・は・・・はずなのに・・・え?・・・・え??

成程。こういう時の為に、京極夏彦先生は、一冊一冊あんなにやたら分厚い文庫本を世に出しているという訳なのでございますね。

一家に一台体重計。

だけでは身体の健康に気遣うことは出来ても精神の健康に気遣うことは出来ていない。

一家に一台体重計。一家に一冊京極夏彦

こうすることで初めて心身ともに健康な状態を目指すことが出来るのである。

 

 

 

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「いい混ぜだわ。あなたなかなかやるわね」

「私の手の動きが見えるの?」

「ええ」

「あなたこそ、なかなかやるわね」p.102

 

 

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カスが散らばってますね。こう改めて見るとなかなか汚いな。

 

また、ほむほむは突然食べ物を、5つに分類したりする。

 

「a 昔も今も好きなもの

b 昔は好きだったけど今は嫌いなもの

c 昔は嫌いだったけど今は好きなもの

d 昔も今も嫌いなもの

e 周期的に好きになるもの」pp.160-162

 

考える。

 

a 昔も今も好きなもの

洋菓子。特にフィナンシェとかマドレーヌとかああいうの。

家に届けられる小包の中身が、それ系であった時は、もう嬉しさ極まった。届いた日の翌々日にはもうほとんどがなくなっていた。口にすると、サクッとほどける粉っぽいクッキーがついていると尚よい。後それがアマンド娘だった時にはもう僕は絶頂である。エクスタシー。射精する。ないけど。僕は静岡県の名物は「うなぎパイ」でもなく「こっこ」でもなく、「アマンド娘」だと思っている。

逆に小包の中身が、ゼリーだった時の絶望といったら!僕はもう落胆するしかない。なんだよゼリーって。いや嫌いじゃないよ、美味しいよゼリー。でも大抵良いところのゼリーってぺりぺりめくる時汁が出るじゃん。冷蔵庫の隅にちょこん、と、いつの日か分からないゼリーが延々に鎮座するのが実家の常だった。大抵ぶどう味だったな。

b 昔は好きだったけど今は嫌いなもの

概ね思い当たらない。

強いて言うなら「揚げ物」か。いや、好きだしコンビニのホットスナックも全然買う。けれど調子が悪いと、脂で胃もたれすることが増えてきた。国道沿いのとんかつ屋を見ると、とんかつ定食とかよく皆食べれるもんだよなーと思う。よく繁盛してるもんだよなーとも思う。27でこれなのにましてや304050となった時にとんかつ定食を食べている自分の未来が想像できない。からあげ定食も然り。

c 昔は嫌いだったけど今は好きなもの

茄子。祖父・父と根っからの茄子嫌いの血を引いているが、なんか気づいたら中学生の時には全然普通に食べられるようになっていた。クックドゥのマーボーナスとかすごく好き。

確か当時は、色がダメだった。紫色のものを食べる人々の神経が信じられなかった。いつから僕も神経をやられたのか、それは思い出せないのだけれども。

あ、あとチョコパイ。なんか洋酒っぽいような変な香りがする!と幼少期は忌避していたが、今や立派な中毒者。気づけば一日に4個5個食べているのもザラである。なので買うのは月に一回・ファミリーパックと己に課しており、それは順調に破られている。2回くらい買っちゃう。おいしいもん。

d昔も今も嫌いなもの

小豆。あんこ。これがダメである。

色が黒。食感はもしょもしょ。そのくせ甘い。意味が分からない。

同様に、黒豆もあまり好きではない。あと饅頭や羊羹もあまり好きではない。プルーンは最近良さが理解できるようになってきた。

「黒くて湿っていて甘い」この3拍子は馬鹿。ほんと・・・バカ。(ソウルジェムぴかーっ)

e 周期的に好きになるもの

今だと納豆ご飯である。味噌汁がついていると尚よい。

なんか食べていると凄く「健康~」って思う。

この度まぐろどん27歳一人暮らし。食生活が結構気になるお年頃なのである。

でも家にある野菜の切れ端・・・人参・じゃがいも・ほうれん草・白菜・キャベツ・茄子等々・・・をいっぱい鍋にいれて、だしいり味噌(ウェルシアにで198円)を溶かして作った即席みそ汁と、解凍したご飯に納豆をかけその両方を口に含み絶妙な大豆シンフォニーを耳にしたとき・・・、食生活の総てが赦される気がするのである。

チョコパイをたとえ4つ食べても1日でファミリーパック(9個入り)消化してしまったとしても・・・夜に納豆ごはん食べればなんと全部リセットなのである。

ああなんて素晴らしき大豆の力。健康~。

 

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そのとき、食堂車の秘密が少しだけ分かった気がした。

それは時間の可視化だ。

マッド外を流れる景色に包まれながら感じるのは、Yくんも自分も他のお客さんもウェイトレスも、全員がごうごうと流れる巨大な時間のなかにいるということだ。

(中略)

食堂車は私たちに巨大な命の砂時計の存在を教えてくれる。p.217

 

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今宵もレトルト。

以上である。

食に強い熱度がないエッセイだったので、同じくそこまで食に強い熱度がない僕は楽しく読むことが出来た。

食のエッセイや漫画って、大抵読んでる途中でお腹が空いてきて困るものだけれども、本書はそういうことが一刻たりともなかった。代わりに、ふふっ。となるところが多くて、ふふっ、ふふっ、ふふっ。電車の中や待合室で読むときは大変だった。

あと共感するところも多い。そして僕だけじゃないんだと、ほむほむの文章を読むと僕のソウルジェムはすっと穢れが消えて澄んでいく。

ああ・・・ほむほむ。

ますますほむほむには運命を感じえない。

ほむらちゃん・・・わたしのたいせつな、ひと・・・。

 

***

LINKS

他に読んだおほむの文章。「もうおうちへかえりましょう」は本書と同じタイミングでハニカム堂で買った。もういち片割れ。

あとレトルトカレーの写真はサブのブログの方から持ってきた。

 

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