短編小説、よりかは、
どこかの世界のどこかの人物の随筆、に近いものかもしれない。
綿矢りさ『意識のリボン』(集英社 2020年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
「私は絶対長生きするからね」母を亡くした20代半ばの真彩は、父にそう誓ってすぐ交通事故に遭ってしまう。
激痛の中、目を開けると自分の身体を見下ろしていて!?「意識のリボン」
血痕を控えった27歳の妹の引っ越しを手伝っていると、全裸の妹が女同士で寝そべっている写真が出てきた。驚く私に妹は!?「履歴のない妹」
娘、妻、母ーーー。
様々な女性の人生に寄り添うように心の動きを描き切る短編集。
裏表紙より
あの絵のように女はみんな一度は、安住の場所である我が家から追放され、這いながらまた目指す。p.89「履歴のない女」より
【読むべき人】
・女性が書く随筆が好きな人
・綿矢りさの作品を読んだことがある人:多分初見だと厳しい
【感想】
瞬間瞬間の感情を切り取るのが凄くうまくて、その積み重ねが形となって、小説となる。綿矢りさの作品ってそうやって出来てると思うから、僕達女子は強く共感し、打たれる。穿たれる。
実は読みやすいのは「勝手に震えてろ」をはじめ「かわいそうだね?」「夢を与える」「蹴りたい背中」等の中編から長編。積み重なっている分気持ちの沿い方が分かってきて、共鳴してのめり込むことができるから。
そして綿矢りさ未読に人に短編集である本作はお勧めしない。その感情の積み重ねが、「短編」という形で、ブツ、ブツと切り取られていて、そこに強い違和感を抱くであろうから。
でも、そのブツ、ブツ、切られた感情がきりきり僕に迫ったり、もしくはふうわり離れたりして、面白かった。
迫る。「履歴のない女」「履歴のない妹」。結婚することで今までの気ままな暮らしを総て捨てて、家庭をもつ妻としての生活に順応する女性を「履歴がない女」と表現するのは舌を巻いた。そうか、結婚で人は一度生まれ変わるのだ。特に女性の場合は。知ってた。別にそれが怖いと思わない。絶望もしていない。ただし、「履歴がない」その言葉を用いられるだけで、ちょっとぞっとしたのである。怖い。
ふうわり、「こたつのUFO」は僕の脳から離れて遠く東京へ向かう。僕と同じく夜型のインドア人間が、こたつから重たい体を引きずりだして図書館に行くという話である。しかし彼女は作家。ずっと家にいてもお金が入ってくるのである。僕はフリーター。ずっと家にいてもお金が入ってこないのである。ああ、作家になったらこうやって毎日家に居られるのかなでもそれはそれでスマホをいじっていじっていじって結局編集者からも友達からも親からも見離されて孤独死。
こたつをめくって、そこに20代後半女性の腐乱死体があったのならば、
それは、僕です。
時すでに綿矢。
8篇が収録されている。
以下簡単に、まぁあらすじはあってないようなものなので、印象に残った台詞と思いもいのことを記しておく。
「岩盤浴」
あ、そうかとようやく気づいた。みんながみんな気の合う友達同士じゃないから、傍目あから見てもパワーバランスの狂いまくった二人組がいるんだ。p.32
岩盤浴に一人つかりながら、主婦の会話を盗み聞きする女性の小説である。THE・岩盤浴。
そこから主人公は、女性の友情についてつらつらつらと思いをはせる。
僕はこれを読んであ~と安心した。
妙にちぐはぐ。でも相手のことは決して嫌いじゃない。
例えば母親には、TさんとDさんという女友達がいる。それぞれ別の繋がりで二人で付き合うことが多い。
Tさんは口数が多いらしく「うざい」と母からよく聞いていた。母のなんちゃって「ヨガ教室やれば?」発言でヨガ教室を開き繁盛しているとの旨。母もときどきは言ってはいたが割引はあまりされなくて、それもちょっと不満そうだった。
Dさんは逆に静か。ただどうやら金のあるおうちの出身らしく、妙に鼻につくところがあるらしい。50代夫大企業勤め子無しの夫婦(犬はいる)である。金銭的余裕も心理的余裕もあるのだろう。「きらーい」と母は言う。でも、Dさんは母親が入院する時病院まで車を出してくれる。助手席に座った母親もまんざらない様子で、ぺらぺらぺらぺら僕と妹のしょーもないことを話している。
多分母は二人と立派な友達なのだ。
気が合う、ってことはまぁないんだろうけれども。
そして多分歳を重ねる度に、そういう友情がどんどん増えていくような気もする。加齢とともに個人個人の他人に対する許容範囲が広がるから、だとも思うし、単純に出会う人数が限られてくるから、だとも思う。
でもまぁそれはそれでありなんじゃない?そうやって肯定してくれるこの小説は岩盤浴のように温かい。
無論僕も誰かといる時、過度に僕は喋ったり、何となく聞き役になったりする。心の中ではいや~きついわ~とも思っているけれど、その時の僕は喋るのをやめないしうんうんうんうん赤べこよろしく頷いている。
とりあえず、毎年年末年始に会う、中高から一応ずっと毎年会ってる親友の「ゆっぴー」は大切にしようと思った。僕も話すし彼女も話すし僕も聞くし彼女も聞く。そーいう感じだから。
「こたつのUFO」
小説を読んでもらえるなら、私自身がどんな人間だと思われてもしょうがない。ただ一つ切ないのが、自分にとおって非常に身近な人たちが、私の書いた本を参考にして、私の性格や過去を分析するときだ。p,37
えっ。小説家ってこんなこと考えるんだ。って思った。
僕も稚拙ながら小説を何回か書いたことがあるけれども、書いている時、僕は僕を傷つけて、そしての僕の蠢く肉破片(ぶよぶよ)を外世界にばぁっ!と投げ散らかしているイメージがある。
要するに小説を書くことは自傷。でもそうしないと、伝わらないから。私が。登場人物が。世界が。お前に。
そういうのを総て取り払って気軽に書こうとした小説もたくさんあったけれど、大抵僕の脳内で完結し、もしくは書いたとしても2ページ程度で筆がとまり、そこで終わることが多かった。
だから、創作物と自分を完全に分離して創作する、というのは衝撃的だった。
僕にとって小説を書くことは、非常に健全な自傷だから。
動画も写真にも日記にも残せなかった青春の名残りは、皮肉だけど想像もしなかった、皺って形で顔に残ってる。
色あせた症状でも、あまだ着られる可愛い薄記事のワンピースでも、今つかんでる充実や幸せにでもなく、常に切り離せない皮膚、身体に証が残る。これからも増え続けると思うと、あきらめとともに安心がこみ上げた。pp.61-62
今までどういう風に言い来たのか。何を持って生きたのか何をどうして過ごしてきたのかどうして僕はここにいるのかそういったこと全部全部全部が、皮膚に刻まれていく。
僕は、脚を見下ろす。
職場での自殺未遂があってから、カサブタを捲って血を出すのがやめらず繰り返し繰り返し、結局赤黒いぶつぶつまみれになった、二本の、脚。
今もやめられない。
瘡蓋を捲る時の僅かな痛みとそこから流れる血を見ていると、安心するのである。今まで考えていたモヤモヤが途端に総て晴れて「あ、何しているんだろ私」になる。
結果肌色よりも赤黒い色をしている面積の方が大きくなってしまった、僕の、脚。
醜い。醜いけれど、これは僕が生きた証でもあるんだわ。
しんでしまおうとすらおもったところから今日まで生きてきた、その、記録。証。
と思うと、まぁ悪くないな、と思いながら僕はアットノンを昨日ウェルシアで買いました。*1
「ベッドの上の手紙」
私はやっぱり最後は自分で死ぬ作家が好きです。p.65
自殺する。と、それまで生きてきた人生が一気に物語と昇華される。太宰治とか。三島由紀夫とか。櫻井まゆとか。二階堂奥歯とか。二十歳の原点。
でもそれは、錯覚に過ぎない。
別に老衰で病気で交通事故で死んだって、708090長寿を全うして死んだって、その人の人生は物語だ。
ただ華やかさには欠けるかもしれないけれど。
だから人は常に誘惑されている。
死にたい死にたい死にたい。
自分の人生を意義あるものにしたい。
自分の人生を華やかにしたい。
平凡に終わるなんて嫌すぎる。
地味に終わるなんて嫌すぎる。
僕達は常に物語になりたいと願っている。ならさぁ、そのカッターを手に取って!さぁそのフェンスを飛び越えて!さぁ遮断機を踏み越えて!!さぁさぁさぁ!!!
・・・なんてなるかよばーか。
僕はその手紙を即座に破り捨て、きったない脚でどすどす踏みつけた。
「履歴のない女」
だから逆らう気も、苦痛も、みじんも感じなかったけれど、これも苗字の一件と同じで、あまりにも新しい環境へスムーズに、まるで当然のように映ってゆく自分のありかたが気になった。一人暮らしの、仕事を終えて自宅に帰ってくれば、作っておいたものであれ、買ってきたものであれ、自由に食べて、それが豪華でも質素でもあんまり気にせず、眠くなったらソファででも寝てしまう、猫のような気ままな暮らしを、もう思い出せなくなっていた。p.77
結婚、を描いた短編である。主人公の新妻とその妹が、新居でてんぷらをあげている。
僕はこの段落を読んで、ああ怖いなぁと思った。
今僕は28だが独身でパートで背系を建てているフリーターでフリーターの癖に一人暮らしをしている。ほとんど定時の出勤も許されるしほとんど定時に帰れる。
ましてや店の遅番である。昼から仕事が始まる。夜型だから、寝る時間はまちまちで、太陽が上がるとともに瞼が閉じることも多い。
でも時々不安になるから、錠剤をつまんでぽろぽろ口に入れる。フランスの貴族がマカロンを食べるように自然にそれをこなす。
主人公より猫よりある種気ままな毎日。
を、結婚したら総て忘れるんだわ、って思うととても不思議な気がした。
けれど、同じく一人暮らしをしていた新卒時代大学時代はどうだったか。高校時代はどうだったか。中学時代はどうだったか・・・以下略、その時の僕を僕は思い出そうとするのだけれどもそのぞうはあいまいで形がぼんやりと見えるだけででぶくぶくと記憶の波に溺れていく。
それと同じことだ、大丈夫。僕は今を生きるしかない
それに忘れても、皺が痣が傷跡が。
汚い脚を眺める。
汚いし、今でも血を出すことあるけど、嫌いじゃない。
憶えているから。
「履歴のない妹」
”本物の””生の”写真なんて、私はいらない。嘘っぱちでもいいから、笑顔でピースしてる写真さえあればいい。人生で残しておく思い出は、安心で、たいくつな方がいい。p.111
痛い辛い記憶を総て切り離して生きていく勇気は私にはない。
その勇気が合ったら多分、僕はこんなブログ書いていないだろうし、綿矢りさも一生知らずに済んだだろうし、小説自体も読まずに済んだだろうし、鬱病とも無縁だろうし、明るいキラキラした平凡でけれど安全な人生を送っていたことだろう。
そういう人がいっぱいいる。
特に地方都市、静岡に帰って来てからはそのキラキラで目が眩みそうだ。
妬ましいとは思う。
しかし羨ましいとは思わない。
「怒りの漂白剤」
半年間起こらない習慣を心掛けた結果、たどりついたのは意外な答えだった。
好きを好きすぎないようにする。
一見怒りとはなんの関係もなく思える子の心の持ちようが、私にとっては重要だった。私の性格の特徴として怒りっぽさが挙げられるが、同じくらい”好きなものはとことん好き”というひいき癖がある。目を輝かせて語るほど好きな対象の数が多く、重いが深いほど、その他の影が濃くなる。p.126
何故アンチには、元ファンが多いのか。
という素朴な疑問の答えが書かれている気がする。
多分彼等は、好きなモノである対象(例えばアニメ、アイドル等)の存在を自分の中でどんどんどんどん膨張させ、神格化させすぎてしまったのだ。
だから、彼らが自分の期待と外れたことをちょっとでもすると、絶望する。残念と思う。辛いと思う。怒る。攻撃する。
人気がある・ファンが多い存在こそアンチが多くつく論、この数行でQED。
凄い。凄すぎる。
綿矢りさは偉大。
偉大だ~・・・・と思っている僕の方が、綿矢りさの書籍を一冊も読んだことない君よりも、アンチになる可能性を多分に含んでいるのである。
「声の無い誰か」
そう、事件は起きなかったわけじゃない。確実にどこかで起きて、誰かが泣いている。pp.162-263
一番「短編小説」している短編小説である。
最近、コロナ禍が明けてきてあちこちに湧いている「ジョーカー」が話題になっている。縁もゆかりもない無差別に刃を振り回しガソリン・(もしくはサラダ油)などを振りまく彼等には、僕達は成すすべがない。
怨みを買わないような日常を送りましょう、といっても知らない人からナイフでぐさーやられたら僕は血はぐはーっと死ぬしかない。
弱い。弱すぎる。
だからこういう声なき声により敏感になって、察知して震えて、逃げるしかない。
耳を澄まして。敏感に。
静かに。
「意識のリボン」
私に責める気持ちは毛頭なく、むしろ動画を見ていたときに腑に落ちなかった気分が解決して安らげる想いだった。残っている記憶のわびしさと、動画のハッピーな雰囲気の落差がすごくて、ずっと不思議だったから。幸せな、愛されていたときばかりではないんだ。しかしそれは落ち込むようなことではない。人間は浮き沈みがあってこそ、深く学び、深く輝く。p.184
「人生で残しておく思い出は、安心で、たいくつな方がいい。」p.111と過去のヌード者審を破り捨てた女を「履歴がない妹」と称した作者は、人生の死ぬほどつらいことも嫌だったことも思い出したくないことも全て肯定する。
生死の境を彷徨った主人公が出す結論は、みすみす、物凄いスピードで僕の心に浸透していく。
脚に刻まれた「履歴」を指先でなぞれば、そこからふわりとリボンが生まれて、静岡市内のアパート(鉄筋4階建て、エレベーター無)のベランダからひらひらのびて、のびて、のびて、宇宙へのびてのびて、のびていく。
以上である。
短編小説集、とはあるが「怒りの漂白剤」をはじめ、散文的要素を含んだものが多い。
綿矢りさ初心者には非常に読みづらいと思うが同時に、綿矢りさを読んだことある人には絶対勧めたい一冊。
蛇足
・「履歴の無い妹」は「履歴の無い女」の妹かと思ったら全然赤の他人で草生えた。
・「怒りの漂白剤」にて、怒りの感情をなくすには、”あれ食べたい””これ欲しい”と他の欲望を見つけて変える方がまだ性に合っていた。p.126と書かれている。
凄い腑に落ちた。
道理で今年、ドールが劇的に増え、積読が劇的に増えた訳だ・・・。
・正直「声の無い誰か」だけ事件性があってとても短編小説しているので、これだけ別の書籍に収録するのもありだったと思う。
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LINKS
綿矢りさはこれまで数冊か読んできた。
「勝手に震えてろ」:原作も神。映画も神。
「かわいそうだね?」:当時大学生の僕には難しかったが今読めば面白いかも。
「夢を与える」:絶望小説。トラウマ。
「憤死」:つまんなさすぎて死ぬかと思った。
「蹴りたい背中」:デビュー作。今こそ映画化してほしい。
太字のみ感想書いてる。まだまだいろいろ読みたい作家。
*1:嘘です。買ってない。