小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

綿矢りさ『蹴りたい背中』-さびしさは鳴る。-

 

 

教室の10分休みの空気は、

寝たふりをして机に臥せって、

ただ過ぎるのを待つしかない。

 

 

さびしさは鳴る。p.7

 

 

 

綿矢りさ蹴りたい背中』(河出書房新社 2007年)の話をさせて下さい。

 

 

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【あらすじ】

”この、もの悲しく丸まった無防備な背中を蹴りたい”

長谷川初実は、陸上部の高校1年生。

ある日、オリチャンというモデルの熱狂的ファンであるにな川から、

彼の部屋に招待されるが・・・

クラスの余り者同士の奇妙な関係を描き、

文学史上の事件となった127万部ベストセラー。

史上最年少19歳での芥川賞受賞作。

 

カバー裏より 

 

【読むべき人】

・教室の、あの、外れ者の、孤独な重い時間を、経験、けい、けんしたことがある人

・ぼっち(現在進行形)

・ぼっち(過去形)

寂しい

 

【感想】

綿矢りさは比較的好きな作家に入る。

勝手にふるえてろの泥臭い口語文体に衝撃を受けて、

『かわいそうだね?』『ひらいて』『夢を与える』『憤死』と読んできた。『憤死』以外はどれも好き。

好き。

面白いかどうか、よりもこの人が書く暗喩比喩にまみれた口語的文章がとても好き。

多分音楽で言えば大森靖子が好きな人はほとんどハマると思う。

刺し口が違うだけで、概ねこの2人の「作家」が切り取ろうとするモノの根本は、大きく異なっていない気がする。

一つは午後一時を塗りつぶしたかのようなど水色。一つは突き詰められた末に心から溢れ出るドぴんく。

 

 

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先程述べたように4冊ほど読んできたけれど、思えばこの作者の一番有名な作品を読んでいなかったな、と思ったのは、

静岡の古本屋水曜文庫の店先につけられている、100円コーナー」を目にした時だ。

手に取る。

 

本書は「ぼっち」の立場に属する女子高生・長谷川初実が主人公である。

10分休憩が何よりも苦痛で机に伏せてやり過ごす。所属する陸上部でも誰かと話すわけではない。冒頭の、顕微鏡を使った理科の実習では、グループワークに参加せず、ひとり上の空でプリントを細かくちぎって時間をやり過ごす。

しかし、もうひとりのぼっちは、女性ファッション誌を見て実験の時間をやり過ごしていた。同じ教室で同じようにぼっちをしている男子高校生・にな川である。

ぼっちぼっちが出会ったらどうなるのか。

その化学反応を描いた作品である。

 

恋愛に達しますか?達しません。

ぼっちが解消されますか?されません。

思春期特有の分厚い感情を壁に孤独になる2人が、そんな滑らかに自然な大人になるとでも思うのですか?いいえ、なりません。

ただ、蹴りたくなるだけ。

 

 

 

「そうじゃなくて、なんていうの、私って、あんまりクラスメイトとしゃべらないけれど、それは”人見知りをしてる”んじゃなくて、”人を選んでる”んだよね」p.124

 

 

 

僕が本書を読んで一番ヒリついたのは、「ぼっち」という立場をとることを選択した、初実の言い訳だ。

上記の台詞をもう1ぼっちのにな川に吐く場面があるが、本当にこれが初実の本心の言葉か。違う

本当は、男女混合グループに属することまでは望まないが、ぼっちになることも望んでいない。

(ライブへ誘った絹代の答えが)「よかった。行ける。」という返事が、情けないくらい嬉しかった。p.131

彼女にとって中学時代からの友人・絹代は唯一本心を開けるかけがえのない存在で、別に彼女一人さえいればいい。

一人で戦う競技である陸上も決して嫌いではない。

アップランだけは譲れない。p.49

人間関係こそ多少億劫ではあるが走ることは決して嫌いではない。

心開ける親友がいて、そこそこ打ち込める部活さえあればいい。そこらへんが初実の本心な気がする。

しかし、

私は、余り者も嫌だけど、グループはもっと嫌だ。p.21

どうして私から離れたの?なんていう、飾らない質問を素直に聞く勇気が出ない。p.97

絹代は男女混合グループに属するようになり

お弁当は一人になるし、

「どいて」って言いたくない。できれば、部室のドアを一番に開ける役目も避けたい。p.100

部員たちは、先生の小さなミスをきゃっきゃ笑い、先生決死のギャグ(あまり冴えない)にもきゃっきゃ笑って応えることで、今年から顧問になった白髪で口が曲がっていて説教くさいこの先生を、「厳しいけど、ちょっと抜けてる先生」という市販品に仕立て上げることに成功した。p.52

奔るだけであればいいのに、

部活動である以上人間関係から逃れることは不可避。

だから、

 

「そうじゃなくて、なんていうの、私って、あんまりクラスメイトとしゃべらないけれど、それは”人見知りをしてる”んじゃなくて、”人を選んでる”んだよね」p.124

 

好きでぼっちをしているんだと言い訳をする。

他人に。

自分に。

そうして

 

 

 

さびしさは鳴る。p.7

 

 

 

 

「鳴る寂しさ」p.7から必死に耳を塞ぐ。

耐える。

 

ひたすら耐える。

心開ける友人はいない。部活動の同学年間でも孤立する。

恥ずかしい・・・より寂しい。

だから耐えるしかない。

虚構の孤高を着飾って。健気に。

 

 

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でも必死に耳を塞いでるのは決して女子高生だけじゃない。と僕は思う。長谷川初実だけじゃない。

例えば、とある会社のとある新卒。就職試験頑張ってなんとか中小企業に入社できたものの、やる気だけが空回りして職場で浮く。

例えば、とある新婚のとある主婦。新しい環境下で始まったママ友やご近所関係に翻弄され、心がすりっていく。

例えば、とある会社のとあるおじさん。唯一腹割って話せた同僚が辞め、自己と人間関係の狭間に苦しむ。

例えば、社員からパート労働となり職場が変わり、人も変わり、自分が何をするべきなのか役目を見失った昨年のの僕。

寂しい。

その時僕達は絶対に寂しいはずなのだ。

 

 

さびしさは鳴る。p.7

 

 

だけどそれを認めるのは悔しいから、

その前に、

「職場の奴等が低レベルなのだ。実際に俺の大学が一番偏差値高いわけだし」「社会に出て働いた経験がないから、そういった些細なマウントに女達は過敏になるのだ」「いい歳して若い子みたいなノリをしている彼等が幼稚なのだ。自分は内実共に大人だからついていけないだけだ」「今の店舗は前の店舗に比べて明らか熱意も集客もレベルが低い。そこに僕が合わせていけないだけなのだ」

とてきとーに周りを貶すことで己を正当化し、

孤独を貫く準備をする。

「自分から孤独を選んでいるんですよ」という虚構の孤高ぶってみる。

そうしないと、寂しさに耐えられそうにないから。

自分自身が、寂しさに崩されそうだから。

 

でも

 

 

さびしさは鳴る。p.7

 

 

耳を塞ぐ。

あえてのスタンス。あえて自分は孤独を選んでる。

しかし

 

 

さびしさは鳴る。p.7

 

 

うるさいくらいに鳴る。

その塞いだ指の隙間から、寂しさは、漏れ、出て、鼓膜を刺激する。

「何したらいいのか分からないがそれを聞ける先輩上司がいない、

家庭外唯一の人間関係といっていい主婦間の狭いコミュニティの中でなじめない、

職場で雑談一つ交わせる相手がいない、

自分の役目・立場が見つけられない、

寂しい。」

 

寂しさに打ちのめされる前に、虚構の孤高を築くこと。

気づけば身に付いてた切なるその性質は、一体いつ身についたのか・・・と思い返すと、やはり、それは。

中学高校6年間のどこか、ではなかったか。

だから「あえて一人を選んだ」自分を演出する初実に、127万人もの人々が共感したのではなかろうか。

初実の貫く虚構の孤高は、僕にしろ主婦にしろ会社員にしろ、誰もが思い当たる。まだ制服を着ていた時代に。必至に取り繕って。僕達は、健気だった。

 

 

さびしさは鳴る。p.7

 

 

これはこの小説の書き出しである。

でもこの一文に、200ページ蹴りたい背中の総てが、入っているのだと思う。

中盤、初実はにな川の背中を蹴る。

オリチャンオリチャンばっかりで近くにいても一切こちらを見ようとしない。異性として意識するどころか人として向き合おうとしない。

話をするようになった唯一のクラスメイトであるのに、そいつですら私を見ない。

何だよ。何なんだよ。

せっかく会話できる人がクラスにいたと思ったのに。

鳴り続ける寂しさから溢れ出る瞬時の憎しみのあまり、初実はにな川の背中を蹴ったのだと僕は思う。

 

ちなみに本書には「あとがき」ではなく「解説」が付随しているが、非常に陳腐。この小説はこうである、という読み方を完全に定義していて僕達がこの小説で感じた言葉にならない曖昧な感情を全部踏みにじる。

ので、解説は読まなくていいと思う。というかこんなことに紙幅を割くならば削って少しでも安くして、この小説で、一人でも多くの心の底に潜む寂しさに触れるようにすべきだと思う。

寂しさというのは、鬱も自殺も疲労も苦しみも四苦八苦もう嫌だもう何もかものネガティブな感情の底の底にのように流れているものだから。

うるさいね。

 

 

さびしさは鳴る。p.7

 

 

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きこえませんきこえませんあーあーあーあーあーあーあー

 

 

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以上である。

さびしさに耐えるために、虚勢の孤高を張る。

それを身に着けた中学時代高校時代を思い出す小説だった。

読んでて心がざわざわする。

・・・あの頃の自分を恥ずかしく思うと同時に、あの頃の自分を愛おしくも思う。

 

日本全国の高校生は間違いなく読むべきだと思う。

そしてこの小説を通して知ってくれ。

いくら耳を塞いでもさびしさは聞こえる。うるさいくらいに。常に。

 

だからしんでもいみないよ。

 

***

LINKS

同じく綿矢りさ先生の小説群の記事。

 憤死、これは正直駄作だったと思う。まぁ読んだのはもう3年も前でどういう小説だったかすらも覚えてないけど、びっくりするくらい駄作だったことは覚えている。

tunabook03.hatenablog.com

 

これは綿矢りさ先生の小説の映画化の感想。

「私をくいとめて」も見に行きました。感想書いてないけど・・・。

買ったパンフすらひらけてないけど。

 

tunabook03.hatenablog.com