小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

島本理生『大きな熊が来る前に、おやすみ』-ロマンティックじゃない。-

 

 

 

ロマンティックじゃないラブストーリー。

この後どうなるのかしら。

私のことどう思っているのかしら。

恋には常に恐怖がつきまとうもの。

 

 

 

島本理生『大きな熊が来る前に、おやすみ』(新潮社 2010年)の話をさせて下さい。

 

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【あらすじ】

きっかけは本当につまらないことだった。

穏やかなく荒らしを揺さぶった、彼の突然の暴力。

それでも私はーーー。

互い化が書ける暗闇に惹かれあい、

かすかな希望を求める二人を描く表題作。

 

自分とは正反対の彼への憧れと、

衝動的な憎しみを切り取る

「クロコダイルの午睡」

 

戸惑いつつ始まった瑞々しい恋の物語、

「猫と君のとなり」

 

恋愛をすることで知る孤独や不安、

残酷さを繊細に救いとる全三篇。

 

裏表紙より 

 

【読むべき人】

・彼氏がいる人

・過去に恋愛の延長線上において、暴力振るわれた女性

・付き合っているが、この先に希望を見出せない女性

・恋愛の、くらい部分を見たい人

 

【感想】

本書を知ったのは、鷹匠の新刊書店「ひばりブックス」にて、

本書が表紙を背表紙でなく表紙を見せて棚に並べられていたからだった。

印象的なタイトルと、恋愛小説にしてはやけに暗い表紙。

絶妙な色の背表紙。

島本理生という今まで読んだことありそうでなかった作家の名前。

一目ぼれだった。新品で久々に新潮文庫を買った。

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感想を述べるのであれば、良くもなければ悪くもない。

多分、今現在交際中の人が読めば非常に響く一冊のように思うのだけれど、あいにく僕は今現在どころか27年間四半世紀純潔を貫き通しておりますので、「まぁ、おもしろかったかな」くらい。

大抵の恋愛小説では、相手に対するふとした瞬間のときめきや別れる時のやるせない心情を描いていることが多いように思う。

けれど本書で主題として描かれているのは、そのどちらでもない。

描かれるのは、恋をする・付き合っていくことに対する「闇」だ。

 

表題作「大きい熊が来る前に、おやすみ」の珠実は、暴力を振るわれた彼と共に生きる明るい未来が思い描けず不安に思う。

「クロコダイルの午睡」の霧島は、彼が自分のことをどのように思っているか片想い特有の不安定に振り回され、彼の一挙一動が心に障るようになる。

「猫と君のとなり」の志麻は過去の恋愛の影を大いに引きずっており、交際をすることで似たことがもう一度起きるかもしれないことを恐れている。

 

恋をし愛するということは決して、素晴らしいことだけではない。

光もあれば影もある。

その影は昏く深く僕達の心に根差している。

 

恋愛小説において珍しい表紙の黒は、その内容を暗示させる色。

 

なので交際はおろか恋すらしていない僕には、おもしろかったが、いまひとつ響かなかったのであった。

片想いや交際におけるときめきなどリアルにおいて恋愛の「光」の部分のみ享受している人・その反対本書のようにメンタルガタガタになるような恋愛の「闇」に片足ツッコんでいる人が読むと、いや、そうなっている時の僕が読むと、本書はもっと引力を増して僕の心奥深く、揺るがす存在になったのかもしれない。

どちらかというと、今現在リアルで無・クリスマス直前だけど永遠のゼロである僕は、せめて小説上だけでも、恋愛の「光」を享受したいところである。「君に届け」でも読もうかな。

 

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以下簡単に各篇感想を書いていく。ネタバレ注意。

 

「大きい熊が来る前に、おやすみ」:あらすじは【あらすじ】に記載

私と徹平の間には、一見、目立った障害や困難は特にない。だけどたとえどんな困難があっても、お互いがお互いの中に希望を見出すことが出来れば、どんな状況だって大抵クリアできるものだ。p.53

結末・別れるまでに至らない、同棲相手に対する不安を描いた作品は珍しいように思った。大抵こういう作品って最後には別れるものだと思っていたけれど・・・静かな終わり方が良い。

そして結果として「暴力をふるう彼と付き合い続ける女」の心情が主題となっていたのも印象的。恐らく珠実は数年後暴力を振るわれることがあったとしても、この日下した決断に後悔をすることはないのだろう。

あと印象に残った部分を抜粋したけれど、「お互いがお互いの中に闇を見出す」過程を経なければ、希望を見つけることなど出来ないのだと思った。経験ないから知らんけど。

強いて言うならば、3作品中この作品だけやたら説明文チックに感じられる。小説を読んでいるはずが主人公の心情吐露が延々と続くためシーンがいまひとつ想像できず、それに妙にストレスを感じる。千早茜の小説を読んでいる感覚に似ている。こういうのが好き、という人がたくさにることが今現在の千早茜の人気ぶりから伺いしることはできるけれども、いまひとつ僕はそこは好きになれない。

それでも、タイトルと言い、終盤における徹平の独白における衝撃といい、音もなく終わる結末と言い、悪くはない。どちらかというと「好き」な短編ではあるのだけれど文体が気に食わない。

 

「クロコダイルの午睡」:荒んだ家庭で育った霧島の家に、昔から気に食わない男・都築が毎日ご飯を食べに来るようになるが・・・?

キャラクター、物語、そして予想外の結末、全てにおいてこの作品が3作品中一番好きなのかもしれない。

霧島・都築共にこの作品が一番「キャラクター」が作られている気がする。霧島の常に身にまとう黒いタートルネックや、都築の着る手触り良いカーディガン等容姿に関する描写が一番細かくされているからかもしれない。

物語、これは恋を今していない僕でも非常に共感できる節が多かった。というか、東京の大学に通っていた人はほとんど全員共感できるのでは?

東京に行くと、無意識な金持ちがたくさんいることに驚く。ゲストルーム付きのマンションに住んでいたり、100万円する楽器を買ってもらっていたり、中学から私立の学校に通っていたり、アルバイトをしなくてもたくさんの仕送りが送られてきたり、等々。彼等はお坊ちゃま・お嬢様と言うまではいかないが、裕福な家庭で幸せに育ちそして大手企業に就職し安定した未来を歩んでいく。彼らの人生は成功する。

悪い人ではない。みんないい人達だ。みんな本当にいい人。

だけど時々ふとした瞬間に、それは本当ふとした瞬間に、彼等と自分の生活レベルの差を見出してしまうことがあり、その瞬間僕は惨め。

僕だって正直、そこまで貧しい家庭で育ったわけではない。中流の家庭で育った。中高時代からゆるやかに家庭環境は荒れているものの、大学で奨学金を借りることはなかったし、家賃も仕送りも計10万弱ほど頂いていた。

その僕ですら、時節関東でぬくぬく育ってきた彼等にふと殺意を抱くことがある。

ましてや千葉とはいえど田舎で、本当に荒んだ家庭で育った霧島である。都築の無遠慮な言動の度に、心はズタズタに傷ついていたのではないか。ズタズタに暴力振るわれていたのではないか。

何故惹かれたのか。

それでも、荒んだ家庭故に今まで味わうことのなかった、「自分が必要とされている」感覚がトリガーとなり彼に恋せざるを得なかったように思う。

後、彼女は都築に自分の作った料理を食べさせ続けている。これは僕達女性にしか分からない感覚だと思うのだけれど、「自分の作ったものを異性が食べる」行為に異常に喜びを感じる。ましてやそれを「おいしい」と言われたら僕達女はそれはそれは内心喜んで、また作ってあげよう、次は××がいいかしら等思ったりする。これはもう、狩猟時代から備わった人間の本能に近い部分があるように思う。

「それにしても美味い。この親子丼、タマネギが甘いね」p.81

都築が、日々の自炊に気を使っている霧島に言った一言である。

都築は、私の料理を褒めてくれる。

そこがますます恋の引力を加速させたように思う。

多分初めに作ったこの親子丼を「美味しいね」だけでは霧島はここまで振り乱されることはなかった。そこに「タマネギが甘いね」と付け足したから、霧島はどうしても都築が好き・・・以上に好きにならざるを得なかった。

自分を必要としてくれている。そして、自分の料理の良さをすべて理解してくれている。

環境の差など目を閉じれば大したことではないのかもしれない。

しかしそれは、熱海ワニ園の雌ワニが午睡に見た夢に過ぎなかった。

 

絶対引力の片思いの下まったく目に見えていなかった、都築への殺意が炸裂する結末は見事。最後の1シーンも非常に印象的。

成功が確約された者に無造作に蹴散らされた霧島はこの後も、碌な人生を歩まない気がする。だからこそ、この小説の中で一番愛おしい存在でもある。

 

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「猫と君のとなり」:中学時代の部活の顧問の葬式で久々に後輩の荻原と出会った志麻は・・・?

男が女の部屋に転がり込んでくる展開は「クロコダイルの午睡」と一緒ではあるが、読後感は全く違う。ハッピーエンド。どちらも大学生が主役なのに・・・。

よくある若い男×女×猫の恋愛ものである。

一番脳みそを使わないで読めるさっぱりとした短編。小説よりかは恋愛読み切りの漫画を読んでいるような気分。獣医学部に通う荻原の不思議な雰囲気・無邪気さ・・・「後輩男子」を堪能する話でもある。

正直こんなキラキラした日々とは無縁に生きてきたので、面白かったけれど特に響くことはなかった。強いて言うならば、最後荻原が志麻に惹かれたきっかけとなる過去があまりにも唐突に感じられた。

3篇通して読んだけれど、この作家は人間の内心を描くのは巧いが、伏線を貼るのが妙に下手なように感じる。

多分書いている途中でいろんなところに巡らせたのだろうけれども、そこだけ浮いたような違和感抱かせる文章になったのではないか。というのを、二人で来たスーパーで、志麻が買おうかどうか悩んでいた特売のキャベツを、「私はお礼を言ってから、外側まで葉のきれいな丸のままのキャベツを一つ摑んでカゴの中に入れた」p.160の部分で思った。

 

ちなみに、この短編を読んで思い出したのは、欅坂46「猫の名前」という曲である。アルバム収録曲で派手ではないがとてもいい曲で、一時期何度も何度もリピートした。正直この曲3回聞けばこの短編一度読む行為に値するといっても、過言ではないのかもしれない。Spotifyでも聴けると思うので、是非聴いてほしい。

秋元康よ、ゴーストライターであってくれ!あのデブメガネおじさんがこんな菓子書いているのかと思うとなかなかキツい。ゴーストライターであってくれ!!できれば女性の30-40代の女性のゴーストライターであってくれ!!と願うこと必須の名曲である。

 

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以上である。結構楽しめて読めたけれども、多分恋している時期のがもっと楽しく読めた。気がする。

それでも恋愛の暗い部分についてこれほどまでにフォーカスした短編集は珍しいと思うし、多分「クロコダイルの午睡」なんかは「こういう話があった」ということをこの先10年は忘れないように思う。それほどインパクトのある結末だった。

ひばりブックスで表紙を見せて並べていたのも頷ける一冊。

 

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LINKS

 

「クロコダイルの午睡」を読んで思い出したのは貫井ちゃんの「愚行録」。霧島の愚行をさらにダイナミックにしたような小説である。これも犯人が予想外すぎて衝撃だったなあ・・・。読んでからもうすぐ3年たつ今でも、大まかなあらすじ思い出せる。戦慄したことも思い出せる。映画は結局まだ見てない。

 

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