2か月延滞してる。(読むと辛くなるので)
山白朝子『私の頭が正常であったなら』(角川書店 2018年)の話をさせて下さい。
【概要】
例えば、この世に生を受けずにそのままふっと消えてしまった子、とか。
例えば、当時は無力で助けることが出来なかった幼馴染、とか。
例えば、津波で失った妻と幼き息子、とか。
例えば、命、とか。
喪失感と哀しみと寂しさのはざまに揺れている。
これは8つの山白朝子の「失はれる物語」。
【読むべき人】
・失った経験がある人
・自殺を考えている人
【感想】
初めて、駅前の図書館に行った。
感動だった。読みたいと思っていた作家の本があれもこれもあれもこれもと並んでいて、且つそれが全部無料で読めるというのである。凄ぇ!!
いやいや、地元の図書館には何度もお世話になっているけれども、これまた違う図書館だと同じ市だけど、どっちも静岡市がうんせうんせやってる図書館だけれどもいや、やっぱ感動が凄い。
でも僕のことだからきっと借りるの億劫になるだろう。
2冊にとどめておこう。
18歳の僕なら上限いっぱいの10冊借りていたところであろうが28歳にもなると、己の性質をある程度理解している・・・つもりだった。
結論2か月延長している。
言い訳させてほしい。
ひとつひとつの物語がとても切なくて悲しくて、読むと心がきゅーっ!!!となるのでる。きゅーっ!!
・・・28歳とは思えない語彙力を発揮してしまったが、このきゅーっ!!!が辛くて一編一編読むのに時間がかかってしまった。
特に表題作の「私の頭が正常であったなら」はもう、悲しすぎて悲しすぎて、次の「おやすみなさい子供たち」を読むまでに1か月以上の期間を要した。
そして昨日無事、本書の最後に収録されている「おやすみなさい子どもたち」を読み終えることが出来、なんとかなんとか、返せそうである。へへっ。
でも、いくら心がきゅーっ!!ってなっても、この一冊を読んで良かった。心からそう思った。
出てくる登場人物達は、全員何かしらを失った人々である。
喪失感悲しさ寂しさ苦しみ。
そこから、一歩踏み出す瞬間を描いた作品集である。
彼等が失ったことに対して心がきゅーっ!!!となった訳だけれども、そこから一歩踏み出す彼らの姿に、じ、と僕は勇気を貰える。希望を貰える。
そしてその希望は、きゅーっ!!の分、実在していてしなやかで強い
失っても喪っても僕達は生きていて、明日は無慈悲にやって来る。
救済なんて甘ったるいものは無くて、ないから僕達は明日をこの身一つで歩いていかなければならない。
「・・・痛いよ」
読んだ者の心が、一つ、強くなる。短編集。
以下簡単に感想を書いていく。
あらすじは書かず、冒頭の一文だけ記しておく。おつい・・・山白朝子先生は書き始めが非常に優れている作家だと思うので。
一番好きな作品は「子どもを沈める」。
「世界でいちばん、みじかい小説」
中央線沿線のマンションで家内と二人暮らしをしているのだが、先日から三人目の人影を部屋で見かけるようになった。p.6
夫婦と、夫婦の家にいる幽霊の話である。何故いきなり家に幽霊が現れるようになったのか。その謎を自分自身で解いていくことで、ほんの少し癒えた彼女の心の傷。ある種の幽霊ミステリ。
この物語は・・・彼女、妻にあたる千冬が、めっちゃくちゃ良い。風貌はライトノベルチックなのに対して、心の底では純文学に出てくるような深い悲しみが常に流れて続けている。
ぽつ、ぽつと置かれるように発せられる言葉は、主人公と僕達読者に謎解きのヒントを与える。そしてその響きは寂しい。たまらなく寂しい。
(筑前煮の筍を食べながら)
千冬「り系かどうかは関係ない。見えてしまったものを否定は出来ないから。うん、おいしい」p.8
多分、おいしいってことを確認しないと、おいしくないんだろうなって思う。おいしいってことを確認しないと常に、考えてしまうんだろうなって思う。それくらい彼女の心にはいまだにとうとうと流れている、哀しみ。寂しさ。朴訥とした口調からは、感情が分かりづらくても、とうとうと、とうとうと・・・。
僕も、そうだ。
否、そうだった。
母親が肺癌を患ってから、「母親が死んだらどうしよう」と常に考えてしまう日々が始まった。
今でこそ、心療内科で貰った薬でそのことを、忘却する時間が多くなった、とはいえど、ふとした瞬間に思うだけで涙腺が緩んでしまう。
職場では、目の前のことに集中できるようになった。レジのお札を数える時。商品の品出しをする時。お客さんの眼を見て話す時。
でも、家だと、それが例えば日付変更線をまたぐ深夜とかだと、えんえんとシーツを濡らしちゃう。Tシャツでも拭っちゃう。
例えば昨日からの、脳に転移したがんの治療のための2泊3日の入院が決まった、ってだけでも僕の心はどこかで大きくダメージ受けてる。
そういう姿を見られたくなくて、特に母親に見られたくなくて、ひとり暮らしをしたというのもあるのだけれど。
・・・それがいつ来るかは分からないが、まだ起きていない喪失に対して悲しんで涙を流すのは馬鹿らしいことだというのは分かっている。
でも僕は、
「・・・痛いよ」
泣き虫で、脆いから。
「首なし鶏、夜をゆく」
父方の祖母の家は山裾の村にあり、周囲に広大な畑と雑木林があるだけの何もない田舎だった。p.44
雰囲気は、「僕だけがいない街」とか「砂糖菓子の弾丸は撃ち抜けない」とか。
子どもであるが故の無力で救えない話はもうどうしようもなくて、読んでいて独特のやるせなさがある。子供時代を経験したことのない人は実在しなくて、読者全員身に覚えがあって共感もしやすい。から、創作の格好の題材にもなるんだろうけれど。
大人たちは僕の言い分を聞いてくれなかった。顔をしかめ、気味のわるいものを見るように僕を見た。
僕「おばさんはひどいやつなんだ。ずっと楓子をいじめていたんだ。(略)」p.62
でも、首無しの鶏はそんなこと一切考えることはなく、歩き続けることが出来るんだろうな。夜を。
だって、首が、ないんだから。
風子「でも、これだけはうばえないものだよ。私のなかに生まれた、この感情だけは、おばさんにも絶対に取りあげられないものなんだ」p.62
首無しの鶏はそういった感情を一切抱くことはなく、歩き続けることが出来るんだろうな。夜を。
だって、首が、ないんだから。
・・・ちなみに、僕は酉年だ。僕のこの常に絶え間なく流れ続ける憂鬱を断ち切るためには、誰かが討つしかないのだろう。僕の、首を。
「酩酊SF」
私はいつもホラー小説を書いているが、たまにSF小説も執筆する。特に時間SFと呼ばれるタイプの作品を作るのが好きだ。p.6
「夏への扉」よろしく時間SFに、酒が絡んだSFである。
ところがどっこい・・・僕はあんまり頭がよくなくて、時間SFの傑作ともいわれる「夏への扉」も挫折してしまった過去を持つ。タイムマシンが絡むとどうも話が難しくなって、理解できぬままに物語は進む。大抵こういう話の根幹はタイムマシンの設計が関わっているので、クライマックスで無事詰む仕様となっている。
ギリギリ理解できた。短編なだけあって。
でも「???」「?????」だけが僕の中に残った。
こんな僕でも、「時をかける少女」は面白かったから、やっぱり筒井康隆って凄いんだな~って思う。
「布団の中の宇宙」
小説家という人種は、オカルトめいた出来事に遭遇する割合が多い。p.92
書くことが出来なくなってしまった売れない作家の話である。
失ったもの・・・は恐らく「書くこと」「創作意欲」「現実へ立ち向かう気力」といったところだろうか。この作品だけそこがハッキリしないため、他作品から浮いた印象を受ける。
布団の中に宇宙が広がる。先程筒井康隆の名前を挙げたけれども、この作品だけ筒井康隆SF臭が漂っている。主人公、とその話を聞いた作家達が男性と言うのもあって、この作品だけ山白朝子感が薄かったように思う。おつ・・・違う名義で、発表した方が良かったのかもしれない。
ちなみに、この話はネタバレちょっとしちゃうと、布団の中から女が出てくる。「呪怨」のあのシーンが貼られる度に「美人」「すこ」とか言ってる奴は全員これ読んで引きずり込まれればいいと思うよ。
「子どもを沈める」
私の高校時代のクラスメイトが赤ん坊を殺した。
すこしたってまた別の友人が赤ん坊を殺し、さらにまた別の友人が自分の子を殺害した。p.116
書き出しが物騒。からの、典型的「死んだいじめられっ子が大人になったいじめっ子に復讐する」ホラー展開が始まるかと思いきや、主人公の決断がもたらした、結末の救済に涙が止まらなかった。何回も泣いた。
ネタバらしををすると、死んだいじめられっ子がいじめっ子達の娘として転生してくるという話である。それに耐えられなくなったクラスメイト達、主人公と同じグループの女達は、赤ん坊を殺すのである。
そしてとうとう主人公も子を宿して生むのだが・・・といった具合。普通のホラーなら「ローズマリーの赤ちゃん」よろしく、生まれる直前まで、もしくは生まれた直後までを描くと思う。でもこの話はホラーじゃないから、子供は生まれ、育っていく。
その間の主人公の葛藤が生々しく描かれている。息苦しい。純文学に近い。特に同じ妊娠ものといっても、ある種小川洋子「妊娠カレンダー」に近いのかもしれない。この話は明確なオカルト絡んでいるけれども。
だから後半の、主人公が答えを見つけて、心が解れていく過程は読んでいてカタルシスがあって、「良かった・・・」という気持ちと、これから愛が交わされる一般的に言う「母娘」になっていく彼女達に想いを馳せずにいられなくなる。恐らく主人公はこれからも葛藤を続けていくだろう。けれど、愛が勝つだろう。
かつていじめた子の転生である娘を、恐怖の対象ではなく愛情を注ぐ対象としてみる。
その主人公が変わるきっかけが、思春期に仲が悪かった主人公の母親との電話、と、あと(転生した)主人公の娘の一言と言うのも良かった。
母「あんたは子供を殺したらいけないよ」(中略)
母「私はだめなお母さんだったけど、あんたにむかって暴力をふるったことはないでしょう?」p.137
ビールを飲みながら、主人公の母親はダメ押しをする。荒んだ生活を送って母親らしきことが何一つ出来なくても彼女の中で絶対にこれだけはというラインがあるのが、人間らしくて生々しくてとても良い。
母「あんたに似なくてよかったじゃない。つまり、私に似てないってことだから」p.137
そしてそのダメ押しパワーを強める冗句。主人公も中盤から酒に溺れるようになるが、結局はこの二人も母娘なんだなぁと思う。いやまぁ母娘なんですけど。
娘「きてくれてありがとう」p.139
そして終盤ラスト2ページの、娘が主人公に対して発した台詞。酒に溺れる母親に怯えているが、それでも母親として接してくれる娘の尊さに、本来得るべきであった母性を主人公は取り戻したのだろう。
どんな母親でも、この愛を断ち切ることは出来ない。
二人のこの二つの言葉があったこそ、主人公は最後の衝撃の行動に移ることが出来たのだろうし、そして今まで踏み切れなかった母性に沿って生きていくことを誓ったんだと思う。
もうよく分からなくなってきたけれども、とにかくめちゃくちゃ好き。超好きな短編。
多分、だけど、いつか僕が母親になった時この短編を読むと、またきっと違った感想が浮かんでくるのだろう。
「トランシーバー」
二〇一〇年、会社帰りに通りかかったおもちゃ屋の店先で、ワゴンにトランシーバーが売れ残っていた。p.142
311の震災で、生き残った男の一生を描いた話である。
息子と妻を津波で亡くす(正確には行方不明)。しかし、彼の人生は続いていく。その先を描いた物語。
俺はまだ生きている。生きている側の人間なのだから。p.163
終盤とあるトラブルが起きて、主人公は自分の人生を生きることに対して前を向くことを決心する。3月11日を振り返るばかりでなく、その先をも見据える決心をする。
再生の物語なんだな、と思う。
そして最後の最後は、微笑ましい。
皆、幸せであれ。
生きる者も、死せる者も。
「私の頭が正常であったなら」
夫は社交的で友人もたくさんいた。先輩からも後輩からも慕われ、みんなと明るくお酒を飲むのが好きだった。p.168
しかし娘を授かると、夫との間に軋轢が生じ離婚。数か月後、面会しに娘を連れて行くが、夫は、突然娘の手を繋いで連れ出す。そして主人公の前で・・・。元夫が歩く先の道路には車が行きかっている。
このシーンが劇的に辛くて、もうめちゃくちゃだった。行を読むごとにこれから起こる悲劇の予感がして、でも読まないと読み切れないから読むしかなくてそして結局起きた悲劇にもう文字越しに涙。主人公の気持ちを思うといたたまれない。
読者の僕ですらこうなのである。当然主人公はそれから精神を病み、幻聴などにも悩まされるようになる。
しかしある時、日課となっている散歩中、女の子の助けを求める声を聞いて・・・と言った具合。
でもそれは、幻聴かもしれない。幻聴だったほうがいい。だってその声は、助けを求めているのだから。「私の頭が正常であったなら」、悲劇だ。主人公の娘のように辛い目に合っている少女が実在しているということだから。
過去は変えられない。しかし、過去との向き合い方は変えることが出来る。
最終的に、完全、とは言えないが、主人公の心は少しずつ癒えていくところで終わる。過去の自分を克服することで、主人公は少し前を向くことが出来た。
凄まじい話だったな・・・と思う。同時に人間は常に変わり続けることで、その自分自身を救済することが出来るのだなぁと思った。
でも変わるのは怖い。
それは自分の醜い部分に真向に対峙して、今までとは違う行動をするということだから。
総てが未知。
変わるのは怖い。
けれどそこを打破した先に、人生は、拓けるのだろうか。
「おやすみなさい子どもたち」
私は一人っ子だ。体が弱く、いつも本ばかり読んでいるような子だった。p.204
身近な人を失った話が多い中で、最後は失うを「される」側の話である。要するに死んだ少女が主人公。
そして天使と死後の世界を巡る。ダンテの「神曲」を思い出す。読んだことないけど。
主人公の少女は終始勇気があって、優しく、素晴らしい女の子に描かれている。
だから多分この話は、主人公の傷が癒える物語ではなく、読者の傷が癒える物語なのではないかと思う。山白朝子先生から読者へ向けた物語。
身近な人、その身近さに距離が多少差異あれど、亡くして失った人と言うのは決して少なくないと思う。人によっては立ち直れなかったりとか。あと自分の死後を思いつめて怖くなっちゃたりであるとか。
そういう人達全員に向けて、紡がれた物語なのだと思う。
だから多分この「子どもたち」というのは物語に出てくる子供達だけでなく、僕達読者生者全員のことを言っているのではないか。
おやすみなさい、子どもたち。
おやすみなさい、人間。
おやすみなさい、やすらかに。p.246
以上である。
結構一話一話心にクるものがあったが概ね楽しく読めた。あとやっぱ「子どもを沈める」、これが読めただけでも本書を借りた価値はあった。
おつい・・・山白朝子の小説は、怖いだけじゃなく優しくて、優しいだけじゃなく冷たくて、冷たいだけじゃなくて灯。
彼女の作品で読んだのはデビュー作である「死者のための音楽」に続き2冊目であるが、また別の作品も読んで行きたいと思う。
***
LINKS
これは実家近くの図書館で借りた。10冊借りたのに2週間で無事返せた。ニートだったので・・・。