12の月には12の怪談が相応しい。
福澤徹三『怪談歳時記 12か月の悪夢』(角川書店 2011年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
初詣の夜に妻を見失った男。帰ってきた妻は、以前とはなにかがちがっていた。老人の語りが戦慄を呼ぶ「鬼がくる家」。
女子大生〈あたし〉は真夏の山中で、われにかえった。見知らぬ車に見おぼえのない服。失われた記憶を求めて恐るべき真相にたどり着く「迷える羊」。
平凡なOLが引っ越したマンションには、得体のしれない誰かが住んでいた。女の情念と狂気を描く「九月の視線」、
四季を舞台に織りなす12篇の恐怖。
裏表紙より
【読むべき人】
・福澤徹三先生が好きな人
・アンソロジー「再生」おいて「五月の陥穽」から気になっちゃった人(is僕)
【感想】
う~ん。微妙。おかしいなぁ、福澤先生の実話怪談は滅茶苦茶面白いし、アンソロジーに掲載されていた作品も面白かったんだが・・・。
朝宮運河編『再生』に、本書の五月に当たる短編「皐月 五月の陥穽」が掲載されていた。絶望感が半端なく、また文章力も達者で、はえ~こんな短編どこに掲載されてるんやろと後ろの方のページを見たら「怪談歳時記」とある。
12か月、それぞれの月に当たるホラーが収録されているとの旨。
「やったぜ!!!」
ホラーも好きで、長編より短編小説のが好きだから、期待してワクテカして読んだわけだけれども・・・うーん・・・といった印象。
「皐月 五月の陥穽」レベルの短編が他11も読めるのかと思ったが、実際12つの短編の中でこれはかなりの上位で、結構微妙な短編が多かった。まぁ角川ホラー文庫収録作品全般対象にしたアンソロジーに掲載されている訳だから、「五月の陥穽」自体が、作品単体でかなりレベルということは当たり前体操なんだけれども。
にしても、その「微妙」のレベルが想像よりかなり低く、がっかりといった印象。
「皐月 五月の陥穽」に並ぶのは「長月 九月の視線」「神無月 紅葉の出口」くらいで、あとはまぁ・・・うーん。どこかで読んだようなものであったり、いまひとつ怖さに欠けていたり、バランスが悪かったり・・・といった感じである。
以下簡単に、収録順・・・・1月-12月(睦月‐師走)の順・・・に短編の感想を書いていく。
「睦月 鬼が来る家」
母の実家を訪れたのは、大晦日の夕方だった。p.7
寝たきりになった祖父は、小学生の裕太に、新婚時代の初詣についての話をするが・・・。
微妙。
まず福澤先生の字体と、舞台となる時代・・・昔で和風な昭和中期の相性が微妙。こういう昔のホラーってじっとりねっとり感がウリだと思うのですが、福澤先生の乾いた文体でそれをやられるとう~ん・・・?になる。う~ん・・・?坂東眞砂子先生、岩井志麻子先生のあのぐっちょりねっとりぬれぬれ文体で読みたかった。
そしてピークとなる場面も、既視感がある。自分とパートナーが同じ部屋にいるが、「開けて!!その人は偽物なの!!」と外からパートナーの声が聞こえる。しかし目の前にいるパートナーも「私が本物よ!!」と言う・・・。
ちょっとホラー齧った者からすれば、こ一つのパターンで、新鮮味もくそもないのである。具体的な例を挙げると、「世にも奇妙な物語」の「あけてくれ」であるとか。創作ではうやむやにされるか、「偽物」を選び取ることが多い。また、実話怪談でもこういうパターンが近年見られる。創作とは反対に、「実話」である以上「本物」を選び取っているケースが多い。
あと、安易に女性のみに「鬼」の血が流れるっていうのもどうなんだって思った。
設定と文体の相性が微妙な上、展開諸々凡庸。ちょっと物足りない一篇。
「如月 雪の下の蜘蛛」
けれども、きょうは体調のせいか、すんなり記憶が蘇った。p.26
28歳サラリーマンの蓮見は、由加里(本命)と志保(毛深い)を二股するが・・・。
これも微妙。
起承転結の「転」の描写が雑だから、いまひとつ予想外の展開の「結」まで今ひとつ結びつかない。「転」の場面における志保の描写を2ページ程設けるべきだったと思う。あまりにも突飛すぎる。
また、これを恐怖譚として書いているが、女の身からすると、恐怖譚とすること自体ちょっとムカつく。志保の気持ちをないがしろにし過ぎ。ありえない。男側に都合よく考えすぎ。
その割には、蓮見にバチが当たってない。足りない。献身的な妻を手に入れ、息子にも恵まれ、加えて自分は無理して働かなくても良くて・・・ハッピーハッピーおじさんである。なんだよクソ。
また、毛深い体質である志保を「蜘蛛」と安易に結びつけるのもいまひとつ。毛深いだけでは蜘蛛感ないし、もっとこう、蜘蛛らしい特徴が欲しかった。肌色、関節、服の色、目の色・・・もっと蜘蛛を想起させるような描写が出来たはずなのだ。
最近読んだ蜘蛛人間と言えば、遠藤周作の短編「蜘蛛」に出てくる青年・・・あれはまさしく蜘蛛っぽくて素晴らしかったなぁ・・・。
う~ん。男に都合よすぎる話だし、毛深いだけで「蜘蛛」呼ばわりするし、フェミニズム抜きにしても起承転結の構造自体も雑だし・・・ちょっと色々残念な一編。
「弥生 卒業写真」
結婚してしばらくは、カレーを作ると、なぜか帰りが早かった。ひとりでいるのがさびしいときは、せっせとカレーを作った。おなじ煮込み料理でも、シチューは帰りが遅かったから、休日にしか作らなかった。p,46
主婦の洋子は、高校時代付き合っていた真治とたまたま道でばったり出会う。
良作寄りの普通。
夫に不満を抱いている妻が、ある日ばったり昔の恋人と出会って逢瀬を重ねるけれどもまぁここは怪談なのでその相手が死んでいることが判明しましたという話である。あるある探検隊、あるある探検隊!!というわけで、展開自体は凡作中の凡。
それでも「良作寄り」なのは、洋子のキャラクターがしっかり練られているから。「流されやすい人物」として丁寧に描かれている。例えば上記のカレーのおまじないであるとか。大人しいからこそ、気が強い昌平に惹かれて結婚したんだなとか。様々な無駄と分かっているものでも切り捨てられないところであるとか。彼女の人間性を感じられる小さいエピソードがところどころに配置されているので、そこは読み応えがあった。
あと結末。大抵なら、初恋の相手が死んでいることを知ってショックを受けて余韻に浸って終わりだが、本作では終盤「引っ越し」が唐突に出てくることで、一気に切なくなる。もう二度とこの場所には帰ってこない、もう二度とあの時代には帰れない。
この2点があるという点で、「良作よりの」凡作という訳である。ただあまりにも既視感が強かったのと、話全体を引き締めるようなインパクトはなかった。引っ越しもそこまで達せなかった。ので、凡作。
「卯月 迷える羊」
ディー「あんたがエスになれたのは、いままでの自分を忘れたからでしょう。ここへくる前の記憶がもどったってことは、反対に、ここにいたのを忘れたのかも」p.68
目を覚ますと、いままでの趣味とは全く違う下品なギャルの格好に身を包んでいた〈あたし〉は・・・!?
普通。
まず思ったのは「え!?いきなりそういう話!?」である。初恋をもう思い出さないわ・・・!といった話から、いきなりなんか生臭い汚いや陰謀めいた話だから、その落差にくらくらした。こういうのは怪談じゃないじゃん。勘弁してくれ。
次に思ったのは「4月、関係ねぇ~~~~~」。今まではなんとか1月は初詣、2月は雪、3月は別れの季節・・・と、季節感重視!!!よっ!!!怪談歳時記!!!感があったが、この話、四月感全くねぇ~~~~。誘拐されたのが四月で、解放されたのが夏だったから正直卯月より葉月感半端ねぇ~~~~。夏の女子大生によるオカルト自由研究!!じゃねぇんだよ~~~~。
ポカーンとしてしまった一篇。
ただクライマックス、施設の内部が明らかになるシーンは衝撃的で、本書で一番記憶に残っているシーンといっても過言ではない。それは怪談じゃなくねぇ?感はあるけど。
多分こんなにカオスな一篇になっているのは、新耳袋「山の牧場」へのオマージュ作だからだと思うんですよね。設定といい結構共通点があると思うのですが。でも元ネタ踏まえてもこれは・・・う~ん。
普通に四月は櫻に関する怪談読みたかったです。
「皐月 五月の陥穽」
しかし、どんなに苦しかろうと、あの窓に足が届くまでは、あきらめるわけにはいかない。p.97
さえないサラリーマン石黒が、会社のビルとビルの間に落ちた!!
傑作。やっぱり改めて読むと他と比べて絶望感が違いますねぇ!!!もうどうしようもない感じ。石黒頑張れ!!石黒頑張れ!!
あとこういう「閉じ込められる系」って、本当に文字通りに棺桶だとか箱だとかそういうのが多い印象でしたが、ビルとビルの間、っていうのがこれまた斬新でいい。そしてそれを「五月の陥穽」と名付けるセンスの良いタイトルも素晴らしい。
やっぱり今までの4編と比べると、数段秀でていると思う。
あとやっぱあれっすね・・・「師走 幽霊たちの聖夜」でもいえますが、中年男の漠然と抱える絶望を描かせると福澤徹三先生に並ぶ作家はいませんね。
ちなみに僕は、この短編で初めて「陥穽」をかんせいと読むことを知りました。今までかんさいと読んでた。なんでやねん。
「水無月 梅雨の記憶」
砂村「屍体が埋まっていると、紫陽花は何色になるんだろう」p.105
暁子にとっては、恋愛とは、要求であり、欲求だった。p.108
女子大生と怪しからん関係を持っている砂村48歳が、思い出したのは大学時代しつこくつきまとってきた女・暁子のことだった。
凡作。残しておきたくなる文章が上記2か所あったけれども・・・名文だと思うけれども・・・・展開としてはまぁ普通。
というのもこの作品も「起承転結」の「転」が雑。大学時代の暁子との交際の終わりが物語の主軸となる。でも、その終わり方があまりにも雑過ぎる。
大学生をもつ母親が一人の女子大生を埋める体力があるか、ってとこも疑問。母親自体が過干渉な親の節が見えていたら、成程そこまでするかなぁ、と思うけれども、砂村の母親に至っては別にそういった描写もないから、本当に埋めたのか・・・?となる。
暁子が砂村との間にできた子を紫陽花の下に埋めた、という展開だったらまだ納得いったかもしれない。で姿をくらます。そして時がたって、48歳の砂村の浮気現場であるバーの白い女が白い少女(もしくは少年)を連れていたら、まだ説得感あると思うのだけれど・・・どうだろう?
あと短編集全体としてみた時に、男が悪気なく不倫・浮気しているという点で「如月 雪の下の蜘蛛」と被っているのでそこも残念だった。
あと一冊丸々読んだ後、12の短編のタイトルを見るとほとんどが何となくどういった話か思い出せた。でも、この話だけ中身読むまで全くどういう話だったか思い出せなかった、ということも追記しておく。
「文月 おどろ島」
達夫「この神社のまわりを三回廻ると、神隠しに遭うんだ」p.122
大学の教職員である主人公は、大学時代以来の「おどろ島」付近へ、学部の旅行で足を運ぶが・・・。
悪くない。
島に魅入られた男の話である。
強いて言うならば、男女間の関係性の描写がもう少し欲しかった。
沙耶⇒主人公の伏線が足りない。読み返せば確かにあったけれども、全然気にかけていなくて、最後の展開がまぁ今までと同様かなり突飛に感じられた。
また、俊介⇒沙耶も限られたページ数では察するのがむつかしい。「俊介は沙耶に気があるようだった」の一文でもあれば話の全体像が見えて引き締まったのかもしれない。
推敲する時間がもっとあれば、赦されるページ数がもっとあれば、間違いなく良作になったであろう、惜しい作品。
「葉月 精霊舟」
圭吾「カラオケなんかやめて、ドライブにいこうや」p.139
東京に進学した女子大生の結衣は、高校の同窓会に顔を出すが・・・。
微妙。
文月同様、人間関係における伏線の張り方が雑。圭吾と、そして琴音が、結衣を狙った理由がほしいところだが、そこらへんが非常に曖昧なため、最後の一行「ハァ?」になった。
その癖、厭そこいらんやろという描写が多かった。結衣の実家であるとか、クラスで一番かわいかった女子であるとかいらないエピソードを詰め込んでいるため、最後があまりにもやっぱ「ハァ?」。
だったらもっと書くことあるやろ。琴音と圭吾の関係性を暗示するようなエピソードであるとか、精霊舟を幼少期見たエピソードであるとか。
説明不足な印象。
所謂「夏」にあたる、「文月 おどろ島」「葉月 精霊笛舟」のこの2編はいらない部分があまりにも多すぎたために、微妙になってしまった感が否めない。どちらも「夏」という季節感満載の作品なだけに・・・残念。
「長月 九月の視線」
そもそも二十九歳になって、学生のような1DKに住んでいる方がおかしい。この部屋なら、健司を読んでも恥ずかしくない。p.146
おととしの同窓会で、春香は疲れた顔をしてみせたが、彼女の眼が嫌みなほど輝いていた。p.150
自分を振った女に未練を残しているようにお見えるし、その女が今季を逃しつつあるのを嘲笑っているようにも見える。p.152
その夜も部屋に帰ってウイスキーを呑んだ。p.162
良作。
所謂事故物件ものである。しかし、共に棲んでいた者の正体は・・・。
意外な正体であったけれども、この短編は上記に挙げたような伏線が幾重にも貼られているから、その結末に非常に納得感があった。
恵理の見栄っ張りな性格。と、二十九歳という年齢。実家に帰れば結婚をせっつかれ同級生は結婚している。一瞬気をもちかけてしまった妻子持ちの中年の上司・・・。酒量は増えていく。焦燥絶望閉塞感・・・。
一行一行総てにそういった含みがもたらせれていたからこそ、最後の現象を自然と受け入れられたんだと思う。
普通に考えれば「葉月 精霊舟」のラストの方がまだ現実的ではあるんだけれども、こっちのラストの方が「なるほどね」となるのは小説という媒体ならでは。
また、その格安の物件で起きる現象の魅せ方も巧かった。オーブや、突然すぱっと切れたさぼてん、ぬいぐるみから出てくる髪の毛・・・。出てきそうで出てこない不気味な演出もなかなか良かった。
「皐月 五月の陥穽」に並ぶ良作であると思う。
「神無月 紅葉の出口」
自分も裕美も、いったいなにを急いでいるのだろう。
大学を出て就職をして結婚をして子供を作った。
出世こそできなかったが、ひとつの場所にとどまることなく、急ぎ足で歩いてきた。
それなのに、この歳になっても出口は見えない。p.179
一番好き。名作。
家庭にも仕事にも疲れ切ったサラリーマンが非日常的な状況下において、ふと自分の人生に思いを馳せる一遍である。
そしてその人生が、あまりにも誰にでも当てはまっていて、あまりにも哀しい。
いったい僕達は何のために生きているのか。
いったい僕達は何のために頑張っているのか。
いったい僕達は何のために・・・。
モラトリアム的憂鬱は若者にとっては甘美なるものだった。しかし不惑の齢にもなるとそれはもう無味乾燥な砂を口に無理矢理詰め込まれているような感覚。
その鬱屈とした気分が、山奥の紅葉の美しさへの感動によって、ピリオドが打たれる。
唐突に。
そして・・・といった具合。
前半の渋滞、妻の小言、息子の態度無駄な部分が一切ないのも良かった。
やっぱり人生の悲哀・・・特にサラリーマンの悲哀が絡むと一気に良作になりますね。福澤先生の作品は。
ところで僕の人生の出口は・・・どこなんだろう。
「霜月 隣の女」
朝比奈のハンドルネームはリュウで、キャラクターは戦士である。p.182
ネトゲ(MMORPG)に熱中する独り暮らしニート朝比奈には悩みがあった。それは幾千もの戦いを共にしてきたパートナー・女魔術師レイチェルが、リアルで会うことを執拗に申し出てくることだ。
微妙。
MMORPGを舞台にして書くのが初めてだったんでしょうね。色々欲張りすぎている。アニメ(ラノベ)「ネトゲの嫁は女の子だと思った?」と殊能将之「ハサミ男」をごった煮にしたかのような短編。
でもクライマックスになる部分は、「長月 九月の視線」と丸被りで・・・残念。おじいちゃんそれ先々月もやったでしょ・・・という具合。伏線も前作と違って張り方が雑だし数も少ない。恐らく「MMORPG」という特殊な舞台に引っ張られ過ぎたのだと思う。
あと、最後の一行が
次の瞬間、あたしの悲鳴が長く尾を引いて、闇の中にひびきわたった。p.196
なんだけれどもこれいまいち意味わからないんだが・・・?この一行いらなかったのでは・・・?
タイトルも微妙。「隣の女」と書かれればいわゆる隣人もののヒトコワ系を想起すると思うのだが、全然そういう感じの短編でもないし。
なんか・・・「長月 九月の視線」「神無月 紅葉の出口」と連続して傑作出しちゃったから、この時期は搾りかすしか残っていなかったのか・・・?という短編。
「師走 幽霊たちの聖夜」
世の中という階段は、日増しに勾配が急になっていく。その場にいるときはきづかなくても、一段でも下に落ちたら、もといた場所は見上げるほど高い。p.208
リストラされ自営業をしていたがたちまち借金まみれになった中年・玉岡は、ラブホテルでの清掃バイトを始めた。
良作寄りの凡作。この話が普通の短編集に収録されていたら「良作」判定を下したけれども、「怪談歳時記」において収録されるにはあまりにも怪談要素が薄すぎる。しかもトリに限って。
まぁ所謂「寄生獣」的なね、「寄生獣の正体は・・・人間でした!!」みたいな、「幽霊たちの正体は・・・玉岡達でした!」といったことがやりたかったてのは分かるけどいやみんな生きてるし。
それにラブホうんぬんよりもやっぱり人生の悲哀の部分の方が、キラリと輝く部分があって・・・。「神無月 紅葉の出口」は状況・ラストが怪談らしかったけど、これはもう・・・ただのおしごと小説では?といった印象。
ラブホのおしごと小説、読んでみたいですけどね。上野さんみたいな楽しい感じもいいけれども、こういう悲哀が詰まった感じもちょっと読んでみたい。桜木紫乃「ホテル・ローヤル」もやっぱ直木賞なだけあって傑作でしたね。でも男目線の泥臭いラフ保証説も読んでみたい。福澤先生、たのんます。
おまけ
順位をつけるなら・・・
1位 「神無月 紅葉の出口」
2位「長月 九月の視線」
3位「皐月 五月の陥穽」
4位「師走 幽霊たちの聖夜」
5位「弥生 卒業写真」
6位「卯月 迷える羊」
7位「文月 おどろ島」
8位「如月 雪の下の蜘蛛」
9位「睦月 鬼がくる家」
10位「葉月 精霊舟」
11位「水無月 梅雨の記憶」
12位「霜月 隣の女」
きみの誕生月は何位かな!?
以上である。う~ん。期待値以下の短編集、といったのが正直なところ。
「皐月 五月の陥穽」が面白かったこと、福澤先生の実話怪談がめちゃくちゃ好きであること、それぞれの月に向けたホラー短編集・・・。期待値高過ぎたのも否めないけれども。
でもまぁ「長月 九月の視線」「神無月 紅葉の出口」と出会えただけでも良しとするかなぁ・・・といった感じである。
ちなみに「長月 九月の視線」の恵理は29歳で1DKに住んでいることを恥ずかしく思っていいたが、僕は28歳にしてワンルームに住んでいる。
人生・・・。
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LINKS
本書を読むきっかけ。このアンソロジーはお薦めですね。
基本角川ホラー文庫から出ている実話怪談本は質が保証されている・・・気がする。例外もありますが。