日常は、忌まわしい話で満ちている。
福澤徹三『忌談4』(KADOKAWA 2015年)の話をさせて下さい。
【概要】
誰もが知る有名ブランドショップで封印された怪異(「九つの御守り」)。
凄惨な事故現場、押しつぶされた車体から発見されたのは(「手」)。
吐き気を催す食品偽装の実態(「よだれ肉と注水牛肉」)。
SMバーで知り合った女の軀は皮膚が削られていた(「傷」)。
東京の街角で配られる不気味なナンパメモ(「メモを渡す男」)。
美男子の顔がひと眠りした後、怪物に(「再生」)。
あの世もこの世も恐ろしい、読むだけで気分が悪くなる大人気シリーズ第4弾!
裏表紙より
【読むべき人】
・文章力のある実話怪談を求めている人
・「ホスト」「SMバー」等アングラ系の話もちょっと興味がある人
【お願い?】
福澤徹三、と検索して福澤先生の近影をご覧になってから読むといいかもぉ。
【感想】
一気読みして気づいたらあっという間に4巻である。文章力高いし一編一編も短いからさくさく読んじゃう。1冊あたり200ページ未満というのも一つ一つ陰惨な話が多いから丁度いい。
4巻になると、エッセイ的な部分に加えて、タイムリーな話も増えてきた。
例えば「よだれ肉と注水牛肉」では中国産食品の不信について。「スローライフ」という言葉に踊らされた夫婦の顛末。ハリーポッター役の俳優が告白した「群発頭痛」。恐ろしいっちゃ恐ろしいが、それよりも、まず懐かしい。刊行されたのは2015年・・・まぁそこら辺が騒がれた時期もありました・・・・。
あと福澤先生は車が嫌いなのかなぁと思った。8ページに及ぶ「交通事故」では怪異も事件も起こらない。ただ、年間でる交通事故死者数に福澤先生が「ぴえん」といって怯えているだけの文章である。確かに怖いけども。
でも福澤先生のお顔改めてネットで拝見するとどう見ても車を飛ばされる方のお顔をしているんだよなぁ・・・。
かと思えば、今巻では特に、自然的怪異に特化した話も収録しているように見受けられる。「赤い靴」等。典型的ヒトコワ的話も。「傷」「欠けたひと」等。
ごった煮であることには前巻と変わらないが、ひとつひとつの具材の濃度が今巻はぎゅっと濃くなってる気がする。
例えるなら、今までスーパーの野菜を使って作った味噌汁を福澤先生に飲まされてたけど、今巻は全部有機栽培の野菜に切り替わっててえ味噌も取り寄せたの!?え豚国産の凄い奴なの!?どしたのてっちゃん!!!!って感じである。一つ一つの話の精度が高い。
よって・・・今まで4冊読んできたけど一番面白かったのは今巻かなぁ。
以下簡単に特に印象に残った話を、基本ネタバレしながら感想書いてく。
一番怖かったのは「欠けたひと」。僕のことか?と思った。ぐっときたのは「卵と紙ひこうき」「徘徊の果て」。特に「徘徊の果て」はなんかもう感動しちゃった。大人の道徳の教科書、みたいなのがあったら掲載するべきだと思う。
「赤い靴」pp.28-33
曲は決まって「赤い靴」である。p.29
指一本で弾いているような、たどたどしい旋律が耳障りだった。p.29
怪奇現象聞こえて怖い怖いやってたら、「いや、それ口ずさんでたのお前やで」パターンの実話怪談である。まぁよくあるパターンではある。王道。
でもそこに「ボロいマンション」「隣室は住人が住んでいる」「赤い靴」「演奏超下手なのに弾いているのは成人女性」という幾つものエッセンスが複雑に絡み合って独特の不気味な感じを醸し出している。
「赤い靴」ってどんな曲だっけ・・・と思い、先程YouTubeで聞きましたが・・・いやぁ、YouTubeでさえ怖いのにこんなん毎日深夜隣室から流れてきたら発狂不可避。怖すぎて草生える。
「スローライフ」pp.34-41
終盤に怪異が出てくるんですが・・・僕は序盤・中盤の虫が普通に無理過ぎて草生える。あ。草生えたら虫が来る。草枯れる。
家の周囲の草むらは、ちょっと足を踏み入れただけで、バッタやキリギリスが何匹も飛びだした。p.37
特にこの一行が僕はもう無理。ゾッとする。家の中でない。外での出来事なんだけどゾッとする。下手に文章力ある分虫の描写が迫ってて終盤のおばあちゃんちょっと霞んでるレベル。結構派手に登場してるんですけど。
いやぁ・・・たまらんね。
「交通事故」pp.42-48
「来年、世界の交通事故で亡くなる百三十万人が生きち得るように、加害者もまた平穏に暮らしている。近い将来、わが子や孫を轢いてしまうとはつゆ知らず、その人物はきょうもハンドルを握っているのである」p.48
父母・祖父母が子供を轢く陰惨な交通事故の例を並べた後、上記の言葉で締められている。常に僕も心に銘じておきたい。免許学校の教科書に掲載して卒業する際生徒全員、免許更新に来た高齢者全員に暗唱させたい。
教習所の教科書福澤先生が書けばみんなしっかり読むのでは。
「手」pp.49-51
凄惨な事故現場。遺体も車もぐっちゃぐちゃの状態で、潰されたシートの隙間から見つかったのは
「手首から上が切断された、男性の右手だった」p.50
しかしその持ち主に該当するような人物は・・・といった話である。怖い。
ひっちゃかめっちゃかななかで無事な手、というコントラストが良い。正体不明って言うのも良い。手は幽霊的な存在なのかもしれぬ。もしかして実は巻き込まれた被害者で他が見つからないだけなのかもしれぬ。
身近ながらもなかなか聞かない交通事故直後の実話怪談。最後の一行も秀逸。
「けもの」pp.57-60
現地に行ってみたら、似たような外観の家が三軒ならんでいる。p.57
物件もの。両隣が引っ越したため土地か・・・もしくは最後結局妻一人になったため妻自身かに憑いている・・・と思われる。
「残穢」を思い出した。あれをかなり小規模にして濃度を濃くしてついでにもふもふも追加したリアルが、この実話といったところか。
「×××Holic」を思い出した。あれの初期の話で出てきそう。侑子さん助けて。
「卵と紙ひこうき」pp.61-66
夏休みのある日、Yさんは同級生のAくんとふたりで、廃墟となった製麺工場にいった。p.61
「卵と紙ひこうき」ってタイトルなんか乙一っぽいな~と思ったらななんか怪異現象も乙一山白朝子っぽくてふふっとなってしまった。
でもまぁ実話でしょうね。卵と紙飛行機と謎の足音とそして巨大な影・・・廃工場にあるものすべてが結びつきそうで結びつかないこの感じ。小説だったらもっと合理的に結びつきそうな展開にするもの。
クライマックス、影が現れる様は圧巻だった。
この物語は素敵すぎる。どうか現実で起きていてくれ。
いまでは怖さよりも、なぜか奇妙ななつかしさを感じるという。p.66
「自動ドアが開くわけ」pp.89-94
ひとつだけ気になるのは、深夜になると、決まって自動ドアが開くことだった。p.89
フランチャイズの飲食店でアルバイトしている大学生達は、ある日その正体を突き止めようとデジカメのシャッターを切る。その瞬間に現れる様がさながらJホラーのごとく鮮やかに描かれているのがいい。笹野鈴々音が見える・・・!
あっけらかんとした意外な結末も良い。そうきたか。そ・う・き・た・か!!
短編ホラードラマになりそうな一篇。
あとどうでもいいけど、タイトルちょっとラブコメっぽいな。
「傷」pp.107-113
「骨が見えるくらい」p.109
SMバーで知り合ったどMのYさん。意味が分からんくらいどM。要するに、常人の理解を越えたSMプレイ・・・常人の理解を越えたセッッッの話である。一応終盤常人のまだ理解の範疇にあるプレイの話が出てくる。常人の理解を越えないセッッッなので、これはエッッッで済むのでいいのだけれども・・・。
いやぁ、人間って業が深い生き物ですね。
「このくらいせな、イカれへんねん」p.111
笹野鈴々音が・・・また・・・見える!!!小さく儚くぎゅっとしてしまえば消えてしまいそうなの陰ずぶずぶずぶずぶ人間の深いところに堕ちていいておぼれていく童顔の女・・・。笹野鈴々音のアツい酷使。
「欠けたひと」pp.135-141
彼の知人にAさんという女性がいる。年は五十前半だが、外見は若くて三十代でも通りそうな顔だちである。性格は明るくて誰からも好かれるという。
恐竜と音楽について異常なほど詳しく、そうした話題になると眼の色が変わる。p.135
ただし重度の覚せい剤中毒者であり、警察から逃れるため精神病院の入退院を繰り返していた。同じような患者が集まる精神病院では当然・・・。
「欠けているひと」というのは言うまでもなくAさんのことである。
顔も手も足も、どこでそうなったのか、あちこちが欠けている。p.135
覚せい剤でテンションが上がってはしゃいでもケガをし、禁断症状が出て暴れてもケガをするからである。
童顔とやたらめったら明るい性格、そして詳しいジャンル「恐竜」「音楽」の話題では目の色を変える・・・覚せい剤・・・な・・・なんて闇の深い人間なんだ・・・。しかも五十代にして実家暮らしであり、警察に度々通報される。ただし「両親は裕福で、保釈金を払ってくれたり、優秀な弁護士をつけてくれたりある程度の面倒はみてくれる」p.137
僕はこの話うんぬんよりも、Aさんの存在自体に恐怖を感じた。
Aさんは恐らく現代社会を生きる力が極端に弱い人間である。そして僕もぼちぼち弱い人間である。「恐竜」「音楽」特定のジャンルでAさんは目の色変える。「西洋美術」「女性アイドル」特定のジャンルで僕は目の色変える。Aさんは童顔。僕も童顔。・・・まぁ50越えて30代に見られる自信はないけれども。あと実家そんな金持ちじゃない。
要するに、どこか遠いパラレルワールドの僕の未来を見ているような気がして、もう凄く怖い。めちゃくちゃ怖い。
最後の
「ーーーか、勝てないですぅ」p.140
とこびへつらうようにつぶやくところなんか本当外面を必死に取り繕っている僕まんまで本当怖かった。「です」じゃなくて「ですぅ」と、「ぅ」を入れる所に福澤先生の筆力キラリと感じるがこんなところで魅せてほしくなかった。「ぅ」がなければ僕はこんなにこの短編が怖いと思うことがなかった。それはまるで失敗を指摘された時上司にへへっと笑って誤魔化す僕のようであった。「ぅ」さえなければ・・・「ぅ」さえなければ・・・「ぅ」さけなければ・・・。
「それだけの話」pp.142-147
「ぜんぶつながっとるちゅうか、タイミングがよすぎるんよ」p.147
本当それだけの話である。ただそれだけの話である分、「今まで僕の周りにこういうこと起こらなかったか・・・?」もしくは「起こりうるんじゃないか・・・?」と思わずにはいられない。
「彼岸の足音」pp.148-152
Yさんたち後輩みんなに夜明けまでおごってくれて、別れ際にはひとりひとり握手を求めてきた。p.151
死ぬ直前、病気でもないのに、奇妙な行為に及んだ人々の話である。特に後半の印刷会社の先輩・Sさんの話がなんとも奇妙で印象に残った。いつもとは打って変わった飲み会の態度もそうだが、特に亡くなり方が・・・。え?え??最後の一枚の表情が意外すぎて、変な味。
Sさんは最期、いったいどういった気持ちで、亡くなっていったのだろうか。幸せ・・・だったのだろうか。写真を撮るくらいなのだから。
「徘徊の果て」pp.153-159
幼少期優しかったMさんの祖母の認知症はますます悪化し、家族につらく当たり、号泣し、暴れ、トイレに排泄物を塗りたくり、深夜には徘徊をひたすらに繰り返すが、ある日骨折をし、退院すると人が変わったように大人しくなる。
「人間って、歳とると逆もどりするんですね。保育士だった婆ちゃんが、赤ちゃんみたいになってーー」p.158
そして・・・一人のお年寄りの最期迎えるまでの数年を描いた話である。
最後、何故か祖母のカレンダーに命日に〇がついているという現象が起きる。
カレンダーで〇をつける日。まるで、誕生日みたい。
どんどん幼児化していくMさんの祖母、そして〇をつけた日に亡くなる、穏やかな顔・・・。
何に心動かされているのか分からないが、僕はこの話を読んだ時涙が止まらなかった。
看取る看取られるってこういうことなのかなぁ・・・。
以上である。
なかなか濃い話が多かった。ただ2015年の時事ネタはどうしても、2022年では風化してしまう。「スローライフ」の話は今誰もしていないでしょ?「FIRE」でしょ?「FIRE」。
福澤先生は恐らくサングラスぎらつかせて攻めの姿勢で書かれたのであろうが、うーん・・・それだったら「徘徊の果て」や「交通事故」のような無理矢理日常に見出した忌まわしい話を書いてほしかった。エッセイ風でもいいので。
惜しい一冊。
・・・。
・・・
・・・、
・・・え?・・・あれ?
向こうから来るあの坊主頭のサングラスは・・・!?
え・・・あふ!?や・・・やくざ!!!??ち・・・違う!!!
福澤先生だ!!!あ・・・・・あ・・・あ
あああああーーーーーーー!!!!!やべぇ・・・ここんな適当な感想書いてたら■されるかもやべぇやべぇやべぇああああああああああ!!!!!!!!!
僕「ーーーか、勝てないですぅ」
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他巻の感想。
「卵と紙ひこうき」はこの短編集に収録されている「黄金工場」を思い出した。この短編集はめちゃくちゃ面白いし、文庫版だと表紙も綺麗なのでお勧めです。読んだ後図書館で借りたのを後悔した。