物語よ、静謐に。
柴田元幸編『短篇集』(ヴィレッジブックス 2010年)の話をさせて下さい。

【概要】
この本に収められている短編の大半は、雑誌『モンキービジネス』の依頼を受けて、それぞれの作者が書いてくださったものである。それ以外の作品も、『モンキービジネス』に載った作品そのものではないけれど、やはり『モンキービジネス』登場歴のある作者が書き下ろしてくださった作品である。p.246 編者あとがきより
クラフト・エヴィング商會 誰もが何か書く仕事を持っている、私とわたしの猿以外は
戌井明人 植木鉢
栗田有起「ぱこ」
石河美南 物語集
Comes in a Box 朝の記憶
小池昌代 箱
円城塔 祖母の記録
柴咲友香 海沿いの道
小川洋子『物理の館物語』
「ごちそうさまでした。るみなちゃん、高校がんばってね」p.216
【読むべき人】
・小川洋子が好きな人、山白朝子が好きな人:何となく似た雰囲気の作品が多い
・海外小説が好きな人:基本全部日本の小説ではあるが、翻訳家の大物が創刊した雑誌に寄稿した小説だからか、海外小説をオマージュしたかのような内容の小説が多い。
【感想】
表紙、内容、長さ。
室内の弦楽四重奏的短編集。
柴田元幸、と言ったらあの有名なエドワードゴーリーの翻訳者で、他にもいろんな作品を翻訳している。というのを海外文学に疎い私でも知っている。だいぶ前から。
そんな彼が編纂する短編集。どういう作品が収録されているのだろう?
知的好奇心の赴くがままに手に取った一冊である。
図書館で借りた。
全体的に変わった雰囲気の漂う短編。小川洋子・・・まさしく小川洋子先生も最後に短編を書かれているのだけれども、小川洋子作品に見られる静謐さを纏う作品が多い。恐らく編者が大物というのもあって、彼が好むであろう物語の文やを書き手側が意識したというのもあると思う。
結論、おおむね面白い。
クラフトエヴィング商會、石川美南は写真・詩歌と作者特有の表現方法で寄稿しているがそれも含めて。ただまぁ、おおむね。そう「おおむね」。
音程が若干ずれていたり、リズムがひとつ遅れていたりする部分もある。まぁアンサンブルなんだ。僕達はAIではない。書き手もAIではない。そこまで技術は進歩していない。人間の業さ、仕方ないさ。
概要でも抽出したあとがきに出てくる「モンキービジネス」というのは、この翻訳家柴田元幸氏が創刊した文芸誌の名前。はじめはこれらの作品含め日本語の文芸も取り扱っていたようだけれども、最近のを見るともっぱら翻訳文学のみの文芸誌になった模様。出版不況の中形変えてでもここまでやってきたということはきっとそれだけの信頼を寄せる文芸ファンがいるのだろう。どこにいるの?
最近はなんか、アメリカの作家を紹介する短編集みたいな号を発売していた。黒い表紙。作家の作品が不穏な匂いがしていて、気になる。不条理ホラー、奇妙な味?でも心のどこかで単行本化するだろう、そして河出書房文庫アタリが数年以内に這うbんコカしてくれるだろうと高をくくっている。

以下簡単に感想を書いていく。
一番面白かったのは「植木鉢」、一番好きなのは「海沿いの道」。
クラフト・エヴィング商會 誰もが何か隠しごとを持っている、私とわたしの猿以外は
:油を溶かして箱をこじあけると、息を呑む一瞬の後、思わず「誰?」と猿に声をかける。p.8
商會(以下敬称略)に届いた箱を開けたら猿のぬいぐるみと箱があった。ので、箱を開けたらまた箱が・・・という具合。「モンキービジネス」という雑誌名にあやかって猿のぬいぐるみが出てくる。
いつもの商會。写真を介して文章で世界をくり広げていく。散りばめていく。独特の軽妙であってでも過剰装飾ではない文章は確かに翻訳文学の文体に似ているのかもしれない。
少し前の私が嫌った文体。
今の私は別に平気な文体。
短編集初っ端こんなに写真が出てきて戸惑う読者がいるかもしれない。そしたら聞いてやる。
「ヘイ、ボーイ。クラフトエヴィングは初体験かい?」
ちなみに私は30歳を超えてからなんか急に平気になった。
戌井明人 植木鉢
:庭の縁台で老婆が頭から血を流して死んでいて、縁台の下には割れた植木鉢が落ちていた。テレビでは事件のあった家の映像が流れている。p.28
植木鉢で頭を殴殺された老婆のニュース。それは明日、妻と赤ん坊を連れて帰省する男の実家の近くで起きていたー。といった具合の話である。私が本書を手に取って、そのままノータイムで「かりる本」の受付へ持っていったのは、この話の冒頭と最後をざっくり立ち読みしたからである。殺人事件、というのが気になった。なのに最後は母親の「早く味噌汁飲みなさいよ、冷めちゃうよ」p.57で締められている。30ページ前後一体何が起こったのか。
簡単に言うと、突発的狂気。
普通にサラリーマンで普通に夫で普通に父親(ただし飲酒量に問題あり)、の恐らく20代後半~30代の男が、突発的に事件のニュースを見て突発的に正義感にひた走り、走りぬき、犯人を捕まえようとする。普段の男の行動から全く考えられないことであったし、妻はただただそれに戸惑うばかり。男の数々の突飛なる行動や、意外な結末。
最初突然勃発して、最後は母親の味噌汁であっけなく治まっていく狂気はまさしく翻訳文学に用いられる「奇妙な味」で、妻からしたら圧倒的理不尽。正常な日常の飲酒量も多いことから、多分男の正気と狂気は紙一重、狂いやすい人間だったのかもしれない。
世の中事件の多くが、こういう善なる人間の唐突なる狂気によるものかもしれない。
そもそも、この殺人事件だって老婆は包丁ではなく、植木鉢で殺されている。人殺すのに植木鉢っていう手段は、ベストじゃない。ベターでもない。この事件だって、もしかしたら。男と同様の突発的狂気で発生したものだったのかもしれない。
飲酒しようがしまいが、人は狂う時は狂う。
突然狂う。
・・・私は本作でこの作家の存在を知った。アマゾンで検索すると「芥川賞落選作品集」などおもろそうな短編集を発見。近々単著を読もうと思う。
栗田有起 「ぱこ」
:「これは箱ではありません。私が作ったのは、『ぱこ』です」p.77
狭いところが苦手な私が、それを克服するために彼女の元へ通い始めるが・・・。
正直微妙だなぁ、と思った。小川洋子風の作品が並んでるといったが、小川洋子をパクれとは言っていないのよパート1。
狭所恐怖症と、ぱこを作る行為に対する恐怖の繋がりが見えない。狭所恐怖症の治療に有効である箱を作ることがどうして突然怖くなったのか。全く持って理解が出来ない。
私が別に狭所恐怖症ではないからなのかもしれない。「植木鉢」で何故男が唐突に狂ったか・・・日頃の生活で思い当りがあるからだ。私の日常にそういう瞬間はある。狂いそうになる瞬間はある。狂う瞬間はある。「ぱこ」でぱこを作っていた主人公は何故唐突に怖くなったのか・・・うーん。
狭所恐怖症、っていうのは恐らく作者自身の恐怖症なんだと思う。あまりにも自分ばっかり見過ぎていて、周りが見えていない。純文学風、小川洋子風の駄作・・・と言い切っていいと思う。

石河美南 物語集
食べ損ねたる手足を想ひ山姥が涙の沼を作つた話 p.84
犯人の好物はパフェ 綿密なる調査ののちにわかつた話 p.92
「話」で終わる縛りのある短歌集である。三十一文字には、三十一文字では語れない世界と時間を含有していて、その広さ奥行き差大きさに眩暈がする。
好きなのは上の二句。
上。冒頭の句である。早々山姥(やまんば)、っていう言葉に虚を突かれて、くらっとした。え、山姥って短歌禁止用語じゃないんだ。食べ損ねたる手足って何の?いや、誰の?そのまますべて読み切った。
下。好物がパフェだなんて版認定外と可愛い一面があるのね、と思った。デートで行ったデニーズで、メニュー表を見る時まず最後から見るんだろう。「見て、ダブルメロンパフェ期間限定だって。なんでダブルなんだろう・・・ああ、黄緑とオレンジこの2色でってことなのかなあ」目をキラキラ輝かせてた、まさかあの人が■■をするなんて。
Comes in the Box 朝の記憶
ラビが掠れてそう言った時、私たちは灰色に燃える果樹園の前を離れ、長く続く並木道へ入っていった。p.114
ラビという登場人物の名前、菜の花の酒、灰色に燃える果樹園というファンタジーめいた世界観に、「evian」「Nike」「Audi」と実在するブランドの名前が出てくるのはとても斬新だと思ったけれど、それだけだった。
小川洋子風の作品が並んでるといったが、小川洋子をパクれとは言っていないのよパート2。
そもそも作者名を聞いたことがない。冒頭を読んで、乙一のまた別名義か?と思って調べたがどうやらそうでもない。wikipediaのページにもない。そもそも日本人なのか、と思った矢先、あとがきにこの雑誌から出した作家とのことだった。2010年の本である。2025年現在その作者の名前は聞かない。再び乙一か?と思ったが、乙一はさすがにここまで雰囲気だけ、の作品は発表しない。思い直す。というか本作は雰囲気でさえ演出できているか怪しい。さすがにこんなどっかの高校の文芸部の部誌に載っているかのような物語を乙一は書かない。・・・乙一、いや違うな。山白朝子を読んで色白の40代50代の美人女性作家だと思い込んで、将来はそういう朝子先生のような丁寧な暮らしをしながらひっそりと物語を紡いでいきたいと憧れた女子高生が書いた作品、と思えばまだ許容できる。高校の文芸誌レベル。
小池昌代 箱
この物言わぬ文箱に、いったいどれほどの人間の障害が、かかわり合ってきたのか。まったくもってひどい臭いだが、これこそ、人間の臭みである。店には常に、甘く芳しい石けんの匂いが漂っているのである。しかしそれらは、すべてこの世の幻覚なのである。p.147
肩透かし、短歌、肩透かし・・・ときてからのいきなりの文芸を投げつけられたので戸惑った。面白かった。詩歌ベースの純文学・・・よりかは娯楽文学?芥川賞直木賞どちらに属するのか判断しかねる。初めて読む感覚で、戌井昭先生に続いてこの小池昌代先生を知っただけでも本書に出逢う価値は十分にあると思った。
終盤、白象と呼ばれる大巻という風俗嬢が現れる。
頭が少しゆるいのかと思われるほどのやさしい気持ちの持ち主であるということ。p.148
詩歌的なめくるめく万華鏡的な世界から、突然、非常に現実的な言葉が痛い。普通だったら「おおらか」「寛容」「女神かのような」「インドの仏像のような」とかそういう言葉が来るんじゃないのか。でも本書は児童文学ではないんだよ。大人に向けた娯楽小説だ。知らず知らずのうちに私達が触れてきた児童文学の定型的文脈を、予想外の咆哮からぐにゃりと曲げる。無理のある角度。痛いです。嘘。気持ちいいです。不幸は連鎖する目くるめく連鎖する。人間っていうのは欲まみれの汚い俗物で満たされることはないまま世界は開店し続けた末に暗渠たる現世。幸福は白象の輪郭をしている。石鹸の臭いは総てまやかし。汚い。穢れ。未来過去現在すべての時が収束して箱にコトン、と収まる結末。
表紙において本作は、弦楽器の穴をさしているようだけれども、確かにその小さい穴から覗ける虚空はどこまでも闇でいつもいつまでもはてしない、話。
円城塔 祖母の記録
:様々試行錯誤をしてみたものの、人間というのは意外に重く、僕は祖父を吊り下げ持ち運ぶのを、ごく早々に諦めた。p.170
植物人間の祖父を地下室から引っ張り上げてきて、ちょっとずつ動かしながら、チョークで築いた世界の上で活躍させる兄弟の話である。途中で同じく植物人間の祖母を持ってくるヒロインも登場。意識不明の祖父母を、真夜中そっと動かし合う少年少女の物語である。
海外文学を意識したかのような短編だった。翻訳に出てくる児童の独特の地の文章、どこの国かは特定させない匿名性。そんなのどうやって思いついたのって言う突飛な文章とか。その中で兄と弟は殴り合って暴力性が星のようにキラキラしていて、人間、そのギャップに生物としての血を感じた。
タイトル。「祖母の記憶」。恐らく、意識不明老人老女を使って張り切って撮影した、映画のタイトルだと思われる。兄弟の祖父母の出会いをクリエィティブに想像した。でも祖母は死んでる。身体があるのは祖父しかない。でも隣に意識不明の祖母がいる少女が引っ越してきた。じゃあそれなら・・・と、自分たちの祖父と少女の祖母使って演じさせたのではなかろうか。要するに、祖母は代演。こんな最期は絶対嫌だ。
地下室が「箱」と思ってたが、どうやら本作は箱を主題として指定した作品ではないらしい。「箱」「ぱこ」があるから全編「箱」主題だと思っていた。本作含め、この後の柴崎友香先生と小川洋子先生の作品は、編者あとがきp.248 ページ数のみの指定で書かれた短編とのことである。発想が0からここまで突き詰められて、こんなお話になるなんて凄いなぁと思った。なんとなく苦手意識がある作家だったけれども、1冊2冊それこそ図書館で、読んでみてもいいのかもしれない。
柴崎友香 海沿いの道
ミーコ「ソウオンセイナンチョウ、ってどんな感じ?」p.185
西川さん「実験ぽいことが、好きなんですよね。天然酵母のパンも、実験みたいなものですよ。酵母の作り方って知ってます?」(中略)
がさつな自分の苦手そうなことばかりなので作ることはないだろうと思ったが、小沢夫妻に会ったから、そのあとパンが焼き上がるまでの全工程を聞いた。p.206
たぶん、事故の責任を認めないために謝ることを拒んでいる、というのではなくて、単純に、思いつかない。p.215
ライブの翌日、突発性難聴になった20代中盤の女の話である。
この話が一番難しいけどこの話が一番好きだと思った。
一番難しい部分。
本作はおおむね3つの場面に分けられる。序盤のミーコとかミーコの彼氏、主人公の彼氏の名前が飛び交う、ミーコが主人公の部屋に突撃してきた場面。序。中盤は、ミーコとそして西川さんと自転車で縁日に行く。そこでかつて家庭教師のバイト先だった小沢夫妻と出会う。破。終盤、その小沢夫妻との事故の思い出話。大学時代の。急。
なんでこんなに分かりやすく、3つに分ける必要があったんだろうと思った。そこがわからなかった。
一番好きな部分。
主に中盤から。。縁日の場面。お祭りと縁日の違いを主人公が説明するところ。p.193初めて知った。あと、主人公が花瓶とかそういうものを愛でる感性を持っているのもよかった。私もなんとなく気になってしまう。あと、主人公が小沢夫妻に会ったからパンの作り方めっちゃ聞くってところ。嫌いな人に会ったらとにかく脳味噌に情報をぶち込んで記憶を薄めるしかない。どうしようもない。なんか、似てるね。私達。要するに中盤以降めっちゃ共感。震える。音叉。
終盤。小沢夫妻の運転する車が事故に遭った場面。お金持ちの夫妻はあんまりにもマイペースで、私達とは全く違う世界の人。私も大学時代そういう人いっぱい会って、ひとり暮らしの部屋に帰って、真夜中就寝前ふとした時に思い出してああそれはもう全然違うのだ。分かり合えないのだ。カルチャーショックを受けていたのだった。同じく共感。音叉はビンビン。
話が変わるが、私はアルコアンドピースの平子が好きだ。でもそれは彼がイケメンだからではなくナルシストキャラに屈したからではなく愛妻家だからではなく、花瓶を愛でちゃうところがある。だから好き。共感の音叉が震えると、人は途端にそれを好きになる。
閑話休題。気づけば彼女は私。嘘です。31歳なので。26歳の主人公とは違う人間です。鯖を読みました。サバサバ系女子。
頭のなかで、確かにライブの時の音楽が鳴っているのに、どうしてこれを保存して好きなときに再現できないのか、ずっと考えていた。きっと少しずつ、忘れて、CDの音かライブの音かわからなくなってしまう。そして、昨日のライブを録音したCDが発売されて、それを聞いたら、そのときに確実に、わたしの中の音は、失われてしまうと思った。p.207
パリーン!!!!
でも一番、共感できたのはここ。
音叉が震えるがあまり、ふれた花瓶が割れた。
ライブの時って、すっごいサイコー!!てなる。ステージがキラキラしていてびんびんに好きな音楽が鳴っている。大好き!手を振ったらえ、今ちょっとこっち見てくれた!?
翌日はまだ鮮明。翌々日も鮮明。一週間後はちょっと色褪せてる。一か月後はそのライブがあったこと自体おもいだすことも一日の内時間が減っている。当たり前だけれどもそれがとてつもなく惜しく感じられてしまう。
本当にその時しかない。ライブっていうのは本当にその時しかないからあれだけハイテンションで盛り上がれるということを加味してもそれでもなんか虚しいよなって思っちゃう。忘れたくないのに。
小川洋子 『物理の館物語』
:「偉い人が作家になるんじゃない。立派な小説を書くから偉いんだ。ほら、こんなふうに何もない宙をすくって・・・」p.230
「自分の書いた本が本屋の棚並んでいるのを始めて見付けた時、どれほどうれしかったか。言ってみればほんの二センチ幅のほどの、ただの紙の集まりが、たった今目覚めたばかりの鉱石のように、宇宙線の結晶のように、光っていたよ」p.231
小川洋子短編あるあるの、奇特な人間との交流記である。定型であるこういう短編を読めば読むほど私はこの社会からあぶれていない、この作家が世界中で支持されているということはやはりこの感覚をみんな持っているんだ、安心するので、いくつ読んでも健康にいい。
今回は、三つ編み眼鏡おばさんである。洋館に不法占拠で住んでいる。時々子供たち虹自分は作家だったという嘘だか夢だか分からない話をするチャーミングな人間である。
彼女にとって作家という職業は神様に等しいようだ。「何もない宙」から、手をおわん型にして救い出して世界を想像するという点では確かに神様に近いところがあるんだろうとは思う。まぁ、若干過大評価をしているような気もするけれど。ただ、何故彼女がそこまで物語に固執するようになったのか。現実との齟齬を匂わせるようなパーツが、具体的には出てきていないので印象に残らない。なんか、面白かったんだけど、2か月後私はこの女をこの短編の存在自体を絶対に忘れているだろう。
でも、それが小川先生の意図するところだったのかもしれない。
「モンキービジネス」という誕生間もない文芸誌に送るのは物語をそして作家を崇拝する女の話。その女は、記憶に残らなくていい。そこに割くはずだった記憶を、これから「モンキービジネス」に掲載される様々な物語に割いてほしい。存在感薄い短編。それは未来へ紡がれるであろう物語への祝福。

「箱」を記した小池昌代は、ヴァイオリン自体の穴の部分。
以上である。
編者が大物翻訳家・・・でありながらその作品群が癖あるものが多いからか、集まっている作品もそのほとんどが結構曲者ではあった。でも、円城塔、柴崎友香、そして戌井明人、小池昌代と、新しい作家との実りある出会いが多かった。良い短編集という証左だと思う。
全体的に、小川洋子先生の作品群のような静謐な雰囲気が漂う作品が多い。
彼女の作品を読んで小説が好きになった人が、好きな作家を探すのにもうってつけの一冊かもしれない。
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LINKS
円城塔先生はこの短編集で読んだみたいだ。
ちらほら覚えている作品はあるけど円城先生の作品はまぁうん・・・全然記憶にないなぁ。
小川洋子先生は好きなので、短編集は結構読んでる。特に『不時着する流星たち』『いつも彼らはどこかに』は、奇妙な人々と出会うような短編が多め。
商會の本も長らく積読に入っていたりする。日本語で本を読む者にとって、彼等の本を知らないのは大きな損害である。
最近、ちくま文庫の単著が本屋で平積されているのを見た。あれも面白そうだったなぁ。