何も起こりません。
簡単に言えば、幽霊屋敷のプロによる同人誌。
だから本当に、何も起こりません。
恩田陸『私の家では何も起こらない』(KADOKAWA 2016年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
小さな丘に佇む古い洋館。
この家でひっそりと暮らす女主人の許に、本物の幽霊屋敷を探しているという男が現れた。
男は館に残された、かつて住人たちの痕跡を辿り始める。
キッチンで殺し合った姉妹、子供をさらって主人に食べさせた料理女、
動かない少女の傍らで自殺した殺人鬼の美少年ーー。
家に刻印された記憶が重なりあい、新たな物語が動き出す。
驚愕のラストまで読むものを翻弄する、
恐怖と叙情のクロニクル。
裏表紙より
【読むべき人】
・恩田陸を読んだことがあって、且つよほど暇な人
・幽霊屋敷ものが好きな人
・読み易い文章の本が読みたい人
【感想】※酷評です。注意。
恩田陸である。『朝日のようにさわやかに』は大学時代に読んだことがあるが、それ以来の2冊目である。
まああの短編集もぶっちゃけいまいちだった覚えがあるんだけども、本書も失敗したなと思った。
つまんなかった。
というか僕が恩田陸のホラーとそもそも合わないのかもしれない。
つまんなくても、僕には本書を買う必然があった。
昔から気にはなっていた。それこそ文庫化されて新刊書店に平積みされていた2016年当時からずっと。
ホラー大好き且つ短編集大好きといえば気にならないはずがない。
ところがどっこいこれまでずっと縁がなく、ブックオフオンラインである本を注文する際に「ああそういえば」と思って、合わせて注文したのだった。
そしてさくっと200ページ足らずの本書を読んだわけだけれども・・・いやあつまらない。まぁこういう感じで終わるんだろうな、と思った通りに終わった。つまんない。
本書は幽霊屋敷ものである。裏表紙にも紹介されいていた一編から始まって、どんどん歴史をさかのぼって、その時々の短編を読んでいく仕組み。
200ページ足らずの本書に20ページほどの10の短編が収録されている。
そのため、1編1編がまあ、薄い。
本当「おばばが子供のビン詰め作ってた」「双子の料理女が殺しあった」「少年が少女の幽霊の横で自殺した」事実をただ書いただけのような短編が続く。
じゃあなぜ「おばばが子供のビン詰め作ったのか?」「双子の料理女が殺し合ったのか?」「少年が少女の幽霊の横で自殺したのか?」。
その答えとなる「怪異」の正体。
まぁこの調子じゃあぼんやりぼかすだけだろう、
と思ったらまじでぼんやりぼかすだけだった。ふざけんなよ。
昔からいわくつきの土地で、そこに建った家だから出てきたんだよ~。で終わりである。
いややっぱふざけんなよ。そんなん中学生でも考えられるわ。
ただそこは作家らしく、10編目「附記・われらの時代」・・・この一編はもう短編どころかただのおポエムなのだが・・・そこで「この幽霊屋敷に限らずどの土地でも人が死んでるからお前の土地も幽霊屋敷かもしれへんで~」みたいなことをそれっぽく書かれている。その中途半端な文章のプロとしての体裁もちが鼻につく。
知っとるわ。そんなん誰でも。
オカルト好きの妄想力をなめないでいただきたい。
あと本書は舞台が欧州・・・もしくはアメリカなのだが、その必要性も感じられなかった。本書が怪談雑誌「幽」の連載の単行本であり他の作家との差別化を図るための舞台設定とのことだったが、それを聞いてもええまあうんである。
というのも、「州」という言葉と登場人物を金髪碧眼それっぽくしとけばアメリカになるだろうという薄っぺらさ。
それ以外はまんま、舞台が日本じゃないと強烈に違和感を憶えるような文章ばかり。読んでいてきつい。
例えば美少年が通っていたのは「中学校」であるという。いやいや、中学校て。日本じゃないんだからさ。欧州・米国でそんな学校ないでしょ。
例えばこの幽霊屋敷は駅から遠く離れたところにあるという。駅から車で走らないと辿り着かない。いやいや、外国文学でそんなシーン読んだことない。日本の地方都市じゃないんだからさあ。
外国文学をほとんど読まない僕ですらなんだかイライラしてくる仕様である。普段嗜む人には、200ぺージ読むのも苦痛なんじゃないだろうか。
まぁそもそも、恩田陸・・・「朝日のようにさわやかに」も短編集であったが、彼女に短編集を期待するのが間違いだったのかもしれない。
「朝日のようにさわやかに」の地点で短編が決して得意分野でないことはなんとなく承知していたし、そもそも彼女の文章は短編にしては読み易すぎる。
平易な日本語で、しかし決して崩れない日本語で、つらつらと書かれているため頭に入ってきやすいのが彼女の文章の最大の特徴である。
ただそれが短編となるとあまりにも情報量が少なすぎてただのおポエムを読んでいるような気持ちになってくる。
だがしかし、読み易い文章を書く人≒短編不得手・・・ではない。
同じく、非常に読み易い文章を書くショートショートの名手はが思いつくだけで2人いる。
1人はみんな大好き阿刀田高。この人のショートショート集をブックオフの100円コーナーで買ってひたすら読む、というのに大学時代一時期ハマったことがあった。内容はしっかり覚えているのは少ないが、『奇妙な昼下がり』『猫の事件』・・・諸々、非常にどれも面白かった。表紙もユニークでなかなかたたずまいもかわいかった覚えがある。
1人は現代のショートショート作家・田丸雅智。この人の作品は2冊しか読んだことがないが、どちらも「なるほどー」と言うような作品だった。阿刀田さんと比べると確かに劣るが、児童文学から伸びてきたような妄想力爆発の短編はなかなか読んでいて愉快。オチも毎回決まっていてよかった。ちなみに僕は横浜在住時、下北沢の本屋「B&B」での彼主催のイベントに一度行ったことがあり、サイン本が家にある。
じゃあこの2人にあって、恩田陸にないもの・・・といえば、話の骨組みの工夫だと思う。
この2人はショートショート・・・10ページ程の短編でも、起承転結しっかり展開を考えたうえで書いている。あと「転結」もしくは「結」でいかに読者の予想を裏切るか練られていることが多い。
恩田陸はそこが甘い。
今まで書き慣れてきた文章力の延長線でなんとなるだろう、誤魔化せるだろう、というのが読んでいて透けて見える。
確かに手練れの作家であれば誤魔化せる部分はあると思う。ただそれは、文章自体に最大の魅力がある作家にしか通用しないと思う。小川洋子のように。
平易な文章がウリの作家がそれをやってしまうと、ただのおポエムになるのである。すらすらと頭に入ってきてそれで終わり、になる。小川洋子のように文章に「つっかえ」がないから読みごたえがない。
平易な文章を書くからこそ、読み易い文章を書くからこそ、もっと一編一編練ってほしかった。というか文芸雑誌に連載してたというが、編集は読者はよくこれを赦したなと思う。
長編なら活かされてるんだろうなとも思う。読むだけで情景がすらすら浮かぶ彼女の文章は、300400500ページある長編・・・それこそ「蜜蜂と遠雷」のように・・・、であれば読んでいるだけで場面が浮かんできてストレスなくすらすら読み進めることが出来るんだろうなあと思う。
要するに、恐らく彼女は短編向きの作家ではない。残念なくらいに、長編向きの作家なのだと思う。
まぁ彼女の長編読んだことないから何とも言えないところではあるんですが。
それでも各短編、おっと思うフレーズはあった。
簡単にそれを書き残し、感想も付随しておく。
一番好きなのは「私は風の音に耳を澄ます」ネタバレ含む。
私の家では何も起こらない
字の沢山入っているハンカチというのは使いづらいものだ。p.8
これ全編の所謂プロローグ的なもので、10話目で同じ主人公が出てきて完結するんやろ!と思ったら違ったぜ・・・。
悪い意味で裏切られた。
この女の暮らし色々伏線貼ってあるだろうから見てやるぜ~え、をしていた僕がこれじゃあまるで馬鹿じゃん。
私は風の音に耳を澄ます
視界がかすかにゆれ、水を通して歪みます。p.50
この2フレーズのためにあるような短編。圧倒的に好き。
いや、だいたいのあらすじは序盤から見えているんですよ。ただ、それをさらに上回る最悪な結末が2つも用意されているとは何たる贅沢。
1編目と合わせてこの話読んで僕は戦後初期の日本を浮かべたのですが、3編目にさらっとでてくる漢字一文字「州」に総てを裏切られました。
我々は失敗しつつある
「もうすぐパイが焼ける。こんなところで何を?」p.65
この台詞の前半と後半の脈絡のなさがとても好きですね。もうすぐパイが焼ける。こんなところで何を?口に出して読みたい日本語。
ただ大まかなあらすじはううーん。もう大抵どっかで読んだような話ですよね、主人公が幽霊でした、なんて。
で、大抵出てくる幽霊の自我って大切なところ以外はピンボケしていて、で、永遠と同じことを繰り返している・・・というのが最近の定番ですよね。
1つくらい、裏切ってほしかった。
あたしたちは互いの影を踏む
ねえ、結局、勝負はつかなかったんだよ。p.92
微妙ですね。すっげー微妙。恵まれた設定からクソみたいな会話劇。
こういう、双子の内心で繋がっている会話劇みたいなの、どこかで読んだことあるんですよね。恩田陸の。「平成怪奇小説傑作集」だったかなあ。なんかバラの園の双子の女の子の赤ん坊が囁き合っていました。今作では双子の女のたくましい体格をしたばばあが囁き合っていますが。アップルパイが焼けるオーブンの前で。
アイデアの限界を感じる。短編やっぱ苦手なのかなあ。恩田陸は。
比較して読んだら面白いのかもしれませんね。
まあ比較したところで、どうにもなりませんがね。
僕の可愛いお気に入り
自分の受け止められる以上のものを受け取ってしまった時、それを持ち続けられる人間はそういない。p.103
あらすじにもあった、美少年×軒下の美少女の死体の話ですね。少年が自分で「僕美少年です」と名乗る訳ないので途中まで気づかなかった。
美少年はなぜか、この幽霊屋敷に足を踏み入れることになるのですが・・・多分彼は「私の可愛いお気に入り」でもあった、ということでしょう。 というかタイトル自体「私の可愛いお気に入り」のが良かったと思う。
じゃあ少年が死んだ後どうなったのか。2人で軒下に並んで横になってるのかな、と思うとなかなかシュールっすね。
奴らは夜に這ってくる
さあ、泣き止んでくれ。そして、眠りにつくがいい。p.127
幽霊屋敷を幽霊屋敷たらしめる、諸悪の根源が登場する話ですね。ただ「這うもの」とまでしか言及されておらず、そこが僕は不満足。
いやいや何だよ。「這うもの」て。
その正体は。何故その屋敷の周囲を這うに至ったのか。
その理由が一切書かれていないのが不満。雰囲気が出てればいいんでしょうけれども、僕から見れば作品に対する怠惰としか思えない。もっと練って作れたはずだろう。
そこをどう練るかがプロとアマチュアの違いじゃないのか?正直この短編単体で言えばアマチュアレベルだと思います。noteに掲載されていても★そんなつかないでしょう。「恩田陸」が書いたから価値あるものなんですよね。きっと。はー、死ね。
素敵なあなた
どうしてでしょう。どうしていつも大人たちは、自分たちもかつては子供たちだったのに、子供たちのことが理解できないんでしょうね。p.140
どうしてでしょう。どうしていつも作家たちは、自分たちもかつては読者たちだったのに、読者たちのことが理解できないんでしょうね。
俺と彼らと彼女たち
な?悪さをするのは生きてる人間だけだろ?死んでる人間なんざ、可愛いもんさ。p.169
幽霊屋敷を修理に詩に来た大工の親子の話ですね。この1編だけ見れば、幽霊屋敷モチーフのコミックのよう。アダムスファミリー的な。作者もこの一編が気に入ってると言っていますがまぁそれもわからんこともない。
ただまあ・・・コミックのよう。うん。内容が幼稚すぎるかな。
児童書じゃないんだからさ。
私の家へようこそ
この世に幽霊屋敷じゃない屋敷なんて、あるのかしらって。p.182
お。全部の謎回収すんのかな~?って思ったら先述した一行の通り、「お前の家も幽霊屋敷なんやで~」「幽霊屋敷じゃない屋敷なんてないんやで~」で終わる一遍である。
ふざけんな。
そんなの百も十も千も万も承知なんじゃ。
いかにも、怖いでしょ~?みたいな感じが凄い腹立つ。
オカルト好きだったら誰しもそんなん思い当たっているはずだし、別に真新しくも何もない何度も使い古された言説なんじゃ。
こんなん書ける紙幅があるなら、せめて幽霊屋敷周辺の歴史をまとめるであるとか、「這うもの」の謎についてふれるであるとか、もっと本編に絡んだことを書いてほしかった。
こんな子供だましの怖がらせは、読者をなめているとしか思えない。
恩田陸って名前聞くけど、こんなんばっかなの?
附記・われらの時代
人間にとって排泄の場所とは、孤独な上に無防備になることから、永遠に恐怖の対象なのだ。p.189
お?幽霊屋敷の歴史説明してくれるんか?と思ったら違った。「どこもかしこも幽霊屋敷やで」を補強する一篇だった。いらねえよ。「生者も死者も同じ次元院存在する」そんなん高校時代で読んだ日日日「ちーちゃんは悠久の向こう」でとっくにこっちは学んでんるんじゃヴォケ。
ダ・ヴィンチ文庫だったものを角川文庫にし直した短編集、っていうからてっきり期待したけど・・・こんなん埋もれさせたままで良かったと思う。というか「角川つばさ文庫」に収録した方がよかったのでは?
以上である。
読者をなめ腐ったような短編集で不快だった。「朝日のようにさわやかに」も非常に微妙だったけどそれをはるかにしのぐ微妙さ。クソ。本当にクソ。
いやでもまぁ文章自体の読み易さは凄いから、長編読んだら印象変わるのかなあ。どうなんだか。
でもまあもし次恩田陸読むときは「六番目の小夜子」にしろ「夜のピクニック」にしろ「蜜蜂と遠雷」にしろ、長編にしようと思った。短編作家としてはもう期待しない。
あとこの小説の設定そのまま踏襲して小川洋子大先生に短編書いてほしい。多分傑作生まれると思う。
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他の酷評記事。 このなかで圧倒的に許せないのは「夜行」。名作扱いされているため。おとなしく夜通し京都大学でオタサーの姫のケツおっかけてろ。