小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

内田樹『下流志向 学ばない子供たち働かない若者たち』-生臭くなるほど鱗が落ちる。-


本屋が薦める本に、外れなし。

内田樹下流志向 学ばない子供たち働かない若者たち』(講談社 2007年)の話をさせて下さい。



【概要】
当時小部女学院大学教授を務めていた内田が、
「学びからの逃走 労働からの逃走」を主題に行った講演を、
文字に起こし刊行したものである。

何故子供達は授業を聞かなくなったのか。
何故若者達は働かないことを選択するのか。

目から鱗現代社会解体新書。

【読むべき人】
・ある程度文章を読んでいる人
・子育てに悩んでいる人
ニート、フリーター
ニート、フリーターの親
・全社会人

【感想】
僕がこの本を知ったのはTwitter
東北のローカル書店であるさわや書店フェザン店の店員さんが、
この本を推して、平積みにしている写真を見たからである。
2007年刊行の本である。
10年以上前である。
気になって、
図書館で取り寄せて借りてみた次第。

だけど僕はこれを図書館で借りたことを後悔した。

「あー。買えばよかったー」

本作は内田先生が、
今現代起きている教育・ニートの問題についてとうとうこうこう話すという内容。
内容は目からうろこ。
「ああそういう観点あったのね」
かんてんぷるぷるところてん。
まぁただ文章が決して安易ではない。
そこそこ難解(のように僕は感じた)で、
全てが理解できたか。
全てが頭に入ったか。
「YES!」と頷けない。
ちょこちょこぶっちゃけよくわからんというとこもあった。
こういう、
「内容良いけど難しい!」本は
2回目近いうちに読むのが「BEST!」
知っているんだけれでもうんまぁ借りてしまったよね。
来年買って読みなおそうと、思ったよね。
うんうん。ああいやまじで。

でもまぁせっかく読んだので、
各章のざっくりした内容と、特に刺さった言葉を
記しておこうと思う。
2回目へ繋げるために。



第一章 学びからの逃走
何故子供達は授業を聞かなくなったのか、「学びからの逃走」を図るようになったのか。
一番目からうろこ。
ボロンボロン、生臭い。
そしてこの章が、本作全体の根幹となり最も重要な部分である。

筆者は、子どもが教育から逃走するようになったのは、
以下が最大の理由だと述べる。

「子どもたちは就学以前に消費主体としてすでに自己を確立している」p.38

昔、筆者が幼かった頃は子供は
まず労働主体として自分を立ち上げて、
社会参加を果たしたという。

労働主体。
例えばお茶碗を台所へもっていくとか、靴磨きとか、うち水とか。
果たせば「ありがとう」「よくがんばったね」誉めてもらえる。
お手伝いを通して、
労働し報酬を得る経験を身につけることから
アイデンティティを確立させていく。pp.38-39

ところが今の子供は消費主体である。

消費主体。
どんどん利便化されることで、
子供が手伝う仕事はなくなってくる。
結果
「いいから、何もしないでちょうだい!」
静止状態が求められるようになる。
しかし一方で、
少子化の結果お年玉の額は年々増え続け、
何もしないでもお金が貰える。
お金をもって買い物をするようになる。
結果生まれて初めて行う社会活動が、労働ではなく消費になってしまう。
生まれて初めての社会経験が消費になってしまう。pp.40-41

子供達は生まれながらにして、買い手。

その「消費主体」の立場のままで、子供達は学校へ行く。
そして教師へ以下のように投げかける。
「で、キミは何を売る気なのだね?気に入ったら買わないでもないよ」p.43

君の授業という商品に、どれほどの価値があるんだね?
「ひらがなを習うことに、どんな意味があるんですか?」p.43

ここから応用して、
家庭で不機嫌を隠そうとしない人々や、
終盤では「自分探しの旅」をする若者についても触れている。
特に自分探しの項についてはなるほどこれは身に染みる。
まぁ僕そんな旅したことないけど。

第二章 リスク社会の若者たち
大企業就職したからと言って安定するわけではなく、
非正規派遣に陥れば大きく収入に差がついて五しまう。
いつ、下の階層に落ちてしまうかわからない。
そんな現代社会を、筆者は「リスク社会」と述べる。

けど内容どうこうより、
この一文が僕を貫いた。

「リスク社会とは、そこがリスク社会であると認める人々だけがリスクを引き受け、あたかもそれがリスク社会でないかのようにふるまう人々は巧みにリスクをヘッジすることができる社会なのです」p.84

リスク社会だからこそ、
努力を真面目に積み重ねた者が成功できる。

すごい言葉だなと思った、着眼点だなと思った、
この考えはだと思った。
この一文があったからこそ、
僕は
「この本を買えばよかった。」
後悔したのである。

後半はリスクの観点からビジネスについて触れて、
教育に帰結している。



第三章 労働からの逃走

ニート、フリーターが何故誕生するに至ったのかについての考察である。
章全体でいえば一番刺さった、ぐさぁ。

近年、
正社員を断るアルバイターや、昇進を断るサラリーマン等、
労働から逃走する若者が見受けられるという。

「自己決定したことであれば、それが結果的に自分に不利益をもたらす決定であっても構わない」p.118

という
「自分のことは自分で決める」自己決定権に対する固執から、
このような行動に走るという。
それが正しいか否かということよりも、
自己決定したかしていないか。
そこに重きが置かれる。p.117-p.118

しかし一方で、集団社会の日本では、
「自己決定すること自体が良いことである」
それがみんなで共有されてしまう。
「自己決定」を重視すべきであるはずのに、
考えず「自己決定」を推奨してしまう。

そのねじれの文脈から誕生したのがニートだと筆者は述べる。p.121

また、転職を繰り返す人々については、
仕事がつまらないから、職場での人間関係に投資しない、仕事の質ををあげる努力も怠る、
結果勤務考課が下がり、つまらない仕事しかこなくなる。
耐えきれずに転職する・・・と悪循環に陥っている人が多いという。
それを、
本人としては「よりクリエティヴで、やりがいのある仕事」を求めて転職したと総括するかもしれないが、
これを「成功」事例として本人が総括してしまうと、
「やっている仕事に嫌気がさして、転職をする」が望ましい事態と考えてしまう。
だから無意識のうちに次の仕事でも、
周囲の人々をわざと不快にさせたり仕事の質を落としたり、
仕事に嫌気がさす状態を作り出してしまう。

転職した判断を「ただしい判断」だったと認識すると、
その後も転職をせざるを得ない状況を繰り返してしまう。

「自分の失敗の責任をうかつに他人に押し付けて自己正当化しない方がいい」p.13

「うんうんうんうんうん」
赤べこのようにうなずいた。

ならば、仕事を続ける際にどういったことを了解してればいいのか。
「労働というのは本質的にオーバーアチーブなのです」p.137

全てが等価交換で行われれば、
会社自体に利潤は及ばない。

自身の給与+利潤分、働いてる。

「?」


なんかここらへんから、レヴィストロースやら出てきて難しかった。
時間、無時間、空間学的なもしくは哲学的な思考が出てきて、
あと大学の「単位」の語源も出てきたりして、
なんとなくは分かるが理解しきれていない。

ただ以下の一行にすべてが集約される、のはなんとなくわかる。

「無知とは時間の中で自分自身も変化するということを勘定に入れることができない思考のことです」p.154

第四章 質疑応答
以上が講演の内容で、まぁそれを踏まえた質疑応答である。
スターウォーズとか二十四の瞳とか、
階層化する社会だとかクレーマーの親だとか、
教師論だとか師弟関係だとか
まぁもろもろ詰め合わせ。
論の補強って感じである。

以上である。
いやはや、
非常に骨になる内容だったと思う。
カルシウム。
カルシウム本。

ちなみにこの本を薦めたさわや書店の店員さんは、
この文庫を全国へ広めた人でもある。



清水潔『殺人犯はそこにいる 隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件』(新潮社 2016年6月)
感想はこちら。
これも凄かった。
ゴリゴリ、ああ読書しているんだと思える一冊だった。

すごいよな、と思う。
東北の地方の本屋が全国を客にしている。
こうやって、
どこにいても情熱を忘れずに働ける人になりたいなぁとぼかぁおもったね(浅い)



あ、


ちなみに



買いました。



ばーん。

文庫版です。

ブックオフオンラインでまさかの100円下回ったので買ったぞ。

ネット社会を多分に駆使して皆さんもぜひ。