私たちは日々働いて食べなければならない。
働くために食べるのか食べるために働くのか。
常に問いながら毎日労働にいそしむのだ。
heisoku『ご飯は私を裏切らない』(KADOKAWA 2020年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
29歳、中卒、恋人いない歴イコール年齢。
バイト以外の職歴もなく、短期バイトを転々とする日々。
ぐるぐると思索に耽るけど、ご飯を食べると幸せになれる。
バイトでやらかしたミスを思いつつ、
地球上の生き物たちの生態を思いつつ、
今日もご飯をいただきます。
全ての働く人々に贈る、グルメと労働の物語。
辛い現実から目を背けて食べるご飯は、
いつも美味しく
幸せを届けてくれる。
裏表紙より
【読むべき人】
・日雇い派遣、短期バイトで食い扶持繋いでいる人
・独り暮らしの人
・正社員バイトそれ以外、雇用形態問わず働いている人
・ご飯を食べる瞬間に幸福を感じる人
【感想】
別垢のツイッターでフォローしている、
「奇書が読みたいアライさん」のツイートで知った。
短期労働派遣労働のアラサー女子のグルメ漫画と聞いてがぜん興味がわいた。
多分その人は、社会の端っこに生きている変わり者。
僕も変わり者なので、何かしら共感できるのではないか、何かしら救いになるのではないか、何かしら赦されるのではないか、何かしら何かしら何かしら。
大卒、26歳。経歴だけ見ると主人公よりかなりまっとうな人生に思えるが、結構そうではない。
マーチを卒業後、横浜の塾講師として働くも、ブラックすぎて1年半で退職。
中学高校時代語っていた「教師」という夢が、自らの未知と他人の目を気にしたものであることに気づく。嘘ではないが自分の根幹ではなかった。
しかし貯金が底をつきはじめたので嫌々アルバイトを探し、
たまたま見つけた「試食のおねーさん」に辿り着く。
1年間務めたが、そこではとても大切にしてもらえた。
しっかり時間通りに行って、しっかり規定時間内に物を薦めて、ある程度売って、レポートを人よりしっかり描けばそれだけで評価された。
7000-10000円と一日でしっかりお金がもらえるのも嬉しかった。
やがては急遽空いたところに入れられたり、人がいないときに頼まれたり、隣県の何やら偉い人に名前も覚えられたりと、とても重宝された。ほやほや。ほやほや。
ところがまあ親の癌発病もあり、これからの人生を考えたときに「アルバイト」という雇用形態に不安を感じた。このままでいいのかと思った。
じゃあ、いったん正社員労働して失敗したら失敗してもいいかと、現在小売業の「正社員」として働いている。もうすぐ10か月になる。成功とは言い切れないぎりぎりの線を毎日綱渡りしている。
しかしそこでは時間通りに行って、規定時間内に物を売ってもそこでは評価されない。レポートも出されない。
露呈するのは僕の物覚えの悪さと、ミスミスミスミスミス・・・・。
そうだった!!僕は塾講師やめる時に「発達障害かもしれないね」と上司に言われ病院行ったら「アスペルガーかも」疑惑をかけられたやべー人だったんだ!!!!あああああ!!!ああああああ!!!!
いやいや、それでもなんとか他の人並みにできる用にはなろうと努力しているものの、その努力がどこまで続くかすら分からず、
親の癌は再発し脳に転移し、
飲む錠剤が増えた。(僕の)
高校時代のように勉強を頑張れば、アルバイトのようにやることしっかりやれば、
評価されるわけではないから正社員労働は難しい。心身ともに疲弊する。
そういった諸々のこと一切忘れられる瞬間が、僕にもある。
それは、食べ物を食べている瞬間・・・。
なんちゃって自炊でもレトルトでもコンビニ弁当でも、
独り部屋で食べるそれは値段の何倍も何倍も美味しく感じられるのだ・・・。
ご飯は私を裏切らない・・・。
という瞬間にフォーカスした漫画であるから、
バイブルになった。
1編1編短いから、非常に読み返しやすいし。
主人公も仕事のミスが多い方で、
それに有象無象思考を巡らせる人物である。
仕事を出来ない自分を責めているのは結局自分なんだよな。延々心の中で責めた挙句部屋の中にはネガティブ充満する。残念ながら僕は主人公のようにかわいい幻想に変換されることはなかったが、脳内がラビリンス。脱出は不可能で恐らくそれは一生不可能なのですが錠剤がコンパス。
そして「仕事できない人あるある」も非常に共感。
例えば。「過酷なバイトが好き」とか。試食のおねーさんはあれは実はけっこう過酷である。一日中同じ場所に立っていて同じものを延々勧めて断られ続けなければならない。店によっては店員からも白い目で見られる。事務所に行くとほとんど毎回新人オリエンテーションが行われていた。それだけ定着率が低いということなのだろう。しっかり朝起きて、規定時間よりちょっと早めについて延々立ってればもうそれだけで大切にされた所以。毎回違う場所というのも慣れれば大したことはなかった。
例えば、「お客様の方が優しい」とか。お客様は基本ミスをなじることはしないし叱ることはしないし基本僕が笑顔であればもうそれだけで「ありがとう」っていてくれる。上司は基本ミスをなじるし僕が笑顔だと「何笑ってるんですか」「どうせ話聞いてないんでしょ」と言われる。微妙に高卒大卒の学歴コンプレックスをにおわされるのも嫌だ。でもお客様は僕が大卒であることを知らない。そしてあなたたちが来てくれるから僕はこうやってノートパソコンを買い、部屋を借り、服を買い、うだうだ文章打つことが出来るのです。ありがとう。ほとんどのお客様はまじで神。
しかし僕達は働かなくてはならない。仕事が出来なくてもミスが多くても働かなくてはならない。
食べるために。生きるために。
社会に出る出ないの選択肢はないのだ。出るしかないのだ。たとえ出来損ないでも無理矢理社会というフィールドに出るしかない。
最終話、最後仕事に向かう主人公の後ろ姿の、逞しさよ。
人間は社会をサバイブするのに日宇町な水準を満たせなくても生まれるものは生まれるもん・・・ p.21
こういった、「できない人あるある」に加えて、
美味しそうな料理の絵と、膨大な数の生物学の非実践的知識読めるから神。
あくまでこれはグルメ漫画なのである。なので結局はいるチェーン店のバーガーも家で食べるレトルトパウチのおかゆ料理も解剖対象であるだし煮干しも全て丁寧に綿密に描かれている。筆者の日頃の食事一つ一つに対する敬意の表れだと思う。レストランじゃなくてもグルメ本に載ってるような料理奈じゃなくても、食べ物は尊い。
様々な生物が本作では出てくる。といってもほとんど主人公の回想だが。トナカイシロクマヨトウムシタニシイクラ怪物イクラジャンボタニシ無精卵イクライクライクラ・・・。主人公(作者)の生物に対する関心の深さは目を見張るものがある。でも僕も、牛乳一杯飲むとき、フェルメールのあの「牛乳をすすぐ女」を生で見たときの色鮮やかさを脳裏に描いたりするもん。主人公が「生物」好きなように、僕は「西洋美術」好きだから。ああ大好き大好き大好き。人はものを食べる時、幸福度数を極力最高値へもっていくように、自身の好きなものを考える本能が備わっているのかもしれないね。
食べ物の描写と、それを食べているときに主人公が考えている物物の描写も、結構ぐさぐさ刺さったのである。
多くの命にとって普遍的な死とは
食われて死ぬか病で死ぬか飢えて死ぬか
私もいずれ困窮の末にその中に加わるだろう p.69
そして、「ヨトウムシ」。これは主人公曰く普通の蛾であるらしい。
電車に乗っていた主人公に知らぬ間にひっついていた小さき存在であり、後半主人この観察対象になり、日々羽化するのを待つ。
蛹はまさしく主人公、僕・・・「僕達」だと思った。
社会という外科医に蓋をして、部屋のという蛹の中でひとり食べて生きていく。
大半の蛹は時が来て羽化して、社会という晴れた空に羽ばたいていく。
しかし小さき蛹である僕等は、羽化することが出来ず、たとえ羽化しても羽が不格好でうまく飛行できない。それでもなんとかして飛べないか低空飛行で試行錯誤。落下、それはすなわち死であるから。
僕はいまこの文章を部屋の中で書いているけれども、
ここは蛹。
上司も部下もパートもお客様も大病中の母も不仲の父も不仲の妹も誰もいない。
あるのはドールとのぬいぐるみと、好きな服と、そして漫画小説書籍諸々・・・そしてノートパソコン「レンピカ」。
休日の午後、8畳の蛹で、呼吸をする。静かに。ねえ、静かに。
誰にも聞こえないように。誰にも障らないように。
呼吸をする。
餌で失敗したか
元々病気か
経験上
身体が小さい幼虫は
サナギにはなれてもその先は・・・p.130
あ、あと試食以外でも知らない様々な短期バイトの実情を知られて、
そこも面白かったです。
コンタクトのちらし配りの内部事情とか。描き下ろしも面白かった。
以上である。
労働の果ての食事という部分にフォーカスするのは非常に新しいと思った。
あと主人公の境遇に共感するところが多かった。
主人公と僕を合わせて「僕達」と無意識に呼称するくらいには。
某大手通販サイトのレビューを見ると50近くあった。ほとんど★5、250の満天の星。
新刊でも平積みされるような作品ではないので驚いた。
「奇書が読みたいアライさん」に感化されて、本作読んで、バイブルにした人がそれだけいるんですよ、ってことなのかもしれない。
「僕達」は、主人公と僕だけではなく、
50人100人1000人1万人・・・・10万人・・・・結構もっと大人数なのかもしれない。
本作はネット漫画であるとのこと。
さっそくアクセスすると「コミックス発売記念回」が8月上旬に更新されてはいるもののそれ以降の更新はない。
社会の端っこに1冊じゃ、足りないんだ。頼むよ。KADOKAWA・・・。