小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

太宰治『人間失格』-多分僕だけじゃない。この世に生きるみぃーんな、ははっ-


僕も失格だよね、はは。

太宰治人間失格』(集英社 1990年)の話をさせて下さい。



【あらすじ】
私の元に、三枚の写真手記が届く。
そこには一人の男・大庭葉蔵半生が描かれていた。
女、酒、薬、自殺、そして自らの憎むべき性質。

作品感性の1か月後、太宰は自らの命を絶つ裏表紙より

【読むべき人】
・ネガティブな人
人を信用できない
劇薬のような小説を読みたい人

【感想】
高校時代だったか。
デスノートバクマン。で有名な小畑健イラストの表紙が出た時、
欲しくてほしくてたまらなかった。
けれど当時僅か300円も大金だった時代、
ずっと手を出せずにいた。

店の本棚をずらずら見た時、ふと背表紙が目に入る。
人間失格
ニートの僕は、
手に取るなら、今だと思った。

読んだ。
一気読み。
100年たってもなお名作と言われているだけあって
とてもとてもとても面白かった。

文中出てくる表現が刺さる。

自分は起こっている人間の顔に、獅子よりも鰐よりも竜よりも、もっとおそろしい動物の本性を見るのです。p.16
自分は、女があんなに急に泣き出したりした場合、何か甘いものを手渡してやると、それを食べて機嫌を直すという事だけは、幼い時から、自分の経験によって知っていました。
p.39
「世間というのは、君じゃないか」p.109
「悪と罪とは違うのかい?」「違う、と思う。p.136

これだけ刺さる表現が多々あるなかで、
無駄な文が一文もないのが凄い。
全て、全てが主人公・大庭葉蔵の存在、彼の辿った一生に収束されていく。

この前何気なく見た日本テレビ世界一受けたい授業で、
芥川賞作家・ピースの又吉が
「いいなと思ったところに線を引く。読むたびに線を引くところが違うから、ほぼ全部引いてある」
と言って笑っていた。
実感した。でもまだ僕は笑えない。
一回読んだきりでは、笑ってそんなこと語れないな。



あと、
一読して思ったのは、今作は案外「悲劇的」でないこと。
てっきり一人の男が自害するまでの手記かと思ってたら、
まぁ自害じゃなかったというのもあるんだけど、
結末に至るまでの過程はそこはかとなく喜劇の匂いがする。
色んな女がめくるめく出てくるからかもしれない。
悪友・堀木が今でいうぶっとびキャラだからかもしれない。
それとも人の不幸を見て笑う、僕の性格の悪さからかもしれない。
いや違う。
この葉蔵の人生自体が幸福なものであったからだ。
彼を愛する女がいて、親友がいて、暮らしが保証されていた。
葉蔵は間違いなく幸福であった。

ただ彼は自分が幸福だと気づかない。
自分を嫌っていたからだ。
自己嫌悪は幸福が全て不幸に裏返る。
例えば僕の場合。
仕事をしても「周囲に迷惑をかけている。なんて自分は馬鹿なんだ」
仕事を辞めても「やっぱり自分は社会で生きていけないんだ」
家にこもっても「何もしないで家にいる。なんて自分は糞なんだ」
みすみすみすみすすべてが不幸。
でもそれは裏返せば、
「仕事の失敗が反省できた」
「やめるべきタイミングでやめることができた」
「自分を見つめなおす時間ができた」

幸福にもなる。

葉蔵も己を突き詰めなくとも
神様みたいないい子p.167である自分を
ワイワイ誇りに思っていればいいのではなかったか。
幸福であった葉蔵を不幸にしたのは、
葉蔵自身が持つその性格ではないのか。

大庭葉蔵を人間「失格」とするのであれば、
その生き様が失格なのではない。
幸福をすべて不幸へと変える性質
自己嫌悪
その性質・性格失格なのではないか。

「被害者面しないで」
僕の前社の上司に言われた言葉、
「自己嫌悪は逃避だ」
かつて自分が自分に言った言葉、
この2つが心底の深海で揺れる。

以上である。
ある意味葉蔵の生き方は、ネガティブな僕にとっての反面教師になった次第。
でも同時に思うのは、生まれ持った自己嫌悪・ネガティブな性質は
永遠付きまとうのだろう。
じゃぁ僕は一生幸せになれないし、
場合によっては脳病院一歩手前なのかもしれない。
失格失格。僕も失格。

傑作と言われてるだけあってやはりとても面白い作品だった。
あと、ネガティブな僕に逆に響いた。
逆に。
案外そこらの自己啓発のところに並べてた方がいいかもしれない。
自己嫌悪は現代人のたしなみであるから。

けれどうんまぁ、
今作は一度だけでなく二度三度読めば別の感情を抱くと思うんだよな。
それに多分、何回読んでも面白い。
魅力的な表紙も相まって、
ずっとずっと手元に置いておきたい一冊。