小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

せきしろ×又吉直樹『カキフライが無いなら来なかった』

 

 

 

 

 

柄の無い虎を想像する

 

 

 

 

 

 

 

せきしろ×又吉直樹『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬舎 2009年)の話をさせて下さい。

 

 

 

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【概要】

「無修正の心」をありがとう 穂村弘歌人

これはド自由派の記録である。

眼鏡が曇ったもう負けでいい

改装中の寺に用は無し

ポケットの五円玉いつのものか

★自由律俳句とは、五七五形式を破り自由な韻律で読む俳句のこと

帯より

 

【読むべき人】

・例えば、会社の飲み会の席で自分だけビールがつがれなかったらどうしようと思っている人

・例えば、ふっ、と恥ずかしい記憶が蘇って、路上に蹲りたい衝動にかられる人

・例えば、今朝駅のホームで乾ききった吐瀉物を目撃した人

・例えば、徐々に友人が「友人」でなくなりつつあるのを感じている人

 

 

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【感想】

本書を手にしたのは、水曜文庫(新静岡の個人経営の古書店)の100円コーナーだった。毎度毎度、いろんな本が並んでいて結構立ち止まることが多い。大抵、「うわ気になる。100円だったらいいかも」みたいな本が並んでいて、僕は結構ここにもう・・・3000円はお布施しているんじゃないかな・・・。あれは魔の箱だよ。魔の箱。

本書は存在自体は漠然と知っていた。2-3年前に出たなんか共著の俳句集でしょ?みたいな認識でペロンと買ってペロンと帰ってペロンと発行年数見たら2009年だったから驚いた。まじ!?いやいやえ、マジ!?13年前にもうこんなエモエモなことが行われていたの!?僕の知らないところで!?

どうやら好評でシリーズ化しているらしく、恐らく僕が思った「2-3年前にでた」っていうのは続刊の『蕎麦湯がこない』(同じく幻冬舎2020年)のことのようだった。

芥川賞作家とは知りつつずっと気にはなりつつも、読んだことない作家・又吉直樹共著とはいえ彼の作品ということでこれはこれはと思って手に取ったのだった。

 

 

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まのはこ。

 

 

結果、想像以上の面白さに驚いた。又吉直樹、いや俳句も凄いけどエッセイがめちゃくちゃ面白い。自意識過剰なあまりに微妙にぎくしゃくする瞬間を切り取る。表紙の曇天のようで憂鬱な5秒。でも明日になれば忘れてる。でも寝る前には高確率ふ、と思い出す。でも寝れない程じゃない。

そういった瞬間を器用に、まるで表紙よろしくシャッターを切るように、鋭く切り取っている。

無論、共著のせきしろ先生のエッセイも面白いものが多いんだけど、せきしろ先生は「独り暮らしの部屋。大人が一人入ればすぐに狭くなる風呂桶。」p.20と、エッセイの序盤から堂々とNON・ユニットバス宣言をした。ユニットバスの人は風呂桶という言葉は基本使わない。風呂桶は風呂の総てだし、基本お湯をためることなんてまぁまず市内。今現在ユニットバス、且つちょっと排水溝の調子が最近悪くて毎回シャワー終わりにちょっとした海になる仕様になっているユニットバス愛用者の僕は、ちょっと距離をとってしまって共感しきることは出来なかった。ちょっといいなと思うエッセイが書かれていても頭の片隅に浮かぶのである。

「あ、でもこの人ちゃんとしたお風呂がついてる部屋に住んでんだ・・・」

その点、又吉は安心できる。

刊行時、恐らくあの太宰関連のぼろい家に住んでいたと思われる。あの部屋に風呂桶とシャワーが付いた、綺麗で清潔なバスルームがついている可能性はまぁ無いとみていいだろう。あっても汚いだろう。風呂桶も正方形の奴だろう。

「多分、又吉も排水溝詰まって3か月は様子見る派だと思う」

だから僕は安心して心を寄せることが出来るのである。

 

特に面白かったエッセイは、「単色になった虎が踏切を眺めている」pp.65-67

学生や会社帰りの人達とすれ違う。理由の分からない罪悪感に襲われる。p.65

自分は何かとんでもないことをしでかしてしまったのではないか?じぶんはもう永遠に朝ホットケーキを食べながら新聞を読んだり、幼い親戚の子供達にお年玉をあげたり出来ないまま死んで行くのではないか。p.66

僕は現在フリーターで、朝が弱い為遅番に入っていることが多い。なので自然と家を出る時間は昼近くになってからである。

でも、未だに慣れない。特に平日は嫌だ。目の前にコンビニがあるのだけれども、そこにはすでに昼食という、今日の前半を終えようとしている人達がいて、僕は彼等の顔が眩しくて眩しくて見られない。12年間に及ぶ小中高の教育は、全力で朝型を肯定し全力で夜型を否定する。朝弱き僕の身体の隅々にも染み渡っていて、こんな時間からのんきに出勤、していることをとてもとても恥ずかしく思う。酷い時は「生きててすいません・・・」とすら思う。何なら大学生の時午後からの授業に出る為、夕方から家を出る時ですらそうだった。朝から一日元気にスタート、切れられなくてすみません・・・。

するとなんだか自分が社会から断絶した気がしてきて、なんだか不安になる。今後、僕は昼食を買いににコンビニに行くことはないのでないか。人生このままフリーターで6070まで逝って死んでしまうのうではないか。幼稚園小学校中学校など教育機関Þも無縁、同時に正社員労働とも無縁で挙句の果てに来たない畳の上で孤独死するのではないか。

トースターでこんがり焼いた超熟と、朝の眠気に湯気が揺れるインスタント珈琲を、食べる日は、もう、こなく、なってしまうのでは、ないか。

同時に寂寥感も込み上げてきて、泣きたくなる。

「ごめんなさい・・・ごめんなさい・・・」

誰に言っても共感してもらえないこの感覚を、適切なる最低限の言葉で綴られたこのエッセイを読んで僕はもう感銘を受けた。又吉なんてもう気軽に呼べない。

「またよし・・・てんてぇ・・・!!!」

 

 

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ベランダでは、単色の虎が欠伸をし、三度寝に入ろうとしています。

 

 

 

 

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あと「バイト先で二番目に面白いらしい」pp.163-165

僕が家族からどれほど尊敬されているか聞かせてやりたい。p.165

決定的弱者側に立った途端に出てくるから元気らしからぬから自信。さぞかしそれはビールのつまみに最高によく、さぞかしそれは明日の頭痛に最高の材料となるでしょう。

 

 

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せきしろ先生のも面白いんだけどやっぱり心を寄せきることが出来ない。例えば、

「マフラーの巻き方を変える寒さ」pp.122-123において、

私は女性タレントの夏の写真が見たいので夏までは生きて居ようと思った。p.123

違う。

グラビアが本望を発揮するのは冬だろう!

見せないことで胸の触感や弾力を想起させるニット、肌よりさらに白いマフラー、雪の中で笑顔で秋田犬と戯れる無邪気な笑顔、そして暖かそうな上半身からは想像もつかない薄着の下半身・・・ぷに、の向こう側の触感を想像し僕は思わず指を伸ばす。ニットと白い肌の対比もたまらなく好き。

やっぱ違うんだよなぁ・・・微妙になぁ・・・。

グラビアに兄に性欲を結び付けで露出度≒写真の良さと考えるのは、ユニットバスには行ったことのない人間の浅はかな考えである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無地の虎は起きて水を飲みに行っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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無論メインとなる俳句もとても良かった。

これは両者ともに刺さる作品が同じくらいの数あった。風呂の規模が気になる前に終わる少ない文字数が功を奏したのかもしれない。

以下特に好きなものをあげ、簡潔に感想を述べておく。

 

せきしろ先生

婆さんばかりゆっくりゆっくり降りてくる p.156

ニュースで、日本の人口の99%は70歳以上の女性だっていうのをこの前見ました。

カラスが突いたゴミ袋からプリクラ p.172

色褪せてる。「friends」と書かれている。多分もう彼女達は「friends」ではない。

漂白剤を侮っていた p.246

だからあの虎の、柄はないのね?

文房具売り場で試しガキされた蛍光のバカ p.252

きっとあのプリクラ女のノートは蛍光ペンいっぱい使ってカラフルに書かれていたことだろう。丁寧で綺麗な文字。でも多分成績は人並みのちょい下。

やはり原宿で降りたか p.270

山手線、僕は漂白されて無地の虎と、プリクラ女の後ろ姿のまぼろしを見る。

 

又吉てんてぇ

山では素直に挨拶出来る p.69

普段は挨拶できない分かる。

別に咲かなくても良かった花とか p.133

「ナンバーワンにならなくてもいい もっともっと特別なオンリーワン」の歌詞が年々眩しさを増してきていて、今はモウ氏六てほっとんど読めない。

リバーシブルであることを放棄させた p.221

買物した瞬間客が最大級のお得感を感じるためだけに存在する機能であることに、20代後半でようやっと気づいた。

古本屋の店主が同し年 p.229

28年間僕は一体何をしてきたんだ。

誘われるまで帰るふりをする普通に普通に p.231

ちょっとしたことでそんな自己嫌悪に陥る僕は、無論誘われない側で、柄の無い虎を背負ってえっちらおっちら駅へと足を運ぶ。

 

 

 

 

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エッセイと俳句、に加えて本書は多くの写真が掲載されている。

これがまた、いいんだ。一句一句の合間に漂う灰色の哀愁。

ふっと自分を俯瞰して、憂鬱になる瞬間。

あの感覚が掻き立てられる。そうだ、僕達は人間で孤独で堪らなく寂しくて、ああ今は平日の木曜日です、2022年2月の平日たる木曜日、ぼんやり影法師を見てああこんなところまできてしまった。こんなところまで生きてしまった。

 

え、何このエッセイと俳句、だけじゃなく写真にも多く贅沢にページを割こうと言ったのは。誰。めっちゃいい一冊じゃ~んと思って、最後のページもう一度見たら、

「編集人 見城徹

とあった。まじかよ。幻冬舎の社長じゃ~ん。あのハゲじゃ~ん。僕の出身校のOBでもある。なんだか編集者のくせにバリバリテレビに出ていて、あと自分の顔写真が大々的に計刺されているビジネス書とかも出しててちょっと好きになれなかった。何よりローゼンメイデンをしばらく中断させた罪は重い。

しかし本書ではおっさんの顔は一切覗かず、柄の無い虎が、黙ってじっと、僕を見ている。

踏切が鳴る。

ああ今年はね、寅年だったね、そういえば。

 

 

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以上である。

めちゃくちゃ良い一冊だった。エッセイおもろい、俳句も基本全部おもろい。

あと街の写真がもたらすあのほんのわずかに陰鬱たる空気管もたまらなく好きで総てを抱きしめたい。

見城徹がこんな本を世に出してたとは一切知らなかった。

あ、え、待って。

しかもせきしろ先生って北海道の北の方出身なの?僕の父もそうなんだけど!うわー懐かしい。オホーツクがね、面しちゃってるんだよね。ええ~何。そうなの。早く言ってよ~。分かる~。夏のグラビアもいいよね~。

もっと早く知ってれば!!

 

 

 

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口だけは達者