あの白い馬を生で見てみたくて。
静岡市美術館開館10周年記念
生誕110年 没後30年 赤羽末吉展 の話をさせて下さい。
【概要】
「スーホの白い馬」をはじめ、
「桃太郎」「舌切り雀」「さるとかに」「ほしになったりゅうのきば」・・・
皆が知っている「むかしむかし・・・」から始まる絵本の挿絵を多く手がけた赤羽末吉の作品群をおよそ300点展示。
【行くべき人】
・静岡県に住んでいる人:1200円であのスーホに会えるよ!!
・キャラクターデザインを手掛けている人
・モンゴル好きな人:赤羽さんもモンゴル結構好き好きだったみたいだ!
【感想】
まぁ行けたら行くかくらいの感じである。
というか基本西洋美術以外の展覧会はそう。静岡市美術館でやっていたから行ったけれども、これが新国立美術館だったら行ってなかった。
ただ市内にで行われる展覧会であれば、それ以外のジャンルでも少しでも興味あれば積極的に行くようにしている。西洋美術以外にも色々見ておくに越したことはないのと、養われそうな気がして。養って本物のみを狙う。キャッツアイ目指してるんで。
今回は、あの小学生の時教科書で見た「ばとーきん」の可哀相な馬と、あの全身真っ赤のモンゴルのカズレーザー・スーホが生で見られるというので、あとちょっと今見とかないと一生見ない気もすると思っていたので、行くことにした。
そしてたまたま午前中静岡駅に用がある日があったので、さくっと行ってきた次第。
そしたらなんか、馬以外にも色々会えた。
桃太郎、スズメ、見たことあるじーさん・ばーさん、龍、地蔵、雪景色、その他諸々・・・色々会えた。結構会えた。めちゃくちゃ会えた。
なんかこう・・あれである。気分はミッキー見にディズニーランド行ったらアリエル・アラジン・トイストーリー・シンデレラ等々色々いましたみたいな。あんな感じである。
本展は大きく3つに分けて展開されている。
基本は赤羽さんの作品を時系列ごとに並べる。2章に「スーホと白い馬」を置き、1章はそれ以前、3章はそれ以後。
全体を通して、赤羽さんについていしっかり説明しながらも、あくまで彼が手掛けた絵本をメインに据えている。満州引き上げ・昭和・モンゴルの今は亡き王朝云々、いくらでも掘り下げられそうな赤羽さんの一生であるが、必要以上にそこにキャパシティを割かずあくまで彼の手掛けた作品を中心に展開していたのが良かった。
展覧会見に来ている人は、彼の手掛けた絵を見に来ているのである。赤羽さん個人云々については興味は二の次なのである。
ここが若干ごっちゃになっていた展覧会といえば、まぁ悪評高いギュスターヴ・モロー展もそうだし、あと最近県立美術館でやっていたバウハウス展もその傾向があった。
本展は、多分見に来た人のほとんどが満足して帰ったのではなかろうか。僕もその一人だど。
あと展示している多くの作品が、幼き頃絵本で誰もが見たことある絵、という点で美術館普段いかない人にも大いにお勧めできる。
第一章
ここでは赤羽さんの絵本挿絵デビュー作、「かさじぞう」をメインに「したきりすずめ」「ももたろう」等の原画が展示されている。
「かさじぞう」の背景は墨で描かれた雪景色である。赤羽さん自身が東北の雪に魅せられた人で、冬に10日ほど休みを取っては東北に行って写真を撮ってを繰り返していたらしい。やべー人である。
雪・雪景色は、デビュー作の「かさじぞう」から彼の晩年の作品までずっと出てくる。墨と絵具で、ここまで雪を表現できるものなのかと驚く。水色の水彩絵の具の点は降る雪の影、薄く伸ばした墨は積もりに積もった真っ白な雪・・・。
しかしまあやはりデビュー作の「かさじぞう」の背景が、最初にして最高。赤羽さんの雪を一番堪能できる作品。
あと、「ももたろう」。「赤羽 ももたろう 挿絵」と検索してほしい。絶対ほとんどの人が「ああ~~~!!」ってなるだろう。僕はなった。てかあの絵を描いている人がスーホ描いてたんか~い!になった。
彼の作品は桃太郎のデザインにも大きく影響を与えた。以前までは桃太郎と言えば鎧をまとった姿であった・・らしいのだけれど、彼の作品からあの桃が描かれたださいベスト・旗のスタイルになったらしい。
他の作品の説明で、「赤羽さんは女家族の中に生まれていて、特に女性の登場人物が待とう着物には非常に注力を払っていた」みたいな記述があったのだけれど、その眼差しはここにも活かされている。
今の定番スタイルを作り上げたという点では、キャラクターデザイナーとしても非常に優れていると言える。
顕著に分かる作品として他に挙げられるのは「したきりすずめ」。これも見たら「ああ~~~!!」になる。
愛らしいすずめの姿も多くの人の記憶に残っているのではないか。あと、あの見たことあるじーさん顔のじーさんも・・・・。
あとは「さるとかに」の猿。あの憎たらしい顔・・・。
僕等の「むかしばなし」の礎のほとんどが、赤羽さんによって作られていることを知る。
あと、「「したきりすずめ」の箱の模様は型紙とって作られたんやで~」という豆知識や、赤羽さんの東北取材ノート等も見られるので、もう正直この章だけでめちゃくちゃ満足度が高い。スーホ?何それ?になる。
絵本の挿絵意外で印象に残ったものは、自身の持つおもちゃを水彩絵の具で描いた絵巻物である。満州引き上げ時に持って帰られなかった物を記録するために描いた。本当に大切にしていた気持ちが伝わってきて、見ていて心が豊かになった。
伝われ。
第二章
でもやはり生で見られるとなると「スーホぉぉぉぉおおおお!!!」になるのである。
しかもあの表紙絵だけではなく、一通り中身の絵が見られるという贅沢仕様。
これは非常に凄いことなのである。
原画展とか行っても大抵ワンシーンで終わることが多いのだけれど、静岡市美術館10周年記念なので全部見られる。全部見せちゃいます。
これはめちゃくちゃ凄いことなのである。
なのであれですね。静岡市民は全員行きましょう。税金のリターンを享受しましょう。そしてみんなで童心に帰って「なんでおうまさんはがっきにしてほしいといったのか」「ばとーきんのおとはどんなおとがするのか」とかについてディスカッションしませんか。
まぁとにかく、一通り見られたのには本当驚いた。
表紙の絵。見た時思ったのは「案外空、紫だな」である。え、もっと藍色じゃなかった?思ったより結構紫だったんだけど。まぁ紫でもいいんだけどさ。ちょっとそこびっくりした。
あと「馬可愛いな」である。目のデザインがぐうかわ。シンプルにして究極ぐうかわ。あと無表情。ぐうかわ。無表情ぐうかわ。
ちなみに彼の作品を一通り見て思ったのだけれど、「かちかち山」のウサギや「ほしになったりゅうのきば」の嫁さんが乗ってる羊等、基本的に味方の動物は皆無表情なのである。あれは、なんでだろ。
正義が悪を成敗することに動物は関心を抱かないということか。人間の傍にいる限り動物に感情は宿らないということか。それともフェチか、ごちうさだとチノちゃんみたいなのが好きなのか。誰か論文書いてほしい。
表紙以外の絵も結構「懐かし~」の連続だった。
そうだった、王様はハゲに三つ編みがくっついていたのだった。懐かし~。最後「ばとーきん」を鳴らすスーホを囲ってみんなで耳を澄ませたのだった。懐かし~。そーだそーだ、スーホの白い馬ってこういう話だった。懐かし~。
ちなみに、なんであんなに作品が横に長いのかというと、モンゴルの広原の広さを表現するためにあの長さなんだそうな。なるほど。
そして衝撃的事実。赤羽んが2年かけて作り上げたこのみんなだいすき「スーホの白い馬」、なんと第二作なのである。
数年前にごく短期間で仕上げなくてはならなかった第一作があって、それを手掛けなおしたのが僕等の知ってるあのスーホと馬なのである。
そしてその第一作も・・・なんと・・・これはごく一部だけど・・・展示されてます!!!ちゅどーん!!!
こういう第一作が見られるのってなかなかないのでもう半端ない。半端ない。さすが10。10周年。
そして見比べると、第二作の方が圧倒的に良いのは素人目にも明らか。
この「見比べ」は行く人がいたら是非やってほしい。
そして、赤羽さんが撮った今は亡きモンゴルの王朝の写真群も展示。大パネルで展示。
見ててなかなか面白かった。僕達とあんまり変わらない顔の人々が全く違う文化のもとで暮らしている写真というのはなかなか揺さぶられるものがある。
特に王妃の写真。写真嫌いの王妃が、照れ臭そうに笑って映っている一枚。なんか、すごいなぁ・・と思った。何十年前の異国の人でもやっぱこうやって照れ臭く笑ったりするんだな。当たり前体操だけど。
男性達が並んで写る写真も印象的だった。佐川急便のおっちゃん3人の写真ですと言われても信じてしまいそうな。けれど彼等と僕が話す言葉は違い、彼等は宅配便のシステムすら知らないのである。そして僕も彼らの文化における■■■■のシステムすら知らない。時代と文化の厚い壁が僕等を隔てているというのに、写真でこんなに親近感がわくのは不思議だ。
第三章
スーホ以後~晩年の作品群である。
スーホ以後は絵柄のタッチがより細くなり、題材もより幅広くなる。
幼少期読んだ「ほしになったりゅうのきば」の原画が見られたのはちょっと感動した。あの龍の顔もそうなのだけれど、3人娘が見られたのは感動した。特に2番目の娘の碧い水牛・・・「そう!!こんなのいたわ!!」になった。そして3番目の娘の白い羊の顔・・・白い馬同様のあの愛らしい無表情には懐かしさで胸がいっぱいになった。そうだった、3人目の娘と主人公は結婚するのだった・・・。
この作品はどうやら中国の言い伝えを作品化したものらしい。初めて知った。その他にも同じく中国言い伝えを絵本化した作品群が展示されている。
「言い伝え」を「絵本」に変換する赤羽さんの想像力を見せつけられる。キャラクターデザインもとい、外面の見せ方もとい、取材もとい・・・。
幼少期何も考えずぺらぺらめくってた絵本の凄さをいまさらながらに知る。
「鶴の恩返し」の展示も素晴らしかった。初期から東北の雪に魅せられていた作者が再び雪景色を描く。
確かにボードの説明で書かれていた、塗れた墨で描かれた鶴の影も素晴らしかったけれど、最後の最後に飛び去って行く鶴の白き後ろ姿が点・・・なのだけれども切なさ極まって美しかった。さようなら・・・鶴・・・。
改めて見ると、主人公の男の顔もこだわって作られていることに気づく。確かにこいつすっごい良い人そうだけれども、どうにも決断力弱そうで流されそうな奴である。
初期の作品は、人間の顔も勢いある筆遣いで善悪を表現していた。しかし晩年の作品は、顔・表情の微々たる繊細な表現で人間性を表現している。どちらも見ていて飽きない。
そして彼の想像力・・・創造力は年齢による衰えを全く知らない。
題材はより幅広くなっていく。
鳥獣戯画が題材。シンプルな蛙のキャラデザの裏にマジの蛙のスケッチがあった。
戦国時代。細かく書かれた矢、鎧は平安・鎌倉時代の絵巻物のよう。
文章も手掛けた絵本。ピンクの何やらでっかいいきものが出てくる作品である。芋らしい。「おおきなおおきなおいも」。最後子供たちはオナラで空飛ぶのだけれども、戦国時代・日本神話を考えるのと同時にこんな話も考えられる、その脳みその柔軟さに驚く。初期からそこそこ思ってたけどやっぱりやべー人である。
宮沢賢治。彼が描く宮沢賢治の世界は静謐で、キラキラする画材を使っていて、綺麗。展覧会の幕を閉じるのにふさわしい静寂。
彼は何かの授賞式(覚えてない)で、「私は加齢とともにますます作りたいものが増えてきた」みたいなことを言っていたらしい。80で亡くなった際も、机の上には「風の又三郎」の作りかけの原画が3枚残っていたそうである。
僕もこうやって死ねたらなあと思った。70、80、90・・・年をとっても貪欲でいたい。「×××をしたい」と思っていたい。そしておおむね満足しながらも、最期に出来なかったことをちょっと名残惜しく思いながらも死ぬのである。
死ぬとき僕の机上には何があるだろうか。
読みかけの本か?手書きかけの手帳か?パソコン画面に映るは未完成の小説か?
それとも書きかけのブログか?
非常に満足したのだけれども、
なんと図録がまだ未完成で「予約販売」なのは参った。
10月下旬にはできるそうなので、また駅近に用があったら美術館寄って購入しようと思う。
以上である。
結構満足度高い展覧会だった。
何より幼少期に見た絵本の絵を生で見られるというのは、感動がひとしお。
「スーホの白い馬」も感動したけれど、一番ぐっと来たのは「ほしになったりゅうのきば」だったかなぁ・・・。動物に乗った三姉妹を初めて見たときの衝撃はかすかに憶えてる。
教科書で、白い馬に出会った人は絶対足を運んでほしい展覧会である。
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20201108
図録買った。行ったら無事にあった。
表紙とサイズなかなか良い感じなんだ。
でもやっぱり並行して絵本も買いたくなるなぁ・・・。特に宮沢賢治のやつが欲しいかもしれん。
展覧会ももう残り3週間を切っている。行ってない市民は是非行こう!!!
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今まで行った中で一番最悪の展覧会の感想です。