君にその音は聞こえているか。
阿部謹也『ハーメルンの笛吹き男 伝説とその世界』(筑摩書房 1988年)の話をさせて下さい。
【概要】
≪ハーメルンの笛吹き男≫伝説はどうして生まれたのか。
13世紀ドイツの小さな町で起こったひとつの事件の謎を、
当時のハーメルンの人々の生活を手掛かりに解明、
これまで歴史学が触れてこtなかったヨーロッパ中世社会の差別の問題を明らかにし、
ヨーロッパ中世の人々の心的構造の核にあるものに迫る。
新しい社会史を確立するきっかけとなった記念碑的作品。
裏表紙より
【読むべき人】
・ヨーロッパ中世史に関心がある人
・特に文化史に関心がある人
・歴史学専攻の学生
【読むのをためらうべき人】
・ハーメルンの笛吹き男の正体を知りたい人
・高校で世界史を勉強してない人
【感想】
まぐろどん、2020夏の2冊のうちの1冊である。
スーパーミラクル時間かかった。
しかも時間かかる割に結局笛吹き男の正体分からないんかい!!!という1冊。
分からないんかい!!!!
じゃあ、何故この本が時を超えて(初版が1988年書かれたのは1970年代)、
今現在も刊行されて読まれ続けているかと言うと、
歴史研究とはどのようにしてするものか。
本書自体がその答えとなっているからだと思う。
歴史学専攻卒の僕だけれどもこの1冊は、現役時代に読んでおきたかった。
1970年代に活躍したヨーロッパ中世史の研究者による1冊である。
1970年代。もはや50年前近く前。
そこでヨーロッパに在住して研究を日夜重ねていた人がいるということに、
ちょっと唖然。
50年前。
50年前かあ・・・どんな研究がおこなわれていたのだろう?
卒業論文の資料として選ぶには間違いなく迷うべく年。史料になるかどうか非常に微妙なところ。
あと今と比べたら陳腐で古臭くなっている部分も多いと思うのだけれども、50年前の研究ってどんなものだったのだろ。
推測だけど、非常に有名な歴史的事件の究明にいそしんでいたのではないか。
100年戦争ジャンヌダルクカノッサの屈辱十字軍その他諸々中世に起きた大イベントひとつひとつにああだこうだああだこうだ言いながら、その真相に少しでも迫ることを目標として研究していたのではないか。
しかし本書はそこに重きを置かない。
むしろ、研究自体の歴史に重きが置かれている。
中世の手書き本の読解から始まる。近世以降に印刷された20を超える笛吹男の伝説・書物の比較。「東方植民」にルーツを探ろうとする20世紀初頭の研究者ヴァンの研究に対する反論。その他研究者が辿り着いた結論の浅はかさに対する指摘。
そして伝説が成立した背景。階級社会や放浪する最下層の人々について。東方植民へ駆ける人々の想い。100年単位で見る村と今日鵜飼の権力構造。
莫大な資料の上を縦横無尽に駆け巡る。
作者がぐいぐい前のめりに、研究に没頭していくように僕等も気づけば前のめりに、ページをめくる手が止まらなくなる。そして、二人の学者の研究が結実するラストは、ため息が出た。
中世の人々が日々何を思って何を考えて生きていたか・・・・。
50年前に一つの真相に迫るのに、ここまでありとあらゆる部分を網羅して研究した人が他にいたのかしら。インターネットもない時代に、紙媒体を頼りにして。
恐らくベースはこの本も、「笛吹男伝説」の真相究明に重きが置かれていた。
本書が時を超えて評価されているのは、
その真相が解明されたからではなく、
その真相に迫る研究自体のアツさが半端ないからである。
この研究、まじアツい!!ぱねえ!!まじアツい!!50年間そう評価され続けたけっか、ちくま書房から再び再発行され僕の手に届いた。多分そう。アツい!!ぱねえ!!
特に僕がアツいと思ったのは東方移民の部分。
その思いに耐えられなくなった時、そして東部からの勧誘を受け、そこではこれまでにない良い条件で土地が得られることが約束されているのをみた時、農民たちは先祖伝来の村を棄て旅立ってゆく。
しかし彼らは自分たちの先祖から自分たちに受け継がれてきた村を棄てたのではない。彼らは長紐靴の裏にその故郷をつけて東部へ赴いたのである。彼らはかつて自分が生まれ育った村を東部に再建しようとする。彼らはほとんど例外なく、本国の村と同じ名前を新しい村につけ、旧い秩序をそのまま環境の異なる新しい土地で再現しようとする。pp.84-85
特にこの部分がアツい。
高校時代の世界史のノートの隅に書かれた「東方移民」この漢字四字に、どれだけの人々がどれだけの想いを抱えて東方へ足を運んだのか思いを寄せることもなかったし考えたこともなかった。
丸暗記の科目として漠然と受け流していた歴史用語一つ一つの厚みを思うと、いてもたってもいられなくなる。
この本にはそういった感動がたくさんある。
なんか、歴史学とはこうあるべき。というものをまざまざと見せられた気がする。
科学技術等と比べれば確かに実学とはいいがたいかもしれないが、
過去に生きた人々のあらゆる部分を探ることは我々人類のルーツを知ることで、
それはなんとエキサイティングなことだろう。
そして恐らく突き詰めた先には、この先我々人間が未来を生き抜いていくヒントが見つかるようにも思うのだ。
何故なら歴史は繰り返すのだから。
ただ、これだけ読んで最後思ったのは、
笛吹男の正体結局分からないのかよ・・・・。
正体知りたくて買おうとしている人は躊躇え。あと一般書籍ギリギリの結構難解な文章も多いので時間もかかる。高校世界史程度の基礎知識も求められる。
あくまで中世の生活史を知る書物として手に取ることをお勧めする。
ちなみに、読後wikipediaで、「ハーメルンの笛吹き男」を調べてみた。
正体はどうやら幾つか諸説があるようだけれども、
2020年現在もやはり見通しはたっていないようである。
この先、彼の正体を知る日はくるのだろうか。
いや・・・この先、阿部さん以上にこの伝説にアツく迫る研究者は現れるのだろうか。
笛の音に誘われて、久々に西洋史の扉を開いたけれど、
貴方は何処へ。そしてその先は。
以上である。
アツい歴史学。
ただまあ正体の見通しを無理やりにでも立ててほしかったなぁとはちょっと思う。
学者同士の絆でアツく締めて誤魔化しているけれども、
まあ確かにそこもアツいんだけれども、
そこはちょっと、「逃げ」を感じますねえ・・・。
ちなみに解説は石牟礼道子さんなんだけれども、
最近増刊されるにあたって、今の西洋史界隈で第一線で活躍する人の解説がほしいところ。
2020年現在、ハーメルンの笛吹男の研究は以下のような経路をたどっているのか、
また歴史学専門の研究者から見て本書はどのように映るのか。
是非聞いてみたい。
多分、この書籍自体が国内西洋史研究史において、大きな存在感を放つ一冊であることは間違いないと思うので。
そして、今現在歴史学を学んでいる学生にはぜひ読んでもらいたい。
歴史学is激アツい学問だってことが、きっと分かるはずだから。
***
註:この書籍は小田原駅にあるショッピング千ー最上階の本屋で買いました。あそこの本屋の平積みは、かなり練られていてなかなか面白い出会いをくれます。もっと評価されるべき。
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読んだ喫茶店と、引っ越しについて。