小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』-闇は脈々と時代を越えて-


何故、闇はキャンヴァスに描かれる必要があったのか。

宮下規久朗『闇の美術史 カラヴァッジョの水脈』(岩波書店 2016年)の話をさせて下さい。



【カラヴァッジョって?】
本名:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ 1571-1610
カラヴァッジョは地名。
だから僕で言うと、静岡市清水区で後世伝わってるってこと。まじかよ。

一番初めに、写実的で劇的な作品を描いた人。
なんか背景が黒い。とにかく黒い。
宗教画や、性的な目で見た少年画が多い。

生前に成功し、がっぽがっぽ稼いでウハウハだったが、
ダメ男。
気性の激しい性格、酒飲み、浪費癖・・・
挙句の果てに人を殺してしまい、
ヨーロッパ中を追われることとなる。
費用捻出のためか、逃避行中も作品は発表し続けた。

近年では国内でも「カラヴァッジョ展」が開催されるなど、
知名度をぐいぐい上げてきている。
彼について書かれた美術書も多く出ている。
天才のクズほど論じて面白い人物はいないからね、ちかたないね。


カラヴァッジョ≪病めるバッカス≫1593年頃


カラヴァッジョ≪聖ヨハネの斬首≫1608年頃

【読むべき人】
・西洋美術の知識がある程度ある人
(今作は文芸書、というよりは学術書に近い。
多分卒論にも使えちゃう)
カラヴァッジョが好きな人
・暗い絵が好きな人

【概要】
「西洋絵画は中世の終わり頃から一貫して、光と闇の対比の効果を追求してきた」p.�E
古代ギリシアでは、すでに陰影が施され、
二次元三次元を書くことを実現した。

ルネサンス初頭にはレオナルド・ダ・ヴィンチの中に沈むよううな人物像を描き、
その後にジョルジョーネラファエロを経て、
闇の美術史は出発した。

そして17世紀。
カラヴァッジョが登場し、
光と影の対立を心理的な劇に応用する技法「テネブリズム」を展開し、
バロック美術への道を開いた。

ジョルジュ・ラ・トゥールをはじめとする
多くの画家が、その技法に追随し
ベラスケス、レンブラントフェルメールと続いていく。

19世紀に登場した印象派により、
美術先進国において闇が描かれる作品は数を減らしていく。

一方でイギリスや日本など美術後進国の国々では
闇を用いたテネブリズムが新鮮に感じられ、
遅れて隆盛を極めていく。
高野野十郎≪蝋燭≫等)

本作は、
筆者の専門であるカラヴァッジョラ・トゥール等を中心とした、
美術における闇の在り方の変遷をおった
「闇の美術史」である。

「はじめに 光あれ」p.�D-�I�@ より



【感想】
宮下規久朗先生の名前を知ったのは、
ちくま文庫『モチーフで読む美術史』
だった。
そこから『モチーフで読む美術史2』『しぐさで読む美術史』『食べる美術史』と続いて今作である。

ただ今作が前作4冊と異なるのは、
対象となる読者。
前作4冊はちくま文庫光文社新書であるため一般層へ向けた本になる。
図録も豊富で前知識がなくとも十分読めて、
ふむふむと頷きながらページをめくる。
今作は御覧の通り、普通の単行本。
一般曹、というよりは美術に強い関心を抱く層へ向けた本になる。
卒業論文の参考文献に名前を並べておかしくない本。
図録は少なく、ググっても出てこないこと多々。
それでも、面白い内容だったなと思う。

今作は「闇」をテーマに作品の変遷を追った本である。
以下簡単に。

第一章 闇の芸術の誕生
では紀元前からルネサンスまでを扱う。
ギリシア美術フランチェスカ等の宗教画、
そしてラファエロダヴィンチが活躍するルネサンス

特にダヴィンチの『絵画論』におけるアドバイス
「光は多すぎると生々しく、だからといって闇が多いのも見えないから中くらいいい」
「影はどぎついから霧や雲の下におくのがいい」
p.19
には笑ってしまった。
確かに、
スフマート(輪郭線をはっきりさせない技法)を使ったダヴィンチの作品は、
天気が良くなく、薄暗いのが多い。

第二章 光への覚醒-カラヴァッジョの革新
カラヴァッジョについての章。
彼の画壇デビューから晩年までの作品をおう。

ローマで稼いでいた時代は衝撃的な写実表現を目指したが、
殺人し逃亡していく中で描いた作品の闇には、
瞑想的な宗教性、深い精神性が漂っている。p.66
取り巻く状況が、彼の作品における「闇」を変えた。
その変遷が緻密に書かれている。

また、彼の作品には「奇跡や髪は存在していないとみることも出来る」p.67
絵に出てくる神々しい人達は全部「幻視」である
とみることも出来、
日常の中に神の幻視を見る画面を描くことで、
現実と宗教とを融合させることを図った。

だからこそ、神を信じきれなくなった現代に彼の絵が響くのだ。
pp.66-68

この解釈を読むことだでできただけでもああ、この本を借りた甲斐があったなぁと思った。

第三章 ドラマからスピリチュアルへ
カラヴァッジェスキとラ・トゥール

カラヴァッジョの傑作は、ヨーロッパ中を風靡した。
彼の技法に追随する人々が各地で現れはじめる。
彼らはカラヴァッジェスキと称された。p.67
スルバランベラスケスルーベンスラ・トゥールなど
西洋美術の巨匠の作品に、
間接的に(あるいは模写等で直接的に)
闇は、広がっていく。
その感染を書いた章である。

音楽では巨匠がたくさんいるが、
美術では他国と比べるとあまりいない、
ドイツの画家エルスハイマーを知れて良かった。
ガリレイ天体望遠鏡を発明した時代であるが、
その影響か、
彼の描く夜空の星々の位置は完全ではないが正確であるという。
pp.85-87

ラ・トゥール≪悔い改めるマグダラのマリア
この画家も詳細は分からないものの、気性が荒く問題児だったんだそうな。意外。

第四章 バロック美術の陰影
立体。
彫刻の章である。
ベルニーニは、
カラヴァッジョが用いた劇的な光と影を彫刻にもとりいれた。
初めは彫刻に充てられる光に苦心するが、
やがて「絵画・彫刻・建築が一体となった宗教的あ劇場空間を作りだすに至った」p.109
彫刻、壁、絵、その空間自体を作品へと昇華させるに至ったのだ。

後半は、彼の影響を受けた彫刻家達の作品について。
彫刻になると途端に「ああそう・・・」になる僕が見たいなー、と思ったのは、
辺境にあるというアザム兄弟が手掛けた、ロール修道院聖堂。

へんぴなところにあればるほど内装が過剰に派手になっていくのは、
貧しいながらも命がけで長い長い道を歩いて
ようやく、教会の戸を叩く者にとって、
「刺激のない日常と同じようにし必で地味な空間では、人々の心は動かせなかったであろう」p.125


映画アニメ本ネット・・・可視化できる情報が圧倒的な現代でさえ、
見た人が
はえ〜すっご〜い!!!」
となる芸術が施された教会。
生で見た昔の人は、
どれだけ感動したのだろう。
揺さぶられたのだろう。

多分僕等は永遠にわからない。
技術という伝染病に感染しすぎた。

第五章 闇の溶解、光のやどり-レンブラントから近代美術へ

カラヴァッジョが発見した闇に惹かれた画家がいた。
レンブラント

彼は生涯にわたって自画像を描いた稀有な画家である。
現存するだかで80点あるそれらの作品の変遷をおうと興味深い一致が見える。
新鋭画家として活躍した時期の自画像は、
光と影の対比を実験するかのように顔が半分影に覆われているが、
晩年、伴侶と息子を亡くした時期の自画像は、
孤独な老人の内側から光がにじみ出ているようである。
彼の「光」は外面的なものから内面的なものに変っていったのだ。pp.141-144

他にも、みんな大好きフェルメールについても書かれている。
写真のように、
日常の一瞬を切り取ったような作品を描き続けた画家のねらいは、
「作品の意味や主題よりも、日常的な光景を光の芸術に高めることにあった」p.150
彼がもし21世紀に生きていれば、
画家というよりは写真家になっていたかもしれない。

あと10月にあの有名な≪ミルクを注ぐ女≫が日本に来るんだよねー行きたいなー行かなきゃ!


フェルメール≪ミルクを注ぐ女≫1658-1660年頃

第六章 日本美術の光と闇
オランダの留学生、内田正雄の作品の持ち込みによって、
カラヴァッジェスキが登場したのは明治。p.183
やがてキャンバスに描かれた闇は、戦争画へと直結していく。

以上である。
忘備録も兼ねているブログだからか、
ちょっと内容について書きすぎてしまったような気はするが、
本書は僕のメモよりも何倍も何倍も濃い。
200ページちょい越えにみたない本であるが、
今作を出すのに長い期間がかかってしまったことも頷ける。
(筆者の私事情もあるが・・・)

またこういった僕の関心を満たすような学術書、読みたいなぁ。

LINKS
宮下規久朗『モチーフで読む美術史2』
宮下規久朗『しぐさで読む美術史』
宮下規久朗『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』
※画像はwikipediaパブリックドメインから使わせていただきました。