小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

中野京子『中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇』


「怖い絵」シリーズを読破したのだ。

このシリーズだって、読破したい。

中野京子中野京子と読み解く 名画の謎 陰謀の歴史篇』(文藝春秋 2013年)の話をさせて下さい。



【概要】
「怖い絵」シリーズで知られる中野京子が、
歴史の1シーンを切り取った歴史画を取り上げ、
叙情的な「中野節」で解説。

読み易く、面白い美術書

【読むべき人】
・西洋美術に関心がある人
・世界史が好きな人
・面白い絵が見たい人

【覚悟するべき人】

・世界史の前知識がない人

【感想】
前に図書館で借りて読んだ「名画の謎 対決篇」
割と面白かったので、
同シリーズ、残り三冊をまとめて借りて来た。

大学で西洋史専攻だったということもあって、
一番関心が高い今作から読んだ次第。

けれど、うーん。
対決篇の方が読み易く面白く、且つ主題も中野先生に合ってたな。
今作はちょっと「対決篇」と比べるといまひとつだった。



考えられる要因は3つ。

1つ目。
今回の第一章にあたる「01 消えた少年たち」ぶっちぎりで読みづらい。
表紙の絵の章でもある。
中世のイギリス王室の争いによって、
ロンドン塔に閉じ込められた王族の兄弟の絵であるんだけれども・・・。
うーん。
まずこの「王家争い」というのが世界史Bの中でもなかなかややにややこしい薔薇戦争のことで、
この背景を把握するのにまず一苦労。
理解に役立つ実は家系図や年表などがあるにはあるんだけれども、
それが章の最後についているので
一通り苦労した後に存在をを知るという・・・・。

ちなみに、
家系図、年表などはすべての章の最後についているが、
事実が淡々と並ぶただの表にしか過ぎないので、
西洋史に関心のない人、世界史を高校でやっていない人は
読んで理解できるかどうか、怪しい。
うーん。

2つ目。

「歴史」を称する割に、作品がマイナーすぎる。
「歴史」と聞いて、どういった絵画を読者は想像するだろう。
マリーアントワネット?
ナポレオン?
ワシントン?

所謂著名な人物の肖像画を想像したのではないか。

そういった章が今作は圧倒的に少ない。
「04 メディチ家出身のローマ教皇でのクラナッハマルティン・ルターの肖像≫か、
「08 大自然の脅威」ダヴィッド≪サン・ベルナールを越えるナポレオン≫
「11 無敵艦隊ガウアー≪エリザベス1世くらいか。

残りは圧倒的に風俗を使ったものが多い。
「02 産業革命とパラソル」でのの流行や、
「07 私的通信」のオランダでは手紙の誕生、
「09 価値の転換」では所謂西洋史「血液型占い」
「12 あふれかえる死」ではペスト「15死にゆくピエロ」ではピエロ「17 凶暴な選挙戦」では選挙・・・。
「14 ナチスの恋わずらい」においてはただの画家紹介。

これらのどこに「陰謀の」歴史があるのか。
偏りすぎ。

どうもこれらの章をまとめて「陰謀の歴史」と称するのは浅はかであると思う。
というかよく読めば、「陰謀」「01 消えた少年たち」のみにしか出てきていなくないか?



3つ目。
そして何故「陰謀の」を称するのであれば、
ダヴィッドの作品を大々的に扱わない?
世界史で欠かして語れないフランス革命を扱わない?

ジャック・ルイ・ダヴィッドというのは、
フランス革命期のフランスにおいて唯一活躍した
歴史的画家である。
まさしく「陰謀」が渦巻いていそうな、
革命家の死体を描いた≪マラーの死≫(この前「ルーヴル美術館展」で日本にも一つ来た)、
革命家たちを描いた≪テニス・コートの誓い≫等などを扱っているが、
今作では≪サン・ベルナール峠を越えるナポレオン≫をろくに解説せずさらっと掲載しているのみ。
ありえない。

フランス革命、この画家をおざなりにして、
ピエロやペスト、ましてやナチスのマイナーな画家紹介を扱って
「陰謀の歴史篇」を語るのはいかがなものか。

何故扱わないのか。
そりゃ何となくわかるさ。
中野先生がダヴィッドを好きじゃないから。
これは「怖い絵」「作品14 ダヴィッド『マリー・アントワネットの肖像』」の章を読めばわかる。
嫌っているのがすぐわかる。

だからといって、「歴史」を称したのであれば
好き嫌いにかかわらずこの画家を大々的に取り扱う章を入れるべきだ。

僕はそこがどうしても許せない。


みんなだいすき中野京子『怖い絵』

ただ今作が面白くないのか、と言われるとそれは違う。
面白い。
面白いさ。

インパクトのある絵が多く、読み易く叙情てきな文体も健在。

ただしこの本は
「名画の謎 陰謀の歴史篇」ではなく、
「怖い絵4」にすべきじゃなかったのか。

以上である。
面白いが、「陰謀の歴史篇」という題名とは
内容が違うように感じた。
特にジャック・ルイ・ダヴィッドを筆者の趣味にしたがって、てきとーに扱うのはいかがなものか。
彼をおざなりに扱って「ピエロ」「手紙」等を扱うのであればそれはもはやただの「怖い絵4」にすぎないのではないか。
こんな感じ。

ちなみに何故こんなに僕がダヴィッド」「ダヴィッド」というのかというと
それはもう僕が卒論でこの画家について書いたからである。
日本人なら誰もが知っているあの≪サン・ベルナール峠を越えるナポレオン≫を書いたにも拘わらず、
彼の日本語文献の少なさには閉口した。

やはり中野先生に限らず、ダヴィッドは美術史家の中でも嫌われ者なのだろうか。


ジャック・ルイ・ダヴィッド≪サン・ベルナール峠を越えるナポレオン≫(1801年)

LINKS
中野京子『怖い絵』
中野京子『怖い絵2』
中野京子『怖い絵3』
中野京子『新 怖い絵』
中野京子『名画の謎 対決篇』
※記事中で用いた作品はパブリックドメインを使用しています。
 


よむぞー。