小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

小野尚子 本橋弥生 阿部賢一 鹿島茂『ミュシャ: パリの華、スラヴの魂』-愛する母国へ捧ぐ、20の詩-


※以前間違って製作途中の生地を上げてしまってました。
目にするの二度目になってしまう方、申し訳ありませんでした・・・。

高校時代。

僕「先輩、大学進学おめでとうございます。
外語大でしたよね!?何語行くんですか!!!」



先輩「チ●コ語」







チェコ



小野尚子 本橋弥生 阿部賢一 鹿島茂ミュシャ: パリの華、スラヴの魂』(新潮社 2018年)の話をさせて下さい。


晩年の大作≪スラヴ叙事詩≫が表紙。

【概要】

今現在も世界から熱狂的な人気を誇る、
アルフォンス・ミュシャ
彼が晩年残した大作、≪スラヴ叙事詩≫全20点を掲載&解説。
またパリ時代に残した挿絵
ミュシャに関連するチェコの首都・プラハミュシャ「スポットを紹介。

アルフォンス・ミュシャ(1860-1936)
現在のチェコにて生まれ、20代で渡仏。
スラヴ人
その後パリでの挿絵の仕事が評価され、
サラ・ベルナールのポスターを手掛ける等絶大な人気を誇る。
その後渡米した後チェコに帰国し、
晩年≪スラヴ叙事詩20点を制作した。

【スラヴ民族(スラヴ人)とは】
ポーランドチェコスロバキアロシア東欧にいる人々の総称。
イメージとしてはドイツより東。
一つの民族を総称するのではなく、東欧の民族ポーランド人、チェコ人等等)をまるっとまとめてスラヴ人と総称することが多い。
特定の民族を表すわけではない。
スラヴという国があったわけではない。
特に18世紀-19世紀は、西からナポレオン(フランス)東からオスマントルコと板挟みにあったため、
スラヴ人団結を目指す運動が盛んだった。(汎スラヴ主義)
今回ミュシャが残した≪スラヴ叙事詩もその運動が盛んな中で、愛国心・愛民族心を刺激されてミュシャが晩年かけて丹念に制作された作品である。
この運動は、内乱やバルカン半島から勃発した第一次世界大戦等が起き、混乱し、有耶無耶なまま離散。

ちなみに、現在では音楽が日本人には一番なじみ深いかも。
チャイコフスキー「スラヴ行進曲」ドボルザーク「スラヴ舞曲」「交響曲8番・9番」スメタナ「わが祖国」等はいわゆる「スラヴしてんな」って感じ。
ちょっとアジアンちっくで田舎臭くて、でも力強いのが特長的。

【読むべき人】
ミュシャが晩年に残した傑作・≪スラヴ叙事詩≫に関心がある人
ミュシャを追ってプラハ訪問考えている人
チ●コ文化に関心がある人



【感想】
以前静岡市美術館で行われたミュシャ展に行ったんですよ。
めっちゃ良い展覧会だった。
ちなみにその時の感想:ミュシャ展 運命の女たち

で、それは
大きいサラ・ベルナールのポスター見て、彼女についてググりまくるくらいには、
素晴らしい展覧会だったわけです。
ただ一つだけ不満があって。
ミュシャが晩年制作した≪スラヴ叙事詩
モニターでぱっぱっぱっ、と写すよく分からん展示方法をしていたこと。
いやいやいや。
いやいやいやいや・・・。
はえーし。みえねーし。
と思って、
晩年ミュシャが制作した≪スラヴ叙事詩≫全20点を取り扱い、
解説も付している本作

図書館で借りた次第。

スラヴ民族っていうのは、
簡単に言うと東欧に住んでいる民族で、
何か知らんけどとにかくもめ事が絶えない民族なんですよ。
世界史を選択した人にはわかると思うんですが、
しかも西欧ではフランス、イギリス、スペイン、ポルトガル、イタリア、ネーデルランド等大国があるのに
東欧ではリトアニアポーランド連合王国とあとロシアー!!!ちゅどーん!!!!くらいでまぁ・・・そんな・・・その活躍があれだったわけです。
19世紀20世紀の境目あたりにとうとう「スラヴ民族みんなで集まろうぜ!!」って集って動き始めたのが、
汎スラヴ主義。
ミュシャも例にもれず、愛国心を刺激され(万博で東欧の一国・ボスニアヘルツェゴビナ館を手掛けたのがきっかけと言われている)
スラヴ民族の歴史を20の場面に分けて、
晩年にどわわわわわわわっと制作したわけです。



今作で大々的に取り扱っている≪スラヴ叙事詩は20点あります。
大きいものは6×8メートル
小さいものでも4×4メートルと20点どれも超巨大作品。
その1点あたり2ページでどーんと、
そして解説+図版で2ページどーんと、
つまり1点4ページは使って丁寧に取り扱っております。

ただこの作品、当時は評価されなかったんだそうな。
挿絵絵師として絶大な人気を誇ったミュシャだったけれど、
この作品の評判は良くなかった。

まぁ・・・正直そうだよなぁ、と僕は思います。
中世近世の絵画、
例えばカラヴァッジョ、フェルメールルーベンス・・・
ああいった今までの西洋の巨匠の作品と比べると、
どうしても
顔のパーツであったりだとか、
洋服の質感であったりだとか、
構図であったりだとか
劣っているのは否めないと思うんですよ。
それでも今、こうやって多くの鑑賞者の胸を打ち高く評価されているのは、
この作品が「早すぎた」ってのがあると思うんだな。

まず人物画。
表情が豊かで素晴らしいんだけど、かつての作品のように三次元寄りじゃない。
リアルじゃない。
完全な二次元に屈した顔をしている。
昔の西洋の作品より、現代のアニメーション・漫画に近い顔をしている。
そしてサイズ。
今までこんな大きい作品を、連続して20
作った画家なんていなかったわけです。
そもそも4メートル超える作品なんてめったにない。
その大きさの作品を作る地点でやばいし、
その主題が今まで軽んじられる傾向にあった東欧の歴史
っていうんだからさらにやばい。
きっと展覧会に来た人は、これ見てドン引きしたと思う。

てかこれだけの大きさで、
これだけの数を作った、ということは
ミュシャは多分、
この東欧の歴史を、
「絵画」としてよりは「映画」として伝えたかったんじゃないかなぁ・・・。
多分今ミュシャが生きていたら、映画監督にも挑戦していたと思うよ。
どうだろう?

僕がこの20作品の中で一番響いたのは、
「17 聖アトス山」かなぁ・・・。
すっごい大きい天使が並ぶ聖堂の中を、
巡礼していく人た達を描いた作品、
奥で微笑む、巨大な聖母マリアの表情が印象的。
あと作品全体の空気も、どこかアラビアチックでいいなぁ。

後半は、パリ時代の挿絵作品や、
プラハミュシャガイド等。
≪スラヴ叙事詩≫が本命で、
挿絵はいわゆる仕事としてこなした作品であるけれど・・・
やっぱ今見てもすごいよなぁ。
今でも十分使える図版。
てか120年後の異国の地で通用するって・・・もうどんだけ〜〜!!!である。
プラハガイドは「へー」って思ったな。
行きたいかって言われるとうんまぁそこは・・・。
チ●コ語専攻行った先輩は元気にしてるのかな。


こういう、色彩の絵だったの。

以上である。
割といい本だった。
さらっと、ミュシャについてい知りたい人は、本作手にすれば十分なんじゃないかな。

いやー、一読すると今度はチ●コの歴史が気になってきたな。