小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

宮下規久朗『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』-絵画からみる食事の風景-

召し上がれ。

宮下規久朗『食べる西洋美術史 「最後の晩餐」から読む』(光文社 2007年)の話をさせて下さい。


食べることを嫌う人がいないように、
美しいと思うことを嫌う人はいない。

【あらすじ】
「最後の晩餐」のように、西洋美術には食べる絵が多く存在する。
レオナルド・ダ・ヴィンチ≪最後の晩餐≫をはじめ、どんちゃん騒ぎを描いた作品、静物画、謝肉祭等々。
これらの作品を通して、
西洋での食文化や食事の位置づけの変遷、
またなぜこのように西洋美術には食べる絵が多いのか
考察していく。
「食べる」から見る、西洋美術史

【読むべき人】
・西洋美術に関心がある人
西洋美術を教養として身につけなければならない人
食文化に関心がある人
・女の子からもてたい人

【感想】
約10年前の作品になるが、
その年数を感じさせない面白い作品であった。
この宮下規久朗先生の一般層へ向けた美術の作品は非常に面白いし、
多分今一般向けの西洋美術史本の第一人者であるといっても過言ではないので
何から読めばいいのか悩んでいる人はこの人の本を薦めておく。
文章が多少ぎこちない時があるが、内容が非常に分かりやすい。
大学教授にありがちな難解な語彙だよりの文章ではない。読み易いし面白い。間違いない。

今回は「食べる」を中心に西洋美術を考察する本である。
ざっくり、レオナルド・ダ・ヴィンチからはじまって近世、現代と時間の流れに沿って章が展開されている。
非常に面白かったので、一章一章とりあげて簡単に感想を記す。

第一章 ≪最後の晩餐≫と西洋美術
まず誰もが知っているレオナルド・ダ・ヴィンチ≪最後の晩餐≫から入る。
西洋美術における「肉」と「魚」の意味付けや他の画家による晩餐画(日本のものも!)の紹介等。
印象に残ったのはカラヴァッジョ≪エマオの晩餐≫のところ。
飛び出したかのように見える(「突出効果」と筆者が名付けた)画面と、
その斬新な構図を宗教画に用いた意図が興味深い。
カラヴァッジョの発想は500年後の現在のアーティストに近いのかもしれない。
明治の日本の画家による『最後の晩餐』(田村宗立≪接待図≫)より新しく見えるのに、惹かれた。

第二章 よい食事と悪い食事
「よい食事」「悪い食事」を描いたそれぞれの作品を解説する。
「よい食事」は先述した≪最後の晩餐≫に値するまさしく「パンとワイン」のような食事である。
では「悪い食事」はどのような食事か。
また、何故「悪い」とされているのか。
どちらの作品の方が当時の画家にとって魅力的な題材であったか。
この章を読んで僕が思い出したのは、以下の小話。
中世・近世の西洋美術の画家達は、裸婦像や好みの美女を描きたかったがそのまま描くと「下品!!」「きもーい!!」となるから、「ヴィーナス」「マグダラのマリア宗教に無理矢理こじつけて描いていた。
食事も同じだ。
もっと言うと今の僕だってそうかもしれない。
Hugっとプリキュアを見たいが、見てると親に怒られるため「見ると元気が出る」「これしかもう最近生きる希望が見当たらない」元気が出る理由としてこじつけて視聴している。本当はルールー・アムールちゃん野乃はなちゃんに萌え萌えするため視聴していた。
大差ないな。

第三章台所と市場の罠
当時のヨーロッパで食べ物と最も密接な場所、台所市場を描いた作品を取り上げる。
特に前半の台所のところに出てくる「二重絵画」という作品はすごい
絵の中に、絵があるのである。
教訓を示すためにそのような構図をとっているらしいんだけれども・・・何度見ても僕には良さがちょっとわからぬ。
また、市場においても前章で扱った「良い食事」「悪い食事」を下敷きにした作品が紹介されていて、そちらも非常に興味深い。特にブリューゲル≪謝肉祭と四句節の戦い≫は巧妙に練られていてなるほどな、と思った。ただの絵本みたいな絵を描く人ではなかったんや・・・。
また西洋美術で、宗教画が多い中世美術から近世の静物画」が現れるまでの流れを丁寧に書いていて勉強になった。



第四章 静物画ー食材への誘惑
静物画。
果物や野菜、狩ってきたウサギなど様々な食材が台にのっている様子を精巧に描く作品の分類名である。
今現在の僕たちはその絵画を見て
「しゅごーい・・・・しゅごキャラ
「すっご。まじ写真に見えるーうっま。まじ卍なんですけどー」
はえ〜本物に見えるんゴ。なかなか精巧に描かれていて上手いんゴねぇ」

等その筆致に感嘆するんだけれども、
当時は意味合いが少し違ったようです。
どう違ったのか。
当時の人々にはこのような作品がどう見えていたのか。
そもそも、これまで人物を描くことが多かった西洋美術界において、なぜいきなりこんな果物ばっかの絵が流行したのか。

この章で、それらの疑問の答えが全て提示されている。
ちなみに現代の静物画ということで
アンディ・ウォーホル≪キャンベル・スープ缶≫という、
非常に有名なスープの缶を描いた作品も取り上げられている。
この作品がなぜ「凄い」のか。
その答えもこの章で触れられている。

第五章 近代美術と飲食
近世から現代にかけての「飲食をしている人々」の絵画を紹介していく。
長年、西洋美術において食べる人の絵はワインとパンの宗教画、「良い食事」「悪い食事」が中心であった。
しかし時代を経るにつれて、
供給がある程度進むことにより
人々にとっての「食事」の位置づけが変わる。
今まで食べられなくて当たり前だったのが、ある程度食べられるようになる。
食べ物の種類も増え、食べることへの楽しみが注目されるようになる。
すると「食べる人」の絵の幅がぐっと広がる。
例えばフラゴナールは優雅にピクニックをする人々を描いたし(雅宴画)、
印象派の画家のひとりマネ≪草上の昼食≫(先月プーシキン美術館展で日本に来たよね)では外で全裸で食事をする変態な絵を描いたし、
ドガは宗教の意味を含まない、自らの家族の≪昼食≫≪夕食≫食卓の絵を描いた。
近世・現代の食べる人の絵を紹介する章である。
ちなみに僕はこの章は紹介に徹しており、考察は一番浅いなと思った。

第六章 最後の晩餐
最後の晩餐。とは、キリストの最期の晩餐でもある。
では、人々が死ぬ間際に食す最期の晩餐は今までどのように描かれてきたのか。
いままで触れて来た近世の絵画と、
現代を代表した画家ウォーホルの作品を取り上げ、
様々な時代の作品を取り上げて「最期」をテーマにまとめる章である。
「最後の晩餐」ではじまり「最期の晩餐」で本作は締めくくられている。
特にウォーホルの≪ツナ缶の惨劇≫は衝撃だった。一度見たら忘れられない。
現代絵画を代表する画家のナイフのような表現を是非見て、そして読んで感じてほしい。

ただ、この「最期」でしめくくった本作を上梓した後に、筆者の娘さんが亡くなったのは何ともいえない。
心からお悔やみ申し上げます。

以上である。
「食べる」意味合いが人々の中変わるにつれて、
西洋美術も様々な食べる絵が出て来たよー。

それがよく分かる作品であった。

ちなみに同著者の作品で僕はもうすでに3冊所持して読んでいる。

宮下規久朗『モチーフで読む美術史』(筑摩書房 2013年)
宮下規久朗『モチーフで読む美術史 2』(筑摩書房 2015年)
宮下規久朗『しぐさで読む美術史』(筑摩書房 2015年)


続編出ないかなぁ・・・。

これらの作品は、4-6ページほどでどんどん「しぐさ」「モチーフ」を紹介していく話で、とても面白い。
西洋美術初心者でも絵画の楽しみ方を感嘆に身につけられる。
長年美術館の学芸員を務めて来た著者だからこそ書ける名著であると思う。