小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

春日武彦『精神科医は腹の底で何を考えているか』-何かを切り捨てて決断し傷つきながらも生きてく、君の横顔。-

 

 

 

毎月第四週水曜日、くらいに嗜んでるから。

まぁ、気になるわよね。

心療内科。精神科。

 

 

春日武彦精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎 2009年)の話をさせて下さい。

 

 

 

 

【概要】

精神科医とはどんな人たちなんだろうか。人の心を治療する医者だから、人の御心の闇を知り精神の歪みにも精通し、人格期にも高い成長を遂げているはず。

だが本当はどうなのか。

テレビに出てくるあの人はあやしくないか。

臨床体験豊富で熟練の精神科医である著者が、エクソシスト医師、無責任医師、赤ひげ医師、新興宗教の教祖的医師、タレント医師、世間知らず医師などなど累計100名を、裏も表も建前も本音もすべてリアルに描き尽くす!

裏表紙より

 

カウンセリングは、温泉に入って「癒された」気分になるとかカラオケでストレス解消になったと言った類の「気持ちがいいこと」とイコールであるとは限らない。p.33

 

【読むべき人】

精神科医に関心がある人

心療内科に関心がある人

・けれどもかっちりとした専門書ではなくどちらかと言うと随筆的な感じで気軽に読みたい人

 

 

【感想】

いやぁ・・・絶対買うまい買ってやるもんかと思ってたんだけどね。

幻冬舎新書

幻冬舎自体には別にどうもこうも思わない。比較的新しい出版社。タレント本が強い出版社で、文芸もまあぼちぼち。ただ漫画が圧倒的に弱いし、女性ファッション誌も弱い。長所:知名度、の出版社。

ただ、新書。ここの会社の新書の部門だけはちょっと赦せないし信じられない。長所:知名度にも関わらず、その内容は魑魅魍魎。

「○○を食べれば癌が治る!」

「金がないなら○○○しろ!!!」

「人生は○○○できまる!!!!」

「○○○で寿命は決まる!!」等等・・・。

胡散臭いものばっかり。

有名な分多くの本屋に並んでいるのも腹立たしい。「売れればそれでいいよね」みたいな幻冬舎の悪いところが前面に出ているのがこの新書部門だと思う。大型書店では平積みにされている場合も多くてhん等に糞。

母親が癌になった僕の身からすれば、目にするだけでも厭。

本当に厭だ。

汚い。

 

のに、何故本書をメルカリったかというと、著者に興味があったからだ。

著者の存在を知ったのは「奇想版 精神医学事典」ジュンク堂の河出書房文庫の新刊として並んでいるところを発見。ぱらぱらと、立ち読みをしたのだけれどもこれがなかなか、面白かった。連想で次から次へと精神医学的用語を医者である著者が解説していくのだけれども、コンセプト相まってその口調も砕けていて、シニカル。専門書、よりかは「河出書房文庫は文芸を扱った文庫である」・・・随筆に近かった。

筆者の経歴も興味深かった。精神科医とのことである。精神科医兼医者と言えば「こころの処方箋」の河合隼雄先生が浮かぶ。確かあれはタイトル通り優しく包み込むような内容だったと記憶しているが、なるほど、同じ職業であってもシンプルにヤベー奴もいるんだなと思った。

春日武彦」で調べて、一番ビビッと来たが本書である。

ただ、幻冬舎新書

うわぁ一番嫌いなレーベル。世の中から根絶してほしい三大まぐろどん的存在「ゴキブリ」「ありとあらゆる職場にいるありとあらゆるクソババア(大抵クソババア周辺の人は勿論クソババア自身も不幸であるため)」に並ぶ、幻冬舎新書である。

うわあああ。になった。

うわあああ!!!幻冬舎新書だあ!!!

でも、同著者の他の書籍見ると、「サイコパス」「犯罪心理学」等シニカル的話題が並び、まぁそれらも嫌いじゃないしどっちかてーと大好きなんだけれども今読みたいのはそういうのじゃないんだよな。

それに、新書、としてでなくあの「奇想版以下略」のように随筆感覚で読めるのであれば面白いのかもしれないぞ。

ということで、購入した次第である。

 

まぁ、実際内容は新書とはいえないが、随筆と思えば面白い。

まさしく春日武彦先生自身・精神科医が何を考えているか、つらつらと書き連なっていてそれが超絶シニカル・冷静沈着・公私境界線ハッキリバリバリで、面白い。

精神科医に向かって、患者が自殺という言葉をつきつけてもそれは決め台詞にはならない。p.36

「VIP患者として対応しろ」という意図がそこにはあるという旨の文章が続く。

なるほど!!と思った。不登校とか、人前でキレ散らかしちゃう人とか、その他いろんな問題にもこの精神が根差しているような気もする。知らんけど。

まあそれはそれとして、ミスターG医師は「患者は美人に限るねえ」としみじみ言い放ったのでたまげたことがある。美女と差し向かいで喋れるうえに、頼りにされる。こりゃ男みょうりに尽きると言った意味のことを平然と語るのであった。脳味噌、腐ってないか、あんた?p.56

まさか新書で「脳味噌腐ってないか あんた?」という字面が拝めるとは思ってなかったぜ。新書の文面として適切か否か厭まぁそこは幻冬舎新書と言う事も加味して癌が得なければ以下略、とにかくまぁ、読んでて爽快。あっぱれ春日。

精神科医がそれなりの能力を発揮できるのは、病院とかクリニックと言った建物があり、診察室があり、ナースやワーカーや受付事務の姿がちらちら見えるといって「構造」が存在している時である。医師が白衣を着てカルテが机に置かれ、診察が終われば患者に金銭の支払いが求められるーーーそのような「構造」を前提としている。

いずれにせよ、しかるべき道具立てと雰囲気とが準備されていなければ精神科医はたちまち無力になる。(中略)精神科医の技術も人柄も、相応の道具立てによって患者をあらかじめ気圧しておかなければ、微力この上ないのである。pp.100-101

ここはもっと面白かった。

精神科医だから日頃からありとあらゆる他者の勘が思考が分かるんだろうなぁと僕も漠然と思ってはいたがどうやらそうではないらしい。

医師免許持っていても、たくさんの専門的知識があったとしても、いくら医師として優秀で名を馳せていたとしても、それらの効果は「白衣」「診察室」「病院」「受付でお金を払う」等々病院、という装置がないと発揮されないというのである。

精神科医に過剰な期待をするな。所詮その程度の存在なのだ。

と言っている風にもとれる。自虐。

病院と言う場所亜があり、金銭の授受があって、初めて医者と患者の関係が構築されて医療は成立する。

と言っている風にもとれる。そこに私情は一切無い。超絶「公」。

まぁ両方とも含まれているんだろうけれども、目から鱗がボロボロ落ちた。

多分それらの道具立てなしに、日常生活において力を人前で誇示するのがいるのがメンタリスト、なのかなぁとも思った。

心理という分野において、医療行為に従事するのが精神科医。マジシャンのようにショーを行うのがメンタリスト。別に悪いとかじゃなくて、メンタリズムはエンタメなんだと思う。心理学をショーとして見せる人が今までいなかったからこそあれだけDaigoはウケたのだし、着眼点は凄いと思う。

・・・あと思い出すのは、雑居ビルの心療内科を放火した男の事件。己に一切効かない治療を施す医者、だけでなくその装置丸ごと燃やすというのはある種の正解であり、そこで正解を男は導くべきではなかった。やめよう。気持ちが暗くなる。

 

 

 

 

そして医師から見る様々な心の問題・・・「DV振るわれる」「引きこもり」等の分析は興味深い。

結局のところ、彼女はある種のドラマチックさ、濃くて過剰な人間関係で泣ければ満足のいかない人なのである。(中略)精神科医に相談しなければならない程に波乱万丈な人間関係の渦中にいることこそが、屈折はしているが彼女なりの濃厚で濃密ない人生なのであろう。p.145

DV男と付元サヤに収まってしまう女についての筆者の見立てである。

暴力を振るわされ、その他振り回され心身ともにずったずたに傷つく。

命懸けレベルの激しい揺さぶりの中でこそ、彼女は生きている実感を得る。辛い辛いと口先では言っていても、そこに人生のエクスタシーを感じている。

時々街中で怒鳴りちらして威張る男にヘコヘコついていく女、といった具合のアベックがいるが、あれの道理を理解した。女はああやって怒鳴られることこそに快感を感じていて、だから離れようとしないし、心の奥ではむしろありがたがってる。私に快感をありがとうございます。私を揺さぶってありがとうございます。神よ。

同情に偏らず冷静に、被害者心理の本質を見極めようとするところに、医療を感じた。

 

引きこもりのいる家庭の内部は、時間が止まっている。フリーズしている。物理的には時間が流れて居ようと、息子は永遠に青年のママとなる。しかも前途有望な青年として。彼は負け犬でもなければ挫折した若者でもない。尻尾を巻いて逃げ出した弱虫でもなければ、現実逃避をしているミスター「根性なし」でもない。たんにフリーズした時間に封入されている若者に過ぎない。あたかも琥珀の中に閉じ込められた太古の昆虫のように。世間の俗物どもを締め出したクリーンな「無時間の世界」に彼は棲んでいる。(中略)親は親で「引きこもり」が成立している間は現実を直視せずに済む。息子の実力、頭の程度はこんなものでしかんかったといった事実から目を逸らしていられる。pp,208-209

引きこもりは外に出ない限りはずっと明るい未来が待っている若者のままでいられる。その現状に親も甘え、膠着状態は長く長く続いて「引きこもり」問題が起きるのである。といった具合。

怖っ。って思った。

何もしななければ、僕達は何にでもなれる可能性を持っている。

モラトリアムの歪んだ肥大化が引きこもりなんだろうと思う。

醜く膨らんだモラトリアムはその重みで本人を押し潰し、推し潰された本人は何も成し遂げられないまま死んで行く。

選択し行動し続けなければならない。

ありとあらゆるものを捨てながら、僕達は。

身につまされた。

 

 



 

あとそれらの徒然なるシニカルに登場するのは100名の医師。

てっとり早くいってしまうなら、精神科医を相手に保険診療でじっくり話を聞いてもらうなんてことは無理なのである。本章の冒頭で述べた患者は、わたしのところへ来る前に、マスコミで有名なあるドクターのところを受信し、繁盛ぶりとは裏腹の性急な診察ぶりに失望していた(Dr.50ー有名になればなるほど診察が雑になるというジレンマを抱えたタレント医師)。さらに、たまたまわたしに時間的余裕があったので、いくぶんなりともゆったりと三位を傾けることが出来たというだけの話しなのであった。(Dr.51ー実はヤブ医者なのに、閑古鳥が鳴いているゆえに丁寧な診察で患者から感謝される医師)p.101

100人の医者が出てきてはいるが、実際は30人くらいである。というのも、その多くがD.r51のように筆者自身のことを皮肉っているものにすぎないからである。

でもこれらが、徒然なるままにとりとめもなく書かれていく心療内科医学的エッセイにパラパラと加わることで、読んでいてとても心地よい。食感、というか読感がいい。アイスクリームとコーンの関係。お米とふりかけの関係。エッセンス。

 

 

 

 

人は物語なしで生きることは難しそうだけれど、その物語が多少破綻していようとご都合主義だろうとそんなことはあまり問題にならないのだなあと、そんな感想を件の仏蘭西夫人は私に抱かせてくっれるのだった。p.154

筆者は人生を「物語」と称するが、そうすると僕が求めている物語って何。人生、よりものがたり・・・物語いう言葉を使うことで生き方云々考えやすくなるような気がする。

 

 

 

 

そして本書を読んで一番良かったと思ったのは、心療内科の治療方針について大まかに知ることが出来たということだ。

心療内科で、僕はストラテラジェネリック、あと気分を上げる薬、鬱を根本から治す薬、等一日5錠飲んでいる。けれども明確に「あなたはADHDです」「あなたは鬱病です」「あなたは躁鬱です」と言われたことは無かった。前職で説明が求められた際に、医者に相談した際はADHDの傾向があり特に気持ちの衝動性が特に強く出る傾向にある。そのため、気持ちの波の振れ幅を小さくするために抗うつ剤を呑んでいる」。と伝えて下さいとのことで、其処に明確なADHD」「鬱」という断言がなされることは無かった。

また、横浜でニートを嗜んでいた時代に2-3回かかった心療内科ではアスペルガーの傾向がある」とも言われたがここでも「あなたはアスペルガーです」断言されることは無かった。

どうやらまとめると、「ADHD的傾向があり、ASD的傾向もちょいちょいある。特に気持ちの振れ幅・衝動性がとっても大きい。だから抗うつ剤のんでる」

要するに、鬱じゃないのに薬飲んでる。

しかも5錠も。

明確な病名はそこにはなく、そこが僕は不安だった。

なぜ。

答えに近いものが、「第三章 技術と人柄」のpp.83-85において書かれている。

非定型精神病の症状をみせる患者に対し、統合失調症に用いられる薬剤を使用する医師、性格的な要因と考える医師、てんかんに類する症状と判断する医師、等色々いるいる例をあげたうえで)

重要なことは、それぞれ診断名やニュアンスに違いがあろうとも、だからといって医者同士が罵り合ったり上げ足を取ったりすることなく、冷静かつ前向きに話し合う事が可能な点である。(中略)唯一の正解があるといったことではなく、診断や治療において、一貫性がきちんとあるかどうかが大切なのである。p.84

病名云々よりも症状へのアプローチの仕方が一番大切である。病名はぶっちゃけ二の次である。と、僕は解釈をし、ちょっと納得もした。

鬱病」だの「双極性障害」だの病名が確定したからといって、鬱病だからこの薬」「双極性障害だからこの薬」といった具合に、薬の処方に正解がある訳ではない。内科や耳鼻科外科等、身体の病であれば「風邪だから風邪薬」「生理痛だからバファリンルナi」「インフルエンザだからタミフル」といったように「○○病であれば●●●」と病気が何かによって治療法が変わってくる。が、心・・・人間の一番複雑な目に見えない部分・・・・を扱う科・心療内科はそうではない。

病名の枠にとらわれず、症状に直接アプローチしていく。

効果効能第一主義。

なるほどね!とも思ったし、なるほどね!と思った。(語彙力)

 

・・・月に一度通う心療内科では、院長の女性の先生にかかっているのだけれども、同じ薬をずっと頂いている。実際効き目もある気がする。

時々曜日が違うと、違う医師になることもあるけれども、基本的には処方は変わらない。

薬貰って飲んで、普通に効果あって生活を送っている。

「朝起きて、三食食べる生活にしましょう」「ジェネリックではなくストラテラ、またはコンサータをのんでどちらかがいいか効果を見てみましょう」「気持ちを安定させるためにまずは抗うつ剤だけのんでみましょう」「希死念慮があるなら短期入院まずしてみませんか」

「薬貰って飲んで、普通に効果あって」の部分に、たくさんの分岐ルートがあったことを初めて知った。

転職や休職等に関しては非常に重要なのかもしれないが、治療・・・特に僕のような場合の重症とまではいかない軽症~中程度・・・するにあたって病名は、確かに、そこまで意味はないのかもしれない。

いつもの癖で病名こそ明らかになれば僕達はすべてが解決するような錯覚を覚えるが、心療内科においてはその法則は通用しない。

 

 

 

 

最後の章では、「幸福」という単語についての筆者の考えが述べられている。

おそらく幸福には二つの意味が含まれている。

一つには、幸運とか勝利とか果報、至福、快挙と言った強烈な喜びである。

(中略)

もう一つの幸福は、平穏無事とか安全安心、安寧とか和み、心配がない、なやみがないといった心の平和を指す。(中略)結局のところ、精神科医はこといらの(小市民的な)幸福の尊さを説くと言ったことになる。p.215

まぁうすうす気づいていたけれどもここまではっきり明文化されたものは読んだことがなかったからとても新鮮に感じられた。

実際まぁ、薬の効果があって僕は後者の「もう一つの幸福」を享受することが出来ている。

けれどもまだ、前者の幸福に対する執着も捨てきれない。その僅かなる抵抗の一つが、このブログである。僕の文章を多くの人に読んでもらいたい・・・。

まぁ第一は備忘録ではあるのだけれども・・・でもその「備忘録」もかっこつけにすぎず、本当はたくさんの人に読んでもらいたいからこうやってブログをやっている。純然たる忘備録であればノートでことたりるわけだし。

 

以上である。

結構色々書かれていて面白かった。

心療内科に関心がある人は読んで損はしない一冊だと思う。

ただし新書とはいえど、専門書とは言えない。言えない分、読み易い。

あと、僕自身の問題として捉えていなかったため割愛したが、統合失調症についても結構詳しく書かれていてそこも興味深かった。100人に1人が罹るという。恐ろしい話である。

また、文体はいくら随筆とはいえど筆者は医者である。硬め。読むのに結構時間はかかった。でもそこを差し引いても良書である。

 



 

依存症の場合。アルコールだろうとドラッグだろうとギャンブルだろうと、それにハマるタイプの人はそのような生き方が身についている。それ以外の生き方では、不全感や違和感が生じてしまう。彼等に対する治療もまた、夢から覚めるかの如く依存症から抜け出すと言った顛末にはならないようである。あえてシニカルな言い方をするなら、依存対象を医療や自助グループ活動等「依存症を克服した私という生き方」へと方向転換させることが治療の目標となっている。p.180

薬物依存。元野球選手の清原さんや、高島礼子の元旦那等を思い出す。確かに彼等は常に葛藤しながらも、「依存症に打ち克つ有名人という生き方」を目指しているように思う。多くの元依存症患者の心の拠り所として、ニーズがある職業だと思う。

でもこの考え方は、依存症だけにとどまらず、あらゆること特に心療内科的分野において通用するな気がする。

 

ニートだったり親が癌になったり、結局社会不適合こじらせて自殺まじで考えたりすることもあったけれども、それらから脱却したまぐろどんという生き方」・・・。