小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

飯沢耕太郎『少女古写真館』-10年たっても100年たっても、君は。-

 

 

少女よ、永遠に。

 

 

飯沢耕太郎『少女古写真館』(筑摩書房 2001年)の話をさせて下さい。

 

 

 

 

【概要】

いつでもちょっぴり不機嫌で、どうにも手に負えない、小さな存在ーーー少女たち。

この捉えどころのない生き物は、幼児から女へと変貌する淡いの瞬間に奇跡のごとくたちあらわれ、やがて幻のようにうつろってゆく。

かたや、写真家と言うものは、つねに儚い者の姿を追い求め続けてきた。

だから、まるで補虫網で美しい蝶をつかまえようとするように、写真が少女という一瞬の姿を問えあえて機きたのは当然の成りゆきなのだ。

洋の東西を問わず撮りつがれてきた少女写真を掲載し、小さなサイズに閉じ込めた、手のひらに載るコレクション。

 

裏表紙より

 

【読むべき人】

・昔の少女の写真などにグッときちゃう人

「100年前の女の子、可愛すぎるw」等のスレ・スレまとめを開いちゃう人

 



 

【感想】

本書を知ったのは古書ドリスのウェブサイトだった。このサイトの新刊コーナーをチェックすることが僕の毎日の習慣ではあるのだけれども、そこにボロンとあったのが本書である。ボロン。

気になって気になっているうちに買われた。けれど本書の名前は覚えていたからゆるゆる探していたら、ブックオフヤフオク出品で見つけた!ので、買った!!1冊である。古書ドリスさんより半額近く入手出来てラッキーと思っていたが現物は水にぬれた後があって結構ぼこぼこしている。ビジュアル書なのにくっそぉ・・・。やっぱり古書ドリスしかもう僕は信じられねぇよ・・・。

 

本書はもうその名の通り、古い少女の写真を集めた書籍である。そのためちくま文庫、といっても文字の量は少ない。写真一枚一枚に解説がないので(よく分かっている!!こういう写真は鑑賞者の妄想で保管することで完成させられる)、章ごとの作者の気持ち悪いキモエッセイめいた文章と、巻末の対談で締められている。

章ごとに、作者の語り口調のどこが一番気持ち悪いか(キモポイント)と、あとついでにいちばん好きな少女写真を記しておく。

 



 

プロローグ 少女写真の世界へようこそ

キモポイント:少女たちは漂っている。から始まるpp.11-14に至る長いポエム

80キモ プロローグからこんなに長く語るのがキモい。

一番好きな少女写真:p.19 じっとこっちを見ている少女

もととなるポストカードがほしいくらい良い。

本書でベストがもう序盤で出た。

あとの写真もいいけど、このプロローグで使われているp.19の写真がベスト。君がナンバーワンだ!!!

 

 

第1章 花と乙女

キモポイント:あまり、あからさまに言うのもはばかられるが、花は植物の生殖器でもあるのだ。たとえば蘭のような花を見ていると、それがあまりにもエロティックな形態を備えているのに、あらためて驚かされる。普通は衣装の奥に秘められていて、あらわにされることのない生殖器がむき出しになっているーーーp.24

95キモ まず花を生殖器と捉える感性がキモい。そこに加えて、花を写ってる少女の生殖器に見立てているのがまじでキモい。

一番好きな少女写真:p.26 花籠を手に空中を見つめている少女

明らかに幼女なのにたたえている表情は艶っぽい。そのアンバランスがいい。

 

 

第2章 異国少女たち

キモポイント:恥じらいと緊張にほほを染めた、美しい少女たちの写真p.42

42キモ この1フレーズだけでなかなかキモい。ホモは文豪、という名言があるが、キモ(い人)は文豪。でもあると思う。

その後の「あらゆる少女は異人かもしれない。」p.42から始まる段落もキモいといえば

キモいが、少年から見た少女が故の秘密を異国に例える様はキモさ越えて感心した。

一番好きな写真:p.43 赤い服を着ている少女

櫻坂の山﨑天ちゃんに似ている。まっすぐなまなざしととした表情が良い。

 

 

第3章 人形愛の世界

キモポイント:もっと時がたって、もう少女ともいえない年齢になった持ち主が、かつての分身を見つけ出すことがあるかもしれない。彼女はその汚い人形には目もくれない。彼女の忘れっぽさと残酷さには、さらに磨きがかかっているのだから。p.56

56キモ 大人になる過程を「忘れっぽさと残酷さにさらに磨きがかかる」と表現しているところにキモさを感じた。

一番好きな写真:p.59 人形を抱きしめて嗤っている少女

人形×少女の写真は総じていい。滅茶苦茶好き。全部好き。この女の子が一番人形愛感じる。

 

 

第4章 日本少女たち

キモポイント:巌谷小波の編集によるこの雑誌の少女たちには、櫻にアマリリスを接木したような、造花めいた雰囲気がある。p.71

10キモ 本文にあまりキモさが感じられないため。もっとキモキモ語ってほしかった。その中で「桜にアマリリスを接木」という表現が目に付いた。僕が一生かかっても思いつかないような表現。キモは文豪(2回目)。

一番好きな写真:p.82 農作業中の少女

「100年前の女の子、かわいいww」等のスレを見る性質なのですが、何度見ても映っている彼女達がもうほとんど全員この世にいないというのが何度見ても何度見ても不思議。ましてや日本人、似た顔をしていると尚一層。

 

 

 

 

第5章 二人の少女

キモポイント:少女たちの写真を見続けていると、その顔つきや体型、人種の違いすら超えて、どこか彼女達のエッセンスを全て含みこんだ「絶対少女」、あるいは「純粋少女」というべき存在が浮かび上がってくるような気がする。p.86

23キモ 「ローゼンメイデン」で言う所謂「アリス」的ことですね。というかこの作者は所謂作品における「ローゼン」にとても似ている。多分写真家にならなかったら人形作家にでもなってたんじゃなかろうか。

一番好きな写真:p.91 朝鮮の二人の少女が同じ方向を見上げてる

もうこの頃から日本と朝鮮でだいぶメイクが違うんだなという発見。衣装は勿論メイクで分かる。あえて二人揃えて作った表情をしている訳ですが、それが何十年と言う時を経て僕の胸を穿つ。

 

 

第6章 少女と小道具

キモポイント:とすれば、このパートに集めた本、傘、小動物、玩具などを手にした少女達の写真から、どこかしっくりこない、奇妙なぎこちなさを感じてしまうのも当然だろう。いわば、彼女たちは自分の体の一部ではない遺物、すなわち「ペニス」を手にしているのだ。p.105

100キモ まず少女が写真を撮られる際に持っている小道具を「ペニス」と称するのがめちゃくちゃ気持ち悪くてドン引きした。写真館にある七五三の写真とかこの作者は一体どういう目で見てるのか。著者の写真を見る。真面目そうな青年。著書に『歩くキノコ』。顔は悪くないが、なんかキモく見えてきた。

本:p.106 肩ひじついてる少女

これは西洋美術の構図をそのまま運用した写真ですね。少女自身の勤勉さ・賢さを表すためにモデルに本を持たせる。絵そのまま写真になりました感。良い。

傘:p.112 ちぢれ毛の少女

ふっりふりのロリータみたいな服着ているのに顔は不機嫌100%なのが良い。当時写真撮るのって滅茶苦茶めんどくて時間かかることだったからね。仕方ないね。

小動物:p.116 猫抱いた少女

そのままお菓子の缶になってもいいくらい美しい。

玩具:p.124 ピストルを持った少女

シチュエーションが珍しくて印象に残っている一枚。だけど飯沢先生の文章を読んで改めて読んでみると、ピストルの意味するものは、とか考えちゃう。

 

 

第7章 グリーティング・カード

キモポイント:彼女たちは光と闇、現実と幻影、此岸と彼岸とを軽々と往還する使者でもある。p.126

15キモポイント  普通の考えしてたら「少女」という主題からこんな日本語出てこない。下手に語彙力あるところがキモさに拍車をかけている。

一番好きな写真:p.128の卵の中にいる少女

恐らくイースターのカード写真だと思われる。卵(の作り物)の中に少女が座って蝋燭を持っている。とても洒落ててよい。というかこの時期からこんなでっかい作り物の卵があったんだすげぇ。
卵、といったらどうしても忘れられないイラストがある。種村有菜先生の満月をさがしての多分どこかの回の扉絵だったと思う。卵を顔の真横にそっと抱き寄せた満月ちゃんが切ない表情をこっちに向けていて・・という一枚絵。未だにあれを越える卵×少女の図像とは、巡り合えてないな。幼少期に見たというボーナスポイントも無論入っているんですが。

 

 

第8章 少女のまなざし

キモポイント:それでも時おり、写真の顔に見つめ返されているように感じて、背筋が寒くなることがある。特に少女たちに写真を見ていると、そんなふうに感じることが多い。p.140

5キモポイント そんなわけない。キモい。ただこの発想はアイドルオタクなら一回は体験するであろう一般的キモであり、真新しさは特に感じられない。斬新性がない、この一点においてかなりの減点。

一番好きな写真:p.144の微笑する少女

美しすぎて絵画かと思った。写真じゃない。もはや絵画。逆に写真としての生々しさがあまり感じられなくて、逆に、写真としてはあまりすぐれている・・・とはいえないのかもしれない。でもとにかくそれくらい凄い一枚。ちなみにp.146の少女は好き、というわけではないが髪型まんまるでまさしくピエールボナールの幼女そのまま。

 

 

第9章 ルイス・キャロルの少女写真

1キモポイント いや結構キモい文章が並んではいるのだが、それはあくまで「ルイスキャロルがキモい」ことを書いているだけであって、作者自身のキモさはあまり見受けられない。でも0にするのはいただけない。サービスの1。

今改めて見ると、ルイスキャロルの少女写真はどの子も気怠く無表情に近い顔をしている。とても好み。蔑むような憐れむようなむしろ何も感じていないような。でもまぁ不思議の国のアリス展」にも行ったことがあるのですが、どうやらルイスはガチキモい人だったっぽい。少女達はまじで蔑んでいたのかもしれない。「なにこのおじさん、きもい」「すごいひとだからべつにとられてあげてもいいけど」ご褒美か?

一番好きな写真:p.155 クシー・キッチン「中国人」

クシーという名前がもう可愛い。コスプレを嫌々させられている感じが良い。少女はつまんなさそうな顔ですら絵になるからズルいよな、と思う。

 

 

第10章 小さきものーーコビト論

キモポイント:このような「小人少女」こそ、純粋な意味での、「絶対少女」と言えなくもない。p.162

12キモポイント 生まれながらにして小人なる身体を持っている彼等に対して少女と同じ眼差しを向けようとする姿勢がキモいと思った。

写真家の作者が、少女に向ける情熱をまだ持ち続けているのであれば、笹野鈴々音はどう映るんだろうなぁと思った。童顔だから前髪があると何歳にでも・・・20代にも10代にも見えるあの女優をどのように撮影するんだろうなぁ、と思った。多分彼女を一番美しく可愛らしく綺麗に撮影できるカメラマンではなかろうか。知らんけど。

一番好きな写真:p.165の三人の女が写っている

左の一人がポーズとってないのかタイミングずれたのかちょっと残念な感じになっているけれど、残り2人は楽しんで撮られているのが伝わってきてよかった。気取ってポーズとってるのがよい。

 

 

第11章 スリーピング・ビューティ

それぞれの子供たちの貌つきや性格の違いが、死という絶対的な断絶によって均等にならされ、むしろ人間の存在の「原型」とでもいうべきイメージが浮かび上がってくるように感じるのだ。p.174

眠れる森の美女。要するに、亡くなった子供を親たちが悼んで撮影した写真の章である。さすがの作者もネクロフィリアの趣味はないのか、いやあってもここに出すのは不謹慎と考えたのか、キモさは殆どない端整な文章が続く。

ここの章だけ2枚しか写真は収録されていない。

恐らく2022年現在であればこの章を主題に一冊や二冊写真集を出すことは可能だと思う。Twitter等インターネットでこういう文化があったことは、サブカル界隈では結構有名。この文化を理解し、そして売れる土壌もまぁ十分・・・とはいえないがまぁまぁ出来ていると思う。ただ不謹慎云々、倫理的問題で難しいかもしれないが。

けれどこの本が世に出たのは2001年。20年前である。インターネットも今とは全然違ったしSNSなんてほとんどなかった。みんなぱどタウンを見ていた。ぱどタウンにこんな写真が載ったらもう保護者の方がビックリしてしまう。だからまぁ少ないんじゃないかなぁ。

 

 

第12章 技術論

古写真、と一言で言ってもいろんなタイプがあって進化し続けてきたんやで~の章である。ロリコンとしての氏はここには存在しない。写真家としての氏しか存在しない。要するに、つまんない文章!

無念のキモポイント

ただステレオ写真」という技術はびっくりした。覗くと立体的に見える、みたいな仕組みである。1840年代には写真を立体的にみられる技術が確立されていたとは。昔幼児用雑誌についてた赤青眼鏡といい、目が良くなるマジカルアイといい、3D映画といい、昔から人間が求めるモノって変わらないのね。

 

 

 

 

対談 少女コレクターの憂鬱 伊藤比呂美×飯沢耕太郎

キモポイント

伊藤 少女って幾つから幾つまでの子のことをいうの?

飯沢 性交不可能な年齢。p.188

78キモポイント 自分の中で「少女」という定義がここまでハッキリ出来ているというのが気持ち悪い。

飯沢 この少女にペニスがついていてもおかしくないし、あの少年にペニスがなくてもおかしくない。pp.212-214

40キモポイント その感覚をいくら雑誌上の対談とはいえ赤裸々に女性に語るのはキモいと思った。ペニスを連呼するな。

飯沢 少女はなんか分泌してるんだよね。匂いも含めて。p.218

30キモポイント  伊藤氏がいくらノッてきたからといってヌルっとこういう事言うのは本当にキモい。分泌、という単語がここでぬるっと出てくる語彙力がキモさを助長する

詩人の伊藤比呂美との対談である。ただ結構飯沢氏に対する伊藤氏の態度が冷たい。気持ちいいくらいに冷たい。ここまで少女写真に熱を持って語って来た飯沢氏の顔を言葉でぶん殴るかのような冷たさがある。

心地よい、と同時にちょっとこっちもあわあわする。

いくらキモイキモイといえどそれは親しみを持って囃し立てていたのであって、心の奥底からキモいとは思っていなかったからだ。僕の心の底にも流れる少女への憧憬をうまく言葉に写真家の癖に言葉に落とし込んだから嫉妬してキモイと言っていただけです。いや、僕にもその感覚が分かる部分があるから間接的な自虐を込めて飯沢君をキモイキモイとからかっただけで別に心から飯沢君をキモいと思った思ったことなんてないんです信じて下さい先生!!!伊藤先生!!!!

なぜこんなに冷たいのか。それは最後の最後に判明する。

このエピローグ代わりとなる対談は1992年の雑誌でされたものを収録した、というのが最後にさらりと書かれている。

「M君」の話が出てくる。

宮崎勤死刑囚。あのおぞましい事件がまだほかほかの時代だった。

くわえて時代は30年前。プリキュアはおろかセーラームーンも出てきていないし、アイドルもせいぜいおにゃんこクラブ止まり。そりゃあこれだけ理解が無くても当たり前かと思った。

でも同時に僕達オタク・サブカル野郎は常に心に刻んでおかなくてはならない。少なからずとも、こうやって苦々しい思いで僕達を見ている人達がいることを。

多数派になったからと言って人権を得たと思うな。

 

伊藤比呂美アトピーの子の皮膚を触るとザラザラしてて触り心地が違う。角質化した皮膚の存在が凄いのよね。エイズとかレプラとかみんな皮膚に出るでしょう。たぶんメンタルなものがすべて皮膚に出てくるんだと思う」p.229

 

 

 

ちなみに僕も・・・コレクターとまではいわないが、少女の古い写真のポストカードは何枚か持っている。2021年のインターネットの通販で買った。

東欧中心である。

東欧のイラストの古いポストカード類を趣味でちらほら買ったりするのだけれどそのついでについつい目が奪われてしまう。かわいい。

 

 

 

 

 

特にこの一枚は一番のお気に入り。

 

以上である。

少女の写真は勿論、それにお熱をあげ容赦なくキモキモ語る飯沢氏の文章も素晴らしかった。日本語に一切不自然さがない、端正な文章がより一層キモさを引き立てていて素晴らしかった。

好き、ってこういうことなんだなーと思った。

同時にオタクがきもがられるのってこういうことなんだなーと理解した。

まぁ状態こそ悪いし500円(言っちゃった!!!)の古書で買ったこの本だけど、好きを忘れないために。オタク魂忘れないために。末永く手元に置いときたい。

 

 

ちなみにこの一枚は少女でもないし写真でもないのですが、
裏にチェコだかの言葉で「あなたは遠い地で新年を平和に祈ってるんでしょうね」
と書かれていて、凄く気に入っている一枚。

 

 

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LINKS

写真の前は絵画でした。でも池上先生の文章はキモくないです。飯沢氏がキモいだけなんだと思います。

 

tunabook03.hatenablog.com