「「朝が弱い人は夜が強いからいいと思います」て推しも言ってたから。 」
午前一時半。
コートを着る。
ビン・カンを出しに行く。
F『20代で得た知見』(KADOKAWA 2020年)の話をさせて下さい。
【概要】
人生は、忘れがたい断片に幾つ出会い、心を動かされたかで決まる。
夜は永い。そして、私たちに時間はない。
帯より
「僕達に時間はない・・・」
【読むべき人】
・夜行性の20代
・八本脚の蝶の夢を見る人
・FさんのTwitterが好きな人
・深夜、ふと部屋で一人で切ない気持ちに胸が締め付けられる人。原因が恋でも仕事でも未来のことでも何でもいい。部屋の隅で震えている人。
【先程】
午前一時半にもなると、治安の良さで名高いこの町は静寂。歩行者も自転車も誰一人いない。時々通る車の多くはトラックで、誰かが誰かに物を届けている。健全に。
その中を一人ぽつぽつ歩く。
住宅街。明かりがついている部屋すら少ない。この家一軒一軒に人間が一人もしくは数人眠っているのかと思うと、不思議な気持ちになる。
静寂の中をぽつぽつ歩く。
明日は月に一度のビン・カン回収日だった。
昔から夜は強かった。
今でこそ厳しくはなったものの、徹夜をしろと言われればいつでも出来たし、受験期はほぼ毎日午前3時くらいまで勉強していた。大学時代もその時間をスマホを見るのにアニメを見るのに本を読むのに延々と費やした。
朝は弱かった。
授業中はほとんど眠っていたし、それは4時間の睡眠時間を時間8時間に変えたところで大きくは変わらなかった。大学の一限はほとんど出られたことがないし、必修は落とした。学年が上がり選択科目が増えても、1-3限は極力避けた。内容より始まる時間を重視した。
新卒は塾講師に就職した。仕事量に圧殺されて結局一年半でやめてしまったが、11時ごろから稼働し夜12時に終わるその勤務体制は楽だった。
今も小売りの遅番に入ることが多く、昼過ぎから夜10時半ごろまで働くことが多いが、やはりその時間帯が一番働きやすく感じる。
けれど、こうやって肌寒い夜に一人歩いていると、ふと得体のしれない寂しさに襲われることがある。
皆が寝て当たり前の時間に私はこうして起きている。皆が起きだす時間に僕の睡眠は一番深い所を漂う。私が見るツイッターのタイムラインにも誰もいなくてこうして外に出ても誰もいない。友達も少なくて一人で街に出ることが多いしそれは寂しくないけれど突如そうやって過ごした一日が空虚に感じて寂しくなる。今まで彼氏も出来たことがないし、友達も少ないし、仕事がすこぶるできるというわけでもない。生きるのに不器用で、こんな時間に起きていて、大丈夫?大丈夫なの?
カランカン・・・。
カンを黄色いカゴに入れると乾いた音がした。中身は空。
ビンはそっと横たえた。まるで遺体をそっと横たえるかのように。
職場で取り扱うワインのラベルが既に捨てられていた。やけにキラキラした明るいラベルが、今の僕には眩しすぎて思わず顔をしかめる。明日の昼になればそんなの気にせず「セール価格ですよ」「おいしいですよ」「湯戦で温めるのがおススメぴょん」と売っているというのに。
Uターンし、部屋への帰路を踏み出す。
今日は休日だった。
夕方母と食べたチェーンレストランのパスタを想う。美味しかった。900円を超えるパスタにはイクラがたくさん載っていてとても美味しかった。店内は明るく、パスタがおいしい。ドリンクバーのココアもあわあわしていて美味しい。母が祖父母の生活に対する愚痴を言う。うんうんそうだね、と話を聞くだけを求めていることを知っている。「そんなんおじいちゃんデイサービスにいれればいいんだよ」「早く親戚が多くいる広島に引っ越すべきだよ」なんて言葉を望んでいないことを知っている。けれどついつい言ってしまう。話を聞くことだけが出来る人間は絶滅危惧種なのである。母の癌は一進一退しながら転移が進んでいる。母が亡くなったら、私は一体何を指針に?でもその愚痴が実はとてもしんどい。だからもっと聞いてあげなきゃと思うけどすると首が閉まる感覚。一瞬イクラの味が空虚。でも母は大事。私を基本肯定してくれるし何より生まれた頃からあれやらこれやらずっとしてくれたしいたし大事だし。そんな介護やら看病やらに費やすつもりはないが母の病で上京は諦めた。でも癌患者だからといって全てを受け入れられるほど私神聖じゃない。この母がいなくなったら私は一体何を指針に?
孤独。
ああ孤独なんだわと思った。
耐えられない。
大丈夫、錠剤を飲んで寝て御膳0時40分になれば私は孤独ではないし仕事のことを一生懸命に考え笑顔で接客しなんとか無事一日を終えることが出来るだろう。
でも今は耐えられない。
寂しい。
突然ひたすらに寂しい。
「夜行性の人間の弱点は、真夜中がもたらす巨大なメランコリックに襲われ、時には殺されること・・・」
寂しいのです。
恋愛のパートナーもいない、友達もいない、信頼出来る唯一の家族も近いうちいなくなるかもしれない。そうしたら私は。私は。
一体何を指針に生きて行ったらいいのでしょうか。
私のしたいこと・・・文章を書くこと。今のように仕事をしながら文章を一字二字三字十字千字一万字書いたところで所詮は自己満足に過ぎない。何かで満たしてくれと叫ぶ「需要」に文章を書くことで自己満足の「供給」のサイクルを回しながら生きていくことしか生きていくしかないのでしょうか。寂しい。私はとても寂しい。
元々そこにあったものがなくなると「悲しい」。
なくなったはずのものがそこにあるように感じると「切ない」。
元々なかったものがやっぱりないものだと分かると「寂しい」。p.160
そういった時に、1ページ1ページの毒にもならない薬にもならない後世に残る詩にもならない。
多分明日にはそのほとんどを忘れている軽さの、ベストセラーとしてたくさんの人に消費されて尽くしているこの断片で、口の中をいっぱいにする。いっぱいにする。
レモン、恋愛、イチゴ、メロン、仕事、ブドウ、人生、ハッカ、ミカン・・・。
まるでサクマドロップで口の中をいっぱいにするかのように。
忘れてしまえ忘れてしまえ忘れてしまえ・・・。
たった今、午前3時27分の今、起きているのは僕だけではないはずで。
この今感じている「寂しい」も永遠ではなく明日には忘れてるはずで。
だから悲観して悲観して悲観して、カッターを手に当てたり、ネクタイでドアノブにわっかを作ったり、人が死ねる高さの階数を夜道で数えたりする必要は無い。この寂しさを抱きしめて、眠れ。眠れ眠れ・・・・。
部屋に戻ると、つけっぱにしていた暖房で部屋が暑い。
リモコンの「停止」を押す。ココアスティックがあと一杯分残っていたことを思い出す。錠剤もそれで。
流し込んでしまえ。
僕のような、孤独寂しさ自己嫌悪「死にたい」に極端に弱い夜行性の20代に、向けて書かれた本のように思える。
夜行性の人が夜行性の人に向けて書いた本。
多分逆に、しっかり朝7時に目が醒めて、昼12時にご飯を食べて夜11時には寝る人にはこの知見は非常に怠惰なものになりうるだろう。ただのおセンチな散文にしか映らないと思う。
前作同様発売早々ベストセラーになっているようだし、だからこそFさんはKADOKAWAから本を3冊も出すことが出来た訳だけれども、
ここに書かれた知見が刺さるのは、購読者の10パーセントにも満たないような気がするのだ。
ベストセラーにならざるべくしてなるベストセラー。
いや、それとも、僕がさっき歩いてきた路地の家々の暗い部屋の中で、スマホをいじっている若者がたくさんいるとでも・・・?
ココアは嘘みたいに甘かった。
「僕の寝起きが悪いのは、昨晩のメランコリックを忘却しきれていないからだよ」
【感想】
本書はFさんのラインのタイムラインで知った。
彼のTwitterは大学時代フォローしていてその言葉の鋭さに一喜一憂したものだった。どこかのタイミングで、それが何だったかは忘れたけれどフォローを外し、前作前前作も手が伸びることはなかった。
ところが何気なく開けたタイムラインでふとそそれが目に入ったのと、且つタイトル。「20代で得た知見」。僕もかれこれ27歳。20代のクライマックスに差し掛かろうとしておりどう過ごすのかどうすればいいのか未だに心の奥で燻ぶったままでいる。
何か、何かないかと手に取った。
果たしてそれは、正解だった。
1-3ページで書かれた183の断片。その多くがまるでガラスのように、僕の心に刺さった。
でもそのうちの何が刺さったかは、これを今読んでいる君には書かない。数ある断片の中で何故それを選んだのか何故刺さったのか、それらを言葉にすると全て泡沫となって午前5時の夜空に、吸い込まれそうな気がするので。
そしてページに残ったのは抜け殻となった文字の羅列・・・。
朝日に照らされてキラキラと眠る、僕の遺体・・・。
以上である。
夜行性の人間。最大の弱点、寂しさ・孤独感・「死にたい」に突き刺さる200近くの断片集。
真夜中メランコリックを抱える私達に。
朝から一日が始まる人には残念ながらこれはただの「痛いポエム」にしか映らないように思うけれど、昼から一日が始まる人にはこれはただの「心のコンパス」。
例えば、二階堂奥歯『八本脚の蝶』が、「死への記録」であるのならば、この『20代で得た知見』は「生への記録」だと思う。恐らく奥歯ちゃんの日記が好きな人は、この「20代で得た知見」も好きになりうるのではないか。
深夜に摂取する文章としては、どちらも非常に適しているはずである。
「朝は眩しすぎて何も見えません。だから朝型人間は頭がおかしく、心身共に健康でいられるのでしょう」
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午前11時50分、私は昨日出したビン・カンが黄色いカゴごと回収されているのを遠目で確認し、一瞬湧き上がる寂しさを、今日から始まるキャンペーンのこと・セールのことで一気に、塗りつぶして、職場への通勤路を歩き出す。