そこは最果て。
貴方の心の最果て。
僕の心の最果て。
小川洋子『最果てアーケード』(講談社 2015年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
使用済みの絵葉書、義眼、微章、発条、玩具の楽器、人形専用の防止、ドアノブ、化石・・・・・・。
「一体こんなもの、誰が買うの?」という品を扱う店ばかりが集まっている、世界で一番小さなアーケード。
それを必要としているのが、
たとえたった一人だとしても、その一人が辿り着くまで辛抱強く待ち続ける・・・・・・。
裏表紙より
【読むべき人】
・小川洋子初心者。一編一編が短く、非常に読みやすいため
・古書店、古着屋の雰囲気が好きな人
・黄昏に切なくなる人
・朝読書にうってつけの本を探している人
・手芸が好きな人、ハンドメイドが好きな人、は多分とても好きな一冊。
【感想】
小川洋子はもともと好きな作家だ。
高校時代の国語の教材で読んだ「刺繍する少女」でホスピスの存在を初めて知った。そしてそこから大学時代、『完璧な病室』『人質の朗読会』『まぶた』『薬指の標本』等々・・・ブックオフの100円コーナーで見つけては買って読んで、を繰り返してきた。
今回も、夏にブックオフオンラインで買い物した際に見つけ、「小川洋子の短編集なら外さないだろう」と買った次第。外さなかった。
世界で一番小さいアーケード街の話である。
恐らく「商店街」という言葉を用いないのは、「商店」と言い切れるような活気さがある場所ではないからだ。
使い古したレースのみを扱う店、百科事典が置かれている多目的室、剥製等に使われる義眼屋、「愛と情熱で揚げるドーナツ」屋、使われた絵葉書を扱う文具屋正確には違うが、表彰が好きな勲章屋・・・等々。「商店」と言い切れるのはドーナツ屋くらいで、他はどこかひっそりとしている。
アーケードには偽物のステンドグラスが嵌められていて、路面には色色色が映る。
静謐な雰囲気が、常にどこかにいつも、漂っている。
そして20代中盤になる「立派な娘さん」になった主人公の行動範囲は年齢の割には非常に狭く、配達屋としての仕事をこなす時、そして「人さらい」をする時以外は、生活のほとんどをアーケードの中で過ごしている。
手芸やハンドメイドが好きなあなたには「衣装係さん」を。
あなたはきっと今はもう亡き劇場で長年働いていた衣装係さんの創作意欲に打ち震え、本を開いたその両手でより一層、密な世界を作り上げるでしょう。
ヴィンテージのレースってどうしてこんなに惹かれるのだろう。
孤独が寂しくなったあなたには「百科事典少女」を。
あなたは幼いんながらもあらゆることを知ろうとする少女の知識欲に感動し、そしてその父親の一心に取り組むそのひたむきさに心を射抜かれることでしょう。
寂しい時は何かに一点注ぎ込めば誤魔化すことが出来る。
これ以上愛おしくて大切な存在はないというものがある方には「兎夫人」を。
あなたは物語の行く末を見たときに、いつかくるその時を思って、あなたのその大切な存在をより愛おしく大切に思うでしょう。
ずっと一緒に入れないからこそ、一緒にいる時間を大切にしたい。
結末の切れ味も相まって、僕はこの短編が一番好き。
恋するあなたには「輪っか屋」を。
あなたは「愛と情熱で揚げるドーナツ」の色形感触触感味を想像して、一緒にその想い人と食べる想像を更にします。青い空、白い雲、若々しい緑の木陰、春風が吹く手元にはきつね色のドーナツが日光を浴びて輝いています。なんて幸福なことでしょう。
一緒にいる時間を大切にしたいけど、「大切にする」の仕方が分からないの。
その一つの答えの断片が、この短編にはある。
手紙を書いて送られてさらに書いてと文通をしたことがあるあなたには「紙店シスター」を。
あなたは文通していた時の気持ちの昂りを思い出し、そしてその文通の「終焉」をなんとか思い出そうとし、そして今何も手紙が届かない自分の境遇を少し寂しく思うことでしょう。そして手紙の偉大さを知るのです。
メールでもSNSでもない。手紙がいいの。
だって死んでも、あなたと僕が繋がっていた証拠が残るから。
ひとりになりたいあなたには「ノブさん」を。
あなたは、静謐がより色濃くなったドアノブ屋に迷い込み静寂の国のアリスとなるでしょう。そしてその穴にすっぽり嵌ってもう出られません。そこにはウサギもチェシャ猫もいません。トランプ一枚すら落ちていません。
しかしそこを、ようやく自ら出ることが出来たとき、あなたはアリスであることを瞬時で忘れている。跡すら残さず涙は乾いているでしょう。
僕がドアノブをひねった時、その先は、真夜中でした。
はるか昔、例えば小学校の時中学生の時に表彰されたことがあるあなたには「勲章店の未亡人」を。
今は表彰されることは愚か表彰されている人を見たのもいつが最後か分かりませんが、それでも昔に確実にあなたは表彰されたのです。あなたはあなた自身が、それ程に素晴らしい存在であることを思い出すでしょう。
表彰式というのは人生において一瞬で、ついつい「自分は素晴らしい存在である」という事実を忘れてしまうから勲章があるのです。
亡くした経験のある方には「遺髪レース」を。
あなたが寂しさや悲しさに耐えられなくなった時、この物語の女主人が紡ぎだすレースの繊細さ美しさ細やかさを脳裏に思い描けば、少しそれは慰められるでしょう。
でもそのあいた穴は決して癒えることはないのです。
その癒えなさに耐えきれなくなったあなたには「人さらいの時計」を。
同じく耐え切れず今も心に空虚を抱えている「私」が日々織りなす行為に、あなたは共感して震えるでしょう。
そして街に出ては吹く風と共に思っていた、「どうして私だけ・・・」がなくなっていくのを感じるはずです。
そして亡くした瞬間を幾度となく思い出してしまうあなたには「フォークダンス発表会」を。
ほら、見てごらん。
ドアノブがあるよ。
目を閉じて・・・目を閉じて。
「そこは思い出に巡り合える場所」帯より、あなたは莫大な数の思い出を思い出し、そっと涙を拭きながら、布団を被って眠りにつくのです。
壊れてしまうから、心の最果てに置いてきたのに。
おやすみなさい。
おやすみなさい。
一通り感想(?)を書くと、
一見どこから読んでもいいように見える本書が、
実は密なつながりがある「連作短編集」であることに気づく。
そしてどの短編にも漂う静寂の正体が「死」であり、
本書の登場人物全員が「遺された人」であることにも気づく。
以上である。
あっさり軽く読める割に、実はとても重いテーマを潜めている、
不思議な一冊であった。
そして久々に読むとやっぱりいいよね!!小川洋子!!!
何がいいって言うと、どの作品もまあ傑作なんだけど何より多作な作家だから、読んでも読んでも未読の作品が山程あるというのがこれまた凄いところ。好きなところ。
この作品の前に、最近読んだのは
『ミーナの行進』(中央公論新社 2009年)
これはエモエモのエモ。
「最果てアーケード」はあえて時代を「昭和」「平成」あるいは「令和」か分からないようにしているのですが、
この作品はごっりごりの「昭和」。
昭和のポップな雰囲気と、同時に思い出が思い出であることの切なさが襲ってくる。エモエモエモのエモだった。
でもやっぱり一番好きなのは
これですね。
また再読しようかなあ・・・。
積ん読山程あるからなかなか、なかなか、なかなかアレなのだけれども。ね。
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LINKS
このブログに書いた他の小川洋子の作品の記事。
意外にも1冊しかなかった。
「ミーナ」はブログサボってた時期に読んだ本だったからなぁ・・・。