受信料払わせといてその仕打ちはないぜ。
つくね乱蔵『恐怖箱 厭獄』(竹書房 2019年)の話をさせて下さい。
【概要】
町の観光名所を探していて辿り着いた山奥の洞窟神社。だが、そこには呪いの絵馬がずらりと・・・「減らない絵馬」、
初潮を追えるまで女子は赤いモノを身に着けてはならないーー家のしきたりを破ってしまった長女は・・・「唇と爪先」、
廃墟マニアの二人組が忍び込んだ二階建ての家屋。ベッドの上に放置された拘束衣にふざけて袖を通した男は・・・「縛る」、
差別を色濃く残した村の秘祭。マツリで鬼役を担っていた若者は村を出て、積年の恨みを晴らすべく復讐を始める・・・「無差別」他、
無間地獄のごとくすくいの無い闇が広がる怪談実話全40話収録!
【読むべき人】
・「厭」に特化した実話怪談が読みたい人
・良質な実話怪談本を探している人
・表紙買い
【感想】
つくね乱蔵先生の名前は以前から知っていたし、実話怪談は「瞬殺怪談」でいくつか既に読んでおりました。
つくねを乱造する、なんてふざけた名前とは裏腹に、リーマンと二足の草鞋であったり、破綻しない端正な文章であったり、なんかいろいろ結構好感触の作家でございました。
だから、単著実話怪談本の表紙が日本画の女性のこのぐっとくる装丁であると知った時はもうそりゃあ・・・それはそれは喜んですぐにポチッたのでございます。
ブックオフ・オンラインで・・・。
「厭」な実話怪談で有名、とのことでしたけれども、まぁうん、確かに厭な話が多いなぁ・・・といった具合。意識しなければ気づきませんが、改めて振り返ると後味の悪い話ばかり。ハッピーエンド、感動エンドが一切ないというのは結構嬉しい読者も多いんじゃないんでしょうか。
正直、竹書房文庫は作家によっては結構イマイチな作家も多いわけでございまして。
文章力。接続詞・接続助詞が不自然であったり、不必要な改行があったり。あれ・・・?なんでこここんな日本語使ったんだろう、という部分も見られたりするわけでございます。
構成力。ぶつ切れトンボのようになっていたり、前半状況や登場人物の不必要な情報が多すぎて大事な怪異登場シーンの描写が薄くなっていたり、するわけでございます。
要するに、ぶっちゃけ文章自体が目につくこともあるわけでございます。
竹書房文庫は毎年たくさんの実話怪談作家を輩出しておりますけれども、そのほとんどが結構残念な作家だったりするわけでございます。
そのなかで、竹書房文庫の土壌から出て出世した知名度が高い実話怪談作家はやはり、完成度が一つ二つ三つ頭が抜けているのでございます。トップは黒史郎・黒木あるじ両氏だろうと思いますが・・・そのすぐ下にいる数人の内の一人がそう、つくね氏でございます。
・・・。
日本画表紙に合わせて妖しい敬語を使うことでそういう感じをぷんぷんさせたろと思ってたけど、「ございます」「ございます」ばっかでこれじゃあただの怪しい敬語じゃんっ!!!!数多く生まれては消えるっ竹書房実話怪談作家の文章力の稚拙さをつっこむ文章力じゃないよっ!!!!というか日本画→ございます、なーんて小学生の発想力だよっ!!!!!!
以下簡単に特に印象に残った話を記しておく。
一番好きなのは圧倒的に「踊る母」。英訳すると「ダンシング・マム」。
「母は強し」pp.22-26:金岡という普段のふるまいがあまりよろしくない男が、年老いた母と2人で暮らしていたがなんだか最近母、いなくない?
親もしくは子供が、子もしくは親を殺そうとする話はよくきくよね。親子間殺人事件。「今度はおとさないでね」怪談然り。
ただの親子間殺人だったら僕はもう別にあーはいはいで読み過ごしていたことでしょう。
じゃあなんでこの話が僕の心を穿ったかというと、後半の図柄のシュールさですね。母親はガチの100%の本気なんでしょうけど、いやぁ・・・ちょっとこの親子の姿が見えちゃったら最初こそ怖いけれども、僕ならまぁ笑っちゃうね。
ホラーとギャグは紙一重なんていうけれども、ぎりギャグに脚をつっこんでいるシュールレアリズム極まる実話怪談。
「踊る母」pp.32-35:ある日父は50歳で脱サラしてパン屋をはじめるがうまくいかずないので、母が踊りだす!
母系実話怪談その2。この実話怪談もお母さんがんばっちゃうぞ!!
ホラーとギャグの境界線ふよふよしているのも同様、なんだけれども、こっちはぎりホラーです。
なんの踊りか知った時、ぞっとしました。
また、一家そろってドンドン不幸になっていくのもまさしく「厭」で、後味悪くて良い。
「出ていかない」pp.41-47:
何分かたった頃、穴のふちに何かが現れた。細い指が四本である。現れたと思った瞬間、指はすぐに引っ込んだ。pp.45-46
意味わかんなくて恐ろしいですね。うわ実話なんだろうなぁどっかにあるんだろうあんぁ厭だなぁ・・・となった一話。結局何もなかった、で終わるのも妙にリアル。
特に上記の、天井の穴から指が出てくるところは怖かった。星指が四本、のところが。親指とかが隠れてて4本に見えたのかもしれない。のだけれども5本あるはずの指が4本、というところに鳥肌が立つ。
あと、病院跡地系・処刑所跡地系・墓地跡地系の実話怪談は山ほどありますが、羅生門跡地系の実話怪談はなかなかないと思う。実際の羅生門跡地かどうかは知りませんが・・・。
「縛る」p.77-85:やべえ空き家のやべえ拘束衣着てみた!!
その家の描写がおどろおどろしく描かれている。のだけれどもそこは別に怖くなかった。むしろちょっと冗長に感じられたくらい。
だけれども、あー、はいはいクレヨンね「ここからだして」×××Holic由来のあれね、空き家といい相性だよねー・・・・から始まる、終盤が、いきなり怖い。
正直、着た奴が死ぬのは予想がついた。
その後がうわ・・・って感じである。まさしく厭。
改めて読みなおすと「いたって普通の二階建ての家である」p.77、の冒頭の一文がたまらなく「厭」。
ここが有名な心霊スポットであったならば、心霊スポットであったならば、また救いようはあった。けれども「いたって普通の一軒家」でさあ・・・こんなこと起きてたら、たまんないよ。
「果樹園」pp.86-90:山奥に見たこともない果物ばかりが実っている果樹園があるというよ!!どうぶつの森かな!?
ある意味どうぶつの森だった、という実話怪談である。しかもブーケ、ジャック等々いわゆる「当たり」住民多めの猫族多めはサービス精神旺盛と言ったところか。
そりゃあ、あの果物がいっぱいなっている木に囲まれている村は、住みやすいさ。とても住みやすい。
家とか医者の往復の現代社会に埋もれて溺れて生きるより、ああいう村でのびのび暮らしたいよな、分かるよ。
「由紀恵さんと象」pp.91-96:出てきた幼い頃の自分の絵は、象・・・のようなものばかり描いていた。
「厭」がつくね氏の特徴というのであれば、これはまさしく「厭」に特化した話・・・つくね節炸裂の一話といっても過言ではないでしょうね。
怖い、とか、ちょっとおもろい、とか、気持ち悪い、とか、後味悪い、とかそういう言葉では言い表せない。
適切な言葉が「厭」以外思い当たらない。
そういう話です。
「ゆきえちゃんとぞうさん」といった具合に、絵本風味のタイトルからは想像もつかない厭さ。
あとこれもある種、母系実話怪談にはいるのかな。なんとなく。男には無縁そうな気もするし。
「他人様の子」pp.97-101:隣の家の亡くなった3歳の女の子が、娘の所に24時間365日遊びに来る。
怖い、というよりかは非常に興味深い話。
かわいそうだけれどもどうしようもないのである。しょうがないのである。だって、うちの子じゃないし・・・他人様の子だし・・・。
解決するのはお祓いではない。あることをするだけで、女の子は遊びに来なくなる。
うわあ、酷いことするなぁと思うけれども、多分僕も同じ目に遭ったら同じことをすると思う。
実用に特化した終わり方がとても興味深かった。
ちなみに、「縛る」からこの「他人様の子」まで四連続でいい話が続いた。
つくね氏の単著は初体験だったもので、正直前半はうーん・・・?そこまで怖くないかな、と思っていたけれどもこのメドレーで一気に引き込まれた。
「十五年の影」pp.118-123:妊娠している妻の近くに何やら蚊柱みたいな陰が見えるよ!!
うっわぁ・・・って思った。
この展開と全く同じ話を読んだことがある。
小説で。
山白朝子『私の頭が正常であったなら』に収録されている「子供を沈める」。
物語は、それでもなお主人公の女性が希望を見出す形で幕を閉じた。
実話は、どうか。
そりゃ、そうだよな。
現実は、そんな甘くないよな。
小説みたいにうまくいかないよな。
「野狐禅」pp.132-135:素人だけど禅、はじめてみた!!
なんだか、ヱヴァンゲリヲンのかほりがしました。
♪あーえいあーあーおー、あーえいあいあーおーえー!!!!!!(「残酷な天使のテーゼ」の間奏のアレ)
「首吊りライン」pp.136-141:寺の警備員として勤務することになった。そこでは半年のうちに3回首吊り自殺があったというよ。
怖い、厭、よりかは興味深い話である。関心がある。
松原タニシ「恐い間取り」で似たような現象を読んだことがある。
確かあの話も、電車に沿った「ライン」の話だったか。
知的探求心がくすぶられる一話。
「美しい石」pp.163-167:石の収集癖がある息子がある日いきなり引き篭もったよ。
石を持ち帰るな、とあれほど言われているのになぜ人は石を持ち帰ってしまうのか。
石にペイントを施す、とかだったらまだいいものの、石そのものに魅入られたらもうどうしようもない。
僕が思うに、多分これはNHKに責任があると思うんだな。
というのも、NHKが夕方に放映するアニメ「おじゃる丸」、居候先の少年かずまの趣味が石集めである。あれで多くの人は石を蒐集する趣味があることを知ったと思うし、真似する子供も出てきたと思うんですよ。
どうなんだろ。
ちなみに、石を持ち帰るな、っていうのは怖い話好きの間では常識です。僕は小学校の時に買って貰って何度も読み古した怪談本で知りました。皆さんもきをつけてタモ~。
あとやっぱ一家離散エンドは胸に来るものありますね・・・。「踊る母」もとい。これも屈指の「厭」。
「鎧武者」pp.168-170:祖父が質屋を畳む際、一つだけどうにもならないものがあった。
鎧兜である。p.168
ええ・・・になる一話。ええ・・・。代償が大きすぎる。3ページが故の鋭さ。
両親は生きてるんですかね。現象に規則性を見出しているのでしょうか。見出しているのであれば普通寺社に走ってお祓いだのなんだの頼むと思うんだけど・・・。というか既に成人して久しい主人公自身が全国寺社行脚してもおかしくない案件だと思うんだけれども・・・。
無駄とは思いつつ、禁煙し、酒を遠ざけ、血圧に注意する毎日を過ごしている。p.170
で終わっているあたり、ダメそうだ・・・と思ったのは僕だけですかね。
「豆腐」pp.171-175:
ちなみに得意なのは豆腐ハンバーグとのことだ。p.175
最悪ですね。最悪。
何が最悪かというと後遺症が残ったのも最悪だしエスパー?超能力?が身についたとしてもそれを活かして特にいい方向へ進まなさそうって言うのが最悪。
とにかく最悪。
最悪過ぎるがあまり、最後の上記の一文の、ユニークさにしか救いがない。
「減らない絵馬」pp.204-210:観光地になりそうな場所を無理くり探していると、絵馬が多くつるされた洞窟を見つけたよ。
いやいやダメでしょってラインを優に超えちゃうのがお役所仕事ということなんでしょうか。怖いというよりかはドン引き。
でも案外多くの人にとって寺社だとか絵馬だとか呪いだとかジンクスだとかこっくりさんだとか三番目のトイレだとか諸々諸々大したことないのかもしれない。石拾っては集め絵馬をもぎ、廃墟にずかずか入り込こんで明らかヤバい拘束衣ばんばん着ちゃえ、が定石なのかもしれない。
だから実話怪談読む、というのは長生きする・自己の救済、にも繋がるんですね。実話怪談は健康にいい。実話怪談一話読めば一日分の野菜半分とれちゃう。実話怪談読めば癌治る。みなさんもっと実話怪談読みましょう。
「唇と爪先」p.218-220:その家には初潮を迎えるまで赤いものを身に着けてはいけないというしきたりがあったよ!!
やぶったよ!!
そしたらひんどいことが起きたよ!!!という話である。
王道ルートともいえる。
話単体ではそんなにおもしろくはない。
でもここに記したのは、鮮やかな赤極まる派手なこの話を最後に持ってくることで、一冊全体がぎゅっと引き締まっている印象を受けたからである。
要するに順番が優秀。
冒頭に持ってきても華があって良いかもしれないが、王道ルートに辟易している怪談ジャンキーの僕等は、恐らくこの一冊に見切りをつけていただろう。
だからラストで正解。最後ならば王道極まる終わり方でも、僕達は不平を漏らさない。
だってこれだけ・・・これだけの厭な話を届けてくれたのだから。
以上である。
確かに後味が悪いバッドエンド極まる話が多かった。ハッピーエンドの実話怪談を嫌う人や、「新耳袋」等現象に特化したあっさりした話が嫌いな人にはぴったりだと思う。
だからといって、創作臭がすごくする、という訳でもないし。
表紙のセンスもいいし。
優秀な怪談蒐集家だと思う。
ただ僕は、つくねより普通にもも。ももが好きです。ふつうに。硬くて食べ応えがあるので。
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