小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

フランソワーズ・サガン 吉田加南子訳『サラ・ベルナール 運命を誘惑するひとみ』-架空の往復書簡という変態的形態をとった随筆。-


19世紀、20世紀パリ中・・・いやフランス中・・・
いやヨーロッパ中を魅了した女優は、
どういった人物だったのか。




フランソワーズ・サガン 吉田加南子訳『サラ・ベルナール 運命を誘惑するひとみ』(河出書房新社 1999年)の話をさせて下さい。

【あらすじ】

かつてヨーロッパじゅうを魅了した大女優、サラ・ベルナール
勝ち取った栄光の影のように、多くの謎を秘めた彼女の生涯を、
20世紀最大の天才女性作家フランソワーズ・サガンが、
サガンとサラの架空の往復書簡という形を通して描く。

サラ・ベルナールとは】
19世紀から20世紀初頭にかけて活躍したフランスの大女優
彼女の活躍と、画家・アルフォンス・ミュシャの数々の作品は
アール・デコの象徴とされた。

【フランスわーズ・サガン
20世紀に活躍したフランスの女性作家。
悲しみよこんにちはブラームスはお好き』等が有名。
ちなみに今作以外の彼女の作品は未読。
こんにちはしたいとはかれこれ3年くらいずっと思ってるんだけどね。

【読むべき人】
サガンの作品が読みたい人
サラ・ベルナールに関心がある人
・恋多き、パリに生きる女性。の生涯が読みたい人
・仕事も恋も、頑張りたーいっ!!でも頑張れなーい。て人
自分天才なのでは、と思ってる人。もしくはまじの天才。

【感想】
サラ・ベルナール
彼女の名前を僕が知ったのは、
静岡市美術館で開催されたミュシャに足を運んだ時だった。
そこには数多くのミュシャの美しい作品がたくさんあったけれど、
その中で一番目を引いたのは、
6つの2メートルにも及ぶ女性を描いたポスター。
その6枚全員が同じ女性を描いており、
そしてその女優がフランス一の大女優だと知った時、
彼女の本をいつか読みたいと思っていた。
思っていたが
お金がなかった。
でも気になって気になって
夜と昼しか眠れないまぐろどんは、図書館に行った。
そして、「サラ・ベルナール」と検索して、
おもしろそう!!と思った本を借りることにした。
そう、それがこの本なのである。

彼女に関する文献を読み漁るほどの大ファンであったサガンが、
墓下、棺で眠っている彼女との往復書簡を通して
彼女の生涯を描いた、ちょっと特殊な随筆である。
簡単に言うとこんな感じ。
サガンサガン)「こんにちは!!」
サラ(サガン)「こんにちは!!」
サガンサガン)「きょうはいい天気ですわね!!」
サラ(サガン)「あらそうかしら?あなたはそう思うかもしれないけど、必ずしも晴れている=いい天気とは限らないと思うわ

そう、パペットマペット様式のちょっとした変態随筆なのである。

史書、ではなく小説に近い。
娯楽性がある分正確性は欠く。
その分読み易いか?と言われると
うんまぁそこも難しい問題で、
時系列が割とあっちこっち行くのでまぁぶっちゃけ割と読みづらい。
それでもこの本は、面白かった。



まず本作を描いたのは、変態とはいえ大作家であるサガンである。
要所要所に出てくる言葉が強い。
初めて舞台を見た時のことを、サラ(サガン)は
「私は目標を掲げたのでなく、判断を下したのです。女優になろうと思ったのではありません。自分が女優であることを発見したのです。才能のある人間、天才と呼ばれる人間ならそれはそんなふうなのだと、口をそろえて言うに違いありません。」pp.48-49
はえ〜。
自らの才能に対して揺るがない自信があるところがもう強い。
と同時に、天才というのをがっつり捉える正確さ。
またサガンが往復書簡においてサラが話す出来事を「何年何月と日付を入れるのは、我慢してください。」p.173と頼んだ際にも、
サラはこう返す。「よろしいでしょう。(中略)けれど、もう決して忘れないでください(私たち二人の間でも、またあなたのこれからの生涯においても)、真実というものは、事実の正確さとはまったくか何の関係もないものである、ということを。真実はそもそも、事実そのものとはあまり関係がないものです。p.173
はえ〜。
カッコいい。
そして反論を与える余地がない。
強い。

更に、めくるめく出てくる男達。
サラは不倫何のそののレベルで常に恋人が何人もいるような、恋多き女であった。
ので、とにかく男がばんばか出てくるのである。
アメリカ号」というぼろ舟で巡業につれていく事業家であったり、
モルヒネを本命の恋人とした男、
共に舞台に立つ男優であれば、フランス最高峰の舞台の支配人。
近世パリの富裕層を舞台に全員がサラが気になって気になって恋に落ちていく。
「ロマンス小説」を地で行くかのような生涯。
逆ハーレム。そんな言葉すら浮かんでくるような・・・。

そしてサラの実在性。
彼女は19-20世紀に活躍した大女優であるが、
その生涯には謎が残る部分が多い。
歴史上の存在である。
しかしサガンが往復書簡という形をとって描いている彼女は、
まさに生きているよう。



例えば、『レ・ミゼラブル』等を残した大作家ヴィクトリア・ユゴー
彼との面会についてサラは以下のように述べる。
ユゴーの家で、私は感動し、心を奪われてしまいました。醜く俗っぽいそして重々しい老人。好色そうな目っと醜い口をした老人。(中略)けれどこの老人は天才だったのです……!どう説明したらよいのでしょう。彼は他の人間よりもごくわずかだけ抜きんでています。けれどもそのごくわずかが、とてつもなく大きいのです、少なくとも私には大きく感じられましたp.154
この話を聞いたサガンは以下のように問い詰める。
ヴィクトル・ユゴーとの間に、何があったのですか。ユゴーがい色好みで女に夢中になる男だっとことは知られています。彼だ美男子でないのを、そんなに気にしていらっしゃらなかったようですが?あなたはすぐに彼の天賦の才について話したがる。けれど、あなたとこの天賦の才を持つ男との間に何がおきたのですか。」p.156
するとサラはごまかす。
せいぜい調べてごらんなさい・・・・・・。p.157
するとサガンはまぁちょっとキレる。
「わかりました。結構です・・・お話になりたいことを話してください。いやならおっしゃらなくても構いません。でも私は知っています。p.157
するとサラは「では知っていればいいでしょう。どうぞ、気のすむだけ知っているつもりでいてください。」と前置きした後で、ごく自然に妹の死へと話をずらすp,158-160
自らの恋人について朗々と話す一方で、
隠したい事実は控えめに話す。
サガンにそこをつつかれても、ひるまない。
一語一語に宿る気高さ。
まるで本当に、はるかむかしの大女優がサガンへ向けて手紙を書いているかのようなのである。
もちろんそんなわけはない。
サガンが書いたものであり、
また僕等が描くサラもサガンの創作物にすぎない。
それでも、
謎につつまれていた亡くなって60年(本書が書かれた時期では)たった大女優を
ここまで「実在させた」のは、やはり素晴らしいと思う。



以上である。
読みづらいし思ったよりフィクションよりだったけど面白かったー。
特に文中の言葉がよかったー。
ていうかやっぱ半世紀以上前に亡くなった女優を
生きている一人の女性のように描く感じはやっぱすごかったー。

でもこのサガンサガンサラ(サガンひとり往復書簡、
なんと300ページ弱までぎっしりである。
いくらサラが好きとはいえ、なかなかきもい。
しかも終盤にいたっては一人で「あんたの家行っていいかしら?」「いいわよ」してるのである。
カバー裏に出ている美女作家の写真とはかけ離れた変態性である。きもい。

なんか天才の高度な変態遊びは、
一定のレベルを超えると高尚にすらなるんだなと、
ひしひしと感じるのであった。

ちなみに読んだ場所ここ。
羅比亜本店
感想の記事になります。