小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

群ようこ『働く女』-働いたところで彼氏ができるわけがない-

にー・・・転職活動中の僕は、いやい・・・、喜々としてこの本を手に取った。

群ようこ『働く女』(集英社 2002年)の話をさせて下さい。



【あらすじ】
百貨店、事務職、コンビニパート、元総合職、フリーライター
女優、エステティシャン、呉服店店主、元銀行員、ラブホテル店長・・・。
10の職業で働く女達の10の短編集。

【読むべき人】
・上記の職に就業してる人
恋も仕事も頑張るぞ!働く女子!キラキラ! みたいな創作物に飽き飽きしている人
・働く女

【感想】
ちょっと予想外だった。内容が。
「辛いけど・・・恋も仕事も頑張るぞ!」というよく言えばハッピーな、悪く言えばありがち「OL小説」を期待して手に取ったんだけれども、違う。それほど本書は甘くない。
もっとリアルな、もっと切実な、もっと地味な、しかし力強い働く女達をリアルに描いている。
すらすら読める文章だが、骨太な題材であるためなんだか読後感もぐん、とくる。

登場人物たちの働く日々を切り取ったような作品が多い。
そのため、
憧れの上司と結ばれたハート、いじめとかいろいろあったけど最後に昇進できましたびっくりまーく、
みたいな大きな変化はないし、
ハッピーエンド・バッドエンドと言い切れるような終わり方をしているものは少ない。
その代わりこれからの彼女達の日常や日々を想像しやすいものが多い。
もっと言うと、大きな気持ちの変化を描いたものも少ない。
そりゃそうだ。日々のワンシーンだもの。
こういう切り口で迫った、働く女性を描いた短編は意外にないので新鮮だった。

特に印象的だったのが以下の2編。
「そして私は番をする」
【あらすじ】
新卒で入った総合職を約半年で退職したクルミ
「のんびりしている」と言われがちな彼女は、転んだ祖父の代わりに
商店街にある祖父の古本屋の番をすることになり・・・。
【感想】
僕の境遇に似てるものでついつい。
店番中にかっこいい客が現れることもなく、特に何かが起こるというわけでもない。
冷静に考えろ。番する数日の間に運営の相手が訪れるなんて可能性などほぼ0に近いではないか。そんなリアルに寄ってるところが秀逸。
最後に「こんな日々もありかも」なんてのんびり屋よろしく思うわけで、うんまぁ多分僕もそんな感じ。
でも「働く女」という表題に収録されてるということは、彼女を「ニート」ではなくて「働く人」と筆者はとらえているわけで。
昨今「働く女子」「できるOL」とかガツガツ・積極女子系を社会が煽っているけれども、
彼女みたく自分の居場所で日々マイペースに働く。
そんなのんびり女子達も働いているんだよということを、もっと大々的に言ってもいい、気がする。
ほのぼの、というか。のんびり、というか。
まぁ「甘え」「ゆとり」言われたら反論できないのだけれども。
「のんびり働く女子」を応援する小説。共感度ナンバーワンでした。

「とうとう誰も来なくなる」
【あらすじ】
母子家庭で育ったテルコは百貨店に就職し、呉服のコーナーで働く。
成績も常にトップで優秀なセールスレディであった彼女は、30を迎え呉服屋の店主として独立することに。
はじめは商売上々であったが・・・。
【感想】
所謂「女の半生」が約20ページ強にわたって描かれた短編。
今より女性が控えめだった社会でテルコの力強い姿はいやいや、なんともエネルギッシュ。
強い。ぱない。まじすごい。
しかし悲しいかな、年を取るにつれて商売に陰りが見え始めたとき、そのエネルギッシュが全てマイナスに働くのが痛々しい。
最盛期を迎えた人々は、何年かたてば知らず知らずのうちに斜陽期に、入っているのかもしれない。
そしてそれに気づいていないのは自分だけなのかもしれない。
そういった動きが顕著なのが芸能界なんだろーなと思う。特にあの世界は最盛期における自分なんて、神様みたいなものだから。
常に自分を立ち返る大切さを感じた一篇。
僕の人生の最盛期、いつになるんだかそもそもくるんだか。

以上である。
他にも「理想とどこか違う生活に悩む主婦」であったり「腕はいいが真面目に働きすぎちゃうエステティシャン」であったり、
「いるいる!」「わかるわかる!」のオンパレード。
ただ一方で、単行本が1999年刊行であるため、ところどころ古いところが目立つ。例えば「パソコン」の描写であったり、「女性は家庭に入る」ことが多数派の社会であったり。
まぁそれもご愛嬌。
20年前にもほろ苦い社会で働く女性はいたのだ。
そんな証明小説が、本作なのかもしれない。