誰かの絶望は救済につながる、とか。
アボガド6『空っぽのやつでいっぱい』(KADOKAWA 2017年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
アボガド6
「あぼがどろく」と読む。映像作家。ボーカロイド曲を中心に、ニコニコ動画で映像を提供してきた。個人の映像作品集に「おばけフィルム」「おばけカタログ」がある。独特の世界観んを持った映像がユーザーに評価されてきたが、Twitterやpixivに投稿した鮮烈な一コママンガ、短編マンガが大きな反響を呼び、Twitterフォロワーは17万を超える。SNSに投稿された作品んは日々何前何万とシェアがされている。本書が著者初の単行本となる。
p.144 著者プロフィールより
【読むべき人】
・絶望している人
・空虚な気持ちの人
・空っぽの人
【感想】
誰かの絶望は、救済だ。
絶望しているのが私だけではないと思えるから。
いや絶望している人が他にいるからと言って、別に自分の絶望が絶望が心から消えることは無い。
けれども、絶望しているのは自分だけでない。
それだけで、ちょっと、救われた気持ちになる。
「大丈夫?」
「お話きくよ」
直接的な優しさも嬉しい。
でも私は思うのだ。
「絶望している私に(君が)絶望したらどうしよう」
だからやっぱり、絶望に向き合うには一人じゃないといけない。
私の絶望が、私と君の脆き尊き関係を壊さないように。
TwitterよTwitter、どこかで誰かが絶望していませんか?
その時私は、誰かの絶望をSNSで血眼で探す。
誰かが絶望していませんか?
顔も知らない他人であれば、絶望している私に絶望されたとしても、ノーダメージ。だってインターネット上の関係でしょう?ブロックミュートさようならで、すむ。
傷が浅くて済む。
絶望しているのは私だけではない。
顔も知らない何しているかも知らないが他にも絶望している人はいる。
そうやってTwitterで間接的に誰かを救い続けてきたのが、アボガド6先生の作品なんだと思う。
だって一人で絶望し続けるのはやっぱつらい死。爆散。
「なにもわからない なにもできない なにもない」
別に家族が事故に巻き込まれたわけではないけれども、私の毎日はだいたいこんな感じで合っている。
本当にダメだとコンビニで何が欲しいのかわからなくてずっとぽかんと立っている。
ずっと、ぽかんと、立っている。
「君の名前でいっぱい」
時々、「まぐろどんちゃんは誰からも好かれていいよね」「まぐろどんちゃんは面白いね」と言われることがあるけれども、彼女達は、府民の避難先:早朝4時のコンビニで突っ立ってぽかんと口を開けている私を見たことがない。
見せることもない。
「神様が落ちて来た日」
一日中眠っていると夢が現実を超越することがある。何があって誰がいて何が起きたか遥かに現実より濃度があり充実していて私はそこでひとり喜怒哀楽する。
けれど夢には、重みがない。
重みがないから、すぐ、忘れてしまう。
まぁ現実も、忘れてしまうという点では、変わらないか。
僕達は忘れる。忘却する。
神様が落ちてきたあの日も。
自分が神様だったあの日々も。
「マザー」
感情が泣ければこんなに苦しくて悲しくて寂しくなる必要がないのに。
何時かもわからないコンビニの真ん中で突っ立っている必要もないのに。
なんで人間は進化する過程で、感情を捨てなかったのか。
AI、ロボット、「人間の厚み」・・・等々、感情を是とする風潮は、感情を持つ人間が自己肯定の為にしている偽善にすぎないのではないでしょうか。
感情を肯定することで私達を肯定しましょう。感情万歳。感情万歳。
感情を持つ母親こそが正しい「母親像」なのです。感情万歳。感情万歳。
「命を削る仕事」
短くなろうとも人生における幸福を確約するこの仕事は、削るだけでなくて、削ってなくなったその空白たる空間に、こぽこぽこぽこぽ幸福を注ぎ込む仕事でもあると思う。
そこにやりがいを感じられるか否か。
残される側にしか感情を寄せられない人は、神様失格です。
「青写真」
■年払えば、パート労働せず文章だけで暮らせる身分になれます。
■年払えば、あの人と両想いになり交際結婚まで順調にことが運びます。
■■年払えば、あなたの母親の病気が治ります。
■年払えば、あなたの持病も全部治ります。
■年払えば、虫歯ゼロ。
■年払えば■年払えばと思うけれども実際は1年も売る気はない。
電話ボックスは、私の元に現れない。
「正夢」
信じることで、明日を信じることで、不必要に肥大化した重い脳味噌をを僕達は抱えながら二本脚で歩いていく・・・、ああ、二足歩行の為に備わった機能による行動なのかもしれないな、信じるって。
私達は歩くために、前に歩くために、信じるのだ。信じるしかないのだ。
・・・だから某教会よろしく新興宗教は生まれ続けるのかもしれないな。自分を信じるより存在が確証されない「神様」的存在を信じる方が楽だからね。
「春よ来い」
春は死の季節であると定義づけた人は誰なのか。
それはせめて温かいうららかな季節に死にたいというその人の我儘じゃない?
冬の死はあまりにも痛ましいから。
夏の死はあまりにもおどろおどろしいから。
秋の死はあまりにも苦しいから。
春の死よ、せめて幸福であれ。
っていう、我儘。
可哀相に。抱きしめてあげたい。
「空想」
人の数だけ文化があって、人の数だけ宇宙がある。
だから人間ってこんなに愛おしいし時には殺したくもなるのでしょう。
「ねぇ、私は君の宇宙は分からないことが多くてでもとても興味深いと思っているよ。
君は私の宇宙についてどう思う?」
「命拾い」
「後日談」
今空っぽのことで私の頭がいっぱいいっぱいであることを、知っている人はどこにいません。ええどこにも。
以上である。
正直漫画としては拙いところは多々ある。画力であるとか、コマ割りであるとか。描き訳が出来て居なくてどれが同一人物か分からなかったり。
あと最後にあらゆる話が繋がっていることが判明するけれども、そのしくみの意味がいまいち分かりづらかったり・・・それでも。
とある日常ふとした時に訪れる絶望にとても似ている。
人間が油断した時に襲ってくる絶望にとても似ている。
だから多分、どうしても辛くなった時。絶望に負けそうになった時。
私はこの本を開くのでしょう。
まぁ数年前大ヒットした作品と言うことで、ブックオフで108円で購入したわけだけれども・・・買って良かったと心から思う。当時乗り切れなかった波が突如として私を覆うぜ・・・。
中身は別に時代性全く関係ないんで、落ち込んでいる人絶望している人はブックオフの100円棚で本書を探すことをお勧めします。
その絶望の輪郭がはっきりすることで、あとこういう絶望って抱えてるのって自分だけじゃないんだって、分かることで、救われることもあるでしょう。
救われないこともあるでしょう。
(なぜならアボガド6先生は神様ではなく人間なので)
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これはまた別角度から、絶望を描いた漫画ですね。両方おススメ。ただこっちはブックオフではあまり見ませんが・・・出版数も恐らくすくな略