小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

「わたしは最悪。」-30歳そこそこって一番人生について考える季節なんだと思う。-

 

 

 

 

人生は、止まらない。

 

 

 

見て良かったけれども、映画館で見る必要はまぁうん・・・なかったかなぁ・・・ていう映画です。映画館で初めて意識失いそうになりました。でも見て良かった。これは確実に言える。

 

 

「わたしは最悪。」(監督:ヨアキム・トリアー 配給:ギャガ 2021年 ノルウェー・フランス・スウェーデンデンマーク 主演:レナーテ・レインスヴェ)の話をさせて下さい。

 

 

 

 

【あらすじ】

アート系に才能のきらめきを見せながら、決定的な道が見つからず、いまだ人生の脇役のような気分のユリヤ(29)。

そんな彼女にグラフィックノベル作家としてせいこうした年上の恋人アクセルは、妻や母と言ったポジションを勧めてくる。

ある夜、招待されていないパーティに紛れ込んだユリヤは、若くて魅力的なアイヴィンに出逢う。

新たな恋の勢いに乗って、ユリヤは今度こそ人生の主役に躍り出ようとするのだがーーー。

ちらしより

 

【見るべき人】

・30を目前に控えている女性

・モラトリアムを捨てきれない女性

【ためらうべき人】

・癌患者、もしくは家族に癌患者がいる人

 

 

 

 

【感想】

本作を知ったのはサールナートホールにある静岡のミニシアター系映画館、静岡シネ・ギャラリーのTwitterである。

様々な作品を意欲的に公開していて、且つその紹介文が何とも魅力的。で、この夏映画がひそかなるマイブームになっている僕はTwitterを毎日ガン見。

そのなかでも特に惹かれたのは見に行こうと予定に組み込んでいる。「ハッチング-孵化-」とか。本作とか。

まぁシネ・ギャラリー、今回で行くの2回目だったんですけれども。

 

本作に特に惹かれた部分は、「30歳になった女性が自分の人生を見つける」みたいな文章。

分かる!!と思った。

僕は28歳、所謂アラサーなんだけれども、最近物凄く、人生を感じることがある。

・・・人生!

例えば仕事とか結婚とか子供の有無とか。一方で親の病気であるとか人間関係だとか。様々なことが渦巻いて様々なことが一気に押し寄せてくる。

もう若くないんだぞ。の一方で、このままがいい。20歳前後からずるずる引きずっている少女の感覚も手放せない。あれから体重は10近くも増えているというのに。

第二新卒」という言葉があるが、本来ならば、このアラサーの年代のことを指すべきだと思う。

今までを振り返って、とってもとっても生き方だとか人生だとかそういうのを考える季節。

 

静岡シネ・ギャラリーがあるサールナートホール。

 

 

その年代の、人生の分岐点・選択を描いた映画である。

年上の恋人がいながらも、年下の青年に恋い焦がれたり、現在は本屋でアルバイトをしているけれどもそれを生涯続ける気はまっぴらなかったりするユリヤ。

母、妻というポジションにまだ収まりたくはない。自分の人生を主人公として駆け抜けている実感がないまま、そのまま誰かの人生の脇役になるのは嫌だ。何かが欲しい。

仕事。今は本屋のパートで働いているけれどもそれを一生続ける気はない。けれども何を生涯やっていきたいのかは分からない。けれど生涯ここにいるつもりはない。

現状に不満はないけれど、現状が続いていくのは嫌だ。

そういうアンビバレントにはひりひりと共感した。

また、ユリヤは高学歴である。医学部に入学しその後心理学も学んでいる。

僕もまぁ、まぁ言っちゃうけどMARCH。看板学部ではない文学部だけどMARCH。所謂世間一般で高学歴である。

ユリヤと同様、勉強をひたすら頑張って大学に入学すればその後の人生は自然と開けると思っていた。

でも実際は違って、人生の荒波にもみくだされる。

その折り合いをようやくつけたうえで考えるに至るのが所謂アラサーなんだと思う。考える。考え過ぎちゃう。

人生って何。

予想外のことばっかだったけれども、このまま私は人生の主人公にもなれないまま、妻やら母親やら誰かの人生の脇役になるの。

そんなの嫌だ。絶対に嫌だ。

でも今後を考えると当たり前のことだし、仕方のないこと。40・50になって子供が産めるとは限らないし、ましてや恋人はひとまわりも年上。子供が欲しいならもう今しかない。

だけれど・・・だけど・・・。

そのはざまから、走り出す場面が、このキービジュアル。

何もかもが止まって見える。

本当に、自分の求めているものが見えてくる。

ユリヤはそれに気づいてない。

気づいてないけれども、身体は走り出す。

人生は動き出す。

「人生は選択ーー時々、運命。」

日本版のコピーであるが、この瞬間を的確に切り取った言葉だと思う。

 

 



 

 

何もかもが止まった世界を、僕も確かに走ったことがあった。

今後も、走ることはあるように思う。

いつ・どこでかは全く予想がつかないが。

 

 

 

エレベーターに貼ってあるこの映画もラジオで佐久間Pがおススメしてて
見ようかどうか滅茶苦茶悩んだ。

 

ちなみに、僕が寝たのは本作の前半の部分です。

29歳(30歳)のユリヤが付き合っているアクセルは44歳な訳ですよ。集まるにしても、彼の友達には家庭があって、子供がいて、そこで彼女は居心地に悪い思いをするわけです。

あと、親。彼女が親と会話するシーンがあるんですけど、それもなんか退屈なんですよね。老後のこととか。アクセルの仕事のこととか。本当に退屈で退屈で・・・ここで一瞬意識を失いました。こういう、アラサーを縛り付けるあらゆるモノのつまらなさがリアルすぎてね。

眠い、眠かったけれどもそれはある意味この映画に没頭してたってことなのかもしれない。

そういった意味でも、退屈な時間を全て投げ出して放棄して、時間を止めてすべてを駆けだすシーンは爽快だったな。

 

 

そのシーン。よく見ると、「О」のところに様々なシーンが。

 

インターネットで検索すると本作を「ブラックユーモア」と書かれているのにビックリ。確かに、すぐにおっぱい出すなぁ、ちんちんも出たなぁ、とは思ったけれどユーモア部分そんなにあったか・・・?てか前半の眠たいシーンもある種のブラック・ユーモア

でもあれ、アイヴィンの元カノは面白かった。彼女は最高にミス・ブラック・ユーモアだった。大自然とちょびっと触れ合ったのをきっかけに、環境保全に突っ走り、ヨガ・スピリチュアルに目覚め、インスタにちょっぴりセクシーなヨガ画像を上げれば3万フォロワー。途中三つ編みをして、グレタをパロった髪型してたのはおもろかった。日本にもいるいるこういう人。環境ではなくてフェミニズム(笑)であることが多いけれども。

あと、アクセルのコミック関連の出来事は確かに皮肉ったところが多かったかも。映画化するにあたりおおいに改変されるのは、万国共通なんだね。あとアクセルと女性活動家の討論も面白かったな。

でもその一連の創作物案件は、アクセントとしては良かったかもしれないが、本作に必要だったかと言われると微妙。ヨーロッパの現代社会を象徴する出来事なのかもしれないけれども・・・うーん。そういう創作物の議論については、やっぱり日本のが進んでいて、そしてもうその議題も垢がついてる。

べったべたに・・・。

 

 

北欧の映画なので、途中マジックキノコのシーンがあります。
30で今更・・・みたいなレビューも見ましたが、僕も北欧に生まれてたら実際手を出すのは30そこそこだったと思う。

 

 

でも、本作で一番垢がついているのはそこじゃない。

終盤、アクセルが腎臓癌に侵されていることをユリヤは唐突に知る。

癌。

癌患者の描写。ここが本当イマイチだった。

 

見舞いに行くとアクセルは気弱そうな顔をしている。そして過去のユリヤと過ごした日々についてつらつらと語る。

そして言うのだ。

「君は最高だ」

2回目に出てきた時は抗がん剤よろしくあの帽子をかぶっている。

そして更に顔はコケて、とうとう逝っちゃう。

「生きたい」

 

うんざりした。

 

アラサーになると確かに、病や死というものは「現実」になる。

僕の母親も肺癌であるし、友達にも一人乳癌を患っている友達がいる。

癌はお伽話じゃない。人の死はお伽話じゃない。

僕達の生活の中に人生の中に、必ず組み込まれていく。

そういうことを伝えるために、アクセルは癌を患ったのだろう。

まぁ分かるんだけど、げんなり。元カレ・・・恋人関係にあった人が癌でそこに駆けつけてっていつのロマンス?ICUでぱこってんのか。いつの恋空だよ。

 

でも、でもでもでも、まぁこの物語じゃぁ病気になる身近な人ってアクセルしかいないし、分かるよ。陳腐な展開だけれども、彼が癌を患うのは分かる。俳優の演技も素晴らしく、やっぱ王道展開。ちょっとぐっときちゃったよ。

それでも僕は興ざめ。

癌患者になったからといって、人間は聖人にはならない。

癌患者になったからといって、悲観して物憂げに病室見ているだけじゃない。

癌患者になったからといって、常に死のことを考えているわけじゃない。

 

癌になったアクセルは気弱そうに病室を眺める所謂創作物の「典型的病人」として描写されていて、それが本当に残念だった。

癌患者も、元恋人が訪れたらおっぱいだって触りたいだろうし美味しいもの食べたいだろうし喜怒哀楽があるはずなんですよ。

鬱病患者ヨロシクずっと物憂げな横顔曝しているわけではないんですよ。

癌患者になったからと言って人間は変わらない。

性欲だのなんだのそーいう切ったないことを考えませんもう一生セックスしません欲ないです。全部諦めます。そう綺麗にいくわけがないんですよ。

あと癌患者になったからといって全てが赦されるわけじゃない。ムカつくところもあるはずだし、不謹慎なことを思っちゃうところもあるはずなんですよ。

そこらへんが全部ありきたりの美談になっているのが本当に残念だった。

結局ユリヤが写真家という道を選んだのも、そういう美談のうやむやで誤魔化された感じがあって、エピローグが唐突に感じられた。

前半あれだけ丁寧だったのに後半これかよ、って思った。

 

幡野広志という写真家を君は知っているだろうか。

30そこそこで血液のがんを患った写真家である。

癌になってから文筆活動もはじめて、特にcakesでのお悩み相談はHP屈指の人気コーナーだった。僕も単行本2冊持っている。

さぁどんな風に相談に乗るのかな・・・と読むとこれがまた凄い。ばっさばっさと切っていく。しゃあしゃあと思ったことを書いていく。

相談も癌関連のものもあれば癌関連じゃないものもある。人生相談という枠組みはあれどジャンルは多種多様。

彼の存在を知った時、僕は衝撃を受けた。

あ。

癌患者だからって、聖人なわけないんだ。

癌患者だからって、何もかもを諦める必要もないんだ。

確かに癌は深刻な病気だ。

でもだからといって、それに僕達は縛られる必要はない。

母親が癌を患う前に知った人物だけれども、本当に、前もって彼の存在を知っておいて良かったと思った。母の病を知った時僕は鬱気味になったけれども、彼の存在を知らなかったらもうその状態からずっと抜け出せなかったと思う。

ちなみに、大人気だった人生相談のコーナーは、炎上して終了した。癌患者も炎上するのである。大人気コーナーを失ったcakes自体も今年中に終了する予定なんだそうだ。

 

幡野広志という人物を知ってしまった以上、ちょっとこの作品における癌患者の描写は非常につまんなく感じられた。

前半のアラサー・モラトリアムが非常にリアルに描かれている分、後半のこの癌の描写が蛇足。

こんな、何番煎じだよ、って感じの癌美談見せられるくらいだったら、もっと作品の尺短くしてくれ・・・。若干やっぱ冗長だったんよ。それかあのなんちゃってグレタヨガ女の出番を増やしてくれ・・・。アイツ要素詰め込み過ぎておもろかったんよ。

 

 

ただ今後の生き方、仕事というものが決めるのではなく、自分の選択によって自然と決まっていく、その過程の描写は素晴らしかった。

 

 

わたしは最悪。

だけど不安や何やらに、抱えながらも悩みながらも毎日生きていくしかないんだ。

 

 

右がアクセル(健康)。
脚本がお涙頂戴だったけれども、終盤の俳優の演技力はすごかった。

 

以上である。

悪くない。面白いとは言えないが良い映画だとは思う。

アラサー・人生の分岐点を巧みに描いている。

けれども病。ここ関連の描写に不満が残った。古臭い。古臭すぎる。

アラサーのモラトリアムとか結婚するのかしないのか問題だとかその他全部2022!!って感じだったんだから、そこも2022!!にアップデートしてくれって感じだった。

 

癌患者が家族にいなかったら、多分そこは気にならなかったと思う。

でも僕の母親はあいにく癌を患ってしまい、僕もそのことについて考える時間が増えた。がん保険だけには入っている。

だから癌患者じゃない。もしくは癌患者が身近にいないアラサーには自信をもっておススメできる映画。

 

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LINKS

同じくシネギャラリーで見た映画。

tunabook03.hatenablog.com