償う、っていうのは苦しみ伴う自己満足。
田島列島『水は海に向かって流れる2』(講談社2019年)の話をさせて下さい。
【あらすじ】
「この人がいちばん怒っているのは自分自身になのかもしれない」
10年前、自分の父親が榊さんの母親とW不倫の関係にあった。
この事実を知った直達は自分はどうするべきなのか悩むが、
一方の榊さんは余計な波風が立つことを嫌い、
何もなかったことにしたいと望む。
事情を知るのは同級生の泉谷さんと同居人の教授、
ニゲミチ先生、そして直達の父。
静かな緊張感の中で共同生活を巡る
直達と榊さんの二人は次第に10年前の事件、
そして、今の自分に向き合い始める。
裏表紙より
【読むべき人】
・人生において不倫と接したことがある人
・誰かを傷つけたことがあり、それを償いたいとか思ってる人
・誰かに傷つけられたことがあり、それを赦したいとか思ってる人
【感想】
昨日。晴。
午前に病院に行って薬局で薬を貰ってひばりブックスに行ってコンビニに行って昼下がりきった午後3時、1巻同様近所の貸しコミック屋で借りた。
1巻からだいぶ間があいたけど、続きはまぁなんとなく気にはなっていたし。
あとちょっとくたびれていた。
寝起き悪い中で無理矢理午前中に病院に行くという行為は苦痛で、帰りは晴れてるし駅前に来たし何かしたい!よりかは、なんかもう早く部屋に帰りたかった。コンビニで買ったのもおうちで食べる用のお菓子だし。オンライン通話での用事もあるし。
そして、出来れば緩い絵の漫画でも読みたかった。癒されたかった。
そこで本書を久々に借りた。
昼さがり切った午後の貸しコミック屋では、店主の妻・おばあさんがワイドショーを見ていて、のんべんだらりと古書の匂いに満ち満ちている。
外見はひとむかし前の郊外のえっちいお店を思わせるような極せま物件で、実際僕もまぁそういう店まだあったんだ~と思ってたらまぁ貸しコミック屋だった。店名に♡がついているからてっきりエロ本でも扱ってるのかなぁとか思ってたがそんなことはなく、普通の貸コミック屋である。ブログ書く身としてはカバーごと借りられるのがありがたい。
ちなみに繁盛はあまりしておらず、余生のついでといった趣で、別におばあさんは客が来ないことも、その外見が「いかにも」なことも、朝時々すれ違う時僕が挨拶しないことも、(毎回電車出発時刻ぎりぎりに出る為)、そこまで気にしていないようで、今日も上品で少し朗らかで、入口から差し込む冬の陽射し。午後3時。
さぁ借りて帰りましょ~。
帰って買ったピーナッツチョコ食べながらゆるゆる続きを読みましょ~。
ところがまぁどっこい、帰ったらギャオ!で「あらびき団」見てオンライン通話の用事を済ますとそのままぐらりとベッドに滑り込み直後ぐぅぐぅ寝てしまったのであった。ぐぅぐぅ。起きたら22時で、元気!な時間帯でもなかったから夕飯だけ自炊してスマホしてもうそのまま寝た。ぐぅぐぅ。
そしてその翌日・・・つまり今日、ああ返却期限明日だわ、あわわわわわわ、と思いながらさっき読んだ。
W不倫。
1巻は確か榊さん側から描かれていることが多かった、ような気がする。
赦すか、赦さないか。
対して今巻は直達側。
未だに赦せない榊さんの心中を慮り、自分なりに出来ることをして罪を償おうとする。
1巻は「赦す」ということについて、2巻は「償う」について主に描かれているように感じた。
償う、っていうのは自分勝手な行為だ。自分のやったことをパアにしてくれないか、というのは甚だ都合が良すぎる。
はじめ直達は、それが分かっていなかった。まだ高校生である。当然である。
直達「自分が恥ずかしいです
半分持つとか言って大口叩いて
でも 結局何も知らないし何もできなかった」p.19
冒頭、償う云々は自己満足であることを榊さんに突き付けられ直達は懊悩する。
そして気づく。
直達 よくよく考えてみれば
俺は俺で誰かのためにこんなことをしてるワケでもなく
ただ単にグレていただけかもしれないp.125
それでも、
直達 榊さんと榊さんの御母さんを合わせる
それができたら何か変わるんじゃないかと思った p.156
直達「言ってたじゃないですか
何であのオッサンの罪悪感を軽くするためにわざわざ会いに行かなきゃならんのって」p.157
今自分に出来ることを必死に考えて、「榊さんと榊母に会いに行く、直達父に黙って」という行為を実行するというのは、ひとつの償いとして成立するのではないかと思った。
「自分勝手な行為である」自覚をしたうえで過去の罪にそぐうと己が考えた行動をする。
結局自分ファーストである自分に自己嫌悪しながらも、何かしら動く。
誰かの為にではなく自分の為に動いている、現在も自分ファーストである自分が憎い。嫌いだ。それでも何かせずにはいられない。
その苦しみなくして、償うというのは成立しないのではないかと思った。
償う、っていうのは苦しみ伴う自己満足。
といった、
償いとは何か。
という、重たいテーマが、まさしく昨日・平日兼休日の昼下がり切った雰囲気の中で描かれているものだから、そのギャップに僕はギュンギュン。
ゆるやかで、のどかな日常の中に、波紋のように広がる重い主題。
結局、読者である生きるのはありふれた凡々たる今日であり明日であり明後日である。平和たる毎日。穏やかなる毎日。そのなかで内心悩んだり苦しんだり泣きたくなったり怒りたくなったりする。ブレブレに揺れ動いたりする。
この作品は、現実に似ている。
多くの漫画好きの間で話題になるのもまぁ分かる。優しく鋭く現実を、きり、とったかのような。
以下簡単に各話の感想と印象に残った台詞を記しておく。
ネタバレ注意。
#10 真実と現実と炭水化物
直達 俺は何かがどうにかなるとでも思ってたんだろう
でもどうにかなるんだったらもうすでに解決しているはずなんだった
こんなことばかりで皆どーやって生きていくんだろうp.14
本当に難しい。
榊さんのように忘れたふりをする。なかったことにする。のがスタンダードだと思うし僕もそうしてきた。
しかし男子高校生直達は模索する。自分に出来ることはないか。自分に償えることはないか。
若いなぁと思った。
28歳である僕にもうその勇気と体力はない。面倒なことはなかったことに。波紋なんていまさらたてても。きっといつか忘れることでしょう。
でも僕にもそういう時代あった・・・あったような気はするが、「水は海に向かって流れる」ように忘れてしまったよ。僕は。
#11 お昼休みはドキドキマッチング
榊父(ちょっとでいいから 自分のこと ちゃんとした人間だと思いたい)p.44
直達父は大人だから、償うという行為が自分勝手だと知っている。
波風立てない方がいいことも知っているし、そのなかで再び波紋を広げると言うのは自分勝手だということも知っている。
この1ページに、償う、ということに対する子供(直達)と大人(直達父)の認識の違いが詰まってる。
僕だったらもう何もしないね。代わりに自己嫌悪&自己嫌悪して最悪自殺して済まそうとする。恐らく直達父も今までそうやってきたのだろうけど。でも自分の家庭の要に関わることだからそうするわけにはいかなくなった。
#12 女は忘れない
直達「・・・だったら俺も恋愛しません!」p.66
でも直達は若いから、何かしようと模索するんだね。波風たてないことが出来ない。
榊さんから見たらそれはもう、一応「すんだこと」だしどうにもならないことだし、放っておいて欲しいけれども、直達の純粋たるその気持ちに何かが動かされたんだろうね。
・・・普通だったらここでオネショタ展開になるけれども、そこに安易に走らないのがまたいいですよね。多分直達は榊さんとキスしろ付き合えと言われたら嫌々な顔しながらもまぁキスするし付き合うと思いますが。
#13 餃子の夜~ギスギス・ナイト・フィーバー3~
教授「直達くんのやりたいようにやったらいい どーせ正解なんてないし」p.88
ただ傍観者に徹する教授は優しいのか意地悪なのか。
彼が何もしなかったから榊さんの時計がとまったままなんじゃないのか。
でも観る、ことをやめなかった。榊さんの傍にずっといてあげた。
それが彼が考えた、彼なりの優しさというやつなんだろう。
同時に
ニゲミチ先生「あー 納豆と刻んだトマトですっ」p.76
ギョーザを作りに作って家人の帰りを待つのも、本作におけるギャグ枠担うのも、ニゲミチ先生なりの優しさってゆーやつなんだろう。納豆とトマトってどんな味なの。
#14 修羅と酒乱
泉谷妹「私の中に修羅がおるのです・・・」p.102
その修羅を持て余すがあまり榊さんに突撃した泉谷妹。
その修羅を持て余すがあまりもう恋愛をしないと決意した榊さん(10年前)。
女子高生は修羅である。
#15 運命・証明・ぼく宿命
泉谷兄「家族の恋愛運とか気持ち悪いので視たくありません」p.110
久々の泉谷兄登場で僕は嬉しかったです。
確かに家族の恋愛運とか気持ち悪いし視たくねぇな。
2巻では完全かやの外だったけれども、3巻で出てくるのでしょうか・・・彼は・・・。
#16 ドは恫喝のド
泉谷「熊沢くんは本当は誰に何をしてもらいたかったの?」p.140
直達は、本当は、榊さんに、榊母に対して怒りたいことを知ってもらいたかった。
榊さんに呪いをかけた榊母を。
自分の母親を傷つけた榊母を。
それを無理矢理「榊さんのために」としてきたことに気付いたから泣いたんでしょう。
本当は「直達自身のために」にしてきたことだった。
償いっていうのは自分勝手な行為であり、
償いっていうのは結局他人の為ではなく自分の為にすることだから。
自分が今まで超自分勝手な人間であったことに気付いた。相当ショックだったと思うよ。僕はね。
#17 合法!Go Home!
高島美由「ママー!!行ってくるね まるみちゃんちだって昨日言ったじゃん!もー!!」p.168
そして物語は一気に加速する。直道は榊母に対して怒れるのか、それとも怖気ついて後々後悔を延々引きずるのか。
自分の母親をそして親しいお姉さん(榊さん)を傷つけておきながら、平々凡々と自分は幸せな暮らしを謳歌している。あきらめなど、つくものか。
直達は男子高校生だ。彼は若い。忘れたふりをする。なかったことにする。は、出来ない。
ニゲミチ先生「あのおじさんは俺の親戚に奥さんNTRれたおじさんだぞっ 二人きりにされたら俺は死ぬっ」p.165
無口で逢った榊父は一体当時何を考えていたのか。憎くなかったのか、妻が。忘れたふりをする。なかったことにする。にして、すんだこととして処理していたのか。それとも。
今日ものんのん、地方都市・静岡は晴れています。
たくさんの人が働いてたくさんの人が勉強していてたくさんの人がテレビを観て少しの人がまだ眠っていることでしょう。
外に出ると意外と寒くて僕はがたがた肩を震わす。
きっと貸しコミック屋のおばあさんは、今日もみかんの皮をむきながら、ミヤネ屋・相棒(再放送)・バイキングのザッピングにいそしんでいることでしょうし、お客さんは多分、今は来てない。
来るとしても多分昼下がり切った今じゃない。
「水は海に向かって流れる」1巻と3巻の間に空いた隙間を思う。ぽっかり空いてる。冬の陽射しがわずかに差し込む。
さて僕が犯した最大の罪って何だろう。てか今僕何か償ってたりするかな。なんだろ。
可能ならその隙間に入り込んで昼寝にいそしみたいけどまぁこの後バイトがあるので無理でしょう。パスタでもゆでるか。
以上である。
2巻もなんかいろいろ考えさせられた。
償う、ってどういうことなんだろうな、とか。死刑存続問題まで考えそうになった。あと過去の記憶のブラックボックスとか。純文学読んだ後の感覚に似ている。色々感想は浮かんだけれど、うまく文章にしきれんかった・・・ような気もする。
あと極論、現代日本版のゆるふわドストエフスキー「罪と罰」なのかなって。本家読んだことないけど。
本書の最終話で一気に物語が加速した。3巻は、なるべく間を開けずにまたあの貸しコミック屋で借りて、読もうと思う。
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LINK
1巻も去年の秋に借りた