小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

梨木香歩『りかさん』-いつだってお人形は、優しいんだ。-

 

 

 

お人形、すきですか。

 

 

 

梨木香歩『りかさん』(新潮社 2020年)の話をさせて下さい。

 

 

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【あらすじ】

リカちゃんが欲しいとたのんだようこに、おばあちゃんから送られたのは黒髪の市松人形で名前がりか。こんなはずじゃ。確かに。だってこの人形、人と心を通わせる術を持っていたのだ。りかさんに導かれた洋子が、古い人形たちの心を見つめ、かつての持ち主たちの想いに触れた時ーーー。

成長したようことその仲間たちの、愛と憎しみと「母性」をめぐsる書き下ろし作品、「ミケルの庭」を併録。

裏表紙より

 

「おまえは、ようこ、澄んだ差別をして、ものごとに区別をつけていかなくてはならないよ」

(中略)

「簡単さ。まず、自分の濁りを押しつけない。それからどんな『差』や違いでも、なんて、かわいい、ってまず思うのさ」p.203

 

【読むべき人】

・リカちゃんが好きな人

・人形が好きな人

・よいおばあちゃんが好きな人:西の魔女が死んだ」といいこの作者の描くおばあちゃんはなんていいお祖母ちゃんなんだ。たくさん集めたい。「梨木・おばあちゃんコレクション全集」とかやってほしい。河出文庫お前に言っとるんやぞ。

 

【感想】

梨木先生の本を初めて読んだのは小学校6年生の2月とか3月だった。『西の魔女が死んだ』。僕は県立の中高一貫校に合格して、その際に学校から配られた「中学生が鵜読むべき30冊」みたいなしおりに、『西の魔女が死んだ』が掲載されていて母親にねだって買って貰ったのだ。他にも2冊買って貰った。『放課後の音符』『走れメロスもねだって買って貰って読んだ。当時前者はちょっとエッチいなぁと思って、後者はよくわからなかった。立ち小便をしながら富士山を見る男に当時マジの12歳の僕はドン引きすることしかできなかった。

そのなかで西の魔女が死んだだけがおもしろかった。

作者の他の作品として紹介されていたのが本書『りかさん』である。りかさん。りかさん。

まぁなんとなく引っかかるタイトルである。

物心ついたときからリカちゃん人形持っててジェニープーリップと移行して今も部屋に人形いっぱいいるし、りかさん。なんだか「花子さん」みたいなさんづけ、且つ平仮名四文字、りかさん。気になっていた。

気になってはいたけれど買うことはなかった。しにがみのバラッド。』『ムシウタ』『涼宮ハルヒの憂鬱』『疾走する思春期のパラベラム』・・・そこから僕はライトノベルに全力ダッシュすることになる。

 

だから、この前水曜文庫の100円ワインボックスで見つけた時は、「あ」て思った。

昔ずっと一緒に遊んでいた少女が大人になってふと、リカちゃん人形を見つけ、抱きしめる。その瞬間に似ていた。

 

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本編は連作中短編集の形をとっている。表題作である「りかさん」は「養子冠の巻」「アビゲイルの巻」と前半後半に分かれ、そして「りかさん」後日譚に当たる「ミケルの庭」が併録されている。個人的には圧倒的に「りかさん」が大好きだった。庭いらないから新しい巻をもう一巻収録してほしかったくらい。

「りかさん」とは表紙にも描かれている市松人形のお名前。ざっくりいうと昔からいるから「さん」づけであって、決して「三本足だから三本足のりかちゃん略してりかさん」ではないよ。まぁ動くけど、怪談要素はない。

 

「養子冠の巻」は、養子入りしたお内裏様の話である。人形がしゃべったり喋らなかったりりかさんがしゃべったり動いたりして物語は進んでいく。

りかさんの、前の持ち主であるようこのおばあちゃんなる登場人物が本編に出てくるのだが、彼女の説く人形論が非常にためになった。

 

おばあちゃん「でも、人形の本当の使命は生きている人間の、強すぎる気持ちをとんとん整理してあげることにある。木々の葉っぱから夜の空気を梅雨に返すようにね。(以下中略)

気持ちは、あんまり激しいと、濁っていく。いいお人形は、吸い取り神のように感情の濁りの部分だけを吸い取っていく。これは技術のいることだ。なんでもすいとればいいというわけではないから。(中略)だけど、このりかさんは、今までそりゃ正しく大事に扱われてきたから(人形の中には、正しくなく大事に扱われるものもある)、とても、気だてがいい」(以下中略)

ようこ「でも、人形にそんな役割があるなんてしらなかった。知らなくて、いろんな人形と遊んでそのままどこかへやっちゃった。大事に取っておけばよかった」

おばあちゃん「それはそれで、その人形達は役目を終えたんだよ。人形遊びをしないで多くくなった女の子は、疳が強すぎて自分でも大変」pp.76-77

 

僕は昔から人形が好きだ。

気が付いたらリカちゃん人形が山のようにあった。母型のおばあちゃんの家に行くと必ず買ってくれるからだ。近所のハローマック(今はバーミヤン!)で買って貰った覚えもある。

そのなかでも一番のお気に入りは、例外的に父方のおばあちゃんに買って貰った金髪のジェニーちゃんだった。その後ジェニーちゃんを誕生日に買って貰ったりしたけれど彼女のに勝るものはいなかった。だからどんどんその子だけ髪の毛が薄くなっていってて挙句のはてにははげるのではないか、と当時恐怖だったのを覚えている。

2番目にお気に入りなのは、だいぶ後にこれは母方のおばあちゃんに買って貰ったアベルだった。ジェニーの年下と言う設定が当時は新鮮だった。三つ編みは早々に解いてハーマイオニーのようなウェーブの髪型にした。初めは気に入ってたけどちょっと大人になって来てたからそれを後悔していたのを覚えている。

中学になるとプーリップなる存在を、ローゼンメイデンのコラボで知った。当時は頭が大きくて気持ち悪いと思っていたが慣れるとこれまた可愛い。中学2年の頃にお年玉をはたいて、翠星石コラボとダルのロットちゃんを購入した。

当時はプーリップをメインに掲載したブログがたくさんあって、毎日巡回していた。ほとんどの方がもうインターネットから姿を消されているが、そのうちの御一方とは今でもTwitterで相互フォロー関係にあってとても嬉しく思う。またHさんの写真は当時僕には鮮烈で、持っている子達を一部名前まで含めて覚えている。同じロットちゃんでも彼女の家にいるロットちゃんはアンドロイドだった。彼女の家にいる初期ドール・ヴィーナスニーナちゃんが所謂ゆるい「推し」だった。

高校時代になるとブログは巡回するもドールからは離れる。ちまちまドルチェナをお迎えしていたが思うように愛でられず、大学時代に一体をゴミ箱に捨ててしまったことは今でもちょっと悔やんでいる。残り二体は黄ばんでしまっているが実家の部屋の箪笥に閉まっている。

大学時代はドールとは無縁だった。それくらい僕は充実していて楽しくて大変だった。人間がたくさんいた。恋もして友情もして就活もした。

社会人になってプーリップを思いつきから横浜の一人暮らしの部屋に持ってくる。しばらく眺めていなかったが愛着がすごくわいて、結局社会人生活うまくいかなくて、実家に戻ってニートし始めた時にTwitterでドール垢をはじめる。するとそこから、憧れのカスタムドールヤフオクでお迎えしはじめ、再びメルカリで「リカちゃん」をお迎えして・・・の経緯がある。ドール熱はそれこそ高い時低い時ムラがあって、更新も気まぐれであるが毎日垢の巡回はかかさないのと、労働辞めたいと思ったときに真っ先に浮かぶのは彼女達の存在である。最近だと噂には聞いていたリカちゃんキャッスルで購入したりワンオフに手を出したりドール関連の書籍にも手を出したりしはじめた。

メルカリで当時の金髪のジェニーが「カレンダーガール12月ポインセチアアベル「全国高校生図鑑アベルであったことを知ったのは、つい最近のことだ。実家で彼女達の所在を尋ねると母は「忘れちゃった」と言い、実際それっぽいところを探してもどこにもいない。あの2人は再び手元に置いておきたいがメルカリで同じ顔で同じ種類でも彼女達は彼女達じゃない。捨てられてしまったのかもしれない。

要するに生まれてから今までの28年間ほっとんど人形が近くにあった。僕の人生。

この前「はじめてのドールをおむかえしました」というツイートと下着姿のMDDの姿を見たが、僕にはその概念が無い。「はじめてのドール」という概念が無い。

 

なんでこんな好きなんだろう。思ったことはあるけどそこまで深く考えたことはなかった。写真の被写体としてみてる訳じゃない。同じドールであるならば大きいスーパードルフィードルフィードリームアゾン、海外製ドール等に手を出せばいいもののやはりリカちゃん前後の大きさが一番落ち着いてしまう。コレクションしたい訳じゃない。むしろたくさんのすっぽんぽんのリカちゃん・ジェニーちゃんを量産してしまった思い出からなるべく少数精鋭で愛でたいという嗜好である。

考えたって分かんない。だって気づいたらいたわけだし。

 

でもその答えが、このおばあちゃんの台詞にあるように感じたのだ。

 

ああそうだ。どんなに辛いことあっても彼女達を着せ替えている時は忘れられるのではなかったか。どんなに否定されても彼女達は肯定してくれると頭をぽんぽん撫でたのではなかったか。どんなに佑津なことがあっても限られたお金での次の着せ替え系悪を考える時はそのことで頭が100%になるのではなかったか。ロリータ・ゆめかわ・レトロ・・・自分では叶えられなかったかわいいが手元にあることにほっと安心したのではなかったか。

それを、非常に分かりやすく簡単に簡潔に説明するおばあちゃんは偉大だと思った。僕のドール像がそおばあちゃんのいうドール像に直結するとは限らないが一部分は被っているような気がする。

また、「正しくなく大事に扱われる」。いくら後に値段がつこうといくらどれだけ眺めようとやはり、彼女達は触れて可愛がられるために生まれてきた。

加えて、捨てられたお人形についても言及されているのも良かった。言えば買って貰えるからどんどんどんどん買って貰えた人形達の多くをすっぽんぽんにしてしまった。時にはヘアカットに及んだこともある。セーラームーンが一人いたが髪の長さはセミロングだった。同時にたくさんのぬいぐるみも捨ててきた。うさぎとかくまとか巨大な灰色のもふもふとか。

彼等に対する罪悪感がずっとあったがそれは残念ではあるが一つの理なのだと思った。彼等は僕のなかで役割を果たしたから消えて行ったのだ。

とりあえず、今いる子達・・・・ドール達は、末永く大切にしようと人並みながらにそう思った。働く理由にもなっている訳だし。

 

ちなみに僕(28ちゃい)の実家では今でも毎年になるひな人形が出される。誰も頼んでないのに・・・。

 

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アビゲイルの巻」は、戦時中に西洋から送られた「青い目をしたお人形さん」の話。なんとなく聞いたことはあったけど、こういうことがあったんだと勉強になった。ただ物語がもうとても悲しすぎて・・・最後はもう号泣でした。

なぜ人は争うのか・・・。

人形に何の罪があるというのか・・・。

ちなみに「アビゲイル」とは「神が喜んでいる」という意味なんだそうだ。さっきwikiで調べた。そのアビゲイルがああいう形で人形としての生を終えるのは、「神は喜んでいない」

印象に残った一行は、ピカソの「泣く女」を例に挙げその後に書かれたこの一行。

 

人が本当に悲しくて悲しくて泣くときは、顔が、バラバラになるのだ。p.182

 

それが福笑いの要領で元の場所に戻って、僕達の顔は構成されている。何度も何度も離れて元に戻る人もいれば、一度だけわあっと離れてしまったから若干位置がずれちゃった人もいる。

逆に、ずっとそのまま顔のパーツが動かない人は20歳を超えたあたりからだんだんと、人間離れしていく。ずっと動かないから硬くなる。マネキンみたい。

泣いたぶんだけ強くなるという言葉があるがそれで得た強さは有機質の強さ。泣かないことで得た強さは無機質の強さ。

別にどちらが良くて悪いとかそういう話じゃない。

 

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「ミケルの庭」:「りかさん」の後日譚。大人になった蓉子(ようこ)の話。

「かわいい」という言葉の、その向こうには、きちんと検証されないで放っておかれた厖大な闇が屈んでいる。p.244

あかんぼのおはなしだったからぼくにはよくわかんにゃかった。

28しゃいみこんふりーたひとりぐらしもじょ(しょじょすぺしゃる)だからのうがりかいをこばんでいるのかもしれない。

ちなみにようこ=蓉子もぼかぁかいせつではぢめてきがついたので、あらかじめきょうゆうしておくね。「りかさん」のあるじであったようこがどのようなおとなになったのか。

 

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以上である。

最近「良い人早く見つけなよ」母親(肺癌付き)に言われる。その一方でっせっせと毎年ひな人形出すのでこれこそ本当にあった怖い話である。動く人形とかより全然怖い。三本足のリカちゃんより全然怖い。

そんな僕が「ミケルの庭」を味わえるのかと言うとまぁそんなわけがなくはぁ。Twitterでも大学の同級生が知らない間に子供産んだりしていてはぁ。もう28かよ。はぁ。

 

 

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お人形は、いつだって優しい。

 

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LINK

冒頭で述べた、小6の時読んだ2冊の再読感想記録。

 

tunabook03.hatenablog.com

 

 

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