死への恐怖に打克つということ。
加賀乙彦『ある若き死刑囚の生涯』(筑摩書房 2020年)の話をさせて下さい。
【概要】
罪を見つめ、罰を引き受けるとはどういうことか。
罪を受け入れ、乗り越えて生きることは可能か。
1988年の横須賀線爆破事件の犯人で死刑囚の短くも懸命に生きたその姿を描き出す。
カバー裏より一部抜粋
【読むべき人】
・死刑囚が紡ぐ文学作品に関心がある人
・死刑囚の生活に関心がある人
・何か一つに打ち込みたい人
・日々死にたいと思っている人
【感想】
9月のある日、
僕は本書を静岡で最近新しくできた書店「ひばりブックス」で手に取った。
以前どこかの本屋で見かけたが、それからずっと気になってはいた。
なんとなく手に取った。
9月の26日、
僕の27歳の誕生日であるこの日に、僕は上司に叱られている時泣いていたが不意に衝動的にカッターの刃を手首に当てた。
嫌だった。仕事も家族もその先も何も見えない。仕事は出来るようになるペースが遅く、母親は癌でいつまでもつのか分からない。他の家族とは仲が悪い。静岡には友達もいない。みんな東京に行ってしまった。恋人もいない。何もかもが不器用で27年間無事一度も作ることはなかった。インターネットを開けば皆の人生がキラキラしたものに見える。すがるものはない。仕事も出来ず恋人もいない、唯一の拠り所であった母の病は重い、コロナでどこにも僕は逃げられやしない。独り暮らしもしたから収入が欲しい。でも仕事で毎日泣いてばかりだ。ああやっぱり正社員労働向いてないじゃあ僕は何に向いているのか人生向いてないどう生きていけばいいのか、この先どう生きて行けばいいのだろうか全く見えない全く見えない。
10月の中旬、僕は本書を読み始めた。
50年前の事件で逮捕された死刑囚の記録である。
作者=加賀先生が死刑囚という訳ではない。
加賀先生は作家兼精神科医で、生涯を通して死刑囚と交流を続けてきた。正田昭、永山則夫等。その一人が、純多摩良樹(短歌を謳う際のペンネームである)。
彼こそが50年前横須賀線を爆破させた、雪国出身の、吃音癖のある、スーツを着る仕事に憧れを抱きながらも肉体労働に従事した、青年であり、死刑囚である。
一九二九年生まれの私は齢八九歳になって、身辺の、特に書斎の引き出しや戸棚を開いてみたり、手紙を読みふけったりするようになった。ある日、スチール製の引き出しを開いてみて「純多摩良樹」と書かれた一塊りの書類に出会った。p.215
その彼の日記と手紙を、約50年の時を経て、加賀先生が見つけ、本の形にしたのが本書である。
死刑囚と長らく向き合ってきた老いた精神科医が、日記・手紙という第一次史料を用いて編纂した、死刑囚の伝記。
本書は、こう表現してもいいのかもしれない。
「死にたい」
誰でも一度は思ったことがある感情じゃないだろうか。
僕もある。めちゃくちゃある。
でも結局僕等は灯油をかぶったり高層ビルの屋上から飛び降りたり拳銃を咥えたり海にざぶざぶ乗り込んだりするどころか、クローゼットのハンガー掛けのところにタオルで割っかを創ったり電車のホームに飛び込むことすらしない。
だって怖いから。
「死にたい」と安易に口にしつつもその恐怖を克服しようとすらしない怠惰。
結局は、明日も明後日も来ることが分かっているから、現実逃避の代弁として言っているだけなのである。「死にたい」。
じゃあさもう「死」が決まっている人、長くない内に「人生で一番恐ろしい恐怖」が来ることが確定している人は、いったいどういう心境なのだろう。
「死にたい」と言ったりするのだろうか。いやあ言うはずがない。
いつ「人生で一番恐ろしい恐怖」が待っているかもしれない日々の中で、現実逃避をする余裕なんてきっとない。明日かもしれない。明後日かもしれない。
しかもその「人生で一番恐ろしい恐怖」から逃げられないことは確定しているのである。絶対に来るのである。不可逆的に近いうちに、それは、来るのである。
きっと毎日超現実。現実逃避は不可能。毎日現実と真っ向勝負。
そうやって超過密現実を生きる死刑囚は、その恐怖に対して、
打ちひしがれるのか。克服しようとするのか。
本書の主人公・純多摩良樹は、
後者だった。
死刑囚・・・純多摩良樹は、横須賀線に小包を仕掛ける。それは無事爆発し、彼とは無関係の男性が死亡。多数の人間が密室状態の中に爆弾を仕掛けた残虐性が問われ、以前遊びでやった火遊びも「予行練習」と見なされ、なんやかんやあり無事死刑と決まる。
醜男で吃音癖もある純多摩は、内心否定する部分は有れど、概ね認めその判決を静かに受け入れる。
純多摩が横須賀線に爆弾を仕掛けた理由は、簡単に言えば恋愛に振り回された童貞の強い衝動によるものである。ストーカー心理に近いのかもしれない。こじらせ煮詰まった片想いは凶暴な感情へと変化を遂げる。その殺意は抑えきれず、電車を爆破するに至る。死者一名。動機は同情の余地があると言えど、彼が犯した罪は重い。模倣犯も現れる可能性だってある。
亡くなった男性には家庭があった。
相応の罰が下る。
この裁判が続く過程において、純多摩は一冊の本と出会う。
何よりも私が興味を持ったのは、イエスがいつのまにか罪人にさせられて十字架につけられた場面だ。ああ、イエスも死刑囚だったのだ。その死刑囚であるということが、私にとっては一つの慰めになってきたのだった。p.29
誰かが彼宛てにクリスマスに送った聖書である。
戦争が起らねば父は在りしとて 人らも母も我に教えき
雑誌「信徒の友」一ニ月号一部差し入れ
おや、やっぱり私の短歌が載っていた。p.58
そして後日、彼は「遊び半分」で投書した短歌が、雑誌に掲載されているのを目にする。
そこから純多摩の、死刑囚としての第二の人生が始まる。
この2つのみで、死の恐怖の克服に挑む長く短き人生が。
なので、本書は決して暗い書ではない。
むしろ死の恐怖を克服した上で階段をのぼることが出来たという点では、ハッピーエンドとすら言えるのかもしれない。
しかしその一生で一番恐ろしい恐怖の克服は、当然ながら安易ではない。心身ともに信仰に捧げた。血反吐を吐く思いで短歌を作り続けた。何度も何度も罪を振り返り己の存在を恥じた。
その過程の記録が、50年たって加賀先生に発見され、書籍として世に出た。
死の恐怖向き合う壮絶な日々。
神的存在が、「死にたい」と現実逃避を生死に賭ける人々に呆れて、「死にたいですか?本当に?」と問うために、加賀先生を使って21世紀の世に出させたのかもしれない。
もしくは、先月末職場でリスカ騒動を起こした僕に「死にたいですか?本当に?」問うためにこの世に出たのかもしれない。
死にたいですか?本当に?
まだこの世に何も残していないのに?
私はもう、すっかり元気がなくなってしまった。そんな中にあって、今月は短歌を五〇首書かなければならない。血も吐き切った感じだ。p.164
純多摩良樹は、たまたま歌が掲載されたことをきっかけに、のめりこむようにして短歌を作るようになる。会にも所属し月々少ない給与から会費も払い、その雑誌に歌が何歌か連なって掲載・入選するようになり、他の歌誌・コンテストにも応募するようになり、晩年には歌集刊行の話も挙がる。
そもそも彼のこの獄中で作った歌歌が素晴らしかったからこそ、時を経て加賀先生の心を打ち、日記は編纂され本書の刊行に至ったのだ。
例えば僕がここでカッター手に当て死んだところで、後世に何が残るだろう。
そもそも、彼のようにここまで一つのことにのめりこみ結果をだしたことはあっただろうか。否。恐怖した時不安になった時泣きたくなった時彼のようにその全てを、自らの創作物に押し込んだことがあっただろうか。否。だから彼の短歌の創作は度々苦しいものになり切実なものへとなり読者の心を紙が指を切る時のように鋭くなぞる、お前はそういった類のものを創作してきたか。否。もしくは今後の人生においてそういった類のものを世に残せそうか。不明。
死にたいですか?本当に?
まだその身と心の置き所も決めていないのに?
主イエス・キリスト様、命が消えつつあるのを私は恐れはしません。なぜなら死んだ瞬間にあなた様が私を天の国へとひきよせてくださると私は信じているからです。主よ、よろしくお願いいたします。p.154
彼は短くて長い死刑囚期間を終始敬虔なるキリスト教徒として過ごす。ことあるごとに処刑されたキリストに想いを馳せ、「人生で一番恐ろしい恐怖」に克つことを何度も何度も試みるのである。
私は何かに心身ともに捧げ信仰したことはあったか。神や仏、先祖そういった類を勉強したことはあったか。信仰心、宗教・・・否、否。これは今の私には不要な話なのかもしれない。
しかし、死後の魂の置き所も考えないで、「死にたい」と口走ることは何たる愚かなことだろう。碌に考えていない、ということは、死後について思いを馳せていないことと同義であり、それは要するに本当は死ぬ気はないということでは。
例えば僕がカッターで手首を切り刻んだところで、その先僕はどこにいこうとするのか。三途の川の向こうの花畑は実在するのか。
結局その先が全く見えないことに恐怖して、刃を床に落として泣くところがせいぜいではないのか。
死にたいですか?本当に?
己の人生を振り返りもしないで?
一九七四年三月四日(月)晴、あたたかい
私という人間は本当に罪深い人間である。何という罪深さであろうか。いつもの夕べの祈りを捧げながら、神の愛を深く深く思わずにはいられなかった。p.160
日記において彼は幾度も己の罪を恥じ、そして故郷・家族・最上川・吃音等己の人生も省みている。基本孤独な死刑囚が、過去に回帰するのは自然なことなのかもしれない。
牢に入るほどの罪は犯してないものの、社会不適合をこじらせ程程に娑婆を生きている私は、これほどまで己の人生を振り返ることがあっただろうか。否。牢に入る程重くはなきにしもあらず、しかし己が無意識にあるいは意図的に犯してきた罪罪を振り返ることがあっただろうか。否。社会不適合をこじらせているにも関わらず、私を「親友」として受け入れた中高大の同級生、そして途中で殺すこともなく育て上げた両親に対して心からの感謝の意を抱き伝えることはあっただろうか。否。
27年間という決して短くない期間を一切振り返ろうともせず、衝動だけで手首の、その薄く見える青い血管をかったーで切られるか。否。
結局生半可な「死にたい」の衝動はそこまで僕を穿たない。
しかし純多摩は創作信仰自己回帰・・・私が出来ないこと全てを牢の中でひたすらに研鑽し研ぎ澄まし、その日、十三階段を上がる。
〈お迎え〉のドアが開いた時私は、まったく不安も動揺もありませんでした。p.208
本書は、一人の青年が人生で一番恐ろしい恐怖への克服するまでの日々をつづった記録である。
安易に「死にたい」と口走る己の恥を知る。
だがしかし、同時に本書は自殺幇助の書籍ともいえることは出来ないか?
「死にたい」という100人の内、99人は軽く口にしていたとしても、1人は重く口にしていたら?
恐怖に打克つ為何かしらに没頭し、己の魂を置く宗教を心から篤く信仰し、絶え間なく己の犯してきた罪と人生について考えれば、その恐怖には打克てる余地がある。
それを知った時その1人は容赦なくそれらを実行し、躊躇いなくカッターの刃で薄青き手首の血管を切り刻むことだろう。何度も、何度も、何度も。
でも僕はまだそこまでいけていないし、今はなんとなく行く気もしない。
聖書よむわが掌の中の文鳥はイエスの復活ののち目をとづる p.221
以上である。
暗い文章を期待して読んだら思ったより暗くなかった。
むしろ明るい印象さえ受けた。
「死にたい」と安易に思う自分の愚かさが身に染みる一冊であった。
それでもこれから先、やっぱり耐えられず「死にたい」と思うことはあるだろう。
その時は、この純多摩が聖書を開いたときのように僕もこの書籍を開き、純多摩がキリストの一生を想ったように私も遥か昔に絞首台に命を散らした若きプロテスタントの死刑囚の一生を想おうと思う。
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20201026 この記事は編集に死ぬほど時間がかかった。何書いてあるのか自分でもよく分からないところが結構多かった。無事形になってよかった。更新ペースめっちゃ落としちゃったけど。