小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

梨木香歩『西の魔女が死んだ』-再読してわかったこと、わからなかったこと.-


初めて読んだのは、12年前。

梨木香歩西の魔女が死んだ』(新潮社 2001年)の話をさせて下さい。



【あらすじ】
中学生・まいは学校に行けなくなってしまう。
今まで順調に優等生だった彼女にとって、それは初めてのことだった。
そんな彼女に、日英ハーフの母親が提案したのは、
市のはずれにすむ西の魔女・英国人の祖母の家での1か月間の滞在で・・・・。

「アイ・ノウ」本文より

【読むべき人】
・癒やされたい人
生活のリズムを直したいけど直せない人
・紅茶派

【感想】
僕がこの本を知ったのは、
中学受験合格後にもらった「本のしおり」というやつだった。
そこには、教師と図書委員が選定したおススメの30冊だかなんだかが載っていて、
やんわりと、「入学までの期間このような本を読んで入学まで備えてくださいね。」
そんな風にも感じ取れるような、しおりだった。

当時親の期待に120%で応えたかった僕は、
その中から3冊選んで買ってもらって見事読破。
3冊とも新潮文庫だった。
YA!や青い鳥、あとは電撃文庫ティーン向けレーベル中心に読んでいた僕にとって、
大人用レーベルを読むのは初体験で、どきどきした。
1冊読み終わるたびに大人の階段を一段上がれたような気がした。
その3冊のうちの1冊が、今作である。

12年前読んだときは、
「うーん。まぁおもしろいっちゃおもしろいけど」
あんまよく分からなかったのを覚えている。
何が一番わからなかったかというと、
何故ゲンジさんをおばあちゃんが怒らなかったのか。
ありえない!!と思った。
絶対犯人はゲンジなのになんで悪い人罰しないんだろう!!
なんで許しちゃうんだろう!!
いかがわしい本も読んでるくせに!!
怒った。
まいと同様、ゲンジさんにキレていた。
けれど今再読すると、
何故おばあちゃんがゲンジさんを許したのかすんなり理解できる。
「でも、大事なことは、今更究明しても取り返しようもない事実ではなくて、いま、現在のまいの心が、嫌悪とか憎悪とかいったもので支配されつつあるということなのです」p.139
憎めば、過去に捕らわれてマイナスの感情に縛られる。
それはまいの幸せに繋がらない。
そんな単純なことが当時の僕にはわからなかった。
当時の僕は、中2のまいと何ら変わらなかった、ということだ。

一方で、再読した今でもわからないシーンが一つだけある。
母の一言である。
祖母(所謂母の母)の顔が白い布に覆われたのを見た時、
ぞっとするほどな冷静な声で言った。
「家(うち)ではこんなものかけないのよ」p.199
そして布をとり、
「この人はこういう死に方をする」
ママは抑揚のない低い声で言った。
p.200
僕はここがわからない。
普通悲しみや寂しさ、絶望で声が出ないものなんじゃないのか。
声が出たとしても「こういう死に方をする」なんて言い回しするのだろうか。
でも・・・このシーンもまたしばらく年数がたって再読すればわかるのかもしれない。
わからないのかもしれない。
ちなみに、12歳の僕はここは特に何も考えることなく読んでいた。
わかるわからない自体思いを馳せることもなかった。



以上である。
初めて読んだ時から12年たって再読した。
再読してわかったところもある。
わからなかったところもある。

さらっと読める本なのでまだ幾年かたって熟成したら再読したい。
小説もワインも熟成してなんぼのところあるからね。

ちなみに、同時収録の短編「渡りの日」に出て来たあやさん、最高かよー。
彼女の言葉に元気をもらった。
彼女のように生きれたら。