小さなツナの缶詰。齧る。

サブカルクソ女って日本語、すごく好きだったよ。

小池真理子『怪談』-死者の想い、生死のあわい-


ホラー・ミステリ好きの僕にとってこのタイトルは見逃せなかった。

小池真理子『怪談』(集英社 2017年)の話をさせて下さい。



【あらすじ】

20年前、友人が身を投げた岬。
その近くの、彼がこの世で最後に宿泊したペンションを訪れるが・・・・(「岬へ」)
生死のあわいをたゆたう者達の、七つの、「怪談」

【読むべき人】
・美しい怪談を読みたい人
・身近の人の死を経験した人
・彼岸の存在を信じたい人

【感想】
空気や気配を読む作品である。
「岬へ」に出てくる、老夫婦が経営するペンション。「ぬばたまの」に出てくる蕎麦屋「座敷」に出てくる女友達の家。
非常に描写が丁寧で、緻密。
視覚は勿論、聴覚、触覚、嗅覚・・・・味覚。五感を震わせるような描写が良い。まるで自分がそこにいたことがある・・・ような気にすらなってくる。
初めはその分「オチ」が弱く感じられるのだけれども、だんだんわかってくる。
ああこれは。読む怪談じゃない。浸る怪談であると。

出てくる死者も、怖いというより恐ろしいより、悲しい。
「座敷」に座る彼の想いを想像するだけで、胸苦しくなる。
「還る」では風そよぐ墓に読み終えた瞬間、想いを馳せる。
境遇を考えるだけで切なくなるような者達ばかり。
恐らく筆者は幽霊≒襲うものというテンプレートを崩したいのだと思う。
生者を恨む死者だけではない。
生者を愛する死者もいるはずだ。
生前あんなに愛していたのだから。
なのに亡くなってしまった。
悲しい。悲しいけれども、やさしい。
そんな作品群である。

ちなみに僕のお気に入りは「カーディガン」「幸福の家」。
「カーディガン」は、この中ではある意味異質な作品。
どこにでもあるカーディガンの細かい描写(pp.166-167)が見事。
色だけではなくタグのプリントや素材感、ネックの形まで描いているので印象に強く残る。
加えて前後は心理描写で風景の描写は薄い。読者の中はでカーディガンの存在がなお一層強調される。無意識に。
そういった情報の取捨選択が巧みだと感じた。
またその「どこにでもあるカーディガン」からするすると、向こう側へ引き寄せられる感じも心地よい。
カーディガンを女性のだれもが持つように、孤独感や寂しさも女性のだれもが隠し持つ。
その陰なる隙に付け入る話なので、女性読者は誰もがハッとする筈。
「幸福の家」は、ちりばめた言葉が絶妙。
「赤ぶた先生」「オランウータンの真似」「ちらし鮨」・・・幸福を表す言葉全てが、最後に「風を切るように落下し続けていく」p.122のが心地よい。
真新しいオチではない。けど最後の段落の文章は、僕がこの本の中で一番好きな部分。
ちなみに。「幸福」。この言葉が入ったタイトルは100%結末が幸福ではない気がするんだけれども・・・気のせいかな。

満足度はとても高かった。
ただこの短編集、タイトルが違うなと思った。
素晴らしい短編集であるのに、タイトルが合致していないせいでなんか期待外れ感が強い。
怪談・・・といったらそりゃもう怖い話を期待しちゃうわけで、
ましてやベテランの女性作家の怖い話といったらもうそりゃ居ても立っても居られないわけで・・・
ところがどっこい。
「怪談」の言葉に就くイメージほど内容は怖くない。
生と死の「あわい」を描いた作品であって、恐怖のどん底に突き落とすぞおらぁぁぁぁぁああ!!髪の毛びーーーーむ!!みたいなホラーではない。
一篇読むたびに息をつきたくなる。
生死について想いを馳せたくなる。
身近の死者へ、線香をあげたくなる。
そんな作品なのだ。
だからちょっと面食らった。
怪談、よりは「想談」「彼岸」とかのがいいかもしれない。
うーむ。でも作者は「怪談」このタイトルに沿ってこれらの作品を上梓したようだし・・・
それでも文庫化の際サブタイトルに何かしらの言葉はつけておいた方が良かったのではと思う。
Amazonでついている異様に低い☆数を見ると。

以上である。
空気感が絶妙な作品であった。
「恨む」「呪う」とは違う、幽霊の存在が美しい作品であった。
ただタイトルは一考してほしみ。こんな感じ。



ちなみに。小池真理子先生の作品は他にこれを読んでいる。
小池真理子『妻の女友達』(集英社 1995年)。
おもしろかった・・・面白かったというのは覚えてるんだけど
読んだのはかれこれ4-5年前。内容は全く思い出せない。あーでも一遍だけ男性主人公だったか。
近いうち再読しよ